7月 2006 のアーカイブ

文星芸大付属高 甲子園おめでとうございます

2006年7月31日
近所の、旧宇都宮学園が、(通称 宇学) 栃木県から
甲子園に出場できることとなりました。
 
おめでとうございますー! ぱちぱち!!
 
過去何回も出場してます。
6年ぶりらしいです。
 
近所なので、試合に行く途中のバスに乗ってる選手たちをよく見かけますが、
プロ野球選手のような顔つきを、皆さんしてます。
この子たち、今年は行けるんじゃないかなーと思っていたら、
ほんとに行けることとなって、嬉しい限りです。
 
寮があって、夜10時頃、私が寝てると
よく、球を打つ、カキーンという音が学校から聞こえてきます。
 
練習してるんだー。すごいなー。
泥棒除けにもなります。
 
            
長女が、小3の頃、その頃も強い選手たちがいました。
 
ある日、長女が近くの公園で、友達と一輪車で遊ぶといい、
一輪車をころころ転がしながら家を出ました。
 
私は、道路まで、見送りにくっついていきましたところ、
横断歩道の反対側に、宇学のユニフォームを着た野球選手が
二人信号待ちをしていました。
 
彼等は多分、学校から離れた専用グラウンドへ
走って行く途中だったんでしょう。
 
顔を見て、あーこの二人、新聞に顔写真が載ってた選手だー
と思いました。
 
ひきしまった黒い顔に、鋭い目、
大学生のような立派な体格
 
うーん、さすが強そうー
 
と思っていたとき、彼等が会話を始めました。
 
「あー・・ 一輪車だー。お前乗れるー?」
 
「いや、俺乗れない。お前は?」
 
「オレも駄目。全然乗れない。小学校の頃やったよなー」
 
ぶぶっ。。。。
 
長女の一輪車を見て、そんな会話をするので、
私はふきだしそうになってしまいました。
 
ふつうだ・・・あまりにもふつうだ。。。可愛い・・・さすが高校生・・
 
彼等は、ぼーーーっと、ころころ一輪車を嬉しそうに押す
長女を ずーっと見送ってくれました。
 
野球が上手でも、乗れないものもあるんだー
 
昨日、長女に
 
覚えてる?
 
と聞いたら、全く覚えてなく、話をしたら、受けてました。
 
長女は、近くのゲーセンでも、幼稚園の頃、
宇学のかっこいい男の子に、あかちゃんまんの
ぬいぐるみをもらっています。
 
やっぱり、覚えてなかった~。
 
              
是非、甲子園、がんばってください!応援してます!
 
              
おととい、新聞で報道してましたが、結局甲子園へ行けることに
なって、とても喜んでます。
 
一部の自覚のない部員のために、部全体が責任をとる必要は
ありません。
不祥事を起こした子の責任は、野球部ではなく、保護者で
あるべきです。
 
高野連が良い判断をしてくれて大変良かったです。
 
部活動で、真面目な努力家たちが馬鹿をみることがあってはならん!
と断固として思います。
 
選手のみなさん、是非頑張ってきてください。
頑張ってるあなた方を、みなさん心から支持してるはずです。
 
 
             
こういう考えっていつからなんでしょうかー
飛鳥時代とか、一族の長が罪をおかすと、その一族は
出世が閉ざされるというのはありましたが・・
 
先の大戦からでしょうかー
戦争推進派の失敗のくせに、日本人総自決だとか、
お馬鹿なこと言っちゃって・・・
一部の不祥事を、国民全体の責任に仕立て上げるという愚かさ。
 
学校も、あの学校は評判が良くないと、風評が流れますが、
絶対、中には真面目な子もたくさん居るわけで、
どうしてこの国は、割と団体を中心に考えるのでしょうか
 
江戸時代の五人組政策ですかねー
言霊かなー 
 
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中国旅行 劉さん

2006年7月30日
去年平成17年3月、父が中国旅行へ連れていってくれました。
 
16年に亡くなった母が、生前、父と中国に行った事があるので、
思い出の地を、今度は、私、弟、私の二人の娘とともに
旅しようという趣旨でした。追悼旅行とでも申しましょうか。
 
