Archive for 1月, 2013

日記

ブログがご機嫌ななめな時があって なかなか 記事をアップできましぇん TωT。。

ちょっとひどい事件が起きて 犯人1人逮捕?とかなので 早く 全員捕まれば良いと思います。。

どんな理由であれ 殺人はいけない!と 思うのです!

人を騙すのに 栃木県日光市という場所を利用するなんて ほんと ひどいっす!

栃木県人として 実に腹立たしいです!! 

埼玉県久喜市! っていうのも 埼玉出身の人間として 非常にむかつきます!!

一緒にいたワンちゃんのことも とても心配です・・・ ; ;。。。

 

前にも書きましたが 殺人をすると シミができるんだそうです。。 

そのシミは生まれ変わっても生まれ変わっても取れない。。

と 玲子さんがおっしゃっていました。。><

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巨大なひしゃくが空に浮かんでる

次女が 国家試験に向けて 学校へ朝練に行ってるので

ゲゲは 月曜日~土曜日 毎朝5時半に起きて着替えて新聞読んで お弁当を作る という生活をしています。

で 気づきました 今の時期。。

5時45分頃 新聞を取りに外のポストへ行って 空を見上げると

真っ暗な夜の北の空に 巨大なひしゃくが ぽうっと 浮かんでいるのです。。

最初は びっくりしました

見・・ 見えてる??!!

思い起こせば 巨大なひしゃくに気づいたのが 確か 数年前です。。

宇都宮の空にあるんだ!!

嬉しくて 狂喜乱舞しました (●^o^●)

私はちょっと昔?^^; 小学生の頃 天文に目覚めて 星が大好きになりました

友達の天体望遠鏡(当時 とても高価で貴重だった)で夜 空を見せてもらったり 

本を読んで いろいろ勉強して 楽しんでいましたが

なぜか 巨大なひしゃくの実物は 夜空に見ることができませんでした。。(ー_ー.)

埼玉県本庄市の北の空は 夜 明るすぎた? のでしょうか。。。

そんなことは無いと思うのですが

なんだか 全然 どうやっても わからなくて 見えなくて

とても悲しかったでした。。

それが ここへ嫁に来て 数年前

ふと夜空を見上げたら 

あ・・・ でっかい ひしゃくがある・・・

と あっさり気付いたのです。。

まさかねえ~。。。今まで 40数年間見られなかったものが 簡単にあるなんて・・・

と 。。。すっかり ひねくれてました。。。

が 

急いで 持っていた天文の本で調べると 

やっぱり あれは 北斗七星だ・・・

ということに なりまして ものすっごく驚きました。。。

ずうっと見られなかったものが 簡単に 空にある!!

 

そして 最近 ほぼ毎朝 北斗七星を見る事が出来るようになった私は 気付きました。。

。。。

いや 北斗七星は 昔から変わらず 空にずっとあったんだ。。。

私はただ それを認めなかっただけなんだ。。。

。。。

恐らく 私は 何かこう 空の星をばらばらに見ていたのでしょう。。。

つなげていけば きちんと ひしゃくになるのに つなげないで 個別の星達を眺めていたのだと思います。。。

。。。

見る・気付くって事は 

細かく またはその逆に 時にはおおまかに 

いろいろ角度を変えてみたりするのも必要なんだなあ~。。。

と 感じました。。。

 

我が家の北はアパートで その北に塩釜神社があります。。

神社上空は闇が深い・・・というか 闇が濃いというか・・・ 

ゲゲ家の庭から見ると

神社上空にまるで 神社に何か力?を 与えているかのような感じで

北斗七星があるので 

とても神秘的です (^・^)

 

おおぐま座 こぐま座 として 北斗七星とその近くの星を見られたら もっと楽しいでしょうが それはまだ見えてないです~

北極星も なんだかよく わからないです~ ^^;

いつか ある日突然 見られるようになるのかも~ ☆☆☆☆☆

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日記

○年末から なんだかんだ 色々と出費が多々ありました (^◇^;)

自分のへそくりを使って 不足分を補おうかな~ とも思ったのですが

ふと 思いついて けちけち生活をやっています ^^v

31日が給料日なので それまで がんばる~~!! 使えるのは あと7千円!!

