Archive for 歴史 闇の考察

息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)の謎

なんか 「○○の謎」 ってタイトルをつけると かっこいい!(#^.^#)

 

いや でも ほんとに謎です。。

訶具漏比賣を調べていて 系図を書くと いつも目に留まる女性なのですが

(思いついた時に書くので 何年もかかってる w)

第9代開化天皇と妃の意祁都比賣(オケツヒメ)の子

日子坐王(ヒコイマスオウ)が

近つ淡海の御上の祝がもち拜く、天之御影神の女、息長水依比賣

を娶して」

と 古事記にありますので

息長水依比賣は

お父さんが天之御影神で 夫は日子坐王

ということになります。

 

古事記の注として 赤部分は

「近江の国(滋賀県)野洲郡三上の神職がお祭りしている」

と 書いてあります。

 

天之御影神の娘さん。。。

 

。。。。

 

えぇっ?! 神?

お父さん 神なの?

 

神の娘?!

 

と 古事記を読んで びっくりしました!

と 同時に 武田信玄の霊視(玲子さん)を思い出しました。

 

武田信玄は 諏訪の祝(諏訪頼重)を攻め滅ぼして その娘と結婚し

勝頼をもうけますが

それって 実は 諏訪に代々続く神の力を

娘と結婚することで自分に宿した

ということらしいです。

 

それを考えると

古代からの戦と 古代の天皇がその土地土地の実力者の娘と結婚する理由が

よ~く 理解できます!

 

古代の土地の実力者って

その土地の神を祀る神職でもあるので

その土地の神の力を受け継いでるっていう事なんでしょうね。

 

だから その土地を支配できるというメリットの他に

神の力を宿せて 子孫が栄える!

という呪術的な事も ものすごいメリットになっていると思うのです。

 

開化天皇と その前後の天皇の記事を読んでも

名前に「神」がつく人(人って言ってもいいのか)

は 登場しません。

 

これって どういう事かと想像すると

開化天皇の息子の日子坐王(崇神天皇の異母兄弟)が

近江の三上山の神職が生き神様として大切に奉仕している 天之御影神

(多分男性で 多分その土地を代々治めてるサイキッカー)を

攻め滅ぼして その娘と結婚した?って事になるんじゃ。。。

((((;´・ω・`)))ガクブル。。。

 

以前 ゲゲが考察した 栃木の太平山神社の奥宮に祀られてる神の事も

頭をよぎります。

(ゲゲの推測で 崇神天皇の次の垂仁天皇時代 太平山を治めていた方が攻め滅ぼされて 奥宮に祀られている)

 

まあ 戦があったかどうかは

実は平和的に結婚したかも知れませんし

定かではありませんが。。。

 

古事記を読むと 日子坐王って 子孫がものすごく繁栄していて

日子坐王の妻の名 子どもの名 がたくさんと

孫の名 子孫の名が たくさんと

開化天皇のページの半分を占めて書いてあるので

ほんとにすごい人だったんだな~と 思います。

 

やっぱり 力がある実力者で あっちこっち 将軍として行って

戦って勝ち抜いた方だったんでしょうか。。

 

息長水依比賣も お父さんの力を継いで

きっと サイキッカーだったのでは と思います。

古代の名前では 「依」がつくと どうやら

巫女というか 能力者 みたいです。

「玉依比賣」さんは そうらしいです

 

息長水依比賣は 水に関しての何か能力があったのでしょうか

もしかして 諏訪の姫(諏訪御寮人)みたいに

琵琶湖?の神を 自分に下ろせて

託宣を伝えられるお姫様だったのかなあ。。

と 想像させてもらってます。

 

古代の 謎めいたとても気になる女性です。

 

 

 

 

 

Comments (1)

飯野の眞黑比賣(古事記)の謎 隠された?姫 卑弥呼系列?