いやー良かったです~
料理も、人も、景色も、お土産も!
オリンピックを控え、国中、きれいに工事をしている最中でした。
 
ツアーコンダクターの劉さんも良い人で、色々教えていただきました。
馬年生まれ、男性、独身、月給10000円(当時一元12円)
でも、やはり、中国なので、政治的なことは抜きです。
私達もあえて、聞きませんでした。
 
同じツアー客の方が聞き出したのですが、
劉さんは、西安出身、その地方で2番目の成績で
見事北京大学へ合格したそうです。
 
入学して、日本語を勉強しなさいと言われ、
日本語専攻となったそうです。
そして、卒業後、旅行関係の仕事へ就いたわけです。
 
日本語は、とてもお上手でした。
英語も、中国語も話せるエリート劉さん。
でも、すごく気さくないい人でした。
 
中国人の男性の夢ですと、バスの中で話してくれました。
 
アメリカ並みの給料をもらい、
フランス風の家に住み、
日本人を妻に持ち、
中華料理を食べる。
 
以前、読売新聞にも載っていた夢で、
やっぱり、中国男性にとって本当の憧れなんだーと思いましたねー
 
でも、実際は全然違うそうで、
可能なのは、中華料理だけみたいです。
安いし、美味しいし、ヘルシーです。
 
お給料は、高給取りサラリーマンで月約10000円、800元
家は、上海など都会では、どうしてもマンションやアパート。
 
一番、不可能なのが、夫をたてて、優しく料理・洗濯をしてくれる
ハウス・キーピングの得意な妻。
 
どうも、外国の男性は、日本人の女性に、間違った良いイメージを
持っているようです。
ニコニコ、家事をこなしてる妻は、今、あまりいないですよね、
私の周りを見ても。
 
家族に手伝え~と迫ったり、または、家事はさっさとすませ、
仕事や趣味、勉強に打ち込んでる人が多いです。
 
中国では、結婚後も奥さんは、バリバリフルで仕事を続けます。
で、仕事が終わると、真っ先に家へ帰ってご飯を作るのが
夫なんだそうです。
妻は、友達と会ったり、ショッピングに行ったりして、のんびり帰宅します。
すると、夫が
「お帰り~、晩御飯できてるよ~」
と、迎えるンだそうです。
 
まじで?!
 
ななんてうううらやましいいいーーー
 
どうやらものすごく深刻な事情があるようで、、、
 
20~30年くらい前 中国全土で
生むなら男子ということが流行し、妊娠後検査して
おなかの子が女児とわかると、多くの人が堕胎
してしまったんだそうです・・・・くすん
 
(割と、その時期日本でも男児礼賛だったかも・・さすがに堕胎はしないけど・・
今じゃ、生むなら女の子という風潮ですが)
 
その結果、今、そしてこれから10年間
結婚できない男子・・・適齢の女性の人数に対して
あまる男子の数が
 
なんと、40万人になるそうなんです。
 
4万じゃ驚かないですよね、うん、40万だと記憶してます
 
なので、結婚したい男子、そして、無事結婚できた男子は
彼女、妻にとことん尽くすんだそうです。
 
劉さんには、結婚してる4人の男友達がいるそうですが、
4人が4人とも、働いて、帰宅後妻のために主夫しているんだそうです。
 
・・・そう言う雰囲気を感じました・・
 
売店、空港、道を歩くカップル、
どこでも、男性は中国の女性に対して優しかった・・
私等、観光客に親切なのは当然でしょうが、身内にも
優しいと、ひしひしと感じましたよ。
 
ていうか、女性が強い?
子どもの世話を夫にまかせてる妻多かったですねー
 
なるほど、これなら、日本人の優しく尽くす妻(という理想像)に
憧れるのも当然と思いました。
 
日本の現実を知らないのでしょうね・・
熟年離婚うなぎのぼりって。。。
 
劉さんは、仕事以上に、私達ツアー客に対し親切に
してくれました。今も元気で頑張ってるかなー
アメリカで、事業始めたかなー
仕事が忙しくて結婚は無理 と笑ってましたが、いい人が
現れるのをお祈りしてます。
 
