息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)の謎

なんか 「○○の謎」 ってタイトルをつけると かっこいい!(#^.^#)

 

いや でも ほんとに謎です。。

訶具漏比賣を調べていて 系図を書くと いつも目に留まる女性なのですが

(思いついた時に書くので 何年もかかってる w)

第9代開化天皇と妃の意祁都比賣(オケツヒメ)の子

日子坐王(ヒコイマスオウ)が

近つ淡海の御上の祝がもち拜く、天之御影神の女、息長水依比賣

を娶して」

と 古事記にありますので

息長水依比賣は

お父さんが天之御影神で 夫は日子坐王

ということになります。

 

古事記の注として 赤部分は

「近江の国(滋賀県)野洲郡三上の神職がお祭りしている」

と 書いてあります。

 

天之御影神の娘さん。。。

 

。。。。

 

えぇっ?! 神?

お父さん 神なの?

 

神の娘?!

 

と 古事記を読んで びっくりしました!

と 同時に 武田信玄の霊視(玲子さん)を思い出しました。

 

武田信玄は 諏訪の祝(諏訪頼重)を攻め滅ぼして その娘と結婚し

勝頼をもうけますが

それって 実は 諏訪に代々続く神の力を

娘と結婚することで自分に宿した

ということらしいです。

 

それを考えると

古代からの戦と 古代の天皇がその土地土地の実力者の娘と結婚する理由が

よ~く 理解できます!

 

古代の土地の実力者って

その土地の神を祀る神職でもあるので

その土地の神の力を受け継いでるっていう事なんでしょうね。

 

だから その土地を支配できるというメリットの他に

神の力を宿せて 子孫が栄える!

という呪術的な事も ものすごいメリットになっていると思うのです。

 

開化天皇と その前後の天皇の記事を読んでも

名前に「神」がつく人(人って言ってもいいのか)

は 登場しません。

 

これって どういう事かと想像すると

開化天皇の息子の日子坐王(崇神天皇の異母兄弟)が

近江の三上山の神職が生き神様として大切に奉仕している 天之御影神

(多分男性で 多分その土地を代々治めてるサイキッカー)を

攻め滅ぼして その娘と結婚した?って事になるんじゃ。。。

((((;´・ω・`)))ガクブル。。。

 

以前 ゲゲが考察した 栃木の太平山神社の奥宮に祀られてる神の事も

頭をよぎります。

(ゲゲの推測で 崇神天皇の次の垂仁天皇時代 太平山を治めていた方が攻め滅ぼされて 奥宮に祀られている)

 

まあ 戦があったかどうかは

実は平和的に結婚したかも知れませんし

定かではありませんが。。。

 

古事記を読むと 日子坐王って 子孫がものすごく繁栄していて

日子坐王の妻の名 子どもの名 がたくさんと

孫の名 子孫の名が たくさんと

開化天皇のページの半分を占めて書いてあるので

ほんとにすごい人だったんだな~と 思います。

 

やっぱり 力がある実力者で あっちこっち 将軍として行って

戦って勝ち抜いた方だったんでしょうか。。

 

息長水依比賣も お父さんの力を継いで

きっと サイキッカーだったのでは と思います。

古代の名前では 「依」がつくと どうやら

巫女というか 能力者 みたいです。

「玉依比賣」さんは そうらしいです

 

息長水依比賣は 水に関しての何か能力があったのでしょうか

もしかして 諏訪の姫(諏訪御寮人)みたいに

琵琶湖?の神を 自分に下ろせて

託宣を伝えられるお姫様だったのかなあ。。

と 想像させてもらってます。

 

古代の 謎めいたとても気になる女性です。

 

 

 

 

 

Comments (1)

飯野の眞黑比賣(古事記)の謎 隠された?姫 卑弥呼系列?

