栃木=遠つ紀(木)の国 で ふと思った ゲゲ推測

古代 崇神天皇の時代

西の纏向の地から 栃木県へ東征に来た豊城入彦命様が

ホームシックになり

栃木の太平山を見て

ご自分の出身地 木の国(昔の紀州)を恋しく思って

「遠つ木の国」

とおっしゃったとか。。。

それで

 

とおつきのくに → とちぎ

という名前になったという

 

県名の由来(市の名の由来?栃木市)ですが

そういう伝承があります

 

先日 ふと 思ったのですが

古事記とか読んでると

 

近つ淡海

遠つ淡海

 

という地名が出てきます

近つ淡海 は 近江の国(滋賀県) 琵琶湖

遠つ淡海 は 遠江の国(静岡県西部) 浜名湖

 

のことだそうです

 

これを見て あれ? と 思いました

 

もしかしたら 栃木県(下毛の国)って

遠い紀の国って ことで

もしかしたら 紀の国の遠いバージョン 分国?属国?

って扱いだったのではないだろうか。。。

みたいな気がしました

 

想像してみたのですが

豊城入彦命様は 父の崇神天皇から

「東征に行ったら あそこ(群馬と栃木)おまえにあげるから 好きにして良いよ」

と言われたので

「遠つ木の国」 って 言上げをして

ここは木の国だ

二つ目の木の国だ !

って 公に宣言されたのかも~。。。

ホームシックがどうのこうのではなく

地名を名付けた祝詞だったのかも!

なんて 考えてみました 。。

 

 

いつからかはわかりませんが

栃木と群馬は 「毛の国」と呼ばれ

後に 群馬を 「上毛の国」  栃木を「下毛の国」 と分けたそうです

 

毛の国 の意味は

都から遠く離れた東の未開地で野蛮人(蝦夷 毛人)がいるという意味で 「毛」を使ったのではないか

とか 現在 いろいろ推測されてますが

はっきりとは わからないみたいです

 

佐野にある 三毳山(みかもやま) が 謎の 毛が三つつく漢字の名前なので

それと関連するのか

はたまた 天之香々背男が高天原グループに滅ぼされたから

田舎の野蛮人が支配していた という意味で 毛 を使ったのか。。。

 

謎だらけ(毛) です

 

 

とりあえず

毛の国と呼ばれだしたのは いつの事なのか。。。

 

ゲゲ的には

豊城入彦命様が言った「木の国」がなまって「毛の国」になった説が

好きです!

 

木の国の属国?分国?で 良いって 思います!

みかん がおいしそう!!分けて欲しい!

(古代 紀州がみかんの産地だったかは知らないけど♥)

 

 

それとも 昔々

天照大御神の孫 ニニギ命の頃ですよね。。

神武天皇が即位するだいぶ前です。。天孫降臨の時。。。

天の香々背男が 建葉槌命・フツヌシ命・タケミカヅチ命に 討伐された時

すでに 群馬と栃木は 「毛の国」

と呼ばれていたのでしょうか。。。

 

↑ この考えも捨てがたしだけど

 

ゲゲ的には やはり

栃木と群馬を愛して治めて下さった豊城入彦命様に敬意を表して

 

木の国が訛って毛の国になった

 

ステキだなあ。。。と 思います

 

みかん。。。。食べたくなった。。。

 

 

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ほんとに不思議だよなあ。。って 毎回思う。。。ガクブル

先月 6月中旬

ゲゲは 栃木に伝承として残っている古代の○○天皇の皇子の存在を 偶然知り

調べていました

栃木県内のその小さな(失礼)土地界隈では有名なお方らしいのですが

宇都宮にいるゲゲは 全然知らなかったので

わぉ! 新発見!!♪

 

と わくわくしながら 楽しく夢中で 数日間 調べさせて頂きました

 

まあ 古代なので あまり情報もなく。。。

一応 ネットや本で調べた後は

いつも通り ゲゲの妖怪アンテナ? 妄想アンテナ を駆使して

 

これは 古代タタラ 関係だな!

