そして 名草戸畔へ辿り着いた

今年のお正月 2023年

実家へ帰省しようと 車で栃木街道を南下していたら

栃木市の大神神社辺りから 

西の太平山の向こう側に

とても美しい雪の富士山が見えたんです

初めて見ました!

こんなに大きく見えるんだ!

って 感激しまして

お~

この美しさでは 豊城入彦命様も

ホームシックになるのは当たり前だよなぁ

と 単純に思ったのが 始まりでした

で 帰宅して ネットで調べたところ

栃木市のあの辺りから

お正月とかの空気の澄んだ時だけ

大きくはっきりくっきり 富士山が見えるそうなんです

へ~

初めて知った!(*ノωノ)

そして 次に

豊城入彦命様が おそらく

紀州の荒川沿いのご実家の辺りから

富士山を眺めていらっしゃったんだろうなあ

と ネットで調べてみましたら

え? 基本的には 和歌山からは富士山は見えない?

ということが判明した次第で。。。

写真家の方が 妙法山というところから 富士山の撮影に成功したそうですが

え 普通 見えないの?

と。。。

あ~・・・

和歌山と静岡を勘違いしていました。。。

私は 

豊城入彦様は

紀州のご実家にいたころ

山々の向こうに 富士山を見てたと 勝手に推測していたのでした

そして 栃木市に来てから

太平山の向こうに富士山を見ては

故郷を懐かしんでいた

と 決めつけていたのでした。。

全然違った。。。orz…

いや でも もしかしたら古代は見えてたんじゃ。。。

と あきらめきれずに ネットを検索していたら

 【加藤一郎が聞く農協文化論】

古代女王、名草戸畔 和歌山に伝わる農業「はじまり」の神話

がというJA新聞の記事?がありまして。。

 名草戸畔って 神武天皇の時の。?。

と ついつい惹かれて 読み始めたら

私達の年代にはとても身近な 戦後も戦い続けた小野田さんから話を伺った

という作家さんの対談で

え~~~??

小野田さんの家って 神社だったの?

しかも 2000年以上前からの伝承を

父上から聞いている!

と もう ほんとに 久々にびっくりして

一気に読んでしまいました

そして ついには アマゾンで

なかはらまい氏

名草戸畔 古代紀国の女王伝説

を ポチすることに。。。

そして この本について検索してみたら

最初が2010年発行で

当時話題になったそうで

え。。 私 当時わからなかった。。。

と それにも 愕然としました

あの頃 ネットで 古代について書かれた本 探しまくっていたのに。。。

もしかしたら

私は 近頃 散歩しながら

縄文や弥生について いろいろ考えているから

それについて お答えをいただいているのかも。。

今がその時期なのかもなあ。。と

神様からのありがたいご采配?を感じたのでした。。

ちょー 久々に入力したので

勝手がよくわからない。。

投稿はどうやったら。。(笑)

鹿島 中臣氏

11月に頭に浮かんだのは

さいもちの神は 天香香背男(あめのかがせお)様で

鹿島神宮は 天香香背男(あめのかがせお)様を抑えるために

タケミカヅチ様でふたをして (中臣氏の呪術)

中臣氏は タケミカヅチ様を 春日大社へお運びして

呪術を生かして 天皇をお支えする役として ずっと君臨した

というような感じでした

ですが さいもちの神は 神武天皇の兄上の稲氷命ですし

いろいろ 違っているところもある気がするので

これは 後日 改めて 推理を重ねてみないとです

そんなこんなを 頭の中で いろいろあーでもないこーでもないと

考えていたら

11月11日 明け方でしょうか

私は 奈良へ一人で 旅行している夢を見ました

それが 出てきた場面が

石舞台古墳 岡寺 橘寺 という感じで 

お寺の名前の言葉が浮かび

そしてたぶん 橘寺だと思うのですが 桜が とてもきれいでした

。。。

これって 中臣氏を考えていたから

見た夢?

何かのヒント?

・・・

うーむ。。。

もしかしたら 私の推理は当たっていないけど

何かこう 中臣氏 や 蘇我氏が 関係しているのかも?

なんて 思いました

中臣氏や蘇我氏 といったら

呪術。。。

橘寺とかは 聖徳太子様?。。。

。。。

霊能力のある方は 絶対に 触れない聖徳太子様。。。

一体 どういうミステリー。。。

なぜ 悪い神?天香香背男(あめのかがせお)様

 国が編集した本 日本書紀に はっきり 

悪い神と書かれてしまっている天香香背男(あめのかがせお)様ですが

なぜ そこまで 悪く表現されているのか考えてみました

やはり 親族間で 土地で もめたから?

