上三川 白鷺神社 甲神社 平成31(2019)年2月24日

平成31年(2019) 2月24日 日曜日

初詣にしては とても遅かったですが

上三川の 白鷺神社 甲神社へ ご挨拶に行きました

 

今 思いかえすと この日撮った写真は

令和 改元の祝賀ムードにぴったりなので

容量ギリギリですが このブログに 画像をあげようと思い立ちました!

 

昨日と今日 ご朱印を頂きに近くの神社へ行こうかな~と 思ったのですが

多分おそらく皆さん 考える事が同じで ものすごい人が行くだろうな。。^^;

と思ったので もうちょっと落ち着いてからにします~ (^◇^)

 

昨日 ツイッターで見たら

明治神宮 ご朱印 10時間待ち。。。って。。。!! (@_@;)

想像を超える世界でした!!

長女が

アトラクションか?! と 言ってた。。

確かにテーマパークの行列並。。。

 

今日は

「関東地方 お昼頃 突然の天候急変 雷雨!!」 と警報が出ていたので

チャリ散歩に行かなかったのですが

見事に 今現在まで 雷雨は ありません~ (^◇^;)

午前中 大風が 吹きましたが~ 雨は まだです~

せっかくなので 部屋のお片付けと掃除をしました~ ^^

 

そういえば 日本武尊様の草薙の剣は

現在の皇室の3種の神器の内のひとつなんですよねえ。。。

日本武尊様ファンの私としては

日本武尊様の東征と 弟橘媛様と ミヤズ媛様 とを結ぶ剣

という気持ちでいっぱいなので なんだか とても不思議な気がいたします

 

日本武尊様と東征を共にした剣は

平家の方達と共に 壇ノ浦の海に沈んだそうですが

弟橘媛様の事を想うと そういう運命も さもありなん。。

と思ったりします。。。

 

この日 (2月24日)は 車で行きました

今年初の白鷺神社は ご朱印を頂く方達で とてもにぎわっておりました!

安定の抜け感! 青空 絶好調!

 

この日は なんだか しみじみ 草薙の剣のレプリカ?に 見入ってしまいました

いつもは それほど 深くは見つめたりはしないのですが。。。

今年は年号が変わる。。。 という想いが

知らず知らず あふれ出てきていたのでしょうか。。

 

 

 

続いて 甲神社へお参りしました

甲神社へ 元気にお参りに行ける度に

生きてて良かった~~~ って 思います w

この日は なんと!!

私にとって初めてでしたが 例祭日だったのでしょうか?!

日の丸がなびいていたんです!!

感動しました!!

 

 

 

本当に 今思い出すと まるで 改元をお祝いしてるようです!

摂社か末社の例祭日だったのかもしれません。。。

地域の方に愛されて こんな立派な日の丸を立てて頂いて。。

日本武尊様の東征の日々に 思わず 想いを馳せてみました

この日は とても天気が良かったので

遠くの筑波山の美しいお姿も 拝する事が出来ました

 

なんだか 令和になってから。。 昨日 今日 と

まるで 年が明けたような。。。

お正月感 というか。。。

本当に

新年おめでとう!初詣行かなきゃ! なんて 思っちゃったので

不思議な気持ちいっぱいです

 

今年2度目のお正月 目出度い!!

ヽ(^。^)ノ

 

 

ことば ふとひらめいた解釈 禍々編(伊藤三巳華先生風wに) 

○三毳山 (栃木県佐野市にある 神々しいお山)

みかもやま

甕の喪山

ではないかと 思いました

 

日本書紀に載っている  神代に 東国にいた 星の神 天津甕星(あまつみかぼし)

のことです

別名 天香香背男(あめのかがせお)星神香香背男(ほしのかがせお)香香背男(かがせお)

 

なんとなくですが 

みかも山って ものすごく不思議な感じのする謎の山なので

(以前にも書いたけど 名前と漢字がすでに不思議) 

ものすごい人 または 神がからんでいる山ではないかと

思っていました

 

平将門公 かとも思っていましたが

いや もっと前にさかのぼるんじゃ。。。

しかも 平将門公と同じく 国から反逆者扱いされたような感じが。。。

 

って ことは

 

古代の いや 神代の 天津甕星(あまつみかぼし)様!

 

甕 (星の) 喪山

みか       もやま

 

○崇神天皇

古事記では   御眞木入日子印惠命

日本書紀では  御間城入日子五十瓊殖天皇

 

この        みまき  という部分なのですが

 

三巻       ではないかと思いました

 

あれ 字が 全部 でっかくなっちゃった!