纏向から 豊城入彦命様か 日本武尊様と一緒に東征に来て 戦って

先住民族から この土地とタタラを手に入れたんだ!

 

と その土地に隠された? タタラに関する地名や

神社とかを

ゲゲの推測に基づいて 自分なりに 自己流で調べていました♥

 

で 次の月曜日

普通に 仕事に行ったわけなのですが。。。

 

午後

義父が ゲゲの仕事机に

アパートに新しく入った方の書類を 不動産屋さんに渡すためにでしょうが

何気に 置いたのでした

 

いつもなら 義父の自分の机の引き出しにしまうのに

ちょっとおかしいな。。。年か?

と 怪訝に思いつつも

 

一応 ゲゲは 書類を手にとって

書き漏れや不備がないかどうか 確認し始めました

 

そして

最後に書いてあった 保証人の方の住所を見たのですが。。。

 

えぇっ!!!!!!!!!

 

と びっくりしました!!

 

嘘でしょ?!!

 

と まぢで凍りつきました!

 

えぇぇぇ~~~????!!!

こんなことってあるの~~~~??????!!!

 

心で絶叫です!

いつもの ガクブル状態です!!

 

 

なんと なんと その住所は

 

ゲゲが 前の日調べていた○○天皇の皇子の伝承が残っている栃木県内の小さな地名そのものだったのです!!!!!

 

ひぇ~~~~~~!!!!

 

!!!!!

 

うっそ~~~~?!!??!!

 

 

 

なんで?

なんで ここ???

 

 

栃木は広いんだから

栃木市 とか 鹿沼市とか 大田原市とか

その他 大きい市が 北から南から いくらでもあるのに!!!

 

どうして この町? この字?!

 

どうして どんぴしゃ?????!!!!!

 

偶然にしても 出来過ぎてるでしょ!!

ありえないって!!

まぢ おかしいって!!!

 

。。。。

。。。。

 

 

誰か 嘘だと言って!!

おかしい!!!~~~~~!!!

おかしいよぉぉぉぉ~~~~!!!!!

 

ゲゲは 勝手にですが 宇都宮市内の方だとばかり

思いこんでいたのです

 

それなのに

宇都宮ではなく

もっと 栃木県のはずれのほうの

ほんとに小さな町というか 字 というか。。。。!!!!(失礼)

 

。。。

ためしに人口を調べさせてもらったんですが

100世帯くらいしか住んでない ほんとに 小さな字で。。。

 

なんなの この偶然?!!

 

 

この広い栃木で

ゲゲが調べていた古代の人の伝承が残る住所の方が

うちのアパートに入る確率って。。。

 

どんだけ?????!!!

 

まぢありえなくね???

 

あまりの 恐ろしさに 書類を手にしたまま

眼の前の上にある神棚を ついつい見上げちゃいました。。。

 

これって。。。。

 

うちの氏子がそちらに入るからよろしくね

という皇子様からの視えないごあいさつ?で

ゲゲが 皇子様の事を調べることになったのか。。。

 

ほんとに ただの全くの偶然なのか。。。

 

それとも それとも。。。

 

ゲゲが 勝手に考えていた

古代のタタラがどうとかこうとか

いう推理は

 

当たってるよ~~~♪正解!

 

という 皇子様からの答えなのか。。。。

。。。

 

いや~~~

ほんと びっくりしました

 

 

以前

押熊皇子と かご坂皇子が猪に襲われた伝承を調べた翌日

朝のテレビのニュースで

その同じ場所で 人が 猪に襲われた!

っていうリアルな映像が流れたのを 偶然見て。。。

 

呼ばれてる?。。。

偶然にしては ありえなくない?。。。

 

と ガクブルしたあの時以来の ショック 鳥肌

って感じです。。。 (表現がおかしい)

蘇我氏

マクモニーグル氏が 以前「ムー」で遠隔透視した 神武天皇一族は

もしかしたら 蘇我氏 のことではないか?