現代も 親族同士で 土地とお金でもめると ものすごい悪党扱いされますよね

もしかしたら 天香香背男(あめのかがせお)様は

天照大御神様の従兄弟とか かなり近い間柄だったのかもしれません

関係が近いほど もめる らしい。。。

いろいろネットで調べてみると 尾張に 名前が似ている方がいるので

そこから出た方ではないか と 私も思いました

そこで はた!と 思い至ったのですが

日本武尊様の東征に 尾張の建稲種様が水軍で同行されますが

あれって もしかしたら

ご先祖関係の天香香背男(あめのかがせお)様の 子孫縁者が 

東国で 反旗を翻しているかもしれないから

尾張の血を引く建稲種様が 説得にあたるため

日本武尊様に同行したのではないか

と 思ったりしました

天香香背男(あめのかがせお)様は

西国を統治する天孫族の元につきたくなかったのかもしれないですね

独立国家として 東国で君臨したかったのかもしれません

貢物もしない と 宣言したのでしょうか

江戸の終わり 

北海道で独立すると宣言した榎本武揚さんたちは

明治政府から 断固として認められなくて

戦になって 敗北しましたものね。。

賊軍として 悪く言われましたよね。。

こういうのって 昔から 変わってない気がします。。

結局は 上の人の気持ちを逆なでするかしないか。。で

善悪は 判断される。。。

天香香背男(あめのかがせお)様 また調べてます

今年の11月 

なんだか頭の中に

鹿島神宮は さいもちのかみ

 って 浮かんできて

さいもちの神 って 確か 鹿島神宮の神 じゃなかったっけ

なんて思って 調べてみたら 思い違いをしていて

さいもちの神は 稲氷命 いないのみこと でした

神武天皇のお兄さんです

何かで 読んだ気がしたんだけどなぁ。。。

私的には 稲氷命は 神武天皇とケンカをして別れて

船で 東国へ来て 治めた と 考えています

福島とか茨木 千葉 栃木 辺り。。

そして私は さひもちの神から 

どうしてそうなったのかはわかりませんが

今 また 

天津甕星(あまつみかぼし)様

別名 天香香背男(あめのかがせお)星神香香背男(ほしのかがせお)香香背男(かがせお)様

を調べています

栃木にたくさんある 星宮神社 

妙見菩薩信仰や 平将門公

等 次々浮かんでくるので 

何かこう 古代から続く壮大な流れがあるような気がしています

そもそも 豊城入彦命様や 日本武尊様が

安心して?安全に 堂々と 東国に戦に来れたのは

もっと古代 天孫族が 天香香背男(あめのかがせお)様から 

東国の領地をゲットしたから だと思っています。

敵だらけで 危ないところには

さすがに 大和から 戦に来ないと思うのです

ある程度安全で ある程度支配下にある土地でないと来れない気がします

このブログ 新規投稿がなんか変わったんですね (*’▽’)

腱鞘炎のため

(今年の5月 左手親指の付け根が痛いのを我慢してたらばね指になって それでも使い続けていたら突然ぶわっと腫れて全然使えなくなって。。お医者様には腫れがひかなかったから手術だよ と脅されていたけど。。。だけど やっと98%治った 手術なしで(⋈◍>◡<◍)。✧♡半年かかった。。)

💻も何もできなくて 

(スマホは右手でできたけど 実は両指全部がへバーデン結節になってるって気付いて ((((;゚Д゚))))ガクガクブルブルした)

久しぶりに 自分のブログに対面したら

新規投稿の 枠?が なくなっていて

割とシンプルな真っ白な画面に 記事を入力する形になったんですね (*^_^*)

もう なんでも良いです 💛

指も治ったし ( ほぼ)

元気で 生きて ブログに会えたから それで 幸せです 🌸

へバーデン結節も 悪化しないように 毎日 マッサージしてます

頑張ってます ☆

ブログには 入力できなかったけど

その代わり

右手で鉛筆持って ノートに手書きで 

いろいろ

歴史の謎 調べてました

コロナで 全然 歴史探索の旅? には 行けなかったのが

悲しかったけど。。。 

夏も暑くて。。。 ( ;∀;)

だけどもう11月も終わり。。。

寒くなって 稲刈りもとうに終わったと思うので

これから 人と接触しないように 自粛しながら

探索に行きたいなあ。。。

おっと 

💻キーボードの入力で ちょっと 左親指に力が入ってる(;^ω^)

リラックス リラックス~

力を抜いていきましょう~~~ 💮

平将門公 首塚改修工事 2020年 地震

先日の地震ですが (2020 11月25日 11:20頃)

私のところでは 

一瞬 ドカン!と 下から突き上げるものすごい強い縦揺れだったので

これは危ない、避難しようか

と思ったほどでした

ですが なんと

私のすぐそば2メートル以内にいて 一緒に仕事をしていた義母が

まったく気づきませんでした

私が

すごく大きい地震だったね!下から突き上げたよ!