 

三巻 は ゲゲ訳で

 

三輪山の蛇がとぐろを巻いてる姿

 

に思えるんです

 

○美具久留御魂神社 みぐくるみたまじんじゃ

大阪富田林の神社

ご祭神 美具久留御魂大神(大国主命)

 

ご由緒に 天孫族の崇神天皇が出てきますので

この神社のご祭神のお名前は

 

国譲りで身をくくった(お隠しになられた)大国主命様

 

という意味だと思いました

 

崇神天皇と お子様の豊城入彦命様と垂仁天皇様は

全国で 荒ぶる神をお祀りになられたのですね。。

 

恐れ多いので 言葉が丁寧

かごめかごめの唄の謎 日本武尊編

ちょっと前のHONKOWAを読み直していたら

玲子さんの霊視で

「囲ってる」

というワードがありました。

 

そのワードを見た途端

ゲゲの頭の中には 以前訪れた大阪堺の

大鳥大社と4つの摂社 が浮かびました

 

続いて 頭の中に なぜだか

かごめかごめの唄が浮かびました

 

かごめかごめの唄は 童謡ですが

その歌詞から

何かの秘密の鍵を示唆する内容ではないか

という説があります。

テレビの怪奇特番でも取り上げられたことがあります

 

日光東照宮の徳川埋蔵金のありかを示しているとか

他にもいろいろな解釈がある 不思議な謎を秘めたわらべ歌です

 

かごめかごめの唄って

「鳥」という言葉が出てくるし

もしかしたら 大鳥大社に祀られてる日本武尊の唄かも。。。

と ふと思いました。

 

大鳥大社には 近くに 4つの摂社があります。

大きい神社の周辺に小さな摂社があるというのはよくある事なのでしょうが

なぜだか ゲゲには

 

大鳥大社がその4つの摂社に囲まれてる。。。

もしくは

4つの摂社が大鳥大社を囲ってる。。。

 

と感じられて感じられて仕方がないのです。

 

かごめかごめの唄を

子どもの頃覚えた通り 口ずさんでみました。

 

かごめ かごめ

かごの中の鳥は いついつ出やる

夜明けの晩に 鶴と亀がすべった

後ろの正面 だあれ~

 

私が住んでいた地域では

かごめかごめ遊びとは

何人かが手をつないで円を作り

その真ん中に 目隠ししてしゃがんでいる子がいて(かごの中に入っているように)

その子の周りを 時計まわりに歌を歌いながら ゆっくり動いて

歌が止んだ時にぴたっと止まり

真ん中の子が 自分のま後ろにいる子を当てる

というものです

 

当たると

その子は かごから出られて円のメンバーになれて

反対に 今度は

当てられた子がかごの中に入って目隠しをします

 

当時は何も考えずに遊んでいましたが

今 漢字をあてると 「囲め 囲め」ということだと思います

なんだか 人に目隠しをして 大きいかごの中に閉じ込めてる

というイメージがあります。

 

私の 勝手な解釈ですが

この歌は

かごの中の鳥が出て 鶴と亀のところに飛んでいこうとするから

決して外に出してはいけません

その間に 鶴と亀は滑って再起不能になりました

内緒ですが 鶴と亀を滑らせた犯人は 後ろの正面にいますよね

 

という意味なんだと思えて仕方ないです

 

これを大鳥大社の日本武尊に当てはめてみると。。。

 

囲め 囲め

かごの中の鳥(日本武尊の魂)は

いついつ出やる

夜明けの晩に 鶴と亀が滑った

後ろの正面 だあれ

 

。。。

しばらく考えていたら

頭の中に

「神功皇后」…

と浮かびました

 

鶴と亀って・・・

神功皇后が滅ぼした かご坂王と押熊王…

もしかしたら 2人の母親・・・ 母親が出た家の一族・・・

さらには もっと拡大解釈すると成務天皇や成務天皇の母方の一族・・・

そして さらには 仲哀天皇の母親の一族…

 

…神功皇后にとって

今までのすべての政敵たち?・・・

 

次々に 浮かんできました。。。

 

神功皇后の子 応神天皇が天皇の位につくことができたのは

実は 神功皇后と家臣の武内宿禰が起こしたクーデターで

王位継承権を持つ かご坂王 と 押熊王 を滅ぼしたから…

 

という説があります。

 

