Archive for the ‘豊城入彦命’ Category

雀宮 と 宇都宮  地名の由来 考えてみました(何回目だろう w)

2017年9月24日

今日は

日本武尊と一緒に 尾張海軍を率いて東征へ行った建稲種命さん

(私の中では 三代目Jソウルみたいなイケメンのお頭になっている

あ 直虎の龍雲丸でも良いかな w)

 

を 検索して調べようとしたら

あらら。。。

違う方向へ行ってしまいました・・・

 

なんで? お彼岸だから? (笑)。。。

栃木県那須塩原市にある 嶽山 箒根神社 (たけさん  ほうきねじんじゃ)

が ひっかかりました。。。

 

この神社は創建時期は不明ですが

豊城入彦命の曾孫 御諸別王(みもろわけのおう)が

豊城入彦命を合祀して

さらに 御諸別命の曾孫 宇都野別命(うつのわけのみこと)が

神主となり ここに住んだので

地名を宇都野とつけた

のだそうです。

 

キター!!

宇都野別命 キター!!!

 

以前 ちらっと 検索にひっかかって

その他どこか もっとわかりやすいところ(どこ?)にいないかな~~。。。と

思い出した時に PCの中を探して(・・・どこ?)いたのですが

 

なんと 今日!

思いがけず ひょいっと 見つかりました!!

 

系図を作って調べてみたら

宇都野別命は ちょうど履中天皇もしくは 履中天皇以降の頃の方になります

履中天皇は 仁徳天皇の息子さんです。

 

おお~~!!

ということは

仁徳天皇は 名は大雀命(おほさざきのみこと 雀さん) なので

宇都宮の雀宮近くの上三川から出土した器の裏に書いてあった人の名字?「雀部○○」

と 雀宮の地名と 宇都宮の地名が

全部 つながった気がする。。。( 勝手に)

 

仁徳天皇の時代に 下野の国司になった奈良別王(ならわけのきみ 豊城入彦命の4世孫)が

雀部の人がたくさん住んでいた地に 神社を建て

下野の国を一生懸命開拓して 土地の人に慕われた父(御諸別王)を祀り

荒尾崎には(宇都宮市) 4代前のおじいちゃん豊城入彦命を合祀した

と 思われます。

 

荒尾崎付近(八幡山とか)は

ゲゲが思うに

豊城入彦命が先住民族と戦をして 彼らを滅ぼした土地だと思う

 

なので 鎮魂のために

力のある4代前のおじいちゃん豊城入彦命をご祭神に選んだのだと思う。

 

そして 奈良別王の孫 宇都野別命の代になった時

この嶽山または箒根山(現 那須塩原市)で 怪異が起きたのだと思う。

 

箒根という山の名前は 豊城入彦命が名づけたという伝承があるそうです

ならば きっと ここで 先住民族と戦をしたに違いない!

と ゲゲは思いました。

 

「根」っていうのは 「根の国」 に通じるものがあるから

もしかして 滅ぼされた民族が眠る土地につける名前なのかもしれない。。

 

そんなこんなで

奈良別王の孫 宇都野別命は

山の怪異を鎮めるため

嶽山山頂付近にある 箒根神社に住んで 日夜祭祀を行ったのではないか?

と 思いました。

 

ややこしいのですが

嶽山と 箒根山って 違う山らしい。。。

そうだよね。。名前が違うんだもんね。。。><

後でよく 調べてみます。。

 

で おそらくだけど この 宇都野別命は

荒尾崎の二荒山神社の神主もしていたのだと思います。

というか 昔は

国司は国を治めつつ 神社の祭祀権も持っていたそうなので

 

いつしか 宇都野別命が治める宮ということで

荒尾崎周辺の地(現・宇都宮市)を

宇都野別の宮 → うつののみや 宇都宮 と

呼ぶようになったのではないかしら。。

 

というのが ゲゲの推測です。。

 

雀宮神社周辺の土地は 雀部の人達の治める土地なんだと思う。。

 

宇都宮と雀宮の間には

江曽島(蝦夷の民が住む地 伝承では日本武尊が滅ぼした)があるし、、

。。。

なんか 空気感が違う気がする。。

 

もしかしたら 仁徳天皇が

雀宮から上三川の土地は 自分の氏族 雀部のものとして

江曽島から宇都宮の方は 国司 奈良別王のもの

って 分けたのかも知れません。。

 

で 奈良別王の支配する土地を そのまま 子の宇都野別命が引き継いだのかも~。。

 

ってことは

那須塩原の嶽山 箒根山周辺も

奈良別王が支配していたのかな。。。

 

あ~~!!