紫禁城 旗持ってるのが、多分劉さんの頭
南京通りのコカコーラ 巨大オブジェ
 

お盆

2006年7月29日
父は公務員で、市役所勤めでしたので、私は
お盆休みなるものを、大学生でバイトするまで
知りませんでした。
 
役所は、お盆休みはなく、カレンダー通りで、
父も8月13日あたりに、午後だけ休みをとるくらいだったので、
漫画と音楽と(勉強)に明け暮れていた私は
 
お盆休みの意味がわかりませんでした。
 
大学に入り、ヒバリのマークのレストランでバイトを始め、
8月11日あたりから17日頃まで、
昼夜なく、常に満席のすごいラッシュが続くので、私は
とても不思議でした。
 
なんで、こんな忙しいんですか。
 
当たり前じゃん、お盆だョ?世間の会社はお父さん休みで
みんな、旅行とか、里帰りしてんだよー。
オレ等は働いてるけどさー、いーなーちくしょー!
 
そうなんですか、、、
会社が休みになるんですか・・
へーー民間ていいなーー
 
もちろん、役所も夏季休暇はとれます。
父もとってました。でも、いつも旅行に連れて行ってくれていたので、
私は、逆に
 
旅行のためにわざわざ休みにしたんだー
怒られないのだろうか・・・
 
と心配してたのです。
 
杞憂でした。
 
そんな、お盆休みの意味をしらない私でしたが、父母両家の実家へ
毎年8月のお盆には必ず行って、お坊さんのお経を聞いたり、お墓参りへ
行ったり、いとこ達と悪さをしてました。
 
父の実家では、私の祖父が、毎年、盆だなっていうのでしょうか
そういうのをつくり、いつもは仏壇にいるご先祖の位牌をその棚に
飾り、いろいろお供えをしてました。
 
神社にあるような、しめ縄みたいのも、祖父の手作りで、
たたみ一畳くらいのその棚は、新しい木の香りと
太い縄が、どーん!とした、すばらしいものでした。
 
私等子どものお気に入りは、なすの牛ときゅうりの馬です。
けっこう、なすは人気で取り合いでした。しっかりしたつくりだったので。馬はへにゃへにゃしてました。
畳の上で遊んでいると、よく、怒られたものです。
 
どっちがお迎え?送り?
 
忘れてしまいましたが、
誰か母かなー、叔母かなー祖父かなー
 
ゆっくり牛できてもらって、帰りは疲れたろうから馬で早く帰ってもらう。
 
と言っていた気がします。んーー逆だったかなー。。。
 
今考えると、バランスよく、割り箸?楊枝?をさすのって、
意外に難しかったのかも・・・じいちゃん、ごめん・・
遊びすぎて、穴が大きくなって、いくつも穴をあけて
ぼうを刺し直したこともあった気がします・・・
 
父の家系は、歴史があったせいか、子ども心に
お盆になると、なんだか、家の中や外の雰囲気が違う。。
と、思っていました。
 
空気が違うっていうんでしょうか・・暗いっていうか、
モヤがかかっているっていうか、曇っているっていうか・・
今も思い出すと、やっぱり、いつもと違っていたなーと感じます。
 
母も眠っていますが、父の実家のそばに住職のいない共同墓地があり、
そこから火葬場を通って、我が家に行く、帰るの道が
いっつも、すごく怖かったです。
苦手で、子どもの頃、一人では絶対通ることができません
でした。
今は、火葬場も移転して、跡地はきれいになってるのに
やっぱり一人じゃ嫌だなー
 
昭和40年代当時は、買い物など、一人で外出して
家の用事をこなせる子どもが
優秀な子どもとして、親にほめられる対象でしたから、
その点、私は意気地のない臆病者でした。
 
他のルートでいく行き方だと怖くないんですよねー
 
ほん怖で、知識をつけましたが、
共同墓地から霊道が通っているのかなー
 
私は宜保さんのように視えませんから推測ですが
 
その、苦手なルートの延長線に、いつも来て頂くお寺さんが
あるんです。その共同墓地を管轄しているお寺さんです。
 
だから、共同墓地~お寺間になんかの道が通っているのかも知れません。
 
怖がっているのは親戚中、私一人でした。
 
お化けなんかいねーよ!
 