 

蘇我氏は 大陸から来たらしいって

何かで読んだことがある。。

武内宿禰の子孫だと 記紀には書いてあるけれど

実際のところ出自がよくわからない氏族だって。。。

 

武内宿禰が 一族の誰かをお婿さんに 受け入れて

蘇我氏 として 日本に根付いた一族なんじゃないだろうか。。

と ゲゲは思う

 

日本武尊の東征についていき

弟橘姫と 走水の海に入り 生還して 「我 蘇り」と言った女子が

蘇我の名字を賜ったのではないか と推測している

 

おそらく

蘇我氏も 奈良の飛鳥に定着するまでには

きっと 神武天皇の東征のように

九州からスタートして 長い年月をかけて

一族郎党と共に 土地土地を ゆっくり移動してきたに違いないし。。。

途中 現地の住民と 戦闘とかもあったかもだし。。。

 

マクモニーグル氏は

「卑弥呼が亡くなった後 神武天皇一族は日本に来た」

って 透視していたけれど

それだと やっぱり どうしても計算が合わない。。

 

以前にも書いたけど

記紀に載っている天皇の年齢を 三分の一とか二分の一に減らして

天皇の在位期間とか年齢を あれこれ工夫して計算してみたんだけど

どうにもこうにも全然うまく 計算できなかった。。。

 

だから おそらくだけど

マクモニーグル氏は

神武天皇一族ではなく 他の一族を透視したか

あるいは 呪術?で 幻覚を視させられたか。。(本気で言ってる)

と 思う

 

そして その一族っていうのが

「蘇我氏」

だったんじゃないかって 今日 考えていて 思いました。。。

 

蘇我氏は 中臣・藤原家に恐れられて 滅ぼされたほどの一族なので

ものすごい呪術力に長けていたんだと思う

透視されないように 簡単に妨害できそうな気がする。。。

 

神武天皇一族(というか 伊弉諾 伊弉波→天照大御神の系列)は

元々 日本列島の飛騨に住んでいて 寒いから九州へ移動していった一族

 

だと ゲゲは思う。。。

(飛騨以前は わからないけど ロシア民族かなあ。。w)

 

多分 神武天皇一族全体が 中国から短期間で流れてきた一族ならば

(あるいは 大陸からの騎馬民族ならば)

井沢元彦先生のおっしゃるように

中国の歴史書が 鬼の首を取ったような勢いでしつこく書く気がする

 

 

もう一つ マクモニーグル氏がおっしゃってた

武士道をもたらした一派 というのが

一体 どこの誰なんだろう。。。

 

大陸から来た神武天皇一族 というのはゲゲの中ではありえない路線だし。。。

蘇我氏でもなさそうだし。。。

謎~~。。。

 

昨日はいろんなニュースが。。。><

私 気付いたんだけど

けっこうそこそこ記憶力が良いのに

なぜか 1990年代って あまり 記憶がないんです。。。

思い出そうとしても あまり 上手に思い出せないというか。。。

 

写真を見ると 記憶がつながるんだけど

なんか 頭の中が ぽわ~んと してしまいます。。

 

年をとって記憶が薄れた老化  自然現象というよりは

長女が生まれた1988年から いきなり 2000年代に記憶がすっとんでしまうという不思議な感じがあります。。。

 

古い写真や本を整理してる時

いつも

あれ? 1990年代って。。。。 あったんだっけ????

って 毎回不思議な気分にとらわれてしまいます

 

私自身は 当時

長女 次女のPTAとか部活とか お世話とか

結構 子育てで あちこち動いたり 多くの人と接触した時期だったんだけど

なんか みょうに印象が薄い。。。

 

次女は1992年に生まれているんだけど

変な感じで 記憶が 途切れているというか 記憶障害?というか。。。

 

次女 2002年生まれじゃなかったっけ?

なんて 勘違いして思い出す時もあったりします

 

1990年代を思い出すたび 数字に触れるたび

なんともいいようのない 重苦しい息がつまるような変な気持ちに襲われてます。。

 

 

なんか 昨日 その理由がわかりました。。。

1990年代の記憶が薄いというか 遠いというか 印象があいまい というか

よくわからない忘却感。。。

 

それは

 

世間で 実に恐ろしい事件が たくさん起きていたためだった!!

