「裳原の戦い」 を調べていたら。。。((゚Д゚ ||;;)))))) ガクブル

4日 月曜日に 用事があって 宇都宮市役所地下の売店へ行きました

そこで 「宇都宮の旧跡」という 平成はじめ頃 教育委員会が発行した本を見つけ

購入しました

 

親切にしてくださった市役所の方お二人様 ありがとうございました!! (^・^)

お世話になりました <m(__)m>

 

家へ帰って読んでみたら

なんと 冒頭に 古戦場の事が書いてあって

私が 常々

これって どこなんだろう。。。

と 頭をひねっていた「裳原の戦い」のあった場所が書いてあったのです!!

 

ヽ(^。^)ノヤッター

 

ネットとか 色々探したけど よくわからなかったのですよ

 

喜んで 文章を読み始めた私ですが

。。。

。。。場所を読んだ途端

愕然としました!!

恐怖でひきつりました。。。。((゚Д゚ ||;;)))))) ガクブル

 

えぇ~~!!???

あそこ~~???!!!

 

・・・

やっぱり!!!

っていうか

怖っ!!

ゲゲの妖怪アンテナ 怖っ!!!

 

その場所は国道4号線沿いでした。。。

 

こうに書くとアレなんですけど。。。

なんかこうね 宇都宮から4号線を南下すると

ゲゲ なんか 毎回いつも不思議な気分になるんですよ。。

。。。

なんとも言えない 歴史の重みというか 。。。

何かこう 古い。。。。

というか

現代じゃない空気

というか。。。

 

一言で表すと

 

「??? なんだここ?・・・・」

 

っていう感じ。。。。違和感?・・・・

 

お店は並んでいるし (ラーメン屋さんとかおいしそう♥)

田んぼは豊かだし

農家さんはいっぱいあるし。。。

 

普通の人が住んでる場所だって思うのですが

何か こう 古い庄を感じるというか。。。

 

多分 おそらくですが

古代 豊城入彦命様や 日本武尊様の東征に 関係した地に近いから

古代の古墳時代の空気を感じるのかな

とは思っていたのですが

 

そこに 戦国の空気も 混じっていたとは。。。。!!!

((((;´・ω・`)))ガクガクブルブル

 

裳原古戦場

 

康暦2年(1380)

宇都宮氏 11代当主 宇都宮基綱軍 と 小山氏 小山義政軍 の激戦地

 

宇都宮氏当主 宇都宮基綱 討ち死に

 

負けた宇都宮軍の戦死者80名

勝った小山軍の 戦死者200名

 

 

当主が討ち死にした宇都宮軍と

勝ったけど 200名も戦死した小山軍

という

さんざんな結果になった 恐ろしい大戦 だったのです。。。

 

場所として

茂原2丁目付近

または

自衛隊宇都宮南駐屯地 南側の窪地

または

石橋町の鞘堂付近

 

と 書いてありました

ですが

ゲゲ

これらすべてをひっくるめたかなりの範囲が戦場になったんじゃないだろうか。。。

 

と 思うのですが。。。( ノД`)。。。

 

なんか あまり良い評判が残っていない(どういう表現^^;)ゲリラ戦だった

って 何かで読んだことがあります ><

 

石橋町の鞘堂という地名は

戦死した者たちの刀の鞘を塚にしたというところから起こったそうです

 

別の本には

戦死した280名を埋めた上にお堂を建て 鞘堂と呼んだ

 

なんて 書いてあるのもありました。。。ヾ(。>д<)))))))))

 

どっちなのーーー!!!

っていうか

どっちも 内容がすご過ぎてついていけないーーーーーー((((;;OдO;lll))))ガタガタブルブル

 

鞘堂は 地図で見ると

私が大好きな 日本武尊様の甲神社 の横。。。

というか

国道4号線をはさんだ反対側

でして。。。

甲神社の とても近くに位置する場所になります。。。

 

うがぁ~~~!!

そういえば

この間 国道4号線をチャリで南下した時 お堂の前 通った~~!!