という家系なので、私の苦しみは誰にも理解されません。
くすん・・もちろん、視えているわけではないので、
 
気のせー。気のせー。
 
と、いつも片付けられました。
 
でも、こうやって文を打っていても、
なんかこう、気持ち悪く、おなかが張る、頭の重い、
子どもの頃のあの感じに、なっていくんですよね・・・
 
父の実家は、考えれば考えるほど、不思議で
 
市内をちょっと見おろせる高台にあるんですが、なんで、
新田軍の負けた足軽が逃げてきて
そんな目立つ高台に住み着いたのか・・
 
しかも、高台のくせに、未だ全然高級住宅街にならない
 
すぐそばの、諏訪神社もなんか謎・・
戦いの神様らしいし、
 
先祖のじーさんが、江戸の終わりに、隠居して、
家系図や家宝みんな、火事で燃えちゃったそうだし
 
後世の子孫に見られちゃまずいものがあったのかどうか・・
 
私が小学生の頃、物置に泥棒が入って、
刀や槍、みんな盗まれちゃったって騒ぎもありました。
 
伯父は、物置にあった古いピストルや、時計など
いらねーからって燃やしちゃって、後から
 
とっときゃーよかったなー(笑)
 
なんてのんきに言ってたー(ToT)
 
古い先祖の墓石には、ひとつ坊さん用の石があるし、、
 
墓の場所も、共同墓地の中で一番西側・・
浄土に一番近いということで、何か意味があるらしい。
I家が主人だったんだから、I家が一番西にあれば納得するのに、
I家は、割と南側にあるし、、
 
私がこうやって、歴史に興味が異常にあるのも、
父方のコトを調べろー調べろーという、
導きかもしれません。
今、この年で元気に生きてるってことは、きっと調べ続けてもいいという
サインだと、勝手に思ってます。
 
祖父の子どもでは、父の兄が、先祖のことに興味があります
祖父の孫では、私だけです。
一代で、一人しか、歴史好きが出ないのかも~
 
怖いケド、お盆は好きです。
親戚の伯父さん伯母さんにおこづかいを頂いた、あの遠い日の
記憶が、すりこみとして残っているのでしょうか。。。。
 
 次女が小6で彫った日光彫のお盆 なかなか可愛い・・

キューブと、ガクトさん

2006年7月28日
 
私の愛車は7人乗りの日産 キューブ3です。
 
小さいけど沢山人を乗せられるので、決めました。
でも、家に届いた時、意外に大きいので驚きました。
 
それまでは、昭和62年のマニュアル車パルサーにずっと乗っていました。
 
母の初盆を前に、平成16年7月、3年ローンで思い切って買った次第です。
 
形も好きデスが、名前ももっといいです。
 
ガクトさんの2001年のシングルCD「君のためにできること」の
カップリング曲が、「キューブ」という曲なのです。
 
ガクトさんは、派手な衣裳と、肉体派ということで、
割と、話題先行的な歌手として、受け取られがちですが、
アルバムの収録曲の多くは、人間の内面を歌った実にいい歌が
多いです。
 
コンサートも、入念なリハーサルをきっちりやって仕上げたなー
という、すばらしい、入場料以上の価値あるものです。
 
これじゃ、ガクトさん側の儲け、ないんじゃないのー、
と、舞台をざっと見積もっていつも思います。
 
子等が、ずっとマーチングをやっていたので、
舞台衣装、振り付け、見せ場、照明、小道具等も
すごく参考にさせていただきました。
 
コンサートを見ると、ガクトさんて完璧主義者なんだーと
いつも感じます。
 
♪「キューブ」の、最後の部分
 
 
Cube          llyrics&music   Gackt.C
 
      ・・・・・
 
僕の破片が見えますか?
この閉ざされた世界でも
貴方への祈りなら届いているはず
 
涙の痕は消えますか?
もう二度と戻れないなら
こなごなにこの記憶を壊してください
 
僕の姿が見えますか?
この閉ざされた世界なら
貴方にもこの声が届いているはず
 
僕の心が見えますか?
もう二度と離さないから
からっぽのこの躰にもどして・・・
 
 
神は、人間を、立方の世界に閉じ込め、人間の喜怒哀楽を観察
している。
人間も、自分の心を立方のこの体に閉じ込め、あるいは
こんなものいらないと、外へ吐き出し・・・・
苦しみ、のたうちまわる。。。。。(ゲゲ的趣味解釈)
悪魔的クサウンドに乗せて、ガクトさん声を振り絞って叫んでます。
 