 

です。。。

やっと気づきました。。

 

あまりにも 悲惨な事件が多くて

当時の私の記憶メモリーのキャパを超えてしまったのでしょう。。

。。

いや 記憶することを拒否したのか?・・・

 

それで 今になって記憶障がい的なものが 脳に起きているようです。。

 

そう。。。

あの頃は 子どもを守るために 必死だったでした。。。今思えば。。。

数々の凶悪犯罪が 突然起こっては

忘れた頃に また繰り返されたりして。。。

 

生きた心地がしなかったなあ。。。。

 

テレビで 坂本弁護士事件の犯人がオウムだと知って。。。

 

うちの長女と同い年なんですよね。。。あの男の子。。。

あれは ほんとにショックを受けて。。。

恐ろしいひどい事件でした。。。。 ><

子どもを持つ親として ほんとに 許せなかった。。。。

 

ご遺体が発見された時のニュースは 泣きました。。。号泣しました。。。

ほんとに オウムが許せなくて。。。

 

子育てで頑張っていた時期だったけど

楽しい事もたくさんあったけど。。。

 

世間では ほんと 悲惨なひどいニュースが多かった10年間だったなあ。。。

 

オウムのこと知らない世代もいるって ツイッターで見て

 

まじか。。。

 

って 時の流れに愕然としちゃいました。。。

岡山 倉敷 真備町 小田川堤防決壊 (ToT)

2015年

備中呉妹駅にある穴門山神社へ行くのに乗った井原鉄道

途中 吉備真備町駅付近では 鉄道沿いに川が流れ

とてもすてきな景色でした

 

またいつか井原鉄道に乗って

ここを訪れて 吉備真備が生まれた真備町をのんびり散策したいなあ。。

と思っていた あの場所が。。。!! (TωT)

時期的に田植えも終わったばかりだろうに。。。><

 

あの川が氾濫したなんて!!

住宅の二階に避難してるみなさん全員が無事に救助されますよう

祈っております!! <m(__)m>

 

西日本 一刻も早く雨が引いて

これ以上 被害が拡大しませんように!!!!!!!

「裳原の戦い」 を調べていたら。。。((゚Д゚ ||;;)))))) ガクブル

4日 月曜日に 用事があって 宇都宮市役所地下の売店へ行きました

そこで 「宇都宮の旧跡」という 平成はじめ頃 教育委員会が発行した本を見つけ

購入しました

 

親切にしてくださった市役所の方お二人様 ありがとうございました!! (^・^)

お世話になりました <m(__)m>

 

家へ帰って読んでみたら

なんと 冒頭に 古戦場の事が書いてあって

私が 常々

これって どこなんだろう。。。

と 頭をひねっていた「裳原の戦い」のあった場所が書いてあったのです!!

 

ヽ(^。^)ノヤッター

 

ネットとか 色々探したけど よくわからなかったのですよ

 

喜んで 文章を読み始めた私ですが

。。。

。。。場所を読んだ途端

愕然としました!!

恐怖でひきつりました。。。。((゚Д゚ ||;;)))))) ガクブル

 

えぇ~~!!???

あそこ~~???!!!

 

・・・

やっぱり!!!

っていうか

怖っ!!

ゲゲの妖怪アンテナ 怖っ!!!

 

その場所は国道4号線沿いでした。。。

 

こうに書くとアレなんですけど。。。

なんかこうね 宇都宮から4号線を南下すると

ゲゲ なんか 毎回いつも不思議な気分になるんですよ。。

。。。

なんとも言えない 歴史の重みというか 。。。

何かこう 古い。。。。

というか

現代じゃない空気

というか。。。

 

一言で表すと

 

「??? なんだここ?・・・・」

 

っていう感じ。。。。違和感?・・・・

 

お店は並んでいるし (ラーメン屋さんとかおいしそう♥)

田んぼは豊かだし

農家さんはいっぱいあるし。。。

 

普通の人が住んでる場所だって思うのですが

何か こう 古い庄を感じるというか。。。

 

多分 おそらくですが

古代 豊城入彦命様や 日本武尊様の東征に 関係した地に近いから

古代の古墳時代の空気を感じるのかな

とは思っていたのですが

 

そこに 戦国の空気も 混じっていたとは。。。。!!!