ゲゲの推測ですが

景行天皇から 神功皇后までの間

一番子孫が繁栄して 長期間 実権を握れた勝者は

神功皇后

ではないかと思うのです

 

景行天皇の息子である日本武尊は 武勇に優れていたにも関わらず

東征のため 都へ戻る前に亡くなってしまいます。

生きていたら おそらく 次期天皇だったと思います。

そして 景行天皇の正妃であった日本武尊の母(播磨出身)も亡くなりました

(ということは 母方の一族=外戚は 天皇家の家臣としては 多少なりとも力を失ったという感じになると思います)

 

景行天皇の次に天皇になったのは 成務天皇です

母親は 八坂の入媛(父は八坂の入日子=崇神天皇の子 八坂は京都?)です

 

そして 次の天皇は 成務天皇の子ではなく

日本武尊の子 仲哀天皇でした

(ということは 成務天皇の母の一族は 今までの権力を多少失ったのかも ということになります)

 

仲哀天皇の母は 垂仁天皇の娘で 名前は両道(ふたぢ)の入媛(京都?)です

 

そして 仲哀天皇は 早くに亡くなり(同時に 母方父方の権力も弱まり…)

おそらく それ以前に

仲哀天皇の最初の妻(大中津媛 兵庫?)も亡くなっていて…

妻の父方母方の権力も弱まって…

 

ここまでの間に 天皇が次々代わり

そして 同時に 天皇の母 天皇の妻 も代わって…(当たり前ですが)

さらには 天皇の母の外戚 妻の外戚

と 推測でしかないですが

天皇をとりまく家臣の力関係が

次々変わっていったのです。

 

記紀では この頃の天皇家の家臣団についてはあまり詳しく書かれてありませんが

後の世の 中臣家 蘇我家の争いとか見てると

古代でも

大和の天皇家周辺では 天皇の母親の出身家による権力争いが

あったのではないかと思っています。

 

 

そして 仲哀天皇の死後

戦が起こります。

 

仲哀天皇の後妻(神功皇后 父は開化天皇曾孫)と

仲哀天皇の最初の妻の子ども達が(かご坂王・押熊王 兵庫?)

争う事になり

かご坂王 押熊王は 負けて 亡くなりました

 

この戦いの結果

勝って残ったのは 景行天皇の直系の仲哀天皇ではなく

仲哀天皇の妻 神功皇后でした

景行天皇が築きあげた大きな権力が

開化天皇曾孫の娘という 直系からかなり遠い皇后(=息長一族)に

移行したのです。

 

仲哀天皇の最初の妻 大中津媛は 祖父が景行天皇なので

血統からいえば 神功皇后よりも上になりますが

神功皇后は

自分よりも血筋の良いかご坂王 押熊王を滅ぼして

強大な権力を持ちました

 

そして

自分の息子が天皇位を獲得した後(応神天皇)

その政権は安定した形で 仁徳天皇へ続いていったのでした。

 

ゲゲ訳

 

 

囲め 囲め

かごの中の鳥はいついつ出やる

世空けの晩に 鶴と亀が滑った

後ろの正面 だあれ~

 

なぜだかわからないのですが

神功皇后が一番恐れたのが

景行天皇の命によって大鳥大社で祀られている日本武尊の魂

だったのではないか…

と思えて仕方ありません。

 

おそらく 日本武尊は

あれだけの偉業をやってのけたのに 都に帰れず

望郷の念を持ちつつ 苦しみながら地方で亡くなった

という事から

人々にとって 恐れる対象になってしまった…

と思います。(私は尊を大好きなので 〃ω〃

怨霊という表現は使いたくないです テヘペロ^^;)

 

なので 尊の3つもある古墳はすべて

巻向ではない場所に造られたのかもです

まるで 巻向の地に尊の魂は入れさせない

としてるような意図を感じさせます。

そして 最終的に 4つ目として 堺に 神社を作って

魂を祀らせました

 

理由はわかりませんが

3つの古墳だけでは何かが収まらず 神社も必要だったのか…

誰かが 神社で何かに使うためだったのか…

 

それとも 一つの古墳と一つの神社が造られた後

長い時間をかけて

それぞれ違う人たちが 2つ目と3つ目の古墳を造っていったのか…

(ゲゲも 過去記事で 色々考察してます)

 

崇神天皇 垂仁天皇 景行天皇は 大和の磯城郡で 政治を行いました

(ゲゲは この天皇3代で巻向に大きい都を作っていったと思っています)

