栃木=遠つ紀(木)の国 で ふと思った ゲゲ推測

古代 崇神天皇の時代

西の纏向の地から 栃木県へ東征に来た豊城入彦命様が

ホームシックになり

栃木の太平山を見て

ご自分の出身地 木の国(昔の紀州)を恋しく思って

「遠つ木の国」

とおっしゃったとか。。。

それで

 

とおつきのくに → とちぎ

という名前になったという

 

県名の由来(市の名の由来?栃木市)ですが

そういう伝承があります

 

先日 ふと 思ったのですが

古事記とか読んでると

 

近つ淡海

遠つ淡海

 

という地名が出てきます

近つ淡海 は 近江の国(滋賀県) 琵琶湖

遠つ淡海 は 遠江の国(静岡県西部) 浜名湖

 

のことだそうです

 

これを見て あれ? と 思いました

 

もしかしたら 栃木県(下毛の国)って

遠い紀の国って ことで

もしかしたら 紀の国の遠いバージョン 分国?属国?

って扱いだったのではないだろうか。。。

みたいな気がしました

 

想像してみたのですが

豊城入彦命様は 父の崇神天皇から

「東征に行ったら あそこ(群馬と栃木)おまえにあげるから 好きにして良いよ」

と言われたので

「遠つ木の国」 って 言上げをして

ここは木の国だ

二つ目の木の国だ !

って 公に宣言されたのかも~。。。

ホームシックがどうのこうのではなく

地名を名付けた祝詞だったのかも!

なんて 考えてみました 。。

 

 

いつからかはわかりませんが

栃木と群馬は 「毛の国」と呼ばれ

後に 群馬を 「上毛の国」  栃木を「下毛の国」 と分けたそうです

 

毛の国 の意味は

都から遠く離れた東の未開地で野蛮人(蝦夷 毛人)がいるという意味で 「毛」を使ったのではないか

とか 現在 いろいろ推測されてますが

はっきりとは わからないみたいです

 

佐野にある 三毳山(みかもやま) が 謎の 毛が三つつく漢字の名前なので

それと関連するのか

はたまた 天之香々背男が高天原グループに滅ぼされたから

田舎の野蛮人が支配していた という意味で 毛 を使ったのか。。。

 

謎だらけ(毛) です

 

 

とりあえず

毛の国と呼ばれだしたのは いつの事なのか。。。

 

ゲゲ的には

豊城入彦命様が言った「木の国」がなまって「毛の国」になった説が

好きです!

 

木の国の属国?分国?で 良いって 思います!

みかん がおいしそう!!分けて欲しい!

(古代 紀州がみかんの産地だったかは知らないけど♥)

 

 

それとも 昔々

天照大御神の孫 ニニギ命の頃ですよね。。

神武天皇が即位するだいぶ前です。。天孫降臨の時。。。

天の香々背男が 建葉槌命・フツヌシ命・タケミカヅチ命に 討伐された時

すでに 群馬と栃木は 「毛の国」

と呼ばれていたのでしょうか。。。

 

↑ この考えも捨てがたしだけど

 

ゲゲ的には やはり

栃木と群馬を愛して治めて下さった豊城入彦命様に敬意を表して

 

木の国が訛って毛の国になった

 

ステキだなあ。。。と 思います

 

みかん。。。。食べたくなった。。。

 

 

広告

2018年5月6日㈰下野チャリ散歩 不思議な感じのサイクリング日和

この日は いつもより ちょっと遠くへ足を伸ばそうと

宇都宮の自宅を出発して

壬生町の磐裂根裂神社でご朱印を頂いてから

いつもなら車で行く 壬生町の車塚古墳へ

愛チャリでのんびり行きました

 

そして その次は すぐ近くの愛宕塚古墳へ行きました

震災直後 一度 訪れた古墳ですが

この日は その時と 雰囲気がガラリと変わっていて

あたたかく 優しく美しく とてもすてきな場所になっていたので

私は 嬉しくて キャーキャー言いながら しばし 滞在させて頂きました

 

それから

さあ 上三川町の白鷺神社へ行きましょうか~

と 初めての道を選んで 出発しました

 

私は 方角を たとえば 南東だにゃ と定めたなら

そこへ向かって 知らない田舎道(失礼)を チャリでゆるゆる適当に行くのが好きで

今回も そうしてみました(車の場合は ナビでちゃんと行くのが好き)

とりあえず 南南東に向かって 進んでみたのです

 

よく晴れた気持ちの良いお天気

日差しを浴びながら 田んぼや畑の間の道を

1人で のんびり 進んでいく 気持ち良さ♪

 

そんなこんなで楽しく自転車をこいでいた私は

30分後

 

あれ? ここって 全く知らない道だ。。。^^;

遠くに見える景色も全然違う。。。

っていうか 100mほど離れたところに立ってる木々が邪魔して

遠くの山が見えない。。。(^◇^;)

 

と 気づきました。。

 

えぇ~ ???