ちょっと前に調べていた 迦具漏比賣(垂仁天皇妃)と

訶具漏比賣(景行天皇妃)ですが

あの後 なんだか 集中できなくて

調べ始めても どんどんずれていって 気付いたら 違う事を調べてたり

上の空になったり

なんか うまく調べる事ができなくて。。。

。。。 何も降りてこないし^^;

不思議な感じに苦しみました。。 (^_^;)

 

で 昨日 何気に

訶具漏比賣(景行天皇妃)の父方のおばあさまである

飯野の眞黑比賣という方を 調べはじめまして

ゲゲ流の系図を ノートに書いていたのですが

あれ?っと 思いました。。

 

飯野の眞黑比賣という方は 古事記に書いてある系図がおかしいので

以前にも 記事にとりあげたことがあります。

だんなさんは 若建王(日本武尊の息子 古事記)ですが

それは誤りで 本当は 吉備の若建日子ではないかと

「若建」違いを考察してみました。

 

ゲゲ流の系図は

「池田氏の古墳墓碑」本に書かれてる生没年を参考にさせて頂き

記紀に書かれている親子関係を元に

その時代に生きたと思われる同世代が横に並ぶように

ノートに書いて 作っていくものです。

 

昔は 子だくさんなので

長子と末子の年の差が

もしかしたら20歳とか30歳とか50歳とかもあったかも知れません。。

そういう場合は ひーひー言いながら

こんな感じかしらん?。。末っ子と長男の甥っ子 多分きっと同じ世代だよね。。

とか 勝手に 妄想?しながら

系図を埋めていきます

 

そうやって 作っていった系図を見ていたら

やっぱり 飯野の眞黑比賣さんが

なんだか気になって気になって仕方ありませんでした。。

むむむむ。。。と 降りてきたー!! というか。。。

 

古事記には

眞黑比賣のお父さんは 杙俣長日子王(日本武尊の孫)と書いてありますが

(日本書紀には 眞黑比賣の名は書いてない)

 

系図を見ていると どうもなんだか それは間違いっぽい気がします。

 

もっとさかのぼって

実は 景行天皇(日本武尊のお父さん)と同世代なのでは?

と思えて仕方ありません。。。

 

じゃあ 眞黑比賣のお父さんは誰なのか

となると

ゲゲの勝手な推測ですが

水穂之眞若王さん かな~? と思いました。

または 弟の 神大根王さんか。。。(^^;

 

理由としましては

水之穂眞若王と神大根王のお母さんが 息長水依比賣という方でして

あたまに息長が付きます。

 

眞黑比賣の場合も

お父さんのお父さん(おじいさん)が息長田別王(日本武尊の子)という方なので

 

長く言い伝えてる間に

眞黑比賣は息長の孫だから

ということで 伝聞ミスがあったのではないか?

と 考えてみました。

 

古事記に書いてある眞黑比賣の妹?は 息長真若中比賣といいますが

この方は 15代応神天皇の妃になっています。

眞黑比賣の孫が12代景行天皇妃で

妹が 3代下の天皇妃じゃ

やっぱり 系図的に無理がありそうです。。(多分。。)

 

伝聞ミスなら良いのですが。。。

もしかしたら 誰かが意図的に 眞黑比賣を変なところに入れたのかもしれません。。

訶具漏比賣が 卑弥呼グループの巫女である事を隠すために。。。

 

飯野の眞黑比賣の 飯野という おそらく場所を表す地名ですが

ネットで調べたら

なんだか 日本全国にあった地名みたいで。。。^^;

 

でも くじけないで

多分ここかな? と狙いを定めたのが

香川県丸亀市飯野町 飯野山 飯神社

というところです。

神社のご祭神が 飯依比古命で

古事記の国生みの段 のところにも名前が出ています。

 

想像でしかないのですが

香川(讃岐)なら 吉備と 昔からつながりがありそうだし

結婚もありうるんじゃないかな~?と思うので

飯野の眞黑比賣の夫は 吉備の若建日子ではないか

と 推測してみました。

 

で ノートに 眞黑比賣 眞黑比賣と書いていて

はた! と 思ったのですが

ま ぐ ろ

か ぐ ろ

 

似てる! って 思いました。

 

祖母と孫 「くろ」 がいっしょ!!