((((;´・ω・`)))ガクガクブルブル

 

裳原古戦場

 

康暦2年(1380)

宇都宮氏 11代当主 宇都宮基綱軍 と 小山氏 小山義政軍 の激戦地

 

宇都宮氏当主 宇都宮基綱 討ち死に

 

負けた宇都宮軍の戦死者80名

勝った小山軍の 戦死者200名

 

 

当主が討ち死にした宇都宮軍と

勝ったけど 200名も戦死した小山軍

という

さんざんな結果になった 恐ろしい大戦 だったのです。。。

 

場所として

茂原2丁目付近

または

自衛隊宇都宮南駐屯地 南側の窪地

または

石橋町の鞘堂付近

 

と 書いてありました

ですが

ゲゲ

これらすべてをひっくるめたかなりの範囲が戦場になったんじゃないだろうか。。。

 

と 思うのですが。。。( ノД`)。。。

 

なんか あまり良い評判が残っていない(どういう表現^^;)ゲリラ戦だった

って 何かで読んだことがあります ><

 

石橋町の鞘堂という地名は

戦死した者たちの刀の鞘を塚にしたというところから起こったそうです

 

別の本には

戦死した280名を埋めた上にお堂を建て 鞘堂と呼んだ

 

なんて 書いてあるのもありました。。。ヾ(。>д<)))))))))

 

どっちなのーーー!!!

っていうか

どっちも 内容がすご過ぎてついていけないーーーーーー((((;;OдO;lll))))ガタガタブルブル

 

鞘堂は 地図で見ると

私が大好きな 日本武尊様の甲神社 の横。。。

というか

国道4号線をはさんだ反対側

でして。。。

甲神社の とても近くに位置する場所になります。。。

 

うがぁ~~~!!

そういえば

この間 国道4号線をチャリで南下した時 お堂の前 通った~~!!

 

あ ステキなお堂(名前がわからない)

こんにちは 前 失礼します~~

 

って 帽子ちょっと 頭から浮かせて 軽く挨拶して チャリで通り過ぎた~~!!

。。。

 

あの 違和感満載の場所近辺で

280名もなくなったんだ。。。><

宇都宮氏の当主様も。。。 ><

 

現在ののどかな風景の中

かつて 大激戦があったって

宇都宮市民のみなさんは 知っているのでしょうか。。。><

 

先日のチャリ散歩から

なんだか 戦国時代へ迷い込んでしまった感満載ですが

5日 火曜日

裳原の戦いの事で 現 宇都宮市茂原を調べていたら

翌 6日 水曜日

テレビの朝の天気予報で 依田さんがいた場所が千葉の茂原 だった。。。

 

 

昨日7日 小山(おやま)氏(現 栃木県小山市周辺を支配していた)の事を調べていたら

夜 だんなが何気に変えたテレビで オードリーの2人が廃品回収していたのが

まさに栃木県の小山市だった。。。

 

 

うわ~~~

なんだこのシンクロはぁ~~~!!!

これ 絶対 呼ばれてる~~~ ような気がする~~~

ブログに書いて投稿しなきゃ~~ って 気がする~~~ ><;

 

供養?のために

ヨドバシネットで買った NHK ヒストリアのサントラCD聴きながら

ブログ書いたり 調べものしてます

気持ちが和みます。。。( ^^) _旦~~

 

戦国時代って

調べれば調べるほど

えげつなさと 残酷さに

顔面蒼白になっていきます ((´д`)) キモチガシズム。。。

 

ここまでやるんかい?!