と言ったら

え?地震?

今? 全然わからなかった

と答えたので びっくりしました

帰宅して 夫と娘に言ったら

それぞれ 宇都宮市内の違う場所で仕事してましたが

二人とも まったく 気づかなかったそうで。。。

。。。。

宇都宮は県央部でしょうか。。

県南が震度3で県北が震度1

なので 間をとって 震度2。。

。。いや だけど

あの揺れは ほんと すごかった!体感 震度5!の突き上げ!!!

あの大地震を思い出したほどの激しさだったのに。。。

なんで 3人も 気付かない?!

後日 ツイッターを見たら

ちょうど 東京の平将門公の首塚を 大手町再開発のため

一時撤去の 工事をした日だそうで。。。

その数時間後。。。とか。。。

震源地は 将門公の胴体が祀られている

 茨城の坂東市辺田 神田山 延命院 辺りだそうで。。。

さすが 将門公!

としか言えません!! (;^ω^)

私は 将門公のファン (不謹慎) なので

お知らせしてくださったのかも。。。💛

ツイッターで いろいろ拝読しましたが

改修工事は これからの時代に

お参りしやすくするためのものみたいなので

将門公 も 許してくださるんじゃないかと

安易に思っております (/ω\)

庶民を想って戦って下さった 庶民のお味方の優しいお方です。。(*^-^*)

宇都宮 鶴舞塚古墳が先にあったんじゃないですかねぇ

ゲゲが勝手に思ってるだけなのですが

日本武尊様が鶴舞塚古墳の上に飛んでる白鳥を矢で当てた

という伝承があるのだから、

その時、笹塚古墳はなかったんじゃないか

と ふと思いました。

 

ゲゲ、思うのですが

鶴舞塚古墳って 結構 古いんじゃないか

って 思うんですよ(二度言った!)

 

豊城入彦命様の頃の円墳なんじゃないかなあって。。。

 

場所も 北原東古墳から 結構 まっすぐ東って感じだし

 

もともと 北原東古墳にいた方達は 先住民族で

あの古墳の主様は 立派な方墳に眠ってらっしゃるから

おそらく 豊城入彦命様達の東征を歓迎した地元の方なんじゃなかろうか。。。

 

って 思ったりしました

 

最初は 日本武尊様の東征を歓迎したのが

北原東古墳の主様一族かとも思ったのですが

やっぱり それ以前に 豊城入彦命様達を歓迎してくださった

と思う方が 自然かもです

 

方墳は ゲゲの考えでは

出雲につながる 縄文時代からの部族の方達のお墓って

気がするんです

 

で、方墳ですが

次の段階では

若干 ヤマトの古墳を取り入れて

前方後方墳に変化して

その次には 前方後円墳になって。。。

 

って 発展していく感じがします

 

円墳っていうのは

ヤマトの人たちが 初期 作ったものだと思うんです

 

前方後円墳は とても力のある皇族のもので

(箸墓とか)

作るにも 図面がないととても大変なので

初期の頃は 円墳が多かった気がするのです

 

鶴舞塚古墳。。。

 

東山道を通って 北へ 戦にいく日本武尊様達の軍勢が見たら

田んぼの中に ぽつんとある

とても立派な円墳だったでしょうね。。

 

眠ってたお方は 豊城入彦命様の現地の奥様か

大和から一緒に来た 豊城入彦命様の縁者か・・・

 

初期の古墳に眠る方なので

相当 力のある方だったと思います

東谷地区を開いた部族の初代の王か 奥様か。。。

豊城入彦命様の現地の子どもさん?

 

先日 イメージが下りてきたので

絵を描くのが 楽しみです!

 

古代の国津神のお方の古墳が

方墳から 次第に 前方後円墳へ発展していったのかも

と思うのは

 

前方後円墳の方が そっちの方面で^^;

いろいろ優れているから

と 思うからです

 

霊能者の玲子さんと 視っちゃんの言葉を借りれば

呪詛と同じように

 

こうしたら どうだろう もっと効くよ。。

とか

そっちの方面で 試行錯誤して

より 一番効くのが 前方後円墳だったのではないか

と 思ったりなんだり。。。w

 

そういえば

最強の古墳って どこなんでしょうね。。。

 

天智天皇の古墳ですかね。。。

子孫が栄えてる!

100年後に復活してる!

強そう!

 

持統天皇と天武天皇のお墓も強そう。。。^^;

夕方行ったら なんか 怖かった。。

高松塚古墳も。。。