 

あ ステキなお堂(名前がわからない)

こんにちは 前 失礼します~~

 

って 帽子ちょっと 頭から浮かせて 軽く挨拶して チャリで通り過ぎた~~!!

。。。

 

あの 違和感満載の場所近辺で

280名もなくなったんだ。。。><

宇都宮氏の当主様も。。。 ><

 

現在ののどかな風景の中

かつて 大激戦があったって

宇都宮市民のみなさんは 知っているのでしょうか。。。><

 

先日のチャリ散歩から

なんだか 戦国時代へ迷い込んでしまった感満載ですが

5日 火曜日

裳原の戦いの事で 現 宇都宮市茂原を調べていたら

翌 6日 水曜日

テレビの朝の天気予報で 依田さんがいた場所が千葉の茂原 だった。。。

 

 

昨日7日 小山(おやま)氏(現 栃木県小山市周辺を支配していた)の事を調べていたら

夜 だんなが何気に変えたテレビで オードリーの2人が廃品回収していたのが

まさに栃木県の小山市だった。。。

 

 

うわ~~~

なんだこのシンクロはぁ~~~!!!

これ 絶対 呼ばれてる~~~ ような気がする~~~

ブログに書いて投稿しなきゃ~~ って 気がする~~~ ><;

 

供養?のために

ヨドバシネットで買った NHK ヒストリアのサントラCD聴きながら

ブログ書いたり 調べものしてます

気持ちが和みます。。。( ^^) _旦~~

 

戦国時代って

調べれば調べるほど

えげつなさと 残酷さに

顔面蒼白になっていきます ((´д`)) キモチガシズム。。。

 

ここまでやるんかい?!

と 人間不信になります。。。

 

以前 小山で ひどい事件あったけど

なんかちょっと 戦国時代にあった事件に似てる。。。気がする。。。==;

 

 

ジャニーズの ○○くん。。。>< 読み方違うけど。。。

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2018年5月6日㈰下野チャリ散歩 不思議な感じのサイクリング日和

この日は いつもより ちょっと遠くへ足を伸ばそうと

宇都宮の自宅を出発して

壬生町の磐裂根裂神社でご朱印を頂いてから

いつもなら車で行く 壬生町の車塚古墳へ

愛チャリでのんびり行きました

 

そして その次は すぐ近くの愛宕塚古墳へ行きました

震災直後 一度 訪れた古墳ですが

この日は その時と 雰囲気がガラリと変わっていて

あたたかく 優しく美しく とてもすてきな場所になっていたので

私は 嬉しくて キャーキャー言いながら しばし 滞在させて頂きました

 

それから

さあ 上三川町の白鷺神社へ行きましょうか~

と 初めての道を選んで 出発しました

 

私は 方角を たとえば 南東だにゃ と定めたなら

そこへ向かって 知らない田舎道(失礼)を チャリでゆるゆる適当に行くのが好きで

今回も そうしてみました(車の場合は ナビでちゃんと行くのが好き)

とりあえず 南南東に向かって 進んでみたのです

 

よく晴れた気持ちの良いお天気

日差しを浴びながら 田んぼや畑の間の道を

1人で のんびり 進んでいく 気持ち良さ♪

 

そんなこんなで楽しく自転車をこいでいた私は

30分後

 

あれ? ここって 全く知らない道だ。。。^^;

遠くに見える景色も全然違う。。。

っていうか 100mほど離れたところに立ってる木々が邪魔して

遠くの山が見えない。。。(^◇^;)

 

と 気づきました。。

 

えぇ~ ???

いつもの道はどこへ行ったの~~???

 

と 不安を感じながら ひたすら 南南東へ。。。

 

ここって。。。 もしかして あの世じゃないよね?。。。

誰もいないし。。。

田んぼも 乾いた泥だらけで 水入ってないし。。。

私 別次元に迷い込んだんじゃないよね。。。

私 生きてるよね? 死んでないよね?

何 この 雰囲気。。空気。。。閉塞感。。。

広々とした農村地帯なのに。。。

 

と 思ってしまったほどの 不思議な不思議な空気感のある場所でした

 

やっと ちょっと広い道路に出て

看板に小さな観光地図が貼ってあり 見てみたら

 

え~~??? ここって 石橋なの??? 壬生じゃないの?

