2015年5月23日㈯ 岡山県瀬戸内市長船町土師 片山日子神社 一人旅 其の八

片山日子神社

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岡山県瀬戸内市長船町土師799

JR長船駅より 徒歩約15分

創始年代 不詳

祭神 片山日子神  かたやまひこのかみ

延喜式神名帳によると

伊勢国鈴鹿郡にある片山神社と同神だとされるそうです。。

社伝によると

「片山日子神」とは片山に座す吉備津日子命の略称であるそうです。

 

旅行前 自宅で華光寺山古墳を調べている時

古墳の向く方角に神社はないかな~

と地図で探したら この神社を見つけました。

「画像解析 古墳墓碑 池田仁三氏」によると

古墳の向く方角に その古墳の主が暮らした宮があるそうです

そして その宮跡というのは

現在も 神社として残っている事があるそうです

 

なので もしかしたら 吉備武媛様がお過ごしになった宮はここかも~

と 思った次第なのでした。。

 

調べてみたら この神社は 創始年代不詳という とても古そうな神社でした

祭神に吉備津日子命の名前が出てきた!

と 驚きました

 

地名も土師という 歴史を感じさせる場所なので

もしかしたら ここは 吉備の始祖 吉備津彦(桃太郎さん)が戦って自分達のものにした地域では?と 思いました。

そして その後 代々 吉備氏が住んでいたのではないかと想像しました。

地図を見ていたら

近くに 美和神社があるので またまた 驚きました

ゲゲ論なのですが

みわ が付く地名とか神社って (三輪 とか 三和 )

日本朝廷が先住民族を滅ぼして祀っている土地や神社につけられる名称だと思うのです

 

やっぱり ここって 吉備津彦命が 先住民族と戦った歴史のある場所かも。。。

と思ったのでした。。

↓ 算額があるので有名だそうです 看板

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↓ ご本殿

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タクシーで ここに連れてきてもらった時

ぱっと神社を拝見して あまりの貫禄と威厳のある重々しい風格に

とても驚いてしまいました。。

格調高さと 古代の凛とした感じと 歴史の重みを感じさせる神社でした

 

なんかもう

格が違う!!!

吉備氏 迫力!!

って ほんと はは~~っ!って ひれふしそうな感じになっちゃいました

 

なんとなくですが

吉備武媛様は 幼い頃と晩年 ここで暮らしたんじゃないかな~

と 勝手にですが そう思いました。。

 

道路をはさんで 社地前方に 神山(甲山 164m)がありまして

(ビデオには撮ってきたけど 写真は撮ってなかった。。)

往古 この神社は そちらに鎮座していたそうです

後冷泉天皇 天喜3年(1055) 勅により 現在の地に遷座した

と伝えられているそうです

 

すごい神社だった~~ 訪問できてよかった~~~

と 駅を目指して 土師の地を歩きました

土師って 良いところ~~

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↓ 庁舎にあった瀬戸内市を案内する看板

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↓ 駅にあった 名所案内看板

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2015年5月23日㈯ 岡山瀬戸内市 華光寺山古墳 一人旅 その七

華光寺山古墳も 上らせて頂きました

↓ 後円部から前方部を撮影

私が向いてるこの方向の先 大体の方角なのですが

これから行く予定の片山日子神社があります

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出土品と石棺の蓋が 日本武尊の津堂城山古墳と そっくり。。。

時代が同じって感じがする。。。(TωT)

すぐ隣には 華光寺というお寺さんがあります

↓ お寺さんの上空の夕日っぽい西日

なんだか クジャクか鳳凰がいるような気がした~

勝手にですが 私を歓迎してくれて 労をねぎらって下さってるような気もしました~

ありがとうございます!

 

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遠くには山が見えて ほんとに良い場所でした。。

キリッとした武人の雰囲気のある古墳でして 身の引き締まる想いが

しました

なんだかやたら 宮本武蔵 という感じがして仕方なかったです。。

晩年の五輪書を書いた頃の 森羅万象すべてを悟って剣の道に通じていた達人のイメージ。。

 

吉備武媛様~

穴門山神社へは到達できなかったけど

こちらの古墳に無事来れて良かった。。ありがとうございました

とお礼を言って 古墳から下りました

元来た道をテクテク歩いて 道路の端にあったスーパーにたどり着きました

夕方だし

道も色々行き止まりとかあって 迷いそう~

と 事前の地図確認から感じていたので

タクシーを呼ぼう~

と さっきのタクシー会社さんにお電話しました

 