いつもの道はどこへ行ったの~~???

 

と 不安を感じながら ひたすら 南南東へ。。。

 

ここって。。。 もしかして あの世じゃないよね?。。。

誰もいないし。。。

田んぼも 乾いた泥だらけで 水入ってないし。。。

私 別次元に迷い込んだんじゃないよね。。。

私 生きてるよね? 死んでないよね?

何 この 雰囲気。。空気。。。閉塞感。。。

広々とした農村地帯なのに。。。

 

と 思ってしまったほどの 不思議な不思議な空気感のある場所でした

 

やっと ちょっと広い道路に出て

看板に小さな観光地図が貼ってあり 見てみたら

 

え~~??? ここって 石橋なの??? 壬生じゃないの?

 

と びっくりしました

 

時間的&体力的に 上三川へ行くのを 即座に諦めて

じゃあ 地図に書いてある孝謙称徳神社へ行こう~ と 決めました

 

この神社は 下野に左遷された道鏡関係の孝謙天皇を祀る神社で

以前 一度 訪れたことがあります

 

なので

簡単にたどりつける! と 思って

地図をきちんと確認せず ふらふら出発してチャリを走らせたのですが。。。

 

気付いたら 全然 たどり着けず。。。

 

え ここ どこ?

あれ? 国道4号線だ。。。

 

という 若干 ほぼ完全な迷子状態に。。。w

4号線を北上すれば 宇都宮へ戻れるとわかってるので

じゃあ 意地でも戻らない! みたいな。。。^^;

 

そんなこんなで 意地を張り続け 孝謙天皇神社を探して走り続け

途中の ステキな神社で休憩して おにぎり食べたり

自分 全然 焦ってないもん~~!!!

と 気取っていたのですが ^^;

 

気付いたら 小金井駅前 に出て。。。

 

さすがに 私の進んでる方向は とんでもない方向だ。。

このままでは 小山へ出て東京へ行くことになってしまう。。。

 

と 気付いて 宇都宮方面へ 引き返すことにしました ^^;;;;

もう 孝謙天皇神社へ行くのは あきらめましたw

BS18時の西郷どん までには 吉野家の牛丼買って 自宅に着きたいし!w

 

よし じゃあ 4号線を通らないで 今度は 北北西へ向かって

斜めに 知らない道!農道!を行くぞ~~~。。。

近道じゃあ~~~~~!!!!

 

と 1人で 気勢をあげて 自転車をこぎだしました

気付いたら また

全く知らない未知の道を走ってる ことに気づきました。。。 ^^;

 

え~~~ ここどこ~~~???

こんな道 あったの~~~???(失礼)

不安過ぎる~~~ ><

 

川。。。

箕輪城跡。。。

いくつもの神社。。。

 

自転車をこいでいると 要所 要所に 古そうな威厳のある神社が建っていました

江戸 明治で言えば 村の神社でしょうか

今も大切にされているようで 掃除が行き届いて とてもきれいでした

 

落ち着いて よくよく 周囲を見渡してみれば

田んぼは 水を入れてる途中だったり

田植えが済んでるところ 済んでないところがある と 判明しました♪

農家の方達が 今まさに田植え作業にいそしんでる田んぼもありました

 

で のどかな風景を眺めながら

不安を紛らわせ 平気な顔をして自転車をこいでいた私ですが

内心 ものすごい 不思議な感じを味わっていました

知らない場所 というせいもあるでしょうが

父母の生家が農村地帯だったので

農村の風景には慣れてるつもりでしたのに。。。

 

戦国時代 。。。

 

という 感じが 妙に伝わってきて。。。

不思議な気持ちいっぱいになりました

 

いつもは 古墳やら遺跡やらで 古代の感覚を感じるのに

今回は 戦国時代?・・・

 

箕輪城跡を 遠くから 見たからかなあ。。。

 

この道のせいかなあ。。。

普通の 農道だけど。。。

不思議だなあ。。。

 

不思議 不思議 と 思いつつ チャリをこいで

壬生町に入り 線路の踏切を渡ったら。。。

 

 

あれ?