24年前が懐かしいです。。

長女が生まれた後 だんなの給料だけじゃ ちょーびんぼーの極致?^^;で 

赤ん坊のミルクを買うお金にも事欠いたのを 思い出しました (^◇^)世間はバブルでちょー浮かれていたのに・・・^^;;;・・・・

今は けちけち生活1週間弱といったところです。。

明日は 雑誌HONKOWA発売日ですが 現金ではなくTUTAYAのポイントで買います \(^o^)/

先週の土曜日 1月19日がだんなの50回目の誕生日だったので その日は大盤振る舞いしましたが

その後は ひたすら じみ~に生きてます。。

おとといも昨日も今日もお金を使っていない♪ ふふふ (#^.^#)

やれば出来るなあ~ 自分!

いざとなったら もやし がある!! ヽ(^o^)ノ

我が家は タイヘイさんで 週4,5日 食材を配達してもらうので 

結構 そこそこ 買い物をしなくてもやっていけるのが幸いしております。。

今 お野菜が高いんですよね~。。。

けちけち生活をやってみて 昔のびんぼー生活を思い出し 

現在の恵まれた生活はありがたいな~

と 心から感謝しておる次第であります m(__)m

 

○昨日午後4時半頃 仕事を終えて 帰宅しようと 車を走らせました

交差点で 横から 私の前に1台の車が入ってきました。。

そこはちょうど 横断歩道があるところです。。

その車は ブレーキをかけて 横断歩道の手前で止まりました

後続の私の車も止まりました

信号は青だったので 前の車が動き出すのを待っていたのですが

ふと 

あれ? 私 なんで ここに止まっているの?

と 急に不思議で不安な気持ちが 胸いっぱいにこみあげてきました

え?え?

と わけがわからなくなり ちょっと 混乱しました。。。

必死で 記憶を手繰り寄せました。。

さっき 私は 横断歩道を 人が誰も歩いてこないな っていうのを 運転しながら 目で確認した

その後 私の車の前に 横から 車が入ってきた 

その車はスムーズに横断歩道上を走り抜けるはずだったのに

なぜか こうして 横断歩道手前で 車を止めた。。。

。。。

。。。

。。。

?????????

なんで この前の車は ここで止まっているの?。。。

横断歩道 誰も渡っていないよ?・・・

横断歩道を渡ろうとしている人も自転車も犬も 全然いないよ?。。

。。。雀もいないよ?・・・

その時 ほんと 変な感覚なのですが

その時が一瞬なのか 長い時間なのか 時間の感覚がわからなくなるという 

とてもおかしな感覚を味わいました

なんで 前の車 発進しないの?。。。

急に怖くなりました。。。

どこを見ても 誰1人 いないのです。。。

。。。

なんで 前の車止まってんの? と私が気づいてから ちょっとたった後

前の車は ゆっくり車を発進させました。。

。。。

私も 車を発進させました。。。

。。。

何度 左右を見ても 人っ子一人誰もいません。。。

。。。

走りながら 考えました。。

前の車が止まっていた時間。。。

あれって ちょうど 人が1人 横断報道をゆっくり渡り終えた位の時間だ。。。

。。。

前の車さん。。。 待っていたのでしょうか。。。

どなたか1人 ゆっくり 横断歩道を渡り終えるのを。。。。。

。。。

。。。

私には何も視えないよ~~~ 怖かったよ~~~。。。 (^ω ^;)ゝ

。。。

。。。

帰宅してから 長女に言ったら

。。。その人には 横断歩道を渡る人が 視えていたんだね。。。

と ぼそっと 言いました。。。

次女に言ったら

あ~~!! あるある!!