もしかして!!

 

豊城入彦命が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫である 御諸別王や 奈良別王 宇都野別王が引き継いで

 

日本武尊が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫の仁徳天皇が 権利があるっていうか 自分の荘園みたいにして

そこから上がった米とか野菜とか

自分に納めさせていたのかな。。。

 

よくわからないけど

もしかしたら そうなのかな。。。

 

国司って 自分は 米とか作らなくても

豪族とかが 納めてくれるんだよね。 多分。。

 

また 思いついたら ブログに書くので

地名問題 もしかしたら

またまた 違うひらめきが降りてくるかも知れません。。

 

一体 何回 考証したら ゴールへたどり着けるのだろう。。w

ゴール。。。

近いような。。。

遠いような。。。(*_*; 。。。

 

 

 

 

 

広告

2016年6月9日(木)~12日㈰ 奈良旅行 3泊4日 一人旅♥

2016年6月27日

5月に色々 むしゃくしゃした事があったので ^^;;;

そうだ!6月は2泊3日(金)~(日)で奈良へ行こう!(笑)

と決めて だんなに言ったら

「1週間ぐらい 行ってこい!」

となぜか言いやがったので

 

(言ったな!! 私 ほんとに行くよ!! 実行するから!!)←心の声

3泊4日(木)~(日)に変更して さっさと予約しちゃいました(笑)

 

今回は おととしのリベンジというか。。。

 

おととしは 7月に奈良へ行きましたが

確か 最終日が 雨上がりの猛暑日になってしまって。。。

 

この照り具合。。 古墳へ行ったら 暑くて死ぬ。。

 

という事で 午後の予定を断念して 桜井市にさよならして

ふらふらとJR奈良線に乗って 早めに京都駅へ行ったのでした。。

 

それからずっと

景行天皇?様の

わざわざ雨の予報を晴れに変えてやったのに なんで 来なかった?!

みたいな感じの声というか電波というか。。。

と 同時に

暑さに弱い 情けない自分を責める自分の声というか。。。 (^o^;)

 

まあ あの時は 確かに 屋根もない古墳へ行こうとしたら

きっと 道中 熱中症で倒れていたと思いますが。。(笑)

自分で救急車呼んで病院に搬送されて

だんなと長女に迷惑かけて さんざんっぱら怒られていた事でしょう。。。w

 

あの悔しい思い?があったので ゲゲは その後 体を鍛え。。?

多少の暑さにも大丈夫な身体になりました!

バッグもショルダーオンリーではなく リュックを併用し

背中のリュックに重いカメラを入れ

ショルダーは軽いもの!

そして なるべく レンタサイクルを使おう~~!!!

 

と 色々作戦を練って 昨年の兵庫旅行でも かなりうまくいきまして

そして

おし!!今年!!リベンジ!!奈良!!

となったのでした。。

ちなみに 今年は 杖を持っていかなかったのですが

ばっちり大丈夫でした! 膝も丈夫になってました(笑)

 

奈良。。特に 巻向ですが。。

ここ数年 なんとなくなんですが 想っていて。。。

豊城入彦命様(崇神天皇ご長男)と日本武尊様(景行天皇 皇子)は

幼い頃? それとも元服した後?

巻向の地で 過ごした。。。って 思うんです。。

 

古代の家父制度はよくわからないけど

子どもは 母方の家で生まれて

ある程度大きくなったらお父さんの暮らす地へ行くのかな~。。。

と そんな気がします。。

 

日本武尊は お母さんが景行天皇の正妃だったから

もしかして 生まれも巻向なのかもですが。。。

よくわかりませんが。。^^;

 

で ゲゲは ずっと

お二人が過ごした地を歩いてみたい。。(チャリで走りたい。。)

という 漠然とした憧れを持っていたのでした。。。

 

今回の旅で 実現しましたので

たいそう嬉しく思います。。(#^.^#)

 

そして 霊能者玲子さんが恐れた?西殿塚古墳

玲子さん達が絶賛した ホケノ古墳

そして ちょー有名な 箸墓古墳

 

ここはなんとしても 訪れたい!!!