 

狐につままれた感いっぱいになりました。。

 

知らない道と思い やみくもになって 走ってきたのに

気付いたら 朝 お別れした 愛宕塚古墳の前に出たのです。。。

 

 

?????

えぇ~~~ そうなの?

この道 そうなの???

 

もう~~ 一人つっこみの嵐でした

適当に走ってきたのに なぜか また 振り出しに戻されたみたいな。。。

 

愛宕塚古墳にお礼を言って 宇都宮へ向けて 北上しました

途中 吉野家で牛丼買って w

無事 18時前に 自宅へ着きました

 

家で 見てみたら 3つ牛丼を買ったつもりが 二つは 豚丼でした ^^;

狐につままれとる~~ >< 単に 私の発注ミス?

 

 

夜 私の通ったルートを 地図と栃木神社誌 で 確認しました

孝謙称徳神社を目指して走っていたはずでしたが

私は 北へ行くべきところを 南へ向かって走っていたのでした。。

どうりで たどりつけないはず。。。><

 

不思議な空気に満ちていた道は

下野市(旧 国分寺町)箕輪 橋本

壬生町藤井 という場所を通る道でした。。

戦国時代 その道沿いに城があったのだそうです(おぉ~~~!!!)

 

そして 道中いくつも見た神社を 地図で住所を割り出して調べてみたら

一つ  豊城入彦命様の名前が由緒来歴に出てくる神社があったのです!!

今までノーマークの 初めて知った神社だったので びっくりしました!!!

 

そこは 私は気付かずに 通り過ぎていた と 判明しました

 

うが~~~!!!

なんて ミステリアスな土地&道なんだぁ~~~!!!

きっと 戦国時代以前の 古代へもつながっている気がする~~~!!!

 

地図で見たら 近くには 国分寺跡 や 古代の国府跡もあるという

うわー ここって 軍事上ものすごい重要な処なんだろなあ。。。

という場所でした

 

不思議感と不安感いっぱいで通った道でしたが

下野の歴史探索に 新たな重要ルートを発見できた(昔からあったけど^^;)喜びで

いっぱいです ♥

未知の世界へ足を踏み入れて

ニューワールドが目の前に開けたような気分~~~~

大げさ~~~ヽ(^。^)ノ

もともと奈良辺りを支配していたのは大物主神 って気がしてきた

栃木市の大神神社を調べていたのですが

 

そういえば

豊城入彦命(崇神天皇 息子)が この下野 栃木に

大和(奈良県)の三輪山の大三輪明神を勧請したのは

おそらく 滅ぼした太平山の先住民族の魂を祀るためで(ゲゲ推測)

当たり前の事なんだろう。。。って思っていたけど。。。

 

でも どうして 大神神社を勧請したのだろう。。。?

 

と 改めて 疑問に思いました

 

記紀を読んでみると

古代の天皇家にとって 大和の三輪山というのが特別な山であることは

とてもよく伝わってきます

 

HONKOWAの霊能者玲子さんは

三輪山は「戦没者を祀っている」

と 霊視されました

 

なるほど~!!

。。。

でも 戦没者って誰?。。。

 

 

疑問は尽きなかったのですが

古事記で

国造りに悩む大国主命の前に現れる大物主大神

のところを読んでいたら

ふと気付きました

 

これって 大国主命が

国造りがうまくいかないって悩んでるのは

もしかしたら

大国主命が 戦で滅ぼした相手を祀ってないから

祟りが起きて 国造りがうまくいってないってことなんじゃないかな。。

 

と 思いました

 

日本書紀では

 

「大物主大神は 大国主神の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)であると名乗られた」

 

って書いてあるので

 

わかったようなわからないような

結局 本人なの? 別人?一体誰?!どうゆうこと?!

と もどかしく思っていましたが(^◇^;)

 

これって

 

奈良の三輪山辺り あるいは 大和周辺 か 大阪方面とかを

大物主という

大国主命とは全くの別人 偉大なる王が治めていたのではないか?