と 人間不信になります。。。

 

以前 小山で ひどい事件あったけど

なんかちょっと 戦国時代にあった事件に似てる。。。気がする。。。==;

 

 

ジャニーズの ○○くん。。。>< 読み方違うけど。。。

2018年5月6日㈰下野チャリ散歩 不思議な感じのサイクリング日和

この日は いつもより ちょっと遠くへ足を伸ばそうと

宇都宮の自宅を出発して

壬生町の磐裂根裂神社でご朱印を頂いてから

いつもなら車で行く 壬生町の車塚古墳へ

愛チャリでのんびり行きました

 

そして その次は すぐ近くの愛宕塚古墳へ行きました

震災直後 一度 訪れた古墳ですが

この日は その時と 雰囲気がガラリと変わっていて

あたたかく 優しく美しく とてもすてきな場所になっていたので

私は 嬉しくて キャーキャー言いながら しばし 滞在させて頂きました

 

それから

さあ 上三川町の白鷺神社へ行きましょうか~

と 初めての道を選んで 出発しました

 

私は 方角を たとえば 南東だにゃ と定めたなら

そこへ向かって 知らない田舎道(失礼)を チャリでゆるゆる適当に行くのが好きで

今回も そうしてみました(車の場合は ナビでちゃんと行くのが好き)

とりあえず 南南東に向かって 進んでみたのです

 

よく晴れた気持ちの良いお天気

日差しを浴びながら 田んぼや畑の間の道を

1人で のんびり 進んでいく 気持ち良さ♪

 

そんなこんなで楽しく自転車をこいでいた私は

30分後

 

あれ? ここって 全く知らない道だ。。。^^;

遠くに見える景色も全然違う。。。

っていうか 100mほど離れたところに立ってる木々が邪魔して

遠くの山が見えない。。。(^◇^;)

 

と 気づきました。。

 

えぇ~ ???

いつもの道はどこへ行ったの~~???

 

と 不安を感じながら ひたすら 南南東へ。。。

 

ここって。。。 もしかして あの世じゃないよね?。。。

誰もいないし。。。

田んぼも 乾いた泥だらけで 水入ってないし。。。

私 別次元に迷い込んだんじゃないよね。。。

私 生きてるよね? 死んでないよね?

何 この 雰囲気。。空気。。。閉塞感。。。

広々とした農村地帯なのに。。。

 

と 思ってしまったほどの 不思議な不思議な空気感のある場所でした

 

やっと ちょっと広い道路に出て

看板に小さな観光地図が貼ってあり 見てみたら

 

え~~??? ここって 石橋なの??? 壬生じゃないの?

 

と びっくりしました

 

時間的&体力的に 上三川へ行くのを 即座に諦めて

じゃあ 地図に書いてある孝謙称徳神社へ行こう~ と 決めました

 

この神社は 下野に左遷された道鏡関係の孝謙天皇を祀る神社で

以前 一度 訪れたことがあります

 

なので

簡単にたどりつける! と 思って

地図をきちんと確認せず ふらふら出発してチャリを走らせたのですが。。。

 

気付いたら 全然 たどり着けず。。。

 

え ここ どこ?

あれ? 国道4号線だ。。。

 

という 若干 ほぼ完全な迷子状態に。。。w

4号線を北上すれば 宇都宮へ戻れるとわかってるので

じゃあ 意地でも戻らない! みたいな。。。^^;

 

そんなこんなで 意地を張り続け 孝謙称徳神社を探して走り続け

途中の ステキな神社で休憩して おにぎり食べたり

自分 全然 焦ってないもん~~!!!

と 気取っていたのですが ^^;

 

気付いたら 小金井駅前 に出て。。。

 

さすがに 私の進んでる方向は とんでもない方向だ。。

このままでは 小山へ出て東京へ行くことになってしまう。。。

 

と 気付いて 宇都宮方面へ 引き返すことにしました ^^;;;;

もう 孝謙称徳神社へ行くのは あきらめましたw

BS18時の西郷どん までには 吉野家の牛丼買って 自宅に着きたいし!w

 

よし じゃあ 4号線を通らないで 今度は 北北西へ向かって

斜めに 知らない道!農道!を行くぞ~~~。。。

近道じゃあ~~~~~!!!!