お店の外でお水を飲みながら 待っていたら

さっき 刀剣資料館へ乗せていって下さった方のタクシーが来て下さいました

 

片山日子神社をご存じだと言うので お願いしました

「どこかの記者さんですか?」

とか聞かれました (^◇^:)

土師にあるので 歴史的名所を取材してるのかと思ったそうです

観光客が行くメジャーな神社ではないようです

観光客さん向けには

日曜日だけオープンする黒田官兵衛の父祖の資料館があるそうです~

 

片山日子神社は 遠方の観光客にとってはメジャーな神社ではないかもですが

私にとっては ものすごく価値のある すごい神社なのであります

地元でも とても愛されている神社だと思います。。

 

タクシーで すいすい連れていって下さいました

やっぱり思った通り 細い道をくねくねと行くので

徒歩なら 方角の感覚が狂って 絶対迷う~と思われる場所でした。。

 

860円だったのですが お礼に おつりは良いです♪

と1000円を渡したら またまた感激されてしまいました!

すみません。。少しで。。><;

 

こっちの方の歴史的名所のあるとこのタクシーの運転手さんって

おだやかで優しい人ばかり~~

と 思います~~。。

去年の奈良のタクシーの運転手さんも ほんと優しかった~~~

佐野のこと

7月のある日突然

佐野の小学校のお母さん2人が相次いで・・・

って 読売新聞の朝刊 栃木版に小さく 特集記事が出たので

ほんと びっくりしました。

 

こんな 重大な内容の事件?というか 事実を

栃木県民の私が 全然 知らなかったんです。。

全国紙でも ましてや 地方紙でも 全く取り上げられてませんでしたし。。

 

今は ツイッターとかで すごい騒ぎになっているみたいですね。。

本当に 私も子を持つ母親として

亡くなられた方2人の追いつめられた無念の気持ちを想うと

とても悲しいものがあります。。

 

どういういきさつで こういう事になったのか。。。

同じ栃木の人間として 母親として

つらい気持ちでいっぱいです。。。

 

親が子どもがらみで 他の子どもの親を精神的に追いつめるって

絶対 やっちゃいけない事だって 思います。。

人間としてもダメな事だって 思います。。。

常根津日子伊呂泥命 とこねつひこいろどのみこと

画像解析による古墳墓碑 池田仁三氏 を読んでいたら

ふと 常根津日子伊呂泥命の古墳に目が留まりました

三代 安寧天皇の御長男で

古墳は 福岡県の 一貴山銚子塚古墳だそうです

で 妃が 菊理媛 と書いてありましたので

おお~~ あの 白山の女神 菊理媛~? あ でも年代が違う~~~

と思い

 

自分でも 調べてみよう~と

旅行記の途中ですが

今日 半日費やして ネットで調べてみました

 

常根津日子伊呂泥命は 別名  息石耳命 おきそみみのみこと

古事記にも 日本書紀にも 名前はあるものの その後がわかりません。。

娘が 天豊津媛命で 第4代懿徳天皇の正妃になっています。

 

命は

常根 という名前から

遠い根の国(韓国?)へ行ってしまったのかも…

または 早くに亡くなったのかも

とか 書かれているブログをいくつか発見しました

そして

あの有名な 志賀島で発見された金印が(漢の委の奴の国王)

公開展示された時

照明があたって 金印のサイドに「常」の字と「子」の字が浮かんだらしく

この金印は 常根津日子が頂いたものだ!

と 書いてるブログさんも ありました

 

その他には…

。。。

。。。

半日 調べまくったのですが。。。

神社のご祭神として 祀られているのではないだろうか・・・

伝承が残っているのではないだろうか・・・

あらゆることを 次々 検索ワードにして 調べていったのですが。。。

 

手がかりはどこにも。。。

全然 ヒットしませんでした。。。

 

もはや ゲゲの妖怪アンテナで推測するしかないのか?

という感じですが

きっと 日本中のどこかの図書館には 古い記録が残っている!

と信じております!