うちもね! この間 うちの前の車 誰もいないのに 横断歩道で止まってたの!怖かった~~!!

その人 ふつーに視えてたんだね!!!

。。。

。。。

^^;;; よくあることなんだ。。。

くわばら くわばら。。。 TωT。。。。 

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次女 成人式 。。。 月日のたつのは早いなあ~。。。

宇都宮は 今日 成人式でした

晴れて良いお天気でよかったです ^^v

自分の成人式の記憶も 結構はっきりしてるのに 今度は 自分が娘の成人式を世話する番かあ~。。。

私の父も母も こういう気持ちで 私の成人式を迎えたのかなあ~。。。と思うと

ご先祖からの えんえんつながる成人の儀式?をおもんぱかって

感慨深いものがあります。。。

。。。

20歳といえば 外見はしっかりしてますが 中は まだまだ。。。

私もそうでしたが 「自分って これ以上ないくらいの完璧な大人!!!」 だと思って ぎんぎんに 周囲にはた迷惑なほど パワーがみなぎっていました (^◇^;)

今思えば 一番の生意気盛りで 。。。 強気ぶっていたなあ~ ^^;;;;

ですが 今思うと あれはあれで 良かったんですね。。。

若さって ある程度 強気の生意気さがないと 未来へ進んでいけないから 

やっぱり 生意気で 良いんでしゅ!! 

。。。

なんて 自分の過去の開き直りですが~~~ ^^;b

 

それにしても 諸外国の親御さんって 偉大だって 思う。。。

特にアメリカあたりなんて

子どもを 16歳くらいから 立派に大人扱いするから。。。

いや~ すごいわ。。。

。。。

ゲゲは まだまだっす。。。

子どもがいくつになっても ついついあれこれ やきもき いらん心配しちゃいます。。。

 

ゲゲの天国の母も いまだにゲゲを心配しているのだろうか。。。

。。。

あの子ったら 50才になったというのに ゆるきゃらとかに熱上げて・・・

。。。

なんて。。。^^;;;;;

つい最近 母の形見の宝石とかを きれいに整理整頓して 見やすくしたので なんだか 母のことが偲ばれます。。。 ^0^;;;

私の成人式の時 ちょー喜んでいたっけなあ~。。。

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大鳥神社 日本武尊

正月早々 古墳がどーしたとか 歴史の闇を追求しちゃう! とか暗いことばっかやってます。。^^:

HONKOWAの玲子さんや視っちゃんの霊視を読んでいると

ピピピ・・・!!と 感じる事が多々あるので ついつい 考察したくなっちゃうのです~~。。(#^.^#)b

「古墳というのは絶対何か意味がある!」

「高松塚古墳は呪詛のための古墳!」

などなど 彼女達は さまざまな名言を残して下さるので 

私もすっかり 別の意味で 古墳オタクになってしまいました。。

古墳が何か深い意味を持つのなら。。。

日本武尊は 3つも古墳を持って?いて しかも それが全部 空っぽとくれば

ついつい いろいろ勘ぐって 推理したくなるというものです。。

記紀には いくつか 天皇陵の改葬の記事がありますが

日本武尊の古墳については 改葬 とは書いていません。。

尊の白鳥が最初の古墳から飛んでいって 止まったところにまた陵を作った と 書いてあります。。

妻子は 泣きながら 鳥の後を追った そうです。。

日本武尊のお話はものがたりみたいになっているので 尊は鳥になった。。。という表現になっているのかもですが

もしかしたら これは 天皇家初の古墳を改葬したということかな?と 考えたりしました。。

古墳というものは 作るのに何年かかるかわかりませんが 仮に2年位だとしてみます。。

最初 能褒野の古墳を作った後 

やっぱり駄目だ!(何が?)