と願っていた場所にも  無事 行く事ができました!! (^o^)丿

 

そしてそして

ポロンさんにも会えて!! ちょーラッキーハッピーでした !(^^)!♥

幸せてんこもりの 良い旅でした~~~!

4日間 ほんとに楽しかった~~~ ♪

2014年11月23日(日)下野チャリ散歩 ゆるゆると宇都宮市茂原~河内郡上三川町上神主 其の弐

2014年11月30日

それにしても 古代の古墳が現代の墓地になってしまうという 土地活用術。。。

仕方ないですよね。。ゲゲはそう思う。。。

もし保存できるのであれば 保存してほしいけど。。。こればっかりはなんとも言えません。。。

古墳の主がいまだに地域の主として生きてれば(変な表現ではありますが) その古墳はそのまま 誰も手をつける事は出来ないのでしょうね。。(なんだか怖くて)

次に向かったのは。。。というか

ゲゲの持つ資料で 雀宮近辺の古墳や遺跡が記されている地図には

牛塚古墳のそばに 牛塚東遺跡というのが書いてあったので

そこを探してみました。。

。。。

でも 全然 わからなくて 同じところを行ったり来たりしました。。

どうしてもわからなくて 交差点の歩道で地図を確認していたら

突然 近くの池?から鳥さんが出てきて ゲゲの目の前をバタバタバタバタッと飛んで 東の方へいったので

「あ!鳥さんが 教えてくれた。私がここだ!と思って探していた場所は間違えていたんだ!」

と 気付きました。。

 

毎度毎度 いつもなのですが

不思議なもので 豊城入彦命様と日本武尊様関係の史跡を探していると

必ず! 鳥さんがいて 何かしらヒントを与えてくれます。

今回の鳥さんは 私が見当をつけてぐるぐると探していた場所は間違えてるよぉぉぉぉ~~と 言っているかのようでした。。。

「違うんだよ!!」みたいな逆ギレ?の感じ^^;。。。

急にバタバタとすごい音をたてて 飛んでいきましたから。。。

鳥さんが飛び立たなきゃ ゲゲのすぐ左に池があるなんて 全く気づきませんでした。。。^^;

DSCN1275

 

鳥さんにお礼を言って?自転車で 気持ちを新たにして移動してみました

牛塚東遺跡。。。 わかりました。。

多分 ここだろう。。。と思いました。。

写真は撮ってきませんでした。。墓地と畑と住宅地だったので。。^^;

↑ この池から 道路を越えて南です。。

多分 現在墓地として使われているのが古墳で 住宅地と畑になっているのが遺跡。。

だと思いました。。。

資料には 古墳時代の方墳が2基ある と書いてありました。。多分 あの段差のあるところだと思う。。。(^◇^;)ノ

 

とりあえず この雀宮地域って遺跡だらけなのかも。。。と思いました。。

奈良・京都並に 掘ると必ず遺跡に当たったりしたりして。。。

 

それからは のんびりと自転車をこいで 本当にサイクリング気分で移動を楽しみました。。

お天気も良くて ほんとにとても気持ちが良かったです

主に農道を行くのですが

農道は車がめったに来ないので 道路の真ん中をすいすい走れます

かなりのそう快感です~

 

宇都宮市のはずれ 茂原町に入りました

前に探したけど わからなかった大日塚古墳を見つける事ができました

集落の中の細い道を上っていったら ありました~☆

DSCN1276

資料によると 全長36.5メートルの前方後方墳だそうです

前方部は西方向だそうです。。

敷地には周りに金網がめぐらせてあって 入れないようになっています

帰宅してから調べたら 国有地だそうでした。。

宇都宮大学が 昭和58年~60年に調査しているそうです

 