ちょっと前に調べていた 迦具漏比賣(垂仁天皇妃)と

訶具漏比賣(景行天皇妃)ですが

あの後 なんだか 集中できなくて

調べ始めても どんどんずれていって 気付いたら 違う事を調べてたり

上の空になったり

なんか うまく調べる事ができなくて。。。

。。。 何も降りてこないし^^;

不思議な感じに苦しみました。。 (^_^;)

 

で 昨日 何気に

訶具漏比賣(景行天皇妃)の父方のおばあさまである

飯野の眞黑比賣という方を 調べはじめまして

ゲゲ流の系図を ノートに書いていたのですが

あれ?っと 思いました。。

 

飯野の眞黑比賣という方は 古事記に書いてある系図がおかしいので

以前にも 記事にとりあげたことがあります。

だんなさんは 若建王(日本武尊の息子 古事記)ですが

それは誤りで 本当は 吉備の若建日子ではないかと

「若建」違いを考察してみました。

 

ゲゲ流の系図は

「池田氏の古墳墓碑」本に書かれてる生没年を参考にさせて頂き

記紀に書かれている親子関係を元に

その時代に生きたと思われる同世代が横に並ぶように

ノートに書いて 作っていくものです。

 

昔は 子だくさんなので

長子と末子の年の差が

もしかしたら20歳とか30歳とか50歳とかもあったかも知れません。。

そういう場合は ひーひー言いながら

こんな感じかしらん?。。末っ子と長男の甥っ子 多分きっと同じ世代だよね。。

とか 勝手に 妄想?しながら

系図を埋めていきます

 

そうやって 作っていった系図を見ていたら

やっぱり 飯野の眞黑比賣さんが

なんだか気になって気になって仕方ありませんでした。。

むむむむ。。。と 降りてきたー!! というか。。。

 

古事記には

眞黑比賣のお父さんは 杙俣長日子王(日本武尊の孫)と書いてありますが

(日本書紀には 眞黑比賣の名は書いてない)

 

系図を見ていると どうもなんだか それは間違いっぽい気がします。

 

もっとさかのぼって

実は 景行天皇(日本武尊のお父さん)と同世代なのでは?

と思えて仕方ありません。。。

 

じゃあ 眞黑比賣のお父さんは誰なのか

となると

ゲゲの勝手な推測ですが

水穂之眞若王さん かな~? と思いました。

または 弟の 神大根王さんか。。。(^^;

 

理由としましては

水之穂眞若王と神大根王のお母さんが 息長水依比賣という方でして

あたまに息長が付きます。

 

眞黑比賣の場合も

お父さんのお父さん(おじいさん)が息長田別王(日本武尊の子)という方なので

 

長く言い伝えてる間に

眞黑比賣は息長の孫だから

ということで 伝聞ミスがあったのではないか?

と 考えてみました。

 

古事記に書いてある眞黑比賣の妹?は 息長真若中比賣といいますが

この方は 15代応神天皇の妃になっています。

眞黑比賣の孫が12代景行天皇妃で

妹が 3代下の天皇妃じゃ

やっぱり 系図的に無理がありそうです。。(多分。。)

 

伝聞ミスなら良いのですが。。。

もしかしたら 誰かが意図的に 眞黑比賣を変なところに入れたのかもしれません。。

訶具漏比賣が 卑弥呼グループの巫女である事を隠すために。。。

 

飯野の眞黑比賣の 飯野という おそらく場所を表す地名ですが

ネットで調べたら

なんだか 日本全国にあった地名みたいで。。。^^;

 

でも くじけないで

多分ここかな? と狙いを定めたのが

香川県丸亀市飯野町 飯野山 飯神社

というところです。

神社のご祭神が 飯依比古命で

古事記の国生みの段 のところにも名前が出ています。

 

想像でしかないのですが

香川(讃岐)なら 吉備と 昔からつながりがありそうだし

結婚もありうるんじゃないかな~?と思うので

飯野の眞黑比賣の夫は 吉備の若建日子ではないか

と 推測してみました。

 

で ノートに 眞黑比賣 眞黑比賣と書いていて

はた! と 思ったのですが

ま ぐ ろ

か ぐ ろ

 

似てる! って 思いました。

 

祖母と孫 「くろ」 がいっしょ!!

(この訶具漏比賣は かぐる と読む説もありますが ^^;)

 

「ま」 というのは おそらく 「真の」 とか 「ほんとの」 という意味だと思うのです。

今でも 「まんなか」 とか 「まっしょうめん」 とか 使うから。。

 

「か」 というのは 仮の という意味だと「池田氏 古墳墓碑」に書いてありました。

 

元々は 黒比賣 という名前に

真の とか 仮の

という語を あたまに載せたのではないか?って 思いました。

 

さらに そういえば

仁徳天皇妃で 吉備の黒比賣(皇后の嫉妬で国に逃げ帰った)という方も

履中天皇妃で 葦田の宿禰の娘 黒比賣 という方もいたなあ。。。

と 思い出しました。。

 