 

と びっくりしました

 

時間的&体力的に 上三川へ行くのを 即座に諦めて

じゃあ 地図に書いてある孝謙称徳神社へ行こう~ と 決めました

 

この神社は 下野に左遷された道鏡関係の孝謙天皇を祀る神社で

以前 一度 訪れたことがあります

 

なので

簡単にたどりつける! と 思って

地図をきちんと確認せず ふらふら出発してチャリを走らせたのですが。。。

 

気付いたら 全然 たどり着けず。。。

 

え ここ どこ?

あれ? 国道4号線だ。。。

 

という 若干 ほぼ完全な迷子状態に。。。w

4号線を北上すれば 宇都宮へ戻れるとわかってるので

じゃあ 意地でも戻らない! みたいな。。。^^;

 

そんなこんなで 意地を張り続け 孝謙天皇神社を探して走り続け

途中の ステキな神社で休憩して おにぎり食べたり

自分 全然 焦ってないもん~~!!!

と 気取っていたのですが ^^;

 

気付いたら 小金井駅前 に出て。。。

 

さすがに 私の進んでる方向は とんでもない方向だ。。

このままでは 小山へ出て東京へ行くことになってしまう。。。

 

と 気付いて 宇都宮方面へ 引き返すことにしました ^^;;;;

もう 孝謙天皇神社へ行くのは あきらめましたw

BS18時の西郷どん までには 吉野家の牛丼買って 自宅に着きたいし!w

 

よし じゃあ 4号線を通らないで 今度は 北北西へ向かって

斜めに 知らない道!農道!を行くぞ~~~。。。

近道じゃあ~~~~~!!!!

 

と 1人で 気勢をあげて 自転車をこぎだしました

気付いたら また

全く知らない未知の道を走ってる ことに気づきました。。。 ^^;

 

え~~~ ここどこ~~~???

こんな道 あったの~~~???(失礼)

不安過ぎる~~~ ><

 

川。。。

箕輪城跡。。。

いくつもの神社。。。

 

自転車をこいでいると 要所 要所に 古そうな威厳のある神社が建っていました

江戸 明治で言えば 村の神社でしょうか

今も大切にされているようで 掃除が行き届いて とてもきれいでした

 

落ち着いて よくよく 周囲を見渡してみれば

田んぼは 水を入れてる途中だったり

田植えが済んでるところ 済んでないところがある と 判明しました♪

農家の方達が 今まさに田植え作業にいそしんでる田んぼもありました

 

で のどかな風景を眺めながら

不安を紛らわせ 平気な顔をして自転車をこいでいた私ですが

内心 ものすごい 不思議な感じを味わっていました

知らない場所 というせいもあるでしょうが

父母の生家が農村地帯だったので

農村の風景には慣れてるつもりでしたのに。。。

 

戦国時代 。。。

 

という 感じが 妙に伝わってきて。。。

不思議な気持ちいっぱいになりました

 

いつもは 古墳やら遺跡やらで 古代の感覚を感じるのに

今回は 戦国時代?・・・

 

箕輪城跡を 遠くから 見たからかなあ。。。

 

この道のせいかなあ。。。

普通の 農道だけど。。。

不思議だなあ。。。

 

不思議 不思議 と 思いつつ チャリをこいで

壬生町に入り 線路の踏切を渡ったら。。。

 

 

あれ?

 

狐につままれた感いっぱいになりました。。

 

知らない道と思い やみくもになって 走ってきたのに

気付いたら 朝 お別れした 愛宕塚古墳の前に出たのです。。。

 

 

?????

えぇ~~~ そうなの?

この道 そうなの???

 

もう~~ 一人つっこみの嵐でした

適当に走ってきたのに なぜか また 振り出しに戻されたみたいな。。。

 

愛宕塚古墳にお礼を言って 宇都宮へ向けて 北上しました

途中 吉野家で牛丼買って w

無事 18時前に 自宅へ着きました

 

家で 見てみたら 3つ牛丼を買ったつもりが 二つは 豚丼でした ^^;

狐につままれとる~~ >< 単に 私の発注ミス?