↓ そのすぐ南 愛宕塚古墳

DSCN1278

↑山林の左側から近づいて中を覗いてみたら 南北に2コ 山みたいに若干盛り上がっていたので 古墳だと思います

前方部を南に向けている 前方後方墳だそうです

 

↑これらの古墳は ゲゲが以前行った 笹塚古墳より前に造られた古墳らしいので いったいどなたが眠っているのでしょうか。。

豊城入彦命様が東征に来た時 この地を貰い受けて治めた豪族の古墳でしょうか。。 それとも もっと前か。。。

謎~~~ (^J^) 前方後方墳は 前方後円墳より古いらしいっす。。

 

これらの古墳があるところは ちょっと小高い丘の上っぽいところです。。

眺めがよくて 筑波山や遠くの山がよく見えました

さすが権力者。。。気持ちの良い場所で眠って 子孫の繁栄を願っているのかなあ~。。。

 

 

 

2014 11 23 下野チャリ散歩 宇都宮幕田町 幕軍墓碑~

2014年11月24日

気持ち良く晴れた昨日

おし!行くから~~~!!リベンジ?~~~!!

と 朝10時過ぎ 自転車で 壬生方面へ出かけました

これはゲゲの仕事です!(`ω´)❍
行かなくてはいけないのです!? (。。誰に向かってしゃべっているんだろう。。(^◇^:)色々と。。。あはは。。。。)

大体もう 51歳なんだしさ~
子育ても頑張って真面目に終えたんだしさ~~~
休日位 社会的に 自分の好きな事 自由にやらせてくれよ~!!
(誰に向かって 叫んでる?^^;)
やりたい時にやるのが ぼらんちあ なんだと思うし~。。。
自分の好きな事我慢してまでやらされるのって それはもう 強制以外の何物でもないし
そういうのはもう もはや ぼらんちあ とは言わない気がする~~

いい加減  やめたいぜよ~~~~~ クビにしてくれぇぇぇぇ~~~
( 。。。誰に向かって。。。。??? 心の叫び~~~^^;;;

 

どこそこへ行きたいって事は

おいで って 呼ばれてる気もするのです
そういう時は 行かないといけないと思うのです。。。 (◑∇◐)

今回は ゲゲが10年位前乗っていた自転車で出かけました
後ろのタイヤがパンクしていたので 新品に取り替えてもらって
ブレーキのパッドも取り替えてもらって
防犯登録もしてもらいました

これでもう おまわりさんから 突然 職質されても大丈ぶい~~~~ \(^o^)/

 

まさに自転車日和の太陽が穏やかに輝いている中

今現在の栃木街道をひたすら南下して

。。。もしかして こっちかな。。。

と 勘で栃木街道から脇に入って 細い道を探して行ったら。。。

見事にありました。。。

11時15分頃

↓ 宇都宮市幕田(まくた)町

「戦士死十七名霊」

戊辰戦争 安塚・幕田の戦いの後

旧幕府軍の戦死者17名を葬った場所

DSCN1249

宇都宮へ嫁に来て27年。。。

新撰組が好きだったくせに

独身の頃にも機会があったにも関わらず ここへは来れなくて

ほんとすみませんでした。。

いっつも近くを素通りだったから

武州の生まれで江戸幕府のおひざ元の地で育った人間なのに

どうしてここにはお参りに来ないんだ って

思っていたでしょうね。。。

壬生のお墓の方は 結婚前から知っていたのに こちらの方はわからなくて ごめんなさいでした。。。

 

驚くほどすんなりと来れたので

どなたか視えませんが

道を教えて下さったんだと思いました。。 m(__)m

兵庫塚の安産稲荷神社への案内の道標

             ↓

「安産稲荷道 ひがし是より八丁」と書いてあるそうです

嘉永2年(1849年)建立だそうです

DSCN1246

道標の左右の側面には神社の由来や功徳が刻んであるそうです うっすら読めました

             ↓

DSCN1247

またちょっと自転車を走らせました

激戦のあった姿川を越えて 壬生町へ~。。

11月2日のチャリ散歩で 磐裂根裂神社で郷土史家のおじさ  んから話を聞いた後 こちらへお墓詣りに来て 自転車のタイヤ の空気が一気に抜けて 天気も一変 すごい?日になったあの 壬生のほうの幕軍のお墓詣りをさせて頂きました(長・・)