(この訶具漏比賣は かぐる と読む説もありますが ^^;)

 

「ま」 というのは おそらく 「真の」 とか 「ほんとの」 という意味だと思うのです。

今でも 「まんなか」 とか 「まっしょうめん」 とか 使うから。。

 

「か」 というのは 仮の という意味だと「池田氏 古墳墓碑」に書いてありました。

 

元々は 黒比賣 という名前に

真の とか 仮の

という語を あたまに載せたのではないか?って 思いました。

 

さらに そういえば

仁徳天皇妃で 吉備の黒比賣(皇后の嫉妬で国に逃げ帰った)という方も

履中天皇妃で 葦田の宿禰の娘 黒比賣 という方もいたなあ。。。

と 思い出しました。。

 

なんだか

黑ひめって

巫女的能力のある女性が そう呼ばれる名前なんじゃないかなあ。。。

と 思いました。

 

眞黑比賣って もしかしたら 卑弥呼かなあ。。。

とも 考えましたが

卑弥呼さんは 結婚しなかったっていうし

なら 卑弥呼さんグループの上の方の人だったのかなあ。。。

謎の方です。。。

 

「池田氏 古墳墓碑」にも載ってない方なので

池田氏も 調べたけど わからなかったのでしょうね。。。

ほんとに謎の女性 だなあ。。。。

コメントする

日記

昨日15日㈫は 1人で 本庄~宇都宮を車で往復しました

次女は 心配してくれましたが

ゲゲは 結構 好きというか 萌えるというか

ゲゲの通る道が 結構 古代 重要な場所で

そこかしこに 古墳があるので

闇探検というか 脳内で 古代の謎を考えるのが 非常に楽しいというか

好きな音楽を聴きながら 色んなひらめきもどこかから降りてくる感じで

ひじょう~に 好きです。

 

昨日のひらめき 忘れないうちに書き留めておく~♪

 

○日本武尊の伝承って

かなり 村人と触れ合った話が多い。。

景行天皇には 多分ないと思う。。自分の家臣との話はあるけど。。

 

やっぱり 日本武尊って 村人たちと直接触れ合おうとした

気さくな人なんじゃないかって思う。。。

んで 最近の通説というか

民を喜ばすには 経済をまわすこと!

らしいので 日本武尊はそれに早くから気付いていて

征西や東征で訪れた地の民には なんらかの見返りというか

そういう感じの事をしてあげたんじゃないだろうか。。

 

 

なので 喜んだ民衆が 好意的に 尊の事を

末永く語り継いだ気がします。

 

地元にいる鬼を退治しただけでは

あまり 語られないような気もするし。。

逆に 退治された鬼こそが

実は 地元の民から慕われていたっていう話が多いから

それを征伐する方って 多少はやっぱり 好意的な伝承って 残らない気がする。

 

ゲゲの知ってる中で

甲をプレゼントして 守りにしなさい という話が二つ残っているから

村人にとっては 守り神になるような物をもらえるって

とてもありがたい事だよなあ。。。

と思う。。

村を守る物って 力も刀も持たない村人にとっては

精神的にひじょうに救いとなる気がする。

 

○日本武尊(=小碓命)って 双子のお兄さん(=大碓命)がいるけど

実は 父である景行天皇って お兄さんの方を気に入っていたんじゃないのかなあ。。。

と なんとなくですが そう思いました。。

 

だから 美濃に自分の妃2人を迎えに行かせる という大切なお役目に

お兄さんの方を指名したんじゃないだろうか。。。

(妃を迎えに行くにあたって

昔の事なので あくまでも油断禁物で

知力 武力に長けた人を大将として行かせる。。

と考えます)

 

結果的には まさか

お兄さん 父を裏切って ちゃっかり 妃2人と結婚しちゃって

しかも

偽ものの妃2人を父の元に送って

自分は美濃を支配する!みたいな感じになってしまいましたが。。。

 

○ 栃木県 壬生の車塚古墳って

亀山市の能褒野王塚古墳と

地形的によく似た場所にある!

と 思いました。

 

昨日 車で 通って 改めて

あ~ ここって 懐かしい~~!

亀山の日本武尊様の古墳のところと似てるんだ~~!!