 

日本武尊の腹違いの弟 成務天皇は

景行天皇の晩年

大和からかなり離れた近江へ遷都しました

これは

日本武尊がかつて住んでいてなじみのある纏向の都から

あえて離れたのだと思います。

 

ゲゲの推測ですが

おそらく 成務天皇は 自分が天皇に即位する前

老衰で体が弱っていた(想像です)景行天皇を 無理矢理説得して

巻向から近江へ連れていったのではないかと

思うのです

 

後世 極端な遷都として

乙巳の変で 蘇我氏を滅ぼした後 孝徳天皇が難波へ遷都したのが有名です

これは 飛鳥の地にあふれる蘇我の怨霊から逃げるためだったのではないか?と言われています

 

それと同じように もっと以前 成務天皇は

日本武尊の魂から逃れるために 遷都したのだと思います。

もしかしたら 孝徳天皇は成務天皇の真似をしたのかもしれません

 

そのように強力な日本武尊の魂ですから

日本武尊の息子の妻である神功皇后は

何はともあれ 義父の怒りを 相当恐れていたのではないかと思います

日本武尊の孫(夫の先妻の子ども2人)を滅ぼすために戦をしたのですから。。

 

記紀に 神功皇后の神頼みが

かなりたくさん出てきますが

日本武尊の祟りを恐れていたからではないか

とも思えます。

 

ゲゲの推測ですが

大鳥大社の回りにある4つの摂社は

神功皇后が 尊の魂を大社から出さないために

社を建て 何かの術をほどこして 囲った跡なのかも。。。

と思ったりします。。。

 

そして

民衆は それを知っていたのかもしれません。。。

でも はっきり言えば

古代の事ですから おそらく だめでしょう。。

 

なので 代々 内緒で口伝している間に

いつしか わらべ歌となり

かごめかごめの唄として 後世 語り継がれていったのかも。。。しれません。。。

 

ゲゲ訳

 

囲ってる 囲ってる

日本武尊の魂は

子孫を助けるため いつか 社から出そうだね

出てこないように 囲ってるんだね

仲哀天皇が九州遠征で亡くなって 天皇位が空いて暗闇だった時

大和を守っていたかご坂王と押熊王が失脚したね

2人を失脚させた犯人は 後ろの正面にいるよね

 

 

 

 

 

地図の上でのことですが

大鳥大社の後ろを ずっと北にたどって行って

東の方を振り向くと

正面を海側に向けた ○○大社があるんです。。。

 

なんか怖いので

はっきり書くの やめておきます (;*^^)v

 

旅行

ふと思いついて 軽い気持ちで 11月17日㈮18日㈯

一泊二日のダッシュで 大阪の藤井寺市へ

手相を見てもらいに行ってきました。

 

幼い頃から ずっと見てもらいたかった手相を

とことん 細かく 西條ゆきえ先生に見て頂きました!

大満足です!

 

空いた時間は 辛國神社お参りと 津堂城山古墳!

前入りした夜は 大阪城の夜景となんば宮跡散策

 

やっぱ 大阪良いわぁ~

元気もらえるわ~。。^^

 

帰ってきてからは

津堂城山古墳 応神天皇陵 上空の龍道(HONKOWAで言ってる)

について 考えてます。

仁徳天皇って やっぱ すごい人だって思った。

いや 武内宿禰さんあたりが 応神天皇に色々アドバイスしたのかな

 

やっぱり 古代から 権力争いって あったんだろうなあ。。と

ちょっと悲しいけど思った。

人間だから やっぱり 上へ上へ上っていって

権力を手に入れて

立派な家に住んで 良い服着て おいしいもの食べて 軍隊動かしたい

って思うのは

当たり前の事なんでしょうね。。。

 

古墳って やっぱ 呪術の一環なんだろうな。。

と 今回特に思いました。

続く。。。。

雀宮 と 宇都宮  地名の由来 考えてみました(何回目だろう w)

今日は

日本武尊と一緒に 尾張海軍を率いて東征へ行った建稲種命さん

(私の中では 三代目Jソウルみたいなイケメンのお頭になっている

あ 直虎の龍雲丸でも良いかな w)

 

を 検索して調べようとしたら

あらら。。。

違う方向へ行ってしまいました・・・

 

なんで? お彼岸だから? (笑)。。。

栃木県那須塩原市にある 嶽山 箒根神社 (たけさん  ほうきねじんじゃ)

が ひっかかりました。。。

 

この神社は創建時期は不明ですが

豊城入彦命の曾孫 御諸別王(みもろわけのおう)が

豊城入彦命を合祀して

さらに 御諸別命の曾孫 宇都野別命(うつのわけのみこと)が

神主となり ここに住んだので

地名を宇都野とつけた

のだそうです。

 

キター!!