↓ 壬生町 戊辰役戦死之碑

DSCN1250

↑ この間とは うってかわっての 良いお天気 ^^;

そばの木々には 雀が何羽もいて ちゅんちゅんと

可愛く 楽しそうにさえずっていました

ちょっと離れた東の方からは どこかのお祭りでしょうか 楽しそうな笛太鼓の音が 聞こえてまいりました。。

とても気持ちの良いお墓詣りでした。。

これ以上はないっていうくらいの安らかで落ち着く静かなひと時でした。。

「お国のためにありがとうございました。今 私達は平和に暮らしております。どうぞ安らかにお眠り下さい」

感謝の念をささげました。

そして いざ 今度こそ 目的地の雀宮へ出発~

タイヤの空気は 大丈夫でした (^◇^)

↓ 安塚街道から見えた筑波山

肉眼で見ると大きいけれど

カメラで見るととても小さいので かなりの倍率アップ

神々しい霊気をいっぱい浴びてきました

DSCN1252

 途中で 遠くから聞こえてきた笛太鼓の正体がわかりました
 子ども達の地域のお祭りだったようです 
 お揃いのハッピを着て 御神輿をかついだ子ども達の集団とすれ違いました
 良いものを見させて頂きました
 ありがたや ありがたや~。。

途中のカワチ薬品で おにぎりを買って 駐輪場でもぐもぐ食べました

前回 自転車のタイヤの空気入れがないかどうか探し回ったのが 懐かしい思い出です (^◇^;ノ

無事 雀宮へ到着しました

最初に訪れたのは 雀宮駅のちょっと北側

古墳の上に建てられた神社です

↓ 御田(みた)町 今は上御田町?

御田神社 大日塚古墳

「みた」って事は 神様か偉い人から賜った田んぼって事?

疑問だらけ。。^^;

DSCN1258

この神社の目の前というか目の上を 新幹線が通っていきます

↓ ちょうど 神社の由来が彫ってある碑と

新幹線の高架っていうの?が 重なりました

DSCN1256

どなたが眠る古墳なのでしょうか。。

豊城入彦命様の御一族ではないかと思いました。。または この地を治める豪族か。。。

そして 自転車を 雀宮駅から南方面へ走らせました。

前回と今回のメインスポット

消滅した 牛塚古墳 です

宇都宮市新富町 雀宮駅から ちょっと南

現在は削平されて 墓地になっています

↓こっちは公園              ↓ 碑

DSCN1271

碑には 大人塚古墳と書いて「うしづか」と読み仮名が振ってありました

地元では 豊城入彦命のお孫さん 御諸別王(みもろわけのおう)のお墓と言っているそうです

すごいのが出てます!

画文帯神獣鏡! 武器 武具だそうです。。。

あまりにもすごいので 国立東京博物館保管だって・・!!

やっぱり 皇族ですよね~ と 思う~。。

豊城入彦命のお孫さんですよね~。。

古墳が消滅しているので 残念ですが

なんだか 公園のこの木が とても優しくというか優雅にステキに風になびいてハラハラと葉っぱを落としていました。。

あ~~~!! この雰囲気!

(豊城入彦命様のものと地元で言われている)笹塚古墳に行った時と同じ雰囲気だぁぁぁぁ~~~!!

私を歓迎してくれてる~~~

と 勝手に思って嬉しかったです(作文?)

DSCN1272

宇都宮 雀宮 上三川 安塚辺りは 古墳時代 大和政権のでっかい軍事都市だった?!