 

って 気付きました。

 

川を行き来した古代

川から見上げる場所にある大きな古墳って

人々を圧倒する すごい存在だったのでしょうね。。。

 

○道路の傍にある 闇夜の中の古墳を見て

昨日 直観的にですが

 

あ~。。。夜の古墳って そこから 根の国に通じてるんだ~。。

根の国に行けるんだ~。。。

 

と思いました。。。(怖)

 

 

 

 

コメントする

実写版映画 銀魂 面白かった (^o^)丿

映画銀魂 すごい評判で

行かなきゃ 行かなきゃ

と思っていたのですが

もうちょっと空いたら。。

なんて思っていたら

宇都宮では 1日 2回上映と 上映数が減ってきたので

先日 8月11日(祝)㈮ のレイトショーに

覚悟を決めて w行ってきました

 

先週は 月曜日から 左腰に違和感があって

 

ん?? まさかの 20年振りのぎっくり腰か?

と恐れおののいていたのですが

重いものを持ったりして片づけをしたため?の腰痛

だったみたいで

 

金曜日には 落ち着いてきたので 映画館に出陣してみました!

 

いや~

面白かった~~ w

楽しかったというか。w

 

笑いがあるって 良いですね~ (#^.^#)

爆笑というよりも 失笑・苦笑みたいな感じがじわじわ長い!

というのが非常に良いと思います!(ほめてる)

 

551の豚まんネタがあって ちょー個人的に受けました!

ゲゲは 大爆笑をしようと思ったのですが

結構たくさんいた観客さん達 が皆 無反応だったので

笑うのをやめました w

 

やはり 関西と関東では 温度差が・・・??! ^m^

 

昨日15日(火)は 次女が仕事が休みだったので

一人で 電車で私の実家へ行ってくれまして

じゃあ ゲゲも行くか!ってことで

1人で 13日から1日置いて

またまた車で本庄へ行ってきました

 

次女と 弟に

映画銀魂 面白いよ! 絶対観た方が良い!!

と 伝えてきました w

 

銀魂 もう一回 観たいなあ。。。

 

あ あと

関ヶ原 も 観たい~~。。。

今度こそは 石田三成軍が 絶対勝つ!! (^◇^)

 

だけど 「関ヶ原」。。。

この字を見るだけで

この間 長女と次女と観に行った「忍びの国」の

「関ヶ原」宣伝動画の時

次女が長女に聞いた

「どっちが勝ったの?」

が ついつい思い出されて

にやりと笑ってしまいます。

 

関ヶ原でどっちが勝ったのかは

日本人なら知ってて当然当たり前の国民的常識だと思っていたけど

まさか身内に 知らないのがいた~~~!!w

コメントする

昨日の「直虎」を観て思いました。

昨日8月13日㈰は 長女と 実家へ お盆の里帰りをしました。

13日だったので

お墓詣りしたってことは イコール 亡き母をお迎えに行った

って事になったのかなあ。。。

 

父のご先祖様達とご近所の方達のご先祖様達が眠る集合墓所では

父の古い知り合いの方が お身内と思われるたくさんの方達と

盆提灯を持って いらしてたから

お迎えだったんでしょうね。。。

 

昨日は日曜日だったので

夜は 弟と BSの早虎を観て

父と 地上波の直虎を観ました

 

あまりの展開に 吐きそうになりました(笑)

 

うぎゃ~~!!

裏切り者が多過ぎる~~!!

この時代 誰を信じて生きていけば良いの~?

石川数正だって あんな忠義面して動いてるけど 後で 家康を裏切るよね?(去年の真田丸)

家臣を信じられない~~!!

こいつもあいつもいつか裏切るんじゃなかろうかって

疑心暗鬼になって胃が痛くなる~~!

 

と ぷち人間不信になってしまいました。

 

でもまあ 今川が しぶとく生き残って

あんなに強かった武田が滅びてしまった

という史実に なんとか癒される今日この頃です。

 

そこで はた! と 気づいたのですが。。。

 

新田義貞公の家来の家来の家来の。。。(よくわからん)父方のわが先祖 渡邉家は

義貞公亡き後 だいぶたって

群馬(上州)の地から 埼玉(武蔵)へ

その他のご一族とともに

時の政府によって 集団移住させられたそうですが

 

それは どうやら

新田家を慕うあまり お家再興!に燃えて

いずれ 集団で刃向うかうんじゃないか。。

と 時の政府に危惧されたからみたいです。。

 

ってことは。。。

 

かなりの忠義もん一族!!