 

と 1人で 気勢をあげて 自転車をこぎだしました

気付いたら また

全く知らない未知の道を走ってる ことに気づきました。。。 ^^;

 

え~~~ ここどこ~~~???

こんな道 あったの~~~???(失礼)

不安過ぎる~~~ ><

 

川。。。

箕輪城跡。。。

いくつもの神社。。。

 

自転車をこいでいると 要所 要所に 古そうな威厳のある神社が建っていました

江戸 明治で言えば 村の神社でしょうか

今も大切にされているようで 掃除が行き届いて とてもきれいでした

 

落ち着いて よくよく 周囲を見渡してみれば

田んぼは 水を入れてる途中だったり

田植えが済んでるところ 済んでないところがある と 判明しました♪

農家の方達が 今まさに田植え作業にいそしんでる田んぼもありました

 

で のどかな風景を眺めながら

不安を紛らわせ 平気な顔をして自転車をこいでいた私ですが

内心 ものすごい 不思議な感じを味わっていました

知らない場所 というせいもあるでしょうが

父母の生家が農村地帯だったので

農村の風景には慣れてるつもりでしたのに。。。

 

戦国時代 。。。

 

という 感じが 妙に伝わってきて。。。

不思議な気持ちいっぱいになりました

 

いつもは 古墳やら遺跡やらで 古代の感覚を感じるのに

今回は 戦国時代?・・・

 

箕輪城跡を 遠くから 見たからかなあ。。。

 

この道のせいかなあ。。。

普通の 農道だけど。。。

不思議だなあ。。。

 

不思議 不思議 と 思いつつ チャリをこいで

壬生町に入り 線路の踏切を渡ったら。。。

 

 

あれ?

 

狐につままれた感いっぱいになりました。。

 

知らない道と思い やみくもになって 走ってきたのに

気付いたら 朝 お別れした 愛宕塚古墳の前に出たのです。。。

 

 

?????

えぇ~~~ そうなの?

この道 そうなの???

 

もう~~ 一人つっこみの嵐でした

適当に走ってきたのに なぜか また 振り出しに戻されたみたいな。。。

 

愛宕塚古墳にお礼を言って 宇都宮へ向けて 北上しました

途中 吉野家で牛丼買って w

無事 18時前に 自宅へ着きました

 

家で 見てみたら 3つ牛丼を買ったつもりが 二つは 豚丼でした ^^;

狐につままれとる~~ >< 単に 私の発注ミス?

 

 

夜 私の通ったルートを 地図と栃木神社誌 で 確認しました

孝謙称徳神社を目指して走っていたはずでしたが

私は 北へ行くべきところを 南へ向かって走っていたのでした。。

どうりで たどりつけないはず。。。><

 

不思議な空気に満ちていた道は

下野市(旧 国分寺町)箕輪 橋本

壬生町藤井 という場所を通る道でした。。

戦国時代 その道沿いに城があったのだそうです(おぉ~~~!!!)

 

そして 道中いくつも見た神社を 地図で住所を割り出して調べてみたら

一つ  豊城入彦命様の名前が由緒来歴に出てくる神社があったのです!!

今までノーマークの 初めて知った神社だったので びっくりしました!!!

 

そこは 私は気付かずに 通り過ぎていた と 判明しました

 

うが~~~!!!

なんて ミステリアスな土地&道なんだぁ~~~!!!

きっと 戦国時代以前の 古代へもつながっている気がする~~~!!!

 

地図で見たら 近くには 国分寺跡 や 古代の国府跡もあるという

うわー ここって 軍事上ものすごい重要な処なんだろなあ。。。

という場所でした

 

不思議感と不安感いっぱいで通った道でしたが

下野の歴史探索に 新たな重要ルートを発見できた(昔からあったけど^^;)喜びで

いっぱいです ♥

未知の世界へ足を踏み入れて

ニューワールドが目の前に開けたような気分~~~~

大げさ~~~ヽ(^。^)ノ