2014年6月21日

自分で よく わからないままに ^^;
宇都宮の地形や 各地の伝承を あれこれ 読んだりして
調査検討してみましたが

なんだか
宇都宮市街地とか 雀宮地域 上三川とか 河内 辺りが

のどかな農村地域

ではなく

武器をいっぱい隠し持った 巨大な軍事都市 という
すっごいでっかいイメージが出てきたんです~~ (仕事中・・・ふと・・・^^;)

ゲゲは
卑弥呼は 崇神天皇の時代の人だと 思います
そして 箸墓古墳に眠る モモソヒメ(一部省略)は
卑弥呼と崇神天皇の間に位置する霊能力者で
卑弥呼亡き後
モモソヒメは 三輪山に眠る怨霊の力を使って
自分が 権力者になろうととして 崇神天皇に殺された
と 考えています(玲子さんの霊視から そう思った~)

卑弥呼亡き後 権力トップの座についた 崇神天皇は
息子や四道将軍らを あちこち派遣して 日本全国を手中に収めようと 頑張ります
その一環として 東国 上・下毛野国に派遣されたのが
長男の豊城入彦命 です

伝承によると
宇都宮の 雀の宮地区 で大きい戦があったみたいで
好戦的な部族をやっつけた ようですから
その部族 とても 強力で 武器もいっぱい持っていたんでしょうねえ~。。。

ゲゲは 宇都宮市内をチャリ散歩をしていて
なんだか どうしても

ここって なんだか 雰囲気が暗いし 長居したくない。。

という場所が いくつかあります。。^^;

チャリで ぴゅーん~と 通り過ぎちゃうのですが
あの雰囲気って 思い出すと

負けた・・・ちきしょー
っていう 無念さというか 悔しさみたいな そんな空気感の気がします。。

西川田の一部分と 兵庫塚町の一部分と 雀宮の一部分と 江曽島の一部分です。。^^;

そして これもまた 仕事中 ふと 思ったのですが

西川田にある総合グラウンドそばの古墳群。。。

ちゃんとした古墳なのですが なんだか 下野の他の古墳と

空気が違う・・・ような・・・・と

目をつぶって 思い返すと そう 思います。。。

出雲の大国主命も 負けた側ですが きちんと 古墳に葬られているそうなので

西川田総合グラウンドのそばにある古墳(塚山古墳群)って もしかしたら

雀宮地区にいた 好戦的な部族の首長なのでは?・・・と 思ったりします。。。

そもそも 古墳というものは 正確には 時代特定は 出来てないみたいなのです。。
出土品と いろんな科学的調査から 何世紀という事に比定されるみたいですが
出土品にしたって 後世 お祀りで ひょいっと 上手な人が
埋没させるような事もあると思いますし。。
決定的な時代判定というのは この先も とても難しい~のだと 思います。。。

(ちなみに ゲゲは
原始的な絵の描いてある装飾古墳って
弥生時代とか紀元前という時代の とっても古いものだと思う。。。
古墳時代中期後期の古墳の壁画に描く絵は キトラや高松塚クラスの絵 だと思う。。。
画像解析 古墳墓碑の池田氏の本を読んで そう思いました。。。)

そして 総合グラウンドそばの古墳群が なんで 負けた敵側の古墳なのかと
思ったかと言うと

実に単純な理由からです。。。

それは

今現在
きれいに保存されているから。。。です。。。 ^^;

全国でもめずらしいそうですが
一番大きい古墳は
環状線工事の時 破壊されないで
古墳の下を 環状線が通るように設計され 造られたそうなのです

。。。

これって

うわ~ 史跡保存を実行して なんて 素晴らしい~~~!!!

という美談になりますが

ゲゲは ふと

もしかして。。。。

その保存へとつながっていった過程には

誰か視えない人?の遺志が

あったりして。。。。。!?
。。。。

と 怪談として 思ったわけです。。。 ^^;;;

(教育委員会に電話して聞いてみようと思いましたが やめましたww
誰か偉い人が 寝てる間に夢枕で誰かに脅されたとか
ゆーれいに襲われて 怖い思いをしたんじゃないか・・・とか・・・・^^;)

そんなこんなで 軍事都市 というイメージが 出来上がりました。。。

まず 武器は 兵庫塚町の倉 武器庫に入っています!