 

と 思いました

 

そして

出雲地方の大国主命(あるいはそのご先祖)と

大和地方の大物主命 とで戦が起きて

出雲の大国主命が 勝った

という事があったのだと 思うのです

 

(物部氏っって 何か関係がありそう)

 

で 大和は 出雲の大国主が支配するところとなったものの

負けた側の大物主命を うまく祀らなかったのかも知れません

 

大国主命の前に現れた大物主大神は

「吾をば大和の青垣 東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望んだとあります(奈良 大神神社 ご由緒)

 

後の世で 10代崇神天皇が 国造りがうまくいかない時占ってみたら

大物主が出てきて 我を祀れと言ったそうなので

これと同じことが 大国主命の時代にもあったのではないか

と 推測してみました

 

そして これに関連してることなのですが

大国主命の奥様で 神屋楯比賣 という方がいらっしゃるのですが

この方が 全くの謎の方のようです

大国主命との間に 息子 事代主命がいます

 

天つ神 ニニギ命派が  国つ神 大国主命に国譲りを迫った際

大国主命が 「息子に相談してみます」 と おっしゃってた

あの息子さんです

 

ゲゲは 推測してみたのですが その神屋楯比賣様は

名前に神がついてますから 相当なお方のように思えるのです

 

もしかしたら 大和の三輪山に祀られてる大物主命の娘さんか 子孫の方ではないでしょうか

大国主命は 大物主命との戦いに勝ち

そして その血を引く女性と結婚したというのは

古代では 大いにあり得るような気がします

 

事代主の命も 大和の葛城坐一言主神社にて 祀られています

出雲の神と 思われていますが

出雲を支配していたのは 父 大国主命で

息子の事代主命は 自分の母親と共に 大和で暮らしていた

と 思えるのです

 

天つ神 ニニギ政権は 大国主命との戦いに勝ち

大和を手に入れました(ゲゲ推測)

そこで 大国主命政権に代わって 大和や尾張 三重とかを

支配したのは ニニギの兄弟 天火明命だと思います

 

ニニギは 九州を支配しなければならないなので

出雲は 叔父 天ホヒ命に支配させ

大和は 兄弟 天火明命に支配させた

と 推測します

 

また系図を作ってみたいと思いますが

 

大物主命 - 神屋楯比賣 - (   ) - (  ) -

ヒメタタライスケヨリヒメ

と続くと 考えてます

 

大物主命 ー 櫛御方命 - 飯片巣見 - 建ミカ槌命 -その後13代くらい? - オオタタネコ

 

と続く系図も あります

 

天火明命 - ニギハヤヒ1世 - ニギハヤヒ2世 - ニギハヤヒ3世 -物部氏

という系図も 推測してます

 

大和の大神神社は

古代からの戦で亡くなった方達を祀っている

というのはありえると思います

先住民族の聖地だったところが 代々 大事にされてきた

とも言えると思います

 

雀宮 と 宇都宮  地名の由来 考えてみました(何回目だろう w)

今日は

日本武尊と一緒に 尾張海軍を率いて東征へ行った建稲種命さん

(私の中では 三代目Jソウルみたいなイケメンのお頭になっている

あ 直虎の龍雲丸でも良いかな w)

 

を 検索して調べようとしたら

あらら。。。

違う方向へ行ってしまいました・・・

 

なんで? お彼岸だから? (笑)。。。

栃木県那須塩原市にある 嶽山 箒根神社 (たけさん  ほうきねじんじゃ)

が ひっかかりました。。。

 

この神社は創建時期は不明ですが

豊城入彦命の曾孫 御諸別王(みもろわけのおう)が

豊城入彦命を合祀して

さらに 御諸別命の曾孫 宇都野別命(うつのわけのみこと)が

神主となり ここに住んだので

地名を宇都野とつけた

のだそうです。

 

キター!!

宇都野別命 キター!!!

 

以前 ちらっと 検索にひっかかって

その他どこか もっとわかりやすいところ(どこ?)にいないかな~~。。。と

思い出した時に PCの中を探して(・・・どこ?)いたのですが

 

なんと 今日!

思いがけず ひょいっと 見つかりました!!

 

系図を作って調べてみたら

宇都野別命は ちょうど履中天皇もしくは 履中天皇以降の頃の方になります

履中天皇は 仁徳天皇の息子さんです。

 

おお~~!!