という事で^^; 古墳を移すことを決めたのかも知れません。。

そして 琴弾原の古墳を また2年位かけて作った感じになると思います。。

で 改葬ということであれば 当然 ご遺体を移すので 最初の能褒野の古墳は空っぽということになります。。

天皇命令で 妻子は泣きながら後を歩いていくように と言われれば 妻子は泣きながら後を追わざるを得ないでしょう。。

そして 琴弾原の古墳に改葬したものの

やっぱりまた駄目だ!(何が?2)

って事になって 羽曳野にまた古墳を作ったのでしょうか。。

またまた天皇命令?で 妻子は泣きながら後を追うように と言われて 妻子は泣きながら 足を傷つけたりして付いていったのでしょうか。。

私は 古墳を作るのには時間とお金がかかるから 

3つの古墳は 景行天皇(尊の父) 成務天皇(尊の異母兄弟) 仲哀天皇(尊の息子)が 

それぞれ 時間とお金をかけて作ったのかな?

と 考えたりしました。。

ですが 日本書紀に 仲哀天皇が天皇に即位した後 

父日本武尊を偲んで 古墳の堀に白鳥を飼い 気持ちを慰めたい と

白鳥を集める記事があるので

仲哀天皇が即位した時には すでに 羽曳野に3つ目の古墳があって 尊の白鳥伝説も出来上がっていたのかな~

と 思いました。。

後世の人間が 何か作為していなければですが・・・。

 

そして記紀には書いていませんが 

日本武尊には 4つ目に白鳥が止まったという伝説のある神社があります。。

それが 大阪府堺市西区鳳北町の 大鳥神社です。。

ですが これをいろいろ調べてみますと 

この神社って 大鳥連という人?一族?が作った神社だから 日本武尊 あまり関係なくね?

と いろんな人がブログで書いてます。。

私も最初 そう感じました。。

大鳥連の鳥に 日本武尊の白鳥伝説をからめてこじつけた みたいな 妙な印象を受ける由緒です。。

神社のご祭神は 最初 大鳥連祖神だったそうで 後から 日本武尊が主神となったようです。。

そもそもは 景行54年

大野臣が筑紫より来て住む。すなわち 大野 大鳥の里に来て大鳥神を斎きたてまつり、自ら大鳥の姓を名乗り 祖神を奉じた とされる。。

この旧姓?大野さんは 先祖がアメノコヤネノミコトで 中臣氏の祖と 同じです。。

アメノコヤネノミコトは 天孫降臨の際の五部神で 神祇を司ります。

この子孫なのですから 大野さんは 司祭を行う家系なのでしょう。。。

 

この大鳥神社は皇室の崇敬篤く 昔からの立派で有名な神社です

後年 周りに 4つの大鳥神社が出来た? 元からあった?そうで

はっきりくっきりきちんとではないですが 

大体 大鳥大社が中にあって 4つの神社に囲まれてるような感じがあります 

○大鳥美波比神社 祭神 天照大神 両道入媛(日本武尊 妃) 

○大鳥北浜神社  祭神 諸説有り 吉備宍戸武媛尊(日本武尊 妃) 月夜見御子

○大鳥井瀬神社  祭神 弟橘媛命(日本武命 妃)

○大鳥浜神社   祭神 両道入媛皇女(日本武命)  諸説あり アメノコヤネ

特徴といえば 祭神に 日本武命の奥様の名がある というところでしょうか。。

ネットで調べても どうも あんまりはっきりとしたところはわからない 謎めいている不思議な5つの神社です。。

ともかく ひとつだけ言えるのは

古代豪族の大鳥連氏は 大鳥大社のある大鳥郡に勢力を保っていて (日本武尊関係か?)宮廷祭祀を中心となって担って 神社を祀っていた

ということみたいです。。

それで またまた ネットで 大鳥連氏を調べたのですが。。

広く広く広がる手がかりは何もありませんでした。。TωT

検索でヒットするのは 大鳥大社との関連記事で 同じものばかり。。。><

記紀を読み返しましたが 大鳥連さんの名前は全然書いてありませんでした。。

ほんっとに 謎めいた一族?です。。。

滅びたのか 存続しているのか。。。

大鳥さんという苗字の方は 現在 少数派ですがいらっしゃるそうで 

ネットに書いてありました。。この大鳥郡と関係あるみたいです。。子孫の方かしら?・・・

 