武器庫の周りは 兵士がたくさん います

そして その北側には この地域を支配していた敵の豪族の古墳

この豪族の霊を鎮魂することによって 新政権は 力をもらいます

この武器庫から見て ちょっと東北に行くと

宇都宮市街地にある宇都宮城跡です。。
豊城入彦命が 館を構えた という伝承が残っています。。

どうも 武器庫を中心にして 円がかけるような
そういう都市になっているっぽいです。。

自分で 想像しておいて なんですが

なんだか すごくて 迫力があって 怖いわ~。。。

と 思いました。。。

あ 今 おりてきましたが (笑)

兵庫塚町の ゲゲが感じる 「負けた・・・」という 気配は

もしかしたら 「負けた・・・・」ではなく

「武器庫があるから 近寄るな!」

という兵士の見張り・・・

の気配 だったりして・・・・ (^◇^:)・・・・

やだわ~~~ よけい 怖いわ~~~~~ ww

明治の頃? 昭和の初め? (不勉強・・・)には

宇都宮に軍部があって 軍隊の駐屯地になっていましたが

もしかしたら

軍事の専門家にしてみたら

宇都宮市街地とか 雀宮 とかって

軍部を置くのに 日本国の地理的に とっても 適した地なのかもですね。。。

ゲゲは そっち方面は よく わからないのですが。。。

。。。

軍師 半兵衛さまか 官兵衛さまに お聞きしたい。。。。

今も なんで 自衛隊駐屯地があるんだろう。。。。 ^^;

誰が 宇都宮に 自衛隊を配置しよう。。。。って 言ったんだろう。。。。。^^;

専門家からしたら やっぱ 宇都宮!って 場所的になるのかしら。。。

もしかして 視えない力 働いてます?・・・・・

なんだか 怖いわ~~~~~ ^m^

今 宇都宮は 雷 大雨 状態なので なんだか 色々と あっちこっち 怖いわ~~~。。。。><

宇都宮 豊城入彦命 伝承

2014年6月17日

「下野寺社歴訪記」(島 遼伍氏 随想社) に書いてありました

豊城入彦命は 現在の雀宮 江曽島周辺で 好戦的な部族と戦い
これを敗り 東国66国を鎮定したという

戦勝後、 命は 日高見国 荒尾崎(現 馬場町 パルコ付近)に国家鎮護を祈念し、
大和国三諸山の大物主の命を祀り 社殿を建立した。これが 二荒山神社の始まりと伝えられる

ついで 命は 高田邑 (現 宇都宮城址公園付近)に御所をかまえ
一帯が沼沢地であったことから 「池之辺郷」と称し
毛野国(現 群馬 栃木 両県) をおこして 3年に渡って統治し
上毛野 下毛野 両氏の始祖となった

以前にも 図書館の資料で 調べたかもです~。。。
どうしてまた 豊城入彦命の事を 調べ始めたかと言うと
昨日の大雨です。。。><

被害にあわれた方 お見舞い申し上げます。。。 m(__)m
あれだけの雨が大量に降って
街中の八幡山が土砂崩れするなんて。。。。
一日も早い復興をお祈り申し上げます。。。 m(__)m

私が 昔から思うに
八幡山と 二荒山神社は
豊城入彦命様つながりで とても関係があるように思うので
何か 昨日6月16日(旧暦5月19日)に 意味がないかと調べていて
上の文章に出会いました。。。

。。。
だけど 古代の戦って 田んぼの時期にはやらないと思うし。。。。
でも なんだか 八幡山って 古代 ものすごい戦があったって思うし。。。
(根拠の全くないゲゲの勘。。。)

ゲゲは 昔の感覚で生きている人間なので
何かあると 真っ先に そっち方面を考えてしまいます。。。

神武天皇の兄の稲氷命と御毛入沼命は 東北へ行ったと思う

2014年6月12日

「画像解析による古墳墓碑」池田仁三氏 によると

稲氷命の古墳・・・ 福島県いわき市の中田横穴古墳

御毛入沼命・・・青森県八戸市の丹後平古墳

だそうです!

ゲゲは なるほど~~~~!!! と 思いました!!

ありえます!!!

大歓迎です!!

お二人が 神武天皇頃 すでに東北へ行ってらっしゃるのなら

豊城入彦命様と 日本武尊様の 東征が 解決?するのです!!

縁もゆかりもないところに東征なんて したら

豊城入彦命様と 日本武尊様は きっと 間違いなく 栃木で命を落とされた事でしょう~!