 

 

夜 私の通ったルートを 地図と栃木神社誌 で 確認しました

孝謙称徳神社を目指して走っていたはずでしたが

私は 北へ行くべきところを 南へ向かって走っていたのでした。。

どうりで たどりつけないはず。。。><

 

不思議な空気に満ちていた道は

下野市(旧 国分寺町)箕輪 橋本

壬生町藤井 という場所を通る道でした。。

戦国時代 その道沿いに城があったのだそうです(おぉ~~~!!!)

 

そして 道中いくつも見た神社を 地図で住所を割り出して調べてみたら

一つ  豊城入彦命様の名前が由緒来歴に出てくる神社があったのです!!

今までノーマークの 初めて知った神社だったので びっくりしました!!!

 

そこは 私は気付かずに 通り過ぎていた と 判明しました

 

うが~~~!!!

なんて ミステリアスな土地&道なんだぁ~~~!!!

きっと 戦国時代以前の 古代へもつながっている気がする~~~!!!

 

地図で見たら 近くには 国分寺跡 や 古代の国府跡もあるという

うわー ここって 軍事上ものすごい重要な処なんだろなあ。。。

という場所でした

 

不思議感と不安感いっぱいで通った道でしたが

下野の歴史探索に 新たな重要ルートを発見できた(昔からあったけど^^;)喜びで

いっぱいです ♥

未知の世界へ足を踏み入れて

ニューワールドが目の前に開けたような気分~~~~

大げさ~~~ヽ(^。^)ノ

「ヤマタのおろち」の「ヤマタ」、奈良県天理市「柳本」って もしかしたら 「ヤマト」なのかも。。。

今 買ったばかりの初めてのスマホ関連作業?で 四苦八苦中ですw

悩みに悩んで やっと 手帳タイプのカバーを 密林さんに発注しましたw

カバーって お店に行っても 一つか二つしか売ってないのに

密林さんでは 山のようにあって びっくりしました

条件を絞って 400ページ 見ました!ストレッチしながら・・・

眼と腕が疲れた~~~~~!! w

 

 

確か スマホを買う前のことですが

出雲大社のご神木?を使ったブレスレットが欲しいかも~~♪

 

と パワーストーンがついてる雑誌の事をネットで検索したり

 

ユーキャンから 突然

古事記の話の無料サンプルDVD(アニメ入り)が送られてきたりしていました

(一度何かを買うと その後たくさん 次から次へとご案内が来ますw)

 

その無料サンプルDVDを見せてもらっていたら

 

あれ?

スサノオノミコト様が退治した

ヤマタノオロチって・・・

 

確か

あの怪獣は 川の事だろうって 今言われている事が多いけど

 

もしかしたら

ヤマタ って 。。。

 

yamata…

yamato…

 

似てる!!

「大和」 「 倭」 「日本」に

似てる!!!

 

って 思いました。

もしかしたら 以前 ブログに書いたことがあるかもです

再度 思いました

 

推測ですが

「やまと一族のオロチ」という人 または部族が支配していた出雲のあの辺りの地域を

スサノオノミコトが 戦をして 幹部8人を倒し

出雲を手に入れた

ということではないかと 思ったりしました

 

・・・

酒に酔わせて敵を滅ぼす やり方は

確か 神武天皇もなさっていたような・・・

日本武尊様も・・・ ^^;

 

日本語の発音ですが

縄文 弥生時代の 言葉の発音については よく わかりませんが

滅ぼされた人達の事なので

もしかしたら 後世 区別する意味で

「やまと」 ではなく 「やまた」 と 発音表記するようになったのかも。。。

と 想像してみました

または

「やまとの山田に住むオロチ」というボスかもしれません。。。

 

神話では 8つの頭を持つ大蛇となっていますが

世界各国に 似たような話があるそうなので

もしかしたら

スサノオノミコトとオロチの戦いは

わざと

「あれって 神話だよね?」のノリでうやむやにされて

史実から 外されるように仕向けられたのかもしれません。。。

 