そこで 考えました。。この大鳥大社・・

現代 謎となっているのは 古代にわざとあいまいにしたのではないか? という推理です。。

私が想像するに、大野臣は 景行天皇から 日本武尊を祀るよう 命令されたのだと思います。。

しかも 普通のお祀りではなく 日本武尊のご遺体を使った呪詛 です。。

呪詛の内容は・・・ 景行天皇の直系の繁栄か・・・ 日本全国を支配できるよう 戦上手の日本武尊を神にささげて 力を借りたか・・・ 日本武尊を都の西に置いて 西の守りとしたとか・・・ 外国を討つ成功祈願とか・・・

または 日本武尊の3つの墓と神社をたどると 龍道になって 王権を維持できるとか 武尊の王位継承権を引き継ぎできるとか・・・

日本武尊のご遺体は あの大鳥神社のどこかに 隠されている・・・かも・・・!

 

古代天皇家は大陸から来る時 絶対 陰陽道をこっそり活用していたんだと思うのです。。。

古墳も 大陸から 何かの術?として知識を持ってきて 日本で使っているんだと思う。。。

謎の大野臣(大鳥氏)も 中臣氏(藤原氏)と先祖を同じくする一族ですから 祀りに関しては 呪詛でもなんでも 完璧プロなのだと思います。。

藤原氏は 後の持統天皇の時 側近として いろいろと祀りに関して 辣腕をふるったみたいです。。

調べてみると どうも 大野臣は物部氏関係?みたいなので 歴史が進むにつれて 藤原氏から目の敵にされたか何かで 歴史の舞台から ひっそり 行方をくらましたのかもしれません。。。

 

景行天皇の側近には タケノウチスクネがいました。。蘇我氏の祖です。。

蘇我氏といえば 古墳作りに長けた一族。。。タケノウチスクネが 古墳の呪術的要素?を 伝えたのかも知れません。。

景行天皇に 古墳について何かアドバイスしたか または タケノウチスクネが 景行天皇からいろいろ学んだか・・・

ありうると思います。。。

 

以前 霊能者さんが言っていたのを本で読んだのですが

強力で強い魔力を持った神社の神を封じ込めるには 同じ名前の神社で2つか3つ 結界を作るのだそうです。。

この大鳥大社・・・周りに4つも同じ名前の神社を配しています・・・

。。。

う~む・・・。

 

日本武尊が鳥になったというものがたりは もしかしたら 

日本武尊のご遺体は 何度も移されて 西の大鳥連の神社にある・・・

という隠された事実が 長い間を経て そういうことになっていった。。。 ということなのでしょうか。。。

西は 陰陽道?で 色は白を表します。。

 

昔々の神話で 因幡の白ウサギが ワニを騙そうとして逆にいじめられた・・・という話がありますが

あれは 実は 昔々 宇佐氏と和邇氏にトラブルがあったということなんだそうです。。

長い長い時を経て 宇佐氏が動物のウサギに 和邇氏がワニになっちゃったのですね。。。

。。。

もしかしたら 日本武尊の白鳥伝説も・・・・。 

 

日本武尊は白鳥にぴったしの存在だと思います。。

鳳凰や 龍みたいな 貫禄があります。。。

関東でもどこでも 行った先々で民に慕われ 部下に慕われていた良いイメージがあります。。。

。。。

次の王になる資格が十分ありながら 父に疎まれた王子の一生は 

民にとって とても辛く悲しい事だったに違いありません。。。    

だから 日本武尊の白鳥伝説は 長く長く 人々に愛されて信じられて語られてきたのだと思います。。 

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日本武尊 周辺の不思議な出来事 7つ

ネットで検索していると 地域のさまざまな伝承にヒットして 

え~??!! と びっくりしながら 読むことができます。 目からうろこの驚き桃の木です!