個人的には、「きみのために・・・」より、こちらの「cube」
の方がいいです。でも絶対、万人に受けるのは「きみの・・・」ですね。
「cube」は暗いかも。。。
 
 
             
実は、ガクトさんファンのくせに、このシングルCDを持っていないことに
気付き、あわてて買いに走りました。
 
TUTAYA、ブックオフ、市内の古本屋、CDショップ、ヤマダ電機、、、
見事になかったです、、、
 
えーーーーーーー!
たった、5年前の曲ーーーーーー!
どうしてーーーーーーーー???
 
ママー。もう5年だよーー、、、古っ!!!古すぎっ!!!
あるわけないじゃん!!!
 
かつーんファンの次女に諭され、そんなものか、、と、結局アマゾンをクリック・・・・
 
ありました。あと3枚とか書いてあったので、あわてて購入しました。
 
便利だ・・・・・
 
あまりにも便利すぎて、なんだか怖い・・・
 
ファンていうのは、好きな歌手のために、体をはって
何かもっとこう、しなきゃいけないと思うのは私だけかも知れません。。。

ニメ銀魂 親子ってのは嫌なとこばかり似るもんだ

2006年7月27日
7月25日(火)放送 テレビ東京 アニメ銀魂
 
とうとう 高杉 登場しました。
 
ちょっとしか出ないのに、ジャンプの投票では常に上位人気の高杉晋助
 
何やらかすかわからない危険な過激譲夷志士
 
カラーっていいですねー。声優さんが声を発するのも実にいいです。
 
昔、漫研で漫画をちょろっと描いてましたが、
悪役って、描くの面白いんですよね。
 
人間的な善の感情抜きで、悪いことばっかりさせとけばいいので、
描いていてすごい楽。
 
そいつにすき放題させて、善の主人公の苦悩を周りで動かしていけばいいので、
物語が進む、進む。
 
よく考えると、デスノもこのタイプ?
いや、アノ作品は、知的な頭脳戦ですね。
 
本物の高杉晋作は、小学校の頃、伝記を読んで、
 
うわっ、この人過激なんだ~
 
と思った覚えがあります。
 
でも、前へ前へ国を変えていく人というのは、存在するんですよね。
それはそれですごいことだと敬意を表します。
 
高杉の登場が、原作より早いですが、ファンの熱意でしょうかー
早く、花見やっていただきたいです。
 
来週は、○んどし仮面やるそうですが、
 
ほんとに?
 
と思いました。あの回は、絶対放送しないと思ってましたから・・
 
今回も
 
○んこのキレが悪いんだ
 
って、原作どおりのセリフ言っちゃうし。。。
 
大丈夫なのでしょうか・・ぜひ、ナルトのように、
小学生に受けて、末永くTVで放送が続いて欲しいものです。
 
むしろ、シモねたは、小学生に受ける!?
 
デスノも秋、アニメ化ってジャンプに書いてあったような気もします。
でも、絶対、Lとライトが死ぬ結末は変わらないだろうし・・・
見るのがつつつらい。。。。。
 

母の誕生日

2006年7月26日
昨日7月25日は鬼籍に入った母の誕生日でした。
 
鬼籍なんて表現すると、漢字に詳しい人だったので、
 
あたしは、鬼なんかじゃないよ
 
と、怒られそうです。
 
生きていれば70才。
 
亡くなったのが平成16年1月なので、死後2年と6ヶ月。
 
やはり、なんですが、まだ埼玉の実家で生きている気がします。
 
入院中、自分の部屋を気にかけていました。
死後、父がきれいに掃除しまして、暫くして私は夢をみました。
 
きれいに化粧して
見たこともないブラウスとスカートを着た母が、部屋にいたので、
 
部屋どう?
 