って 時の政府から 評価されてたってことじゃん!!

 

と 昨日の帰り 運転してる車の中で ふと気付きまして

深い感動を覚えました!!

 

お盆に そう思えて良かった♥

いや お盆だから そう思ったのかな。。(笑)

 

確かに 幼い頃からの 親族縁者の事を思い返すと。。。

わりと ストレートな無骨もの。。(ほめてる)

が多いっていうか

二者の間を巧みに あっちを利用してこっちを利用して生きる。。

みたいな駆け引きって

あまり得意じゃないよなあ。。。

と 思い出しました。。

 

基本は 1人の人を信じて その他の人とはそこそこ上手につきあう。。

みたいな感じなので

周囲の人達からも

そういう感じで見られてたのかも。。。

二者にまみえず? 的な。。。

 

なので そういうところが

時の政府から 警戒されちゃって

移住となったのかな~。。

 

あ!

けっこう めんどくさがりな人達が多いので

知恵をめぐらせて あっちがいいか いや こっちにつこう という

駆け引きが 面倒くさかったのかも。。。(笑)

 

だけど やっぱり 大河を観て

小さい国が生き残るのって ほんと大変!

と 毎回思います。

井伊家が残ったのって 奇跡じゃね?って感じすらあります。。

それって やっぱり嫌われ者の小野の家老がいなければ

なんだかんだ 早くに終わっていたのでは。。

という気がします。。

 

来週 高橋一生さんが。。。。。。><

頼みます!

史実を無視して 生き延びて下さい~~~~~!!!

Comments (2)

卑弥呼の宗女イヨ?トヨ?は 景行天皇妃 訶具漏比賣だと思うううう~!!

今流れてるCMで

携帯?の画像が夜でもきれいっていうアレ。。

卑弥呼様が出てますが

あれって マクモニーグル説の卑弥呼様ですよね。。

 

アジア系の かわいい美女!

あのCM作った人 絶対 マクモニーグル氏の卑弥呼本 読んでる!

と 睨んでる (笑)

 

池田仁三氏の「画像解析による古墳墓碑」を読んでいて

ふっと思ったのですが。。。

(ずっと 愛読してます♥)

以前にも考察しましたが

かぐやひめというステキなお名前の方は

11代天皇 垂仁天皇 の妃に 迦具夜毘賣という方がいます。

 

そして かぐやひめとは名前の読み方が一つだけ違う

かぐろひめ

というお方が お二人 います。

12代天皇 景行天皇の妃 訶具漏比賣

 

15代天皇 応神天皇の妃 迦具漏比賣

 

です。

 

私は 色んな方の意見を参考にして あれこれ考えたのですが(特に池田氏の古墳墓碑本と マクモニーグル氏の卑弥呼透視本から)

卑弥呼さんがいた時代というのは

10代 崇神天皇

11代 垂仁天皇

12代 景行天皇

の3代に渡った時期だと思うのです。

 

池田氏が調べた「古墳墓碑」の年号も理由の一つですが

その他として 3人の天皇の行動?というか

記紀に書いてある事に 着目しました。

 

以前 HONKOWAで 玲子さんがおっしゃってた

「記紀って 卑弥呼を隠してるよね」みたいなお言葉も拝見して

 

そうだ!!

卑弥呼さんって あまりにもすごい能力の持ち主だから

天皇家にとっては 国土をまとめるのに必要不可欠の存在だけど

本音はいてほしくないんだ!!

と 気づかされました。

 

 

ありがたいけど邪魔な存在の人。。。!