日本武尊の周囲も なんだか 割と 奇妙で首をひねりたくなるような話がありました。。

とりあえず 記紀の話を入れて 7つ ゲゲ的に 不思議~~と感じた話を書いてみます。。

まだまだ 調べたりなくて 日本全国 もっともっと 不思議な話が残されているかも知れません。。。

 

① 日本武尊は 双子の兄 オオウスを殺害してしまった。。

  皇位継承を巡る王子同士の内紛といっちゃえば それまでなのですが。。。

  本当に古事記の伝える通り 父天皇の言葉を誤って解釈した結果 兄を殺害するに至ったのでしょうか。。。  

  誰か そそのかした家臣でもいたのでは・・・?

  それとも 兄オオウスは もともと 父天皇への反逆を企てていたとか?・・・それで?・・・

② 東征の途中 妻 弟橘姫は 暴風雨を鎮めるため 海の真ん中で 船から入水。7日後 海岸に姫の櫛が流れ着く

  記紀にも載っている勇名な話ですが。。。

  走水の地元の伝承では 姫は侍女達と共に 岬から飛び込んだそうです。。

  海の真ん中の船からでは無いのです。。。

  。。。 一体 何が・・・?・・・

  そして 姫の父の地元では 東征に勝って凱旋帰国した父の船の後を 姫の櫛が追いかけてきたという話が伝わっているそうです。。

  古事記では 姫は日本武尊のため 覚悟を決めて荒れ狂う海に飛び込みました。。そんな覚悟を持っていた姫なのに 櫛が父の船の後を追いかけて地元へ帰るって。。。

  古代なら 契りを交わした愛するだんなの船の後を追いかけそうな・・・? 

  。。。何か お父さんにぜひとも伝えたい事があったんじゃ・・・。

 まあ 古代は婿取り婚なので 今以上に実家と関係が深かったみたいですが。。。子どもが心配だったのかもだけど・・・。

③ 日本武尊がまだ元気だった頃 東征の帰路で 尾張のミヤズ姫の兄 タケイナダネが 船から落ちて亡くなったそうです。。

  珍しいきれいな鳥が飛んでいたので 尊に献上しようと捕まえようとして 誤って 船から落ちてしまったそうです。。。

  。。。

  尾張の国で 沢山の船を従えていた 恐らく水軍の船長だろうに・・・そういう人が そんな 鳥を捕まえようとして 船から落ちるかな?と 思いました。。

  小さい頃から 船に乗って 船の乗り方とか熟知していたんだろうに。。。戦の途中で亡くなるならともかく

  東征に勝って その帰りに亡くなるって・・・?・・・

  その話を早馬の従者から聞いた日本武尊は 「あの元気だったタケイナダネが?!」と号泣したそうです。。  

  不可解な死です。。。

④ 日本武尊のお母さん 播磨太郎女はりまのおおいらつめが亡くなりました。。播磨でお葬式でしたが

   葬列が 棺桶を運んでいたら 川のところで 暴風が起き 棺桶が川に落ちてしまったそうです。。

   すぐに捜索したそうですが お母さんのご遺体は発見できず 代わりに見つかった衣装だか櫛だかを埋葬したそうです・。。。

   それを聞いた景行天皇はとても悲しんで 「その川で取れた魚は もう二度と口にしない」と言ったそうです。。

   日本武尊の周囲には 水に関する不思議な話が多いです。。。

   。。。

   。。。って 川にさしかかったら 突然 大風が吹いたとか 遺体が見つからない とか 

   ほんっと 不思議です。。 なんで?・・・

⑤ 日本武尊は 死後 鳥になって飛んでいってしまったので 3つの陵は空っぽ。。。

   代わりに衣冠が収められているそうですが。。。 いったい ご遺体はどこへ?