出雲に行くと 史跡がたくさん残されているんですよね。。。

ネットで見た時

 

あー。。。

この戦いって 人VS化け物 ではなく

実際 人VS人 の戦で行われたんだろうなあ。。。

と 史跡の画像を見て 感じました

 

私の推測では

イザナミさんは 出雲の姫で

高天原のイザナギさんと結婚した時は 出雲と高天原は良好な関係を築けていたのに

その後 何か 出雲で

カグツチさんが関わるごたごたに巻き込まれて 亡くなってしまい

 

それ以来

高天原グループは

うまく 出雲と つきあえなくなり

そこに スサノオノミコトが 地方長官として 派遣されていったのではないか

と思います

 

イザナギさんとイザナミさんあたりの 出雲と高天原の関係は

私もうまく考えがまとまらず 上手に表現できませんが

イザナギさんにしてみたら

出雲の姫と 結婚したんだから

出雲は自分の支配する国

と 思っていたのかもしれません

 

ですが 出雲は  とても豊かな地なので

様々な人たちが この豊かさを目当てに この地を欲しがり

色々 トラブルもあったのではないか・・・

と 思います。。

 

 

そして この間 景行天皇の古墳の辺りの地図を見ていて

はた!と 気づいたのですが

地名 「柳本」を 不明瞭に発音していくと(変な日本語w)

 

やなぎもと。。。

やないもと。。。

やなもと。。。

やぁもと

。。。

やまと!!!

 

になる!!!

と 気づきました

^^; 結構 強引 w

 

マクモニーグル氏が

ヤマト民族が 移動した地は 「やまと」と呼ばれた

みたいなことをおっしゃっていたので

 

もしかして 柳本 って 昔々は

やまと って 呼ばれていたんじゃないかなあ。。。

と 思いました

 

地名の由来をネットで検索してみましたが

大きな楊の木があった? みたいな感じで

はっきりしたことは わからないみたいです

 

近くには 「長岡」があるようで

!!!

ナーガ!!

インド系の古代の蛇の神 の名前がついてる!!!

と 感動しました

大和神社が長岡の地に祀られる と 垂仁紀に書いてあるそうです

 

近くの 「渋谷」(しぶたに)は

水に関係する地名のようです

鉄分を帯びた 赤しぶの水の出る谷 らしいです

 

(参考 天理市ホームページ)

 

私は 邪馬台国も 「やまと」国 って 読むんじゃないかなあ

と思っています

結局は やまと という国は 各地にたくさん大きくあったと思うのです

(やまと民族は南から北へ北へ移動していったというマクモニーグル氏の霊視?が好き♥)

 

ですが

国津神(イザナミさん) 天津神(イザナギさん) 辺りで仲良くやっていたのに

後々 子孫でこじれる。。。

みたいなことを繰り返していくうちに

(戦国武将とかでも 代が変わると 兄弟でもめたりするアレ的な)

 

誰が 「やまと」を名乗るのに 一番ふさわしいか

みたいな 戦争というか 抗争というか

戦いになってしまい

負けた出雲は 結局「出雲」と 呼ばれ

区別されるようになってしまったのではないか

と思います

 

やまと は 山のふもと という意味もあるそうなので(山本やまもと も そうらしい)

そうなると 各地に 自分達はヤマトだ! と名乗る氏族がいっぱいいたかもしれません

 

本家やまと族

元祖やまと族。。。

 

卑弥呼さんがいた氏族がヤマトで(邪馬台国という漢字も良いけど 山門も良いなぁ)

景行天皇は 卑弥呼さん亡き後 ヤマトを 吸収して

自分達が ヤマトである! と 名乗り

国土統一に向かって進んでいった 気もします

 

天照大御神に仕える妹は 「倭姫」  という名前

 

南へ北へ戦に行く息子には 「倭武」 という名前

 

。。。。

 

うーむ 玲子さんの霊視でHONKOWAに書いてあったけど

この命名は奥が深い!

 

ヤマト。。

大和。。。

倭。。。

日本。。。

 

漢字はいろいろありますが

 

やまと

 

って 本当に美しい響きだなぁと思います