宇都野別命 キター!!!

 

以前 ちらっと 検索にひっかかって

その他どこか もっとわかりやすいところ(どこ?)にいないかな~~。。。と

思い出した時に PCの中を探して(・・・どこ?)いたのですが

 

なんと 今日!

思いがけず ひょいっと 見つかりました!!

 

系図を作って調べてみたら

宇都野別命は ちょうど履中天皇もしくは 履中天皇以降の頃の方になります

履中天皇は 仁徳天皇の息子さんです。

 

おお~~!!

ということは

仁徳天皇は 名は大雀命(おほさざきのみこと 雀さん) なので

宇都宮の雀宮近くの上三川から出土した器の裏に書いてあった人の名字?「雀部○○」

と 雀宮の地名と 宇都宮の地名が

全部 つながった気がする。。。( 勝手に)

 

仁徳天皇の時代に 下野の国司になった奈良別王(ならわけのきみ 豊城入彦命の4世孫)が

雀部の人がたくさん住んでいた地に 神社を建て

下野の国を一生懸命開拓して 土地の人に慕われた父(御諸別王)を祀り

荒尾崎には(宇都宮市) 4代前のおじいちゃん豊城入彦命を合祀した

と 思われます。

 

荒尾崎付近(八幡山とか)は

ゲゲが思うに

豊城入彦命が先住民族と戦をして 彼らを滅ぼした土地だと思う

 

なので 鎮魂のために

力のある4代前のおじいちゃん豊城入彦命をご祭神に選んだのだと思う。

 

そして 奈良別王の孫 宇都野別命の代になった時

この嶽山または箒根山(現 那須塩原市)で 怪異が起きたのだと思う。

 

箒根という山の名前は 豊城入彦命が名づけたという伝承があるそうです

ならば きっと ここで 先住民族と戦をしたに違いない!

と ゲゲは思いました。

 

「根」っていうのは 「根の国」 に通じるものがあるから

もしかして 滅ぼされた民族が眠る土地につける名前なのかもしれない。。

 

そんなこんなで

奈良別王の孫 宇都野別命は

山の怪異を鎮めるため

嶽山山頂付近にある 箒根神社に住んで 日夜祭祀を行ったのではないか?

と 思いました。

 

ややこしいのですが

嶽山と 箒根山って 違う山らしい。。。

そうだよね。。名前が違うんだもんね。。。><

後でよく 調べてみます。。

 

で おそらくだけど この 宇都野別命は

荒尾崎の二荒山神社の神主もしていたのだと思います。

というか 昔は

国司は国を治めつつ 神社の祭祀権も持っていたそうなので

 

いつしか 宇都野別命が治める宮ということで

荒尾崎周辺の地(現・宇都宮市)を

宇都野別の宮 → うつののみや 宇都宮 と

呼ぶようになったのではないかしら。。

 

というのが ゲゲの推測です。。

 

雀宮神社周辺の土地は 雀部の人達の治める土地なんだと思う。。

 

宇都宮と雀宮の間には

江曽島(蝦夷の民が住む地 伝承では日本武尊が滅ぼした)があるし、、

。。。

なんか 空気感が違う気がする。。

 

もしかしたら 仁徳天皇が

雀宮から上三川の土地は 自分の氏族 雀部のものとして

江曽島から宇都宮の方は 国司 奈良別王のもの

って 分けたのかも知れません。。

 

で 奈良別王の支配する土地を そのまま 子の宇都野別命が引き継いだのかも~。。

 

ってことは

那須塩原の嶽山 箒根山周辺も

奈良別王が支配していたのかな。。。

 

あ~~!!

もしかして!!