 

で 推測です

 

福岡県糸島市には 一貴山古墳がありまして

同じ糸島市内に

いくつか 彦神社 または 日子神社という神社があるのを見つけました

 

ご祭神は 天忍穂耳尊(あまのオシホミミノミコト) 伊弉諾(イザナギ)、伊弉册(イザナミ)尊でした。

天忍穂耳尊は アマテラス大御神の息子さんで

天孫降臨されたニニギノミコトのお父さんです。

イザナギ イザナミは アマテラス大御神のご両親です

 

なので ヒコ神社は 天孫族の始祖をお祀りする神社のようです。

近くにはお山があって 英彦山 彦山 というそうなので

きっと 古代から あがめられている山なのでしょう

 

そこで もしかしたらですが

ヒコ山というのは 常根津日子から来た名前なのではないだろうか。。

と 思ったりしたりして。。。

常根津日子命が 治めていた または 山の神を祀っていた山だったので

後世の人達が 常根津日子命 亡き後

なんとなくそう呼ぶようになっていったとか。。。

 

神社の方は 常根津日子が造った神社なので

ご祭神が 自分ではなく

ご先祖様になっているのかも。。。と 思ったり。。。

 

そこで また気付いたのが

天忍穂耳尊の 忍穂耳尊(命)の部分ですが

常根津日子命の別名 息石耳命と 似てるなあ~。。です。。

オシホミミ

オキソミミ。。

 

後世の方が混合したか

あるいは 名前が似てるから2人は同一人物である!

と判断した事もあったりしたりして。。。。。

 

などと 自分の都合のいいように (^◇^:)

勝手に 推測しましたが

事実は 全くわかりませんでした!

 

ただ一つ この地域には 古代 タタラがあったそうです!

それは 事実のようなので

もしかしたら 常根津日子命は

上毛 下野に派遣された 豊城入彦命と同じように

長男でありながら 地方の方へ武将軍として

タタラを支配するために派遣されたのかも知りません。。

 

あとは

先祖の支配した地を護るため 中央から派遣された皇族役人

と言う事も考えられると思いました。。

 

ネットで調べていたら

九州ってすごい歴史の宝庫で

あちこちに古代を感じられて わくわくする^^v!

て 思いました~ ♥

 

 

 

2015年5月23日㈯岡山県長船 華光寺山古墳  一人旅 其の六

皆さんにお礼を言ってご挨拶して 博物館を出ました。

5時閉館みたいです~。。

駐車場には

「あ~ 閉まっちゃった~~!!」と叫んでる刀女子?達若い女の子数名がいました

車で来たみたいだから 周辺地域居住の女子達かな~。。

 

次の目的地は 花光寺山古墳(または 華光寺山古墳?)です

「画像解析による古墳墓碑 池田仁三氏」には

吉備武媛様の古墳と書かれています

 

距離的には

資料館から徒歩で行ける(精神的にも肉体的にもw)範疇だろう~

と ネットで下調べをした時に 考えていました。

 

実際に現地に来てみて

うん、なんとか歩けそう~

と思ったので 歩くことにしました。

 

お天気は かんかん照りではなく 程よい曇りでした。

ちょっと暑いけど 夕方だし風もあって 気持ち良く歩ける感じでした。

歩きだしてすぐに

おじさんにひっぱられてる(おじさんをひっぱってる?)散歩中のハスキー犬に遭遇しました^^;

彼は 歩道に立ってる消火栓?の赤い棒?が気に入ったらしく

それに体をまきつけて ぐにゃぐにゃしていました

彼が 歩道をめいっぱいふさぐ形になったので おじさんが

「すいませんねえ~。ほら、行くぞ!ほら!」

と 私に謝りながら リードをぐいぐい引っ張るも

彼はうっとりしながら赤い棒に巻き付いたまんまみたいな状況だったので

「大丈夫ですよ~!」と思わず笑ってしまいました。

 

ハスキー犬って自由だよね。。。何も考えてないよね。。。

全国共通だね~(^o^)w

 

↓ 刀剣博物館にあった 史跡案内板

さすが 昔からの 刀の名所ですよね~。。

良質の鉄が採れたのだと思います。

思うに きっと 吉備氏が支配する以前の古代からだと思うのです。。

だから

なんらかの戦いが吉備氏と先住民族との間にあって

吉備氏が勝利して この辺り一帯を支配し

鉄器の生産をものにして 代々伝えていったのではないかと想像したりします。

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さっき駅から乗ったタクシーが走った道の記憶を頼りに

(案外 わかりやすかったです)

大通りに出て

古墳目指して テクテク歩きました。

 

地図上で目印になっていたスーパーの角を左折し

おお~~~!!あそこだ~~!!