いなきゃ困るけど 本音は 自分達が国をまとめたい。。

卑弥呼に代わって 国のトップに立ちたい。。。

目の上のたんこぶ。。。

 

と 内心思ってんじゃないかなあ~、、、と気づかされました。

 

そもそもは 崇神天皇の時

四道将軍達が地方へ行って国を統一したっぽいのは

卑弥呼の力を借りたからできたのでは?と 思います。

 

そして 崇神天皇は 卑弥呼の力を借りて国をまとめつつ

同時に 卑弥呼がいなくなった後

自分達のヤマト政権が 国々をまとめるトップに立てるように

独自路線を開発というか

あれこれ模索していったのだと 思うのです。

 

崇神天皇は 国を大きくまとめるのに 卑弥呼の力を利用しつつ

自分は 倭トトモモソ姫をそばに置いて 自分周辺の事を視てもらい

なおかつ 自分の娘 豊スキイリヒメには

天照大御神の鏡を持って 宮の外に出して 祀らせて

卑弥呼がいなくなった時 困らないように

呪術的な面を強化してる感じがします。

 

モモソ姫は 三輪山伝説で 箸でホトを突いて亡くなってしまいますが

あれって 推測ですが

モモソ姫は 卑弥呼にとって代わって 国の頂点に立とうと

三輪山の神の力を使って なんか好き勝手やっちゃったから

崇神天皇に見つかって殺された。。。

って事なんじゃなかろうか。。

って 気もします。。。

 

そして 崇神天皇が

天照大御神の鏡と大国主命の魂を宮の外に出したのは

政教分離というか。。。

卑弥呼が 政治面でも宗教面でもトップにいる事への対抗というか。。

 

もし 卑弥呼亡き後

自分が 国々をまとめる時が来たら

シャーマンには宗教だけまかせて 政治は自分達でやる!

という強い決意なんじゃないかなあ。。と思うのです。。

 

そして 次の垂仁天皇は

自分の娘 倭姫を 豊スキイリヒメの後を継がさせて

今度は 天照大御神を祀る良い場所を探す旅に出させます。

 

これはもう 卑弥呼に とって代わるために

自分達の先祖である ヒルメムチという女性(多分 ものすごいすぐれた伝説のシャーマンだったんだと思う。。持統天皇あたりが 「天照大御神」って 名前を付けたんじゃないのかしらん。。)

を 最高に素晴らしい場所で

最高にうやうやしく祀って 天皇家を守護していただく!

という宗教政策? だと思います。。

 

っていうか。。

卑弥呼さんが 結構 予想外に長生きだったんでしょうね。。。

それって 天皇家にとっては想定外だったんでしょうね。。。

 

次の景行天皇は 伊勢に落ち着いた倭姫に天照大御神を祀らせて

倭姫から 日本武尊様に草なぎの剣を与えて

日本武尊 様に 東征へ行かせます。

 

天皇の支配下にあるシャーマンが

天皇の支配下にある武士に 神の力を与えて 戦いに出させる

みたいな。。。

今までは おそらく

鬼道を操る(玲子さんも わからない。。っておっしゃってました)卑弥呼が

神から託宣を受けて 天皇に命令していたのでは?・・・

と思います。。。

 

そして ゲゲの推測ですが

日本武尊 様が西に戦に出る前あたりに

卑弥呼さんが亡くなったんじゃないのかなあ~。。。と思うのです。。

 

というか。。。

卑弥呼さんが亡くなった後

あちこちの国がやっぱり乱れてきちゃったので

景行天皇が 武力に長けた日本武尊様を 西に東に戦に出した。。と思います。。

 

で タイトルにもあるトヨ または イヨ さんですが

景行天皇妃の訶具漏比賣 だと思うのです。。

でも 確か 宗女トヨ または イヨは 13歳!