   魂が鳥になるのなら 話はわかるのですが・・・

⑥ 父 景行天皇は 崩御の前 近江の宮へ移った。 次の成務天皇は このまま近江の宮で政治をとった。

  日本武尊が主にいた大和の巻向の宮へは戻らなかった。

  。。。

  蘇我氏を滅ぼした後 孝徳天皇達が難波へ遷都したのに 似てるような気がする・・・。蘇我の死霊に満ちた飛鳥から 脱出?・・・

⑦ 3つの陵は 変わった場所にあります。。

  三重県の能褒野の墓は 尊が亡くなった場所なので それはわかるのですが

  次の御所市玉出の墓は 孝安天皇の陵のそばです。。尊の父の6代前の天皇のそばなのです。。周囲に 尊の近い親族の墓はありません。。

 3つ目の羽曳野の墓は 尊の墓ができた後 大きい古墳が次々と出来た地域です。。尊の子孫が眠る地域で 尊の先祖は 眠っていない地域です。。

 尊の父 景行天皇は 自分のおじいさん 祟神天皇のそばの陵 巻向に眠っています

 尊の兄弟 成務天皇は 自分のおばあさん ヒバス姫のそばの墓に眠っています

 なのに 尊の墓だけは 近い先祖の墓から ぽつんと離れています。。巻向の地に お墓はありません。。   

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日本武尊 草薙の剣は 聖なる霊剣ではなく 持ち主に祟る魔剣 だと思う。。。

以前にも考察した 草薙の剣ですが 去年からずっと その歴史を考えてみています。。

正月早々の話題とも思えない 歴史の闇 ですが。。。。^^; 今年もきっと こんな感じで1年が。。。><

考察の結果

どうも この剣は 持ち主がその剣を持つ事によって パワーアップできるラッキーアイテム

などではなく

むしろ 普通に持っていると 持ち主に災いをもたらす 負のパワー満載の剣 なのでは?

と 思えてなりませんでした。。

草薙の剣 の歴史      途中 ゲゲの推測入り

① スサノオノミコトは乱暴狼藉がひどくて アマテラスの国から追放された(アマテラスが治める国に負けた)

②スサノオノミコトは出雲へ行って ヤマタノオロチを討った(出雲の国にいた先住の製鉄民族を滅ぼした)

③ヤマタノオロチの尾から 天の叢雲剣あまのむらくものつるぎ(→草薙の剣)が出現。スサノオノミコトは 剣をアマテラスに献上する (出雲の国はスサノオノミコトが支配する事として アマテラスへの従属を誓う)

 ☆先住民族が持っていた剣なので 彼らの恨みがこもっている。 スサノオノミコトは自分では祀ることが難しいと判断して 巫女であるアマテラスに祀ってもらうようにお願いした

④天孫降臨の時 アマテラスは ニニギノミコトに 三種の神宝の一つとして 草薙の剣を持たせた

⑤祟神天皇の時 天皇の御殿の内で祀っていた天照大御神をトヨスキイリヒメに託して 宮中から出し 大和の笠縫邑に祀った。 そのときに一緒に 草薙の剣も出されたらしい

⑥垂仁天皇の時 天照大御神はトヨスキイリヒメ(老齢のため)から離され 倭姫命に託された。その時 草薙の剣も一緒に渡されたらしい。倭姫命は 天照大御神の鎮座する場所を捜し求めて 旅に出た