と 古墳を発見しました。

 

17:25頃 華光寺山古墳 到着

 

↓ 二つの古墳の間を道路が通っている形です

(方角がいまいちよくわからないけど 多分 北西方面から東南へ向かって撮影)

隣り合っているけど 市が違うそうです ^^;

左が天神山古墳(備前市)右が華光寺山古墳(瀬戸内市)

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↓ 天神山古墳

上の写真から まっすぐ歩いて 移動しました

(方角がよくわからないけど 今度は逆で 恐らく 東南側から北西へ向かって撮影)

住所 備前市新庄

天神社が祀ってあります

階段で上れるようになっています

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勝手に推測ですが 隣り合っているので

被葬者は 吉備武媛のご先祖様かな~と思います。

ゲゲは 個人的にですが

円墳で竪穴式で舟形石棺の古墳って

日本武尊の時代より前の人達って気がするのです。

 

池田氏の「古墳墓碑」の本には この古墳は被葬者が書いてなかったと記憶してます。

勝手に推測ですが

もしかしたら 吉備武媛のお母さんのお墓かなあ~。。

なんか 男性っぽい感じのする古墳だったなぁ~。。。

あ でも 男性にしては ちょっとだけ弱々しい気もした感じもする。。優しさがあるっていうか。。。

武に優れた女性の古墳だったのかな。。わからないけど。。。

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↓ 左側の華光寺山古墳は ちょっと削られてる感じがします

(道路造成工事で?)

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↓ 華光寺山古墳

階段があって上れます

上の写真撮影の場所から 道路をまっすぐ北西に向かって移動しました

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二つの古墳を上らせてもらって 感じたことは

入り口のガードが固い! ^^;

でした。。。

いや 古墳って そういうものだと思うのですが

すっごく 厳しくチェックされてるなあ~と 思いました (^◇^;)アセ

やっぱり 古墳の周りに埴輪とかを並べるのって

伊達じゃないんだ。。。きちんとお役目があるんだ。。。

って 思います。。

時間も 夕方だったし。。。

指輪の真珠を落としてしまった

土曜日 愛車が車検だったので ディーラーに行きました。

受付した後 お借りした代車に乗って道路に出た瞬間

小指につけてた指輪の小さな真珠が無い…

と気付きました。

 

どこで落としたのかなあ~。。愛車の中か ディーラーの店舗内か・・・

 

代車の中は ありえないよなあ~。。。

と思い 代車の後部座席を見たら

女性が髪をしばる黒ゴムがぽつんと置いてありました

 

えぇぇぇぇ~???

なんで?

前にこの車を借りたお客さんが忘れた?

 

と 一応は(理性総動員で)思いましたが。。

 

直感というか 感覚的に

 

真珠のお礼・・・または交換。。。かな・・・?

なんて思ってしまった自分もいたり・・・^^;;;

 

ネットの発言小町の「物が、空間に消える」面白いですねえ~。。

 

いやいやいや。。。

私は 落し物をした時は

「その土地の神様にさし上げた。お賽銭!」

と思うようにしてるので 気持ち的には大丈夫なのですが。。。

この 「物が空間に消える」は ありえる!!と 思います!!

 

以前 神社で 葉っぱが 宙からむにょっと出てきたのを見たしね~~。。。

 

だけど これ 夜読むと なんとなく 怖い・・・ (^◇^;)ノ

2015年5月23日㈯岡山県 長船 一人旅 其の五

13:45頃 備中呉妹駅 到着~~

憧れの神社にはたどり着けなかったけど 気分は爽やかでした

吉備のパワーを頂きながら 鳥がいっぱいさえずってる中

誰も待つ人がいない小さなホームのベンチで

のんびりと電車を待ちました。

吉備って 空気がほんとすごい~!

重厚で濃密っていうか ものすっごい歴史感を味わえる~

というか~♪

吉備武媛や吉備真備さん達がいまだにこの地を護っている…

そんな感じを受けました 吉備氏のパワーっていうか~。

14:09   備中呉妹駅 乗車

↓    (普)井原鉄道 井原線 清音行

14:22   清音駅 着

名残惜しいけど 単線の井原鉄道とお別れです

記念に 販売中の絵葉書を2種類買いました 可愛い♥

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14:54   清音駅 発

↓     (普)JR赤穂線 長船行

15:53   長船駅 着

うが~~ 4時になるぅぅ~~~!!

備前長船刀剣博物館が 閉館してしまう前に 行くぞ~~!

と言う事で 予定通り タクシーに乗りました

(^O^) 駅にタクシーがあって良かった~~!

16時頃 備前長船刀剣博物館 着~~!!

車はさすが早い~!