ということは

仁徳天皇は 名は大雀命(おほさざきのみこと 雀さん) なので

宇都宮の雀宮近くの上三川から出土した器の裏に書いてあった人の名字?「雀部○○」

と 雀宮の地名と 宇都宮の地名が

全部 つながった気がする。。。( 勝手に)

 

仁徳天皇の時代に 下野の国司になった奈良別王(ならわけのきみ 豊城入彦命の4世孫)が

雀部の人がたくさん住んでいた地に 神社を建て

下野の国を一生懸命開拓して 土地の人に慕われた父(御諸別王)を祀り

荒尾崎には(宇都宮市) 4代前のおじいちゃん豊城入彦命を合祀した

と 思われます。

 

荒尾崎付近(八幡山とか)は

ゲゲが思うに

豊城入彦命が先住民族と戦をして 彼らを滅ぼした土地だと思う

 

なので 鎮魂のために

力のある4代前のおじいちゃん豊城入彦命をご祭神に選んだのだと思う。

 

そして 奈良別王の孫 宇都野別命の代になった時

この嶽山または箒根山(現 那須塩原市)で 怪異が起きたのだと思う。

 

箒根という山の名前は 豊城入彦命が名づけたという伝承があるそうです

ならば きっと ここで 先住民族と戦をしたに違いない!

と ゲゲは思いました。

 

「根」っていうのは 「根の国」 に通じるものがあるから

もしかして 滅ぼされた民族が眠る土地につける名前なのかもしれない。。

 

そんなこんなで

奈良別王の孫 宇都野別命は

山の怪異を鎮めるため

嶽山山頂付近にある 箒根神社に住んで 日夜祭祀を行ったのではないか?

と 思いました。

 

ややこしいのですが

嶽山と 箒根山って 違う山らしい。。。

そうだよね。。名前が違うんだもんね。。。><

後でよく 調べてみます。。

 

で おそらくだけど この 宇都野別命は

荒尾崎の二荒山神社の神主もしていたのだと思います。

というか 昔は

国司は国を治めつつ 神社の祭祀権も持っていたそうなので

 

いつしか 宇都野別命が治める宮ということで

荒尾崎周辺の地(現・宇都宮市)を

宇都野別の宮 → うつののみや 宇都宮 と

呼ぶようになったのではないかしら。。

 

というのが ゲゲの推測です。。

 

雀宮神社周辺の土地は 雀部の人達の治める土地なんだと思う。。

 

宇都宮と雀宮の間には

江曽島(蝦夷の民が住む地 伝承では日本武尊が滅ぼした)があるし、、

。。。

なんか 空気感が違う気がする。。

 

もしかしたら 仁徳天皇が

雀宮から上三川の土地は 自分の氏族 雀部のものとして

江曽島から宇都宮の方は 国司 奈良別王のもの

って 分けたのかも知れません。。

 

で 奈良別王の支配する土地を そのまま 子の宇都野別命が引き継いだのかも~。。

 

ってことは

那須塩原の嶽山 箒根山周辺も

奈良別王が支配していたのかな。。。

 

あ~~!!

もしかして!!

 

豊城入彦命が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫である 御諸別王や 奈良別王 宇都野別王が引き継いで

 

日本武尊が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫の仁徳天皇が 権利があるっていうか 自分の荘園みたいにして

そこから上がった米とか野菜とか

自分に納めさせていたのかな。。。

 

よくわからないけど

もしかしたら そうなのかな。。。

 

国司って 自分は 米とか作らなくても

豪族とかが 納めてくれるんだよね。 多分。。

 

また 思いついたら ブログに書くので

地名問題 もしかしたら

またまた 違うひらめきが降りてくるかも知れません。。

 

一体 何回 考証したら ゴールへたどり着けるのだろう。。w

ゴール。。。

近いような。。。

遠いような。。。(*_*; 。。。

 

 

 

 

 

2016年6月9日(木)~12日㈰ 奈良旅行 3泊4日 一人旅♥

5月に色々 むしゃくしゃした事があったので ^^;;;

そうだ!6月は2泊3日(金)~(日)で奈良へ行こう!(笑)

と決めて だんなに言ったら

「1週間ぐらい 行ってこい!」

となぜか言いやがったので

 

(言ったな!! 私 ほんとに行くよ!! 実行するから!!)←心の声

3泊4日(木)~(日)に変更して さっさと予約しちゃいました(笑)

 

今回は おととしのリベンジというか。。。

 

おととしは 7月に奈良へ行きましたが

確か 最終日が 雨上がりの猛暑日になってしまって。。。

 

この照り具合。。 古墳へ行ったら 暑くて死ぬ。。

 

という事で 午後の予定を断念して 桜井市にさよならして

ふらふらとJR奈良線に乗って 早めに京都駅へ行ったのでした。。

 

それからずっと

景行天皇?様の

わざわざ雨の予報を晴れに変えてやったのに なんで 来なかった?!