 

豊城入彦命が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫である 御諸別王や 奈良別王 宇都野別王が引き継いで

 

日本武尊が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫の仁徳天皇が 権利があるっていうか 自分の荘園みたいにして

そこから上がった米とか野菜とか

自分に納めさせていたのかな。。。

 

よくわからないけど

もしかしたら そうなのかな。。。

 

国司って 自分は 米とか作らなくても

豪族とかが 納めてくれるんだよね。 多分。。

 

また 思いついたら ブログに書くので

地名問題 もしかしたら

またまた 違うひらめきが降りてくるかも知れません。。

 

一体 何回 考証したら ゴールへたどり着けるのだろう。。w

ゴール。。。

近いような。。。

遠いような。。。(*_*; 。。。

 

 

 

 

 

平成29年5月26日㈮27日㈯旅行 上野公園 国立博物館

上野公園に着いたら 西郷どん~の写真をパチリ♪

私はいつも 階段から行くので 西郷さんの銅像そばを通ります。

そのお次には 天海和尚様の毛髪塔へ。

雅でステキな上野を楽しませて下さい、

と ご挨拶させて頂くことにさせてもらってます。

みみか先生の「スピ散歩」を読んで以来♪

 

花園神社

 

穴神社

 

↓ 五條天神社

 

この日は なんと大祭日でした!

お神輿が出てました!

長女すごいなあ~

もってるなあ~♥

 

私はこの日 ご朱印状を持ってきていたので

五條天神社でハンコを押して頂きました

 

ママね 以前 もう一つ

天海和尚様が 琵琶湖の竹生島を模して作った不忍池の弁天様に行った事あるんだけど 行っても良い?

と長女に聞いてみたら 行こう行こう と言ってくれましたので

テクテクと行ってきました。

 

蓮の花はまだだったけど お寺へ行く参道脇には

食べ物の屋台がたくさん出ていて お祭りみたいで

とても賑やかでした

ここは 辛口のおみくじで有名なんだそうです。

私と長女がいた時 おみくじをひいた若い男性が

うわ~~!

と叫んで 自分がひいたおみくじを仲間に見せていたので

もしかしたら あれを引いちゃったのかも。。。と思いました (笑)(笑っていいのか。。。w)

 

今回 私は凶ではありませんでした キャッポーヽ(^。^)ノ

 

お参りをすませて ご朱印を頂いて

さて なんとなくおなかがすいてきたね

ということで また戻って 公園内をテクテク歩いて 東京国立博物館へ入りました。

途中の上野動物園 にぎわってたなあ~。。

公園内も 盆栽展とか 全国の食べ物とか 大道芸もやってて

上野公園って ほんと活気にあふれてて いつも来るたび元気もらえます

 

この日は ネットで

博物館は お茶(茶器だったかな?)の特別企画展をやっていて

ものすごい人気で超混んでる!と情報を得ていました。

入場券は 何を買えばいいのかしらんと

入場券売り場前中心で  声を大にして叫びながら お客さんの流れを止めないよう誘導している?係員のお兄さんに聞いて

常設展のみの入場券を買いました。

 

長女は 以前 ここには 企画展?で 絵を見にきたようで

常設展示や 小さい展示は 今回が初めてだったようです。

最初 桂甲の武人埴輪を見よう~と 平成館に入りました。

部屋の入口に デン!! と 陳列ケースに入って

飾られていらっしゃいました!(なんか恐れ多くて 怪しげな敬語を使う)

 

うお~~~!!!

かっこいい~~~~~!!

ってか やっぱ 生きてる~~~~!!!

見張ってる~~~~!!!

眼が違う~~~~!!!

今でもきっと 古墳を守ってる~~~~!!!!

変なことしようとする人がいたら

絶対 腰の剣 抜くから~~~~!!! ((((゜Д゜))))

 

 

長女も かっこいい!と 気に入ってくれました。

でしょー?? (^◇^)vエッヘン

 

それから 順番に ゆっくりゆっくり 陳列物を見て行って

 

女子がたくさんいるところ(群がってw)で 刀の鳴狐を

無事 見る事ができました♥

 

けっこう撮影OKだったので(ダメなものは 撮影禁止の張り紙がありました)

見て歩いてる途中

みんなが写真を撮っとる!

と気づいた長女は 自分もアイフォンを取り出し

カシャカシャ たくさん撮ってました。

 

いや~ ほんと アイフォンって カメラに負けず劣らず 美しく撮れるんだな~。。と 心から感動しました。

長女が撮影したのを見せてもらったのですが

ものすごく美しくきれいに 刀とか埴輪とか 彫刻とか

一眼レフで写した芸術本の写真みたいだったわ~。。

 

ゲゲは

展示物に会いたくなったら 宇都宮駅に行って電車に乗るんだ!! そうしよう!!また 来るんだ! 何度でも!!