運転手さんは 「ここは交通の便が悪いから もしよかったらお迎えに来ますから~ 電話してください~」と

駅の時刻表とタクシーの電話番号が書いてある紙をくれました。

 

入場は4時半までだから 急いで入らなくっちゃ~~

タクシー代は 960円だったので「おつり 大丈夫です!」と

運転手さんに言って1000円札を渡したら ものすごく驚かれて

逆に

「え~?良いんですか~?いや~、初めてですよ~。ほんとに良いんですか~?すみませんね~。ありがとうございます」

と何度も言って下さったので こっちが恐縮してしまいました^^;

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↓ ここから入ります~

この日は 団体さんのバスでいっぱいでした~!

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入場券を買ったら 博物館の方が

「今日は 刀剣を作る鍛冶師や職人さん達がここに来て会議をして 実際に作業も見せてくれる日なので 良かったら 皆さんが帰ってしまう前に あちらの建物ですが見学なさって下さい」と 親切に教えて下さいました。

え~~ まじで~~? 本物の皆さんに会えるの~?

と 興奮しつつ  そちらの建物へと行ってみました。

↓ この建物内は 鍛冶の方達と見学の人でいっぱい!でした

鉄を火に入れて 打ってました~~ ものすごく暑かった!!

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意外だったのが 若い方が多かった! でした!

うちの長女位の年齢の男性達が 慣れた感じで 釜に炭を入れたり 鉄を火の中に突っ込んだりしてました

若い方が 年長の熟練鍛冶師さんの前で焼けた鉄を打っていて(ものすごい音と迫力!)

その方からアドバイスを頂いたりしてました 。

定期的に開催される 技術交流の場でもあるみたいです。

さすが長船! すごい!! 伝統を後世に伝えている~~!!

 

↓ こちらは 刀の装飾部分?の職人さんが作業してらした建物です

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一部屋にお一人ずつ 鞘師さん?とか 塗師さん?とか 他にも色々な仕事の方が

畳の上に座って作業されていました

恐る恐る土間部分に入っていくと 皆さん 作業しつつもフレンドリーに「こんにちは~」と声をかけて下さいました。

壁に 刀剣乱舞的な 刀が好きで描いてる漫画家さんの色紙でしょうか

飾ってあるところもありましたね~~ ^^v

さすが~ 刀女子が訪れてるのね~

それにしても すごいサプライズというか~♪

きゃー まさか本物の方達に会えるなんて~~~!!

坂東武士の足軽の子孫としては 血が騒ぐぜい~~~ \(^o^)/

 

刀剣資料館の中に 入りました

私は 刀剣だけを集めた資料館というのは 多分初めてだと思うのですが

なんていうか。。。

たくさんの刀がガラスケースの中に置いてあって

館内がしーんと静まり返ってる感じ…

展示物が刀だけに 空気が澄んで研ぎ澄まされているというか…

何も語らないけど びんびんと無言で存在感を示してると言うか…

実際に罪人を試し切りした刀も置いてあったし・・・( ̄ω ̄;)コワカッタ

思わず 背筋をぴん!と伸ばして 気を引き締めないと!

という危機感?というか・・・臨場感?…

ガクガクブルブルでした。。。(小心者)(^_^.)

↓ 撮影オッケーな 鎧一式

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いつの間にか たくさんいた観光バスの団体客さんもお帰りになり

ゲゲの他数名の方が 館内にいる感じになりました

↑ この鎧を撮影していたら 博物館の方に声をかけられました

お一人ですか? どちらからですか~

栃木県の宇都宮市というところから 一人で来ました~。ホテルは姫路です~。上の子どもが 今流行りの刀剣乱舞が好きでして その影響で~w

 

などと しゃべっていたら なんという偶然か その方の息子さんが 宇都宮に住んでいるそうでした~

え~~ そうなんですか~? ここからは遠いですよね~。。

 

色々と個人情報になっちゃうので 詳しくは書けないですが ^^@

 

んま~~ 世の中は狭いですね~~

と お互いに驚きあいました。

古墳が好きで 近畿地方の古墳を見て歩いてる と言いましたら

古墳ですか~。。そうしましたら どうしても 田舎になっちゃうから 交通が不便でしょう~。。

と おっしゃってくれました。。。

はい 実は。。。 やっぱり こっちでも 古墳って 田舎。。あ すみま

せん。。。^^; 町はずれにあるんですね~。。

 

色々おしゃべりさせて頂きました~ 楽しかった~~♥

帰りの電車とかも心配して下さって 皆さん 優し過ぎる~~

 

↓  購入したお土産と本

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↓  頂いてきたパンフレット等

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