みたいな感じの声というか電波というか。。。

と 同時に

暑さに弱い 情けない自分を責める自分の声というか。。。 (^o^;)

 

まあ あの時は 確かに 屋根もない古墳へ行こうとしたら

きっと 道中 熱中症で倒れていたと思いますが。。(笑)

自分で救急車呼んで病院に搬送されて

だんなと長女に迷惑かけて さんざんっぱら怒られていた事でしょう。。。w

 

あの悔しい思い?があったので ゲゲは その後 体を鍛え。。?

多少の暑さにも大丈夫な身体になりました!

バッグもショルダーオンリーではなく リュックを併用し

背中のリュックに重いカメラを入れ

ショルダーは軽いもの!

そして なるべく レンタサイクルを使おう~~!!!

 

と 色々作戦を練って 昨年の兵庫旅行でも かなりうまくいきまして

そして

おし!!今年!!リベンジ!!奈良!!

となったのでした。。

ちなみに 今年は 杖を持っていかなかったのですが

ばっちり大丈夫でした! 膝も丈夫になってました(笑)

 

奈良。。特に 巻向ですが。。

ここ数年 なんとなくなんですが 想っていて。。。

豊城入彦命様(崇神天皇ご長男)と日本武尊様(景行天皇 皇子)は

幼い頃? それとも元服した後?

巻向の地で 過ごした。。。って 思うんです。。

 

古代の家父制度はよくわからないけど

子どもは 母方の家で生まれて

ある程度大きくなったらお父さんの暮らす地へ行くのかな~。。。

と そんな気がします。。

 

日本武尊は お母さんが景行天皇の正妃だったから

もしかして 生まれも巻向なのかもですが。。。

よくわかりませんが。。^^;

 

で ゲゲは ずっと

お二人が過ごした地を歩いてみたい。。(チャリで走りたい。。)

という 漠然とした憧れを持っていたのでした。。。

 

今回の旅で 実現しましたので

たいそう嬉しく思います。。(#^.^#)

 

そして 霊能者玲子さんが恐れた?西殿塚古墳

玲子さん達が絶賛した ホケノ古墳

そして ちょー有名な 箸墓古墳

 

ここはなんとしても 訪れたい!!!

と願っていた場所にも  無事 行く事ができました!! (^o^)丿

 

そしてそして

ポロンさんにも会えて!! ちょーラッキーハッピーでした !(^^)!♥

幸せてんこもりの 良い旅でした~~~!

4日間 ほんとに楽しかった~~~ ♪

2014年11月23日(日)下野チャリ散歩 ゆるゆると宇都宮市茂原~河内郡上三川町上神主 其の弐

それにしても 古代の古墳が現代の墓地になってしまうという 土地活用術。。。

仕方ないですよね。。ゲゲはそう思う。。。

もし保存できるのであれば 保存してほしいけど。。。こればっかりはなんとも言えません。。。

古墳の主がいまだに地域の主として生きてれば(変な表現ではありますが) その古墳はそのまま 誰も手をつける事は出来ないのでしょうね。。(なんだか怖くて)

次に向かったのは。。。というか

ゲゲの持つ資料で 雀宮近辺の古墳や遺跡が記されている地図には

牛塚古墳のそばに 牛塚東遺跡というのが書いてあったので

そこを探してみました。。

。。。

でも 全然 わからなくて 同じところを行ったり来たりしました。。

どうしてもわからなくて 交差点の歩道で地図を確認していたら

突然 近くの池?から鳥さんが出てきて ゲゲの目の前をバタバタバタバタッと飛んで 東の方へいったので

「あ!鳥さんが 教えてくれた。私がここだ!と思って探していた場所は間違えていたんだ!」

と 気付きました。。

 

毎度毎度 いつもなのですが

不思議なもので 豊城入彦命様と日本武尊様関係の史跡を探していると

必ず! 鳥さんがいて 何かしらヒントを与えてくれます。

今回の鳥さんは 私が見当をつけてぐるぐると探していた場所は間違えてるよぉぉぉぉ~~と 言っているかのようでした。。。

「違うんだよ!!」みたいな逆ギレ?の感じ^^;。。。

急にバタバタとすごい音をたてて 飛んでいきましたから。。。

鳥さんが飛び立たなきゃ ゲゲのすぐ左に池があるなんて 全く気づきませんでした。。。^^;

DSCN1275

 

鳥さんにお礼を言って?自転車で 気持ちを新たにして移動してみました

牛塚東遺跡。。。 わかりました。。

多分 ここだろう。。。と思いました。。

写真は撮ってきませんでした。。墓地と畑と住宅地だったので。。^^;