⑦倭姫命は 天照大御神のことばのままに 伊勢に落ち着いた。そこで 草薙の剣も一緒に祀った

⑧日本武尊(オウス)は 双子の兄オオウスを 父の命令を曲解して つい殺してしまった

⑨父 景行天皇は 日本武尊(オウス)の乱暴な事を恐れて 南の熊襲を討つよう命令した

⑩日本武尊(オウス)は南へ行って熊襲タケルを討ち ヤマトタケルの名をもらった

⑪日本武尊は無事に征西を終えて 大和へ帰ってきたものの 父 天皇からすぐに 北の蝦夷を討つように命令された

⑫北へ行く途中 日本武尊は 伊勢の倭姫命のところへ寄り 父の仕打ちに泣いた

⑬倭姫命は 草薙の剣を日本武尊に授けた

⑭相模の国で 国造に騙され 火に巻かれた時 草薙の剣は 周囲の草を薙いだ。

⑮東征が終わり 尾張のミヤズヒメと結婚した。

⑯伊吹山の荒ぶる神を退治しに行く時 草薙の剣は ミヤズヒメの元に置いていった

⑰日本武尊 伊吹山の神に負けて 能煩野で亡くなる

一般に 日本武尊が伊吹山の神に負けて死んだのは 霊剣 草薙の剣を 持っていなかったからだ と言われえています。

古事記・日本書紀ともにはっきりとは書いていませんが 

文章を 物語として読んでいくと 

あ~ そういうことか~ と 実によくできたオチになっています。。

なので

あまりにもできすぎていて 逆に 下下は ん???と 思ってしまうのでした。。 

草薙の剣の歴史を見ても どうも この剣を持っていた民族は アマテラスの子孫に対して 恨みと憎しみを持っているような感じです。。

この剣は 天皇側に逆らう蝦夷の勢力に

「これは 出雲の神剣だ!あの強大な勢力だった出雲が 天皇に負けて これを献上してきた。だから お前達も負ける!勝つのは無理だ!降伏せよ!」

と 東征の中で 脅して見せつける役割だったのでは?と 思えてなりません。。。

日本武尊にパワーを与える聖なる剣とは どうも思えないのです。。。

反対に 一生懸命祀らないと 祟る剣というか そんな感じがします。。

だから 尾張のミヤズヒメの元に置いていったのは 正しい事だと思います。。

 

伊吹山という名前からして いぶく=製鉄用語 製鉄民族がいたと思われるので

伊吹山の神の気持ちを逆なでしそうな草薙の剣は 置いていったのだと思います。。

琵琶湖周辺は 昔から 戦が多かった恐ろしい地なので 祟りとか考慮して

尊は 念には念を入れて 荒ぶる神を討つ準備をしていったと考えます。。

栃木の太平山の場合ですが 

ここの神様も 相当の荒ぶる神でしたので 平安時代 円仁というスーパーサイキック僧侶が 奥宮に遷させていただくまで

ずっと 太平山の神として 子孫が祀っていたようです。。

たぶん 平安時代に 円仁さんが登場するまで 誰も この荒ぶる神を討つ事ができなかったのだと思います。。

もしかしたら 日本武尊が 伊吹山の神を討てずに命を落とした教訓から

荒ぶる神を討つという事は 天皇家では ずっと避けられていたのかもしれません。。。

 

ずっとずっと後 草薙の剣は 天武天皇に祟ります。。

日本書紀に書いてありますが 天皇の病は 占いの結果 草薙の剣の祟りと出たそうで

剣は 急いで 熱田社でお祀りされたそうです。。

 

天皇が油断?すると あの剣は祟りをなすんですね。。

やっぱり 魔剣なんです。。。

 

日本武尊があの地で命を落としたのは 剣がなかったからではなく

土地の荒ぶる神と そのパワーに負けたせいなのだと思います。。。

 

もし 百歩譲って 剣のせいだとしたら それは ラッキーアイテムの剣が無かったから 尊が守られなかった・・・

ということではなく

魔剣をうまく祀りきれなかったので 剣が尊に祟った・・・

ということになると思います。。。

 

何かこう 日本武尊の死を草薙の剣を山に持っていかなかったせいにしたり 尊を鳥と結びつけたり

なんだか 納得いかないっす。。。

記紀は何を隠しているんだぁぁぁぁ~~~!!!

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