後見役が必要ということで

垂仁天皇妃の 迦具夜毘賣!が 後見した!と 思います。

 

理由は 月に帰るかぐやひめ という不思議な昔話と

かぐ という名前の部分が共通してるからです

 

卑弥呼の宗女グループがあって(マクモニーグルさんがおっしゃってた)

多分だけど そのグループの女子には かぐろ か かぐや って名前を付ける決まりになってたんじゃないのかなあ~。。。

と あくまでも推測ですが。。。

 

あと 理由ですが

景行天皇妃の かぐろひめは 残されてる系図が めちゃくちゃなんです

確か 日本武尊様の子孫が

日本武尊様の父である景行天皇と結婚とか

あり得ないんです。。(まあ ありえなくもないけど 実際的には無理じゃね?みたいな。。。)

 

ゲゲの調べた範囲では 残された系図がおかしいっていうのは

なにか隠してる!! って 事なんですよね。。

知られちゃまずい何かを。。。

 

続く。。。

 

Comments (2)

平成29年5月26日㈮27日㈯旅行 上野公園 国立博物館

上野公園に着いたら 西郷どん~の写真をパチリ♪

私はいつも 階段から行くので 西郷さんの銅像そばを通ります。

そのお次には 天海和尚様の毛髪塔へ。

雅でステキな上野を楽しませて下さい、

と ご挨拶させて頂くことにさせてもらってます。

みみか先生の「スピ散歩」を読んで以来♪

 

花園神社

 

穴神社

 

↓ 五條天神社

 

この日は なんと大祭日でした!

お神輿が出てました!

長女すごいなあ~

もってるなあ~♥

 

私はこの日 ご朱印状を持ってきていたので

五條天神社でハンコを押して頂きました

 

ママね 以前 もう一つ

天海和尚様が 琵琶湖の竹生島を模して作った不忍池の弁天様に行った事あるんだけど 行っても良い?

と長女に聞いてみたら 行こう行こう と言ってくれましたので

テクテクと行ってきました。

 

蓮の花はまだだったけど お寺へ行く参道脇には

食べ物の屋台がたくさん出ていて お祭りみたいで

とても賑やかでした

ここは 辛口のおみくじで有名なんだそうです。

私と長女がいた時 おみくじをひいた若い男性が

うわ~~!

と叫んで 自分がひいたおみくじを仲間に見せていたので

もしかしたら あれを引いちゃったのかも。。。と思いました (笑)(笑っていいのか。。。w)

 

今回 私は凶ではありませんでした キャッポーヽ(^。^)ノ

 

お参りをすませて ご朱印を頂いて

さて なんとなくおなかがすいてきたね

ということで また戻って 公園内をテクテク歩いて 東京国立博物館へ入りました。

途中の上野動物園 にぎわってたなあ~。。

公園内も 盆栽展とか 全国の食べ物とか 大道芸もやってて

上野公園って ほんと活気にあふれてて いつも来るたび元気もらえます

 

この日は ネットで

博物館は お茶(茶器だったかな?)の特別企画展をやっていて

ものすごい人気で超混んでる!と情報を得ていました。

入場券は 何を買えばいいのかしらんと

入場券売り場前中心で  声を大にして叫びながら お客さんの流れを止めないよう誘導している?係員のお兄さんに聞いて

常設展のみの入場券を買いました。

 

長女は 以前 ここには 企画展?で 絵を見にきたようで

常設展示や 小さい展示は 今回が初めてだったようです。

最初 桂甲の武人埴輪を見よう~と 平成館に入りました。

部屋の入口に デン!! と 陳列ケースに入って

飾られていらっしゃいました!(なんか恐れ多くて 怪しげな敬語を使う)

 

うお~~~!!!

かっこいい~~~~~!!

ってか やっぱ 生きてる~~~~!!!

見張ってる~~~~!!!

眼が違う~~~~!!!

今でもきっと 古墳を守ってる~~~~!!!!

変なことしようとする人がいたら

絶対 腰の剣 抜くから~~~~!!! ((((゜Д゜))))

 

 

長女も かっこいい!と 気に入ってくれました。

でしょー?? (^◇^)vエッヘン

 

それから 順番に ゆっくりゆっくり 陳列物を見て行って

 

女子がたくさんいるところ(群がってw)で 刀の鳴狐を

無事 見る事ができました♥

 

けっこう撮影OKだったので(ダメなものは 撮影禁止の張り紙がありました)

見て歩いてる途中

みんなが写真を撮っとる!