↑ この池から 道路を越えて南です。。

多分 現在墓地として使われているのが古墳で 住宅地と畑になっているのが遺跡。。

だと思いました。。。

資料には 古墳時代の方墳が2基ある と書いてありました。。多分 あの段差のあるところだと思う。。。(^◇^;)ノ

 

とりあえず この雀宮地域って遺跡だらけなのかも。。。と思いました。。

奈良・京都並に 掘ると必ず遺跡に当たったりしたりして。。。

 

それからは のんびりと自転車をこいで 本当にサイクリング気分で移動を楽しみました。。

お天気も良くて ほんとにとても気持ちが良かったです

主に農道を行くのですが

農道は車がめったに来ないので 道路の真ん中をすいすい走れます

かなりのそう快感です~

 

宇都宮市のはずれ 茂原町に入りました

前に探したけど わからなかった大日塚古墳を見つける事ができました

集落の中の細い道を上っていったら ありました~☆

DSCN1276

資料によると 全長36.5メートルの前方後方墳だそうです

前方部は西方向だそうです。。

敷地には周りに金網がめぐらせてあって 入れないようになっています

帰宅してから調べたら 国有地だそうでした。。

宇都宮大学が 昭和58年~60年に調査しているそうです

 

↓ そのすぐ南 愛宕塚古墳

DSCN1278

↑山林の左側から近づいて中を覗いてみたら 南北に2コ 山みたいに若干盛り上がっていたので 古墳だと思います

前方部を南に向けている 前方後方墳だそうです

 

↑これらの古墳は ゲゲが以前行った 笹塚古墳より前に造られた古墳らしいので いったいどなたが眠っているのでしょうか。。

豊城入彦命様が東征に来た時 この地を貰い受けて治めた豪族の古墳でしょうか。。 それとも もっと前か。。。

謎~~~ (^J^) 前方後方墳は 前方後円墳より古いらしいっす。。

 

これらの古墳があるところは ちょっと小高い丘の上っぽいところです。。

眺めがよくて 筑波山や遠くの山がよく見えました

さすが権力者。。。気持ちの良い場所で眠って 子孫の繁栄を願っているのかなあ~。。。

 

 

 

2014 11 23 下野チャリ散歩 宇都宮幕田町 幕軍墓碑~

気持ち良く晴れた昨日

おし!行くから~~~!!リベンジ?~~~!!

と 朝10時過ぎ 自転車で 壬生方面へ出かけました

これはゲゲの仕事です!(`ω´)❍
行かなくてはいけないのです!? (。。誰に向かってしゃべっているんだろう。。(^◇^:)色々と。。。あはは。。。。)

大体もう 51歳なんだしさ~
子育ても頑張って真面目に終えたんだしさ~~~
休日位 社会的に 自分の好きな事 自由にやらせてくれよ~!!
(誰に向かって 叫んでる?^^;)
やりたい時にやるのが ぼらんちあ なんだと思うし~。。。
自分の好きな事我慢してまでやらされるのって それはもう 強制以外の何物でもないし
そういうのはもう もはや ぼらんちあ とは言わない気がする~~

いい加減  やめたいぜよ~~~~~ クビにしてくれぇぇぇぇ~~~
( 。。。誰に向かって。。。。??? 心の叫び~~~^^;;;

 

どこそこへ行きたいって事は

おいで って 呼ばれてる気もするのです
そういう時は 行かないといけないと思うのです。。。 (◑∇◐)

今回は ゲゲが10年位前乗っていた自転車で出かけました
後ろのタイヤがパンクしていたので 新品に取り替えてもらって
ブレーキのパッドも取り替えてもらって
防犯登録もしてもらいました

これでもう おまわりさんから 突然 職質されても大丈ぶい~~~~ \(^o^)/

 

まさに自転車日和の太陽が穏やかに輝いている中

今現在の栃木街道をひたすら南下して

。。。もしかして こっちかな。。。

と 勘で栃木街道から脇に入って 細い道を探して行ったら。。。

見事にありました。。。

11時15分頃

↓ 宇都宮市幕田(まくた)町

「戦士死十七名霊」

戊辰戦争 安塚・幕田の戦いの後

旧幕府軍の戦死者17名を葬った場所

DSCN1249

宇都宮へ嫁に来て27年。。。

新撰組が好きだったくせに

独身の頃にも機会があったにも関わらず ここへは来れなくて

ほんとすみませんでした。。

いっつも近くを素通りだったから

武州の生まれで江戸幕府のおひざ元の地で育った人間なのに

どうしてここにはお参りに来ないんだ って

思っていたでしょうね。。。

壬生のお墓の方は 結婚前から知っていたのに こちらの方はわからなくて ごめんなさいでした。。。

 