神武天皇の御兄弟が東北へ行ってらっしゃるなら 道路も 長い年月をかけて徐々に開かれていったと思うのです。。。

東日流外三郡誌(ネットで 見つけさせていただきました。。)によると

長髄彦は生きていて 安日彦(あびひこ)という人と 荒吐王国を樹立したそうです。。

あびひこ という名前ですが 
もしかしたら いなひのみこと が訛って あびひこ になったのでは?
と 感じたりしました。。

道路の 東山道が どうやってできたか・・・へと つながっていくような~~ ^^v

そこで 妄想しました ♥

東征の途中 長兄の五十瀬命が亡くなった後 熊野で。。。

稲「若御毛沼命は強い。。武力にも猛けているし 人をまとめる力もある。。あいつがいる限り あの国には 俺達のいる場所はない。臣下からも邪魔にされる。」

御「そうですね。。一番下の弟だけど、あいつは強い。。あいつとは仲が良かったから あいつの力はわかってます。。あいつには負けます。。仕方ないから 俺は高千穂へ戻ってみます。。。故郷の皆が心配だ。。」

稲「そっか。。。俺も行こう。。。二隻の船に俺達を慕ってくれる臣下の人間を乗せて 日が沈む方へ行こう。。」

 そうして 2人は高千穂へ戻り 故郷の皆から 温かく歓迎してもらいました。。そして 高千穂で暴れていた鬼八を退治しました。。

 鬼八を退治して平和が戻った後、ふと気づけば、高千穂の都には 稲氷命と御毛入沼命 臣下達の居場所はありませんでした。。
 
 田んぼも住む所も すでに ほかの人達の所有になっておりました。。。

稲「俺はずーっとずーっと海を行って 日が昇る方角の国へ行ってみようと思う。。。」

御「俺も行ってみたい。ここにはいられない。。」

稲「父上から聞いた事がある。。ずーっとずーっとこの海を進んで行くと 良い土地があるんだそうだ。。。湖では 豊富に魚が獲れ 山には一年中 山のものが豊富にあるそうだ。。だけど 冬は 雪が山のように積もり 畑仕事が出来ないそうだ」

御「俺も聞いた事がある。父上も おじい様とおばあ様から聞いたとおっしゃっていた。雪が積もるが 冬は 夏たくわえた食料を食べて 酒を飲んで 遊んで暮らすと 俺は聞いた。」

稲「ははは、楽しそうだな。・・・若御毛入沼命は あの土地にヤマト国を築くだろう。。。だったら 俺達は 雪の深い国に 自分達の国を造ろう。」

御「俺は 稲氷兄上とは 争いたくないから 兄上とは 離れた場所で 国を造ろう。。。できれば 兄上とは 仲良く交流していきたい。。」

稲「そうしよう。。ただし 若御毛入沼命のヤマト国とは・・・仲良くできるかどうか わからないが・・・。まあ、 努力はしよう・・・。米を作って 自分達で生きていこう。。あ 寒い土地かもしれないな。米はダメか・・・。」

御「寒くて 米がとれない国なら 違うものを造ろう。 鉄も作ろう。たたらをやらせよう。玉を探そう。絶対 自分達だけで国を造って 豊かになって 他の国と交流して 金持ちになる!」

稲「そうだな。よし 行こう!皆に知らせて 準備をしよう!」

御「・・・途中 船に何かあって 別れ別れになっても 俺は 着いた土地で 絶対 生き抜く!だから 兄上も 絶対生き抜いて 国を造って 王になってくれ!」

稲「おまえも頑張れよ。途中 俺が 五十瀬兄のように死んでも 長髄彦がいる。あいつは 一度 死んだ事になっているから 絶対 死なないはずだ。立派な国を造るだろう。」

御「ひいおじいさまの時の臣下 建雷男命が治めていたつくばの山のある土地より 日に近づきたいな。。」

稲「そうだな。。神の社があるはずだ。そこよりは ずっとずっと 先へ行ってみたい。。」

御「流罪になった者たちが 国を造って暮らしているだろうか。。。未知だな。。。わくわくする。。。」