と聞いたら、母はたいして興味なさそうな感じで見回して
 
あーきれいになったね。それよりどう?この服
 
(服かよ)・・・あーいいね、すてきな服だね
 
いいでしょう、買ったんだー
 
・・・天国でも、安くて良い服を買っているんだと、夢の中で思いました
 
気にかけていた部屋のことをすぐ忘れ、死後の世界を
エンジョイしてるなんて、さすが前向き度200%の人だと感心しましたです。
入院中は、化粧もおしゃれもできなかったから、今は思いっきり
楽しんでいるんでしょう~。
 
母の葬式の次の日、なにやら電話があり、父が
 
いやー、女房が死んだモンで
昨日、女房の葬式だったんですよ。、明日また電話してくれますか?
 すいませんねーよろしくお願いします。
 
と明るく丁寧に対応していました。
 
お父さん、なんの電話?
 
いやー、なんでも家の好きなトコ掃除してくれるらしくてな、
三箇所1000円だと。してもらいたいと思ったけど、
とりあえず、家の中散らかってるし、今日は郵便局の人も来るから
また、明日電話してくれって言ったんだョ。
いつ来てもらうか、決めとかなきゃな。
 
・・・・・・お父さん。だめじゃん・・・・
それねー、家に上がったのを幸いに、そうじの後、高価な掃除機
売りつける業者なんだよ。
宇都宮の近所の人言ってたもん。その人はちょー強い人で
買わなかったって言ってたけどさー
フツーは、買うっていうまで、帰らないらしいよ\\\\
 
なんだ そうなんか てっきり 安くていいなと思ったんだョ
 
(この親父あぶない・・・・一人暮らし危険だ・・・)
 
でも、掃除の電話の方も、妻が死んだと愛想よく言う父に
ビックリしたんでしょう。さすがに次の日電話はなかったです。
 
ちょyど、オレ俺サギも騒がれていた時期だったので、それまでは、
 
おとうさん、あたしー
 
と電話していたのを、
 
お父さん?ゲゲだよー
 
ときちんと名をいうようにしました。
 
今は父も家のことをやってのんびり生活しています。
家は、多分母の魂が守っていることと思います。
 
亡くなったときは、
はー 死んじゃった・・・と、思いましたが、
時がたてば経つほど、どこか遠い国へ長期旅行に行ってるように
思えてくるのは、不思議です。
 
亡くなった方にとっては、命日のほうが意味があるらしいそうですが、
やはり、この世にいた証として、私は、誕生日を心の中でお祝い
してしまいます。
 

読売新聞連載  角田光代氏 八日目の蝉

2006年7月25日
楽しく読んでいた小説も今日の朝刊(昨日の夕刊?)で終わり。
 
いけないことです。
 
妻子ある人と不倫するのも。
不倫相手の赤ん坊を誘拐するのも。
夫の不倫相手の人間性を否定する発言をするのも。
夕飯を買って来た惣菜ですませ、子どもを置いて遊びにいくのも。
女子大生が妻子ある人と不倫するのも。
 
全部、言語道断なのですが、この話に出てくる人たちは
皆、憎めないというか、それぞれに真剣だったんだろうなー
と、思います。
 
希和子さんが逮捕される時は、
まじで、善のはずの警官が憎く思えたほどです。
どうか、そのすてきな島で二人、仲良く暮らさせてやって~
 
新聞小説は続きが気になり、仕事がうわの空になってしまうのが
難点です。
でも、それも今日で終わりかと思うとさびしいですねー。
 
八日目の蝉
 
仲間が7日で死んだ後、生き残った蝉は幸せか、不幸か・・
 
蝉は、多分、自分が7日で死ぬ存在だとは知らないような気がします。
8日目に生きている蝉も、自分がもうすぐ死を迎えるとはわからないでしょう。
周りの息絶えている仲間を見て、
 
僕は君たちの分まで生きるよ、幸か不幸は考えない。
 
と言える蝉に、自分はなりたいです。
 
小説のラストは、明るさを感じさせるものでした。
希和子さんも、きっと、思い出を胸に現実の世界でたくましく
生きられるはず!
秋山家も、生まれた子どもを中心に家族を再構築していくはずです。
 
今朝の花 朝顔と秋桜 雨に濡れてます