驚くほどすんなりと来れたので

どなたか視えませんが

道を教えて下さったんだと思いました。。 m(__)m

兵庫塚の安産稲荷神社への案内の道標

             ↓

「安産稲荷道 ひがし是より八丁」と書いてあるそうです

嘉永2年(1849年)建立だそうです

DSCN1246

道標の左右の側面には神社の由来や功徳が刻んであるそうです うっすら読めました

             ↓

DSCN1247

またちょっと自転車を走らせました

激戦のあった姿川を越えて 壬生町へ~。。

11月2日のチャリ散歩で 磐裂根裂神社で郷土史家のおじさ  んから話を聞いた後 こちらへお墓詣りに来て 自転車のタイヤ の空気が一気に抜けて 天気も一変 すごい?日になったあの 壬生のほうの幕軍のお墓詣りをさせて頂きました(長・・)

↓ 壬生町 戊辰役戦死之碑

DSCN1250

↑ この間とは うってかわっての 良いお天気 ^^;

そばの木々には 雀が何羽もいて ちゅんちゅんと

可愛く 楽しそうにさえずっていました

ちょっと離れた東の方からは どこかのお祭りでしょうか 楽しそうな笛太鼓の音が 聞こえてまいりました。。

とても気持ちの良いお墓詣りでした。。

これ以上はないっていうくらいの安らかで落ち着く静かなひと時でした。。

「お国のためにありがとうございました。今 私達は平和に暮らしております。どうぞ安らかにお眠り下さい」

感謝の念をささげました。

そして いざ 今度こそ 目的地の雀宮へ出発~

タイヤの空気は 大丈夫でした (^◇^)

↓ 安塚街道から見えた筑波山

肉眼で見ると大きいけれど

カメラで見るととても小さいので かなりの倍率アップ

神々しい霊気をいっぱい浴びてきました

DSCN1252

 途中で 遠くから聞こえてきた笛太鼓の正体がわかりました
 子ども達の地域のお祭りだったようです 
 お揃いのハッピを着て 御神輿をかついだ子ども達の集団とすれ違いました
 良いものを見させて頂きました
 ありがたや ありがたや~。。

途中のカワチ薬品で おにぎりを買って 駐輪場でもぐもぐ食べました

前回 自転車のタイヤの空気入れがないかどうか探し回ったのが 懐かしい思い出です (^◇^;ノ

無事 雀宮へ到着しました

最初に訪れたのは 雀宮駅のちょっと北側

古墳の上に建てられた神社です

↓ 御田(みた)町 今は上御田町?

御田神社 大日塚古墳

「みた」って事は 神様か偉い人から賜った田んぼって事?

疑問だらけ。。^^;

DSCN1258

この神社の目の前というか目の上を 新幹線が通っていきます

↓ ちょうど 神社の由来が彫ってある碑と

新幹線の高架っていうの?が 重なりました

DSCN1256

どなたが眠る古墳なのでしょうか。。

豊城入彦命様の御一族ではないかと思いました。。または この地を治める豪族か。。。

そして 自転車を 雀宮駅から南方面へ走らせました。

前回と今回のメインスポット

消滅した 牛塚古墳 です

宇都宮市新富町 雀宮駅から ちょっと南

現在は削平されて 墓地になっています

↓こっちは公園              ↓ 碑

DSCN1271

碑には 大人塚古墳と書いて「うしづか」と読み仮名が振ってありました

地元では 豊城入彦命のお孫さん 御諸別王(みもろわけのおう)のお墓と言っているそうです

すごいのが出てます!

画文帯神獣鏡! 武器 武具だそうです。。。

あまりにもすごいので 国立東京博物館保管だって・・!!

やっぱり 皇族ですよね~ と 思う~。。

豊城入彦命のお孫さんですよね~。。

古墳が消滅しているので 残念ですが

なんだか 公園のこの木が とても優しくというか優雅にステキに風になびいてハラハラと葉っぱを落としていました。。

あ~~~!! この雰囲気!

(豊城入彦命様のものと地元で言われている)笹塚古墳に行った時と同じ雰囲気だぁぁぁぁ~~~!!

私を歓迎してくれてる~~~

と 勝手に思って嬉しかったです(作文?)

DSCN1272