と 固く決意して あえて撮りませんでした(変な意地を張ってみたw)

 

ぼちぼち おなかすいたね。。食べようか。。

ということで

でも 今自分がいる場所がわからず ほぼ迷子状態で

 

ゲゲの

確か なんとなく レストランあっちの東洋館だった気がする。。違っていたらごめん。。。

という 大変不確かで情けない情報を元に館内を歩きました。

 

最終的に迷子?になり 立っていた博物館のお姉さんに聞きました。

 

確かな記憶としては

「法隆寺展の建物ではない方のホテルオークラレストラン!」

をキーワードに 無事 お姉さんに教えてもらいました ^m^

 

15:00 ランチ~~

ホテルのレストランなんて たまにしか行けないし

せっかくの長女とデート 豊かにおいしいもの食べたいし~ ♪

 

一度 東京でプロが揚げてくれる天ぷらを食べてみたかったので(会社員時代からの夢 30年前!??!)

天丼~ ♪

長女はカレー ♪

朝ホテルで頂いた豪華な朝食が やっと おなかのなかで消化されました

 

 

そして 二人とも 食後はコーヒーだけ飲もうと決めていたのですが

お姉さんの お飲み物とデザートのセットはいかがですか?

の優しいお誘いに 思わず はい!!

と言ってしまったのでした (笑)

せっかくだしねえ~~~(こればっか) オホホホホ(=^・・^=)

この日は 暑かったので レストランでゆっくり休ませてもらってから

また 博物館の中を歩きました。

 

券があれば 特別企画展以外

たくさんある建物の中を自由に何度でも行き来できて 常設展を見れるので

大変お得だと思います。

ディズニーランドみたい~~~ ♪

 

長女おすすめの 獅子王も 見ることができました

館内には 刀剣や甲も多く

若い女子がたくさんいました。

ファンなんですね~~~ 刀女子 ☆

 

平成館とか一通り見てから 次に ゲゲがまた行きたいと

法隆寺展を見にいきました。

前回と 展示内容 展示物が がらりと変わっていました

でも 相変わらず シーン~~ とした感じは同じで。。。^^;

この雰囲気 好きだわ~。。。

修学旅行の時 早朝の雨上がりの法隆寺で感じた不思議な感じと同じ~。。

^^;

 

一通り見て トイレ休憩した後

ゲゲが 長女に

悪いけど もう一回 二階見てきていい?

と わがままを言いまして 法隆寺に寄進された仏像をぐるっと

再び 見せてもらいました。

展示物の内容を書いたプリントも 受付で頂きました。

 

前回も書いたけど どうして これだけの仏像がたくさん

奉納されたのかが ものすごい不思議。。。

一般的?な どうぞ私の願いをかなえて下さい とか言うんじゃなくて

法隆寺で祀られる聖徳太子様とその一族の心を慰めるためとしか思えない。。

 

次に長女が

獅子王の画像がぼやけていたので もう一回 撮影に行きたい

と申しまして 本館?だっけかな。。建物の中に入りました。

 

何回でも 入ったり出たり 時間の許す限り 散策?できるから

ほんと 良いわ~。。。

↓ すっかり夜になりました

とてもすてきでした☆ やっぱりディズニーランド?w

閉館は9時だったけど その前に博物館を出て

夜の公園を歩いて 人でいっぱいの上野駅へ行って

新幹線で宇都宮へ帰りました。

 

帰りは バスがあったので

バスに乗って 帰宅しました

 

あ~~~

楽しかった~~~ ヽ(^。^)ノ

ホテル宿泊券 当たって良かった!!

二日間 のんびり 豊かに遊べました♪

ありがとうございました~~~!!!

 

と お礼のメールをさせて頂きました (#^.^#)

 

2016年6月12日㈰奈良一人旅4日目 チャリ散歩 景行天皇陵 まき向遺跡

最終日!

人生初の4日間一人旅!