と気づいた長女は 自分もアイフォンを取り出し

カシャカシャ たくさん撮ってました。

 

いや~ ほんと アイフォンって カメラに負けず劣らず 美しく撮れるんだな~。。と 心から感動しました。

長女が撮影したのを見せてもらったのですが

ものすごく美しくきれいに 刀とか埴輪とか 彫刻とか

一眼レフで写した芸術本の写真みたいだったわ~。。

 

ゲゲは

展示物に会いたくなったら 宇都宮駅に行って電車に乗るんだ!! そうしよう!!また 来るんだ! 何度でも!!

と 固く決意して あえて撮りませんでした(変な意地を張ってみたw)

 

ぼちぼち おなかすいたね。。食べようか。。

ということで

でも 今自分がいる場所がわからず ほぼ迷子状態で

 

ゲゲの

確か なんとなく レストランあっちの東洋館だった気がする。。違っていたらごめん。。。

という 大変不確かで情けない情報を元に館内を歩きました。

 

最終的に迷子?になり 立っていた博物館のお姉さんに聞きました。

 

確かな記憶としては

「法隆寺展の建物ではない方のホテルオークラレストラン!」

をキーワードに 無事 お姉さんに教えてもらいました ^m^

 

15:00 ランチ~~

ホテルのレストランなんて たまにしか行けないし

せっかくの長女とデート 豊かにおいしいもの食べたいし~ ♪

 

一度 東京でプロが揚げてくれる天ぷらを食べてみたかったので(会社員時代からの夢 30年前!??!)

天丼~ ♪

長女はカレー ♪

朝ホテルで頂いた豪華な朝食が やっと おなかのなかで消化されました

 

 

そして 二人とも 食後はコーヒーだけ飲もうと決めていたのですが

お姉さんの お飲み物とデザートのセットはいかがですか?

の優しいお誘いに 思わず はい!!

と言ってしまったのでした (笑)

せっかくだしねえ~~~(こればっか) オホホホホ(=^・・^=)

この日は 暑かったので レストランでゆっくり休ませてもらってから

また 博物館の中を歩きました。

 

券があれば 特別企画展以外

たくさんある建物の中を自由に何度でも行き来できて 常設展を見れるので

大変お得だと思います。

ディズニーランドみたい~~~ ♪

 

長女おすすめの 獅子王も 見ることができました

館内には 刀剣や甲も多く

若い女子がたくさんいました。

ファンなんですね~~~ 刀女子 ☆

 

平成館とか一通り見てから 次に ゲゲがまた行きたいと

法隆寺展を見にいきました。

前回と 展示内容 展示物が がらりと変わっていました

でも 相変わらず シーン~~ とした感じは同じで。。。^^;

この雰囲気 好きだわ~。。。

修学旅行の時 早朝の雨上がりの法隆寺で感じた不思議な感じと同じ~。。

^^;

 

一通り見て トイレ休憩した後

ゲゲが 長女に

悪いけど もう一回 二階見てきていい?

と わがままを言いまして 法隆寺に寄進された仏像をぐるっと

再び 見せてもらいました。

展示物の内容を書いたプリントも 受付で頂きました。

 

前回も書いたけど どうして これだけの仏像がたくさん

奉納されたのかが ものすごい不思議。。。

一般的?な どうぞ私の願いをかなえて下さい とか言うんじゃなくて

法隆寺で祀られる聖徳太子様とその一族の心を慰めるためとしか思えない。。

 

次に長女が

獅子王の画像がぼやけていたので もう一回 撮影に行きたい

と申しまして 本館?だっけかな。。建物の中に入りました。

 

何回でも 入ったり出たり 時間の許す限り 散策?できるから

ほんと 良いわ~。。。

↓ すっかり夜になりました

とてもすてきでした☆ やっぱりディズニーランド?w

閉館は9時だったけど その前に博物館を出て

夜の公園を歩いて 人でいっぱいの上野駅へ行って

新幹線で宇都宮へ帰りました。

 

帰りは バスがあったので

バスに乗って 帰宅しました

 

あ~~~

楽しかった~~~ ヽ(^。^)ノ

ホテル宿泊券 当たって良かった!!

二日間 のんびり 豊かに遊べました♪

ありがとうございました~~~!!!

 

と お礼のメールをさせて頂きました (#^.^#)

 

Comments (2)

Older Posts »