7:00

お世話になったホテルで最後の朝食を頂いた後

キャリーバッグに もひとつ増えた大きなバッグをくくりつけて

ガラガラと 奈良駅に向かって歩きました。

 

コインロッカーに大きな荷物を預けて

桜井行きのホームに移動しました

8:00  奈良駅 発

8:30頃 桜井駅 着

予定では 晴れた場合は 自転車を借りて

雨の場合は バスかタクシーに乗って

忍坂で 古墳巡りをしようと なんとなく思っていました。

 

この日は 良いお天気で見事に晴れていたので

自転車で 景行天皇陵辺りの纏向遺跡を散策しようと決めました。

 

「コンピューター画像解析」の池田氏によると

古い神社というのは

昔の天皇や皇族の住んでいた宮跡だったようなので

今回の旅では

自転車で 遺跡や 古い宮の跡を探せればいいなあ~と

思っていました。

 

昨日 自転車を借りたところで

またまたレンタサイクルを借りました。

なんか 住んでない土地なのに

勝手知ったる感じで自転車を借りられるのが

なんともうれしいというか 楽しいというか~ ♪

 

169号を北に向かって 自転車を走らせました。

 

↓ 8:53 朝日を浴びて輝く大神神社の大鳥居

↓ 9時頃

朝日を浴びて輝く(しつこい)箸墓古墳

昨日の夕方のあの感じとは全然違うさわやかさ

↓ すでに暑くてのどが渇いたので

100円自販機を見つけて炭酸を買って飲んで

ふと気付いたら

三輪そうめん製造元さんの敷地でした~

勇製麺 さん~~

 

せっかくなので 寄って買ってみました♥

店内に入ったら そうめんの事 丁寧に説明してくださいました

 

買い物の後 外に出て気づいたのですが

ここはかなり古い遺跡が見つかったところだそうでした

纏向遺跡イエツラ地区

もしかしたら 日本武尊様か 豊城入彦命様の宮跡かなあ~

なんて妄想して 1人萌えてました グフフ^^;

↓ お向かいの すごい人気の喫茶店

そうめんやさんに聞いたら

モーニングとランチがものすごいボリュームだそうです!

大阪方面ナンバーの車とか 次々来るんです!

暑いので 缶の炭酸もほぼ一気に飲めちゃいます。

 

↓ 朝日に輝く 景行天皇陵

古墳って 上空に雲を作れるのかも知れない。。

と いつも感嘆します。。。

ものすごい雲に いつも圧倒されます。。

↓ 古代の天皇や皇族の宮跡を探して 気ままに自転車をこぎました

大豆越 まめごし って 読むんですねえ~ 今気付いた。

↓ 10:30 草川 近辺

↓ 天照皇大神宮 桜井市大豆越地区

住宅地のど真ん中

地図にも載っていない 小さな神社 見っけ~~

 

古墳の多い地区に 天孫系の神社があると

古代の皇族の宮跡? と思えて まぢでわくわくします。

 

↓ 上の神社から ふら~っと西へ行ったところにあります。

春日神社

春日というと 藤原氏系?

 

↓ さらに ふら~っと 西へ行きました

三十八神社 天理市檜垣町

こちらも 春日系でしょうか~ 建物の造りが~。。

 

この神社参拝の後

歩道の傍に100円自販機を見つけて

またまた炭酸缶を一本買って ぐびぐび飲んじゃいました。

暑かった~~~ (^◇^)

天理市からまた桜井市草川に戻って

(チャリで あっち行ったりこっち戻ったり

自由に走り回りました)

↓ 草川神社 JRの線路脇

なんとも風情のある神社でした

やっぱり 古代の皇族の宮跡だって 思える~~

 

 

 

 

 

 

↓ 近くに 県営住宅があります

↓ すぐそばに 纏向遺跡があります

テレビの特集で よくここの映像が流れます

すごいなあ~。。

ここに 大きな建物が建っていて

このあたり一帯 おそらく 街みたいな

にぎやかな感じだったのかなあ~。。

この遺跡の西南方面を見たら

なんだか小さな神社が見えましたので

ふらふらと 行ってみました

↓ 天照御魂神社(あまてるみたまじんじゃ) 桜井市太田

先日買った本に(「日本の神々」の正体 古川順弘氏)

偶然 この神社の事が書いてありました

この古社のご祭神は 天照御魂命で

この神の来歴ははっきりしないそうです。

古代人が素朴に信奉していた太陽神ではないか と書いてあります

 

それはそれは もう~ 萌えます!!

古代の天皇が祀っていた神か

はたまた 古代の天皇か 皇子 皇女の宮跡か~~~ ♥

小さい神社で 住宅地の中に

そっと静かに存在してらっしゃいます。

近くのお宅では 2軒ほど

お庭でバーベキューをなさっていました^^

暑かったから ちょうどバーベキューには良い日和♥

涼しくて とても気持ちが良い神社でしたので

ちょっと休憩させてもらいました~ ^^

木々の間から ↑の纏向遺跡がちょうど見えて

その向こうを電車が通りました