なんだか

黑ひめって

巫女的能力のある女性が そう呼ばれる名前なんじゃないかなあ。。。

と 思いました。

 

眞黑比賣って もしかしたら 卑弥呼かなあ。。。

とも 考えましたが

卑弥呼さんは 結婚しなかったっていうし

なら 卑弥呼さんグループの上の方の人だったのかなあ。。。

謎の方です。。。

 

「池田氏 古墳墓碑」にも載ってない方なので

池田氏も 調べたけど わからなかったのでしょうね。。。

ほんとに謎の女性 だなあ。。。。

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日記

昨日15日㈫は 1人で 本庄~宇都宮を車で往復しました

次女は 心配してくれましたが

ゲゲは 結構 好きというか 萌えるというか

ゲゲの通る道が 結構 古代 重要な場所で

そこかしこに 古墳があるので

闇探検というか 脳内で 古代の謎を考えるのが 非常に楽しいというか

好きな音楽を聴きながら 色んなひらめきもどこかから降りてくる感じで

ひじょう~に 好きです。

 

昨日のひらめき 忘れないうちに書き留めておく~♪

 

○日本武尊の伝承って

かなり 村人と触れ合った話が多い。。

景行天皇には 多分ないと思う。。自分の家臣との話はあるけど。。

 

やっぱり 日本武尊って 村人たちと直接触れ合おうとした

気さくな人なんじゃないかって思う。。。

んで 最近の通説というか

民を喜ばすには 経済をまわすこと!

らしいので 日本武尊はそれに早くから気付いていて

征西や東征で訪れた地の民には なんらかの見返りというか

そういう感じの事をしてあげたんじゃないだろうか。。

 

 

なので 喜んだ民衆が 好意的に 尊の事を

末永く語り継いだ気がします。

 

地元にいる鬼を退治しただけでは

あまり 語られないような気もするし。。

逆に 退治された鬼こそが

実は 地元の民から慕われていたっていう話が多いから

それを征伐する方って 多少はやっぱり 好意的な伝承って 残らない気がする。

 

ゲゲの知ってる中で

甲をプレゼントして 守りにしなさい という話が二つ残っているから

村人にとっては 守り神になるような物をもらえるって

とてもありがたい事だよなあ。。。

と思う。。

村を守る物って 力も刀も持たない村人にとっては

精神的にひじょうに救いとなる気がする。

 

○日本武尊(=小碓命)って 双子のお兄さん(=大碓命)がいるけど

実は 父である景行天皇って お兄さんの方を気に入っていたんじゃないのかなあ。。。

と なんとなくですが そう思いました。。

 

だから 美濃に自分の妃2人を迎えに行かせる という大切なお役目に

お兄さんの方を指名したんじゃないだろうか。。。

(妃を迎えに行くにあたって

昔の事なので あくまでも油断禁物で

知力 武力に長けた人を大将として行かせる。。

と考えます)

 

結果的には まさか

お兄さん 父を裏切って ちゃっかり 妃2人と結婚しちゃって

しかも

偽ものの妃2人を父の元に送って

自分は美濃を支配する!みたいな感じになってしまいましたが。。。

 

○ 栃木県 壬生の車塚古墳って

亀山市の能褒野王塚古墳と

地形的によく似た場所にある!

と 思いました。

 

昨日 車で 通って 改めて

あ~ ここって 懐かしい~~!

亀山の日本武尊様の古墳のところと似てるんだ~~!!

 

って 気付きました。

 

川を行き来した古代

川から見上げる場所にある大きな古墳って

人々を圧倒する すごい存在だったのでしょうね。。。

 

○道路の傍にある 闇夜の中の古墳を見て

昨日 直観的にですが

 

あ~。。。夜の古墳って そこから 根の国に通じてるんだ~。。

根の国に行けるんだ~。。。

 

と思いました。。。(怖)

 

 

 

 

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卑弥呼の宗女イヨ?トヨ?は 景行天皇妃 訶具漏比賣だと思うううう~!!

今流れてるCMで

携帯?の画像が夜でもきれいっていうアレ。。

卑弥呼様が出てますが

あれって マクモニーグル説の卑弥呼様ですよね。。

 

アジア系の かわいい美女!

あのCM作った人 絶対 マクモニーグル氏の卑弥呼本 読んでる!

と 睨んでる (笑)

 

池田仁三氏の「画像解析による古墳墓碑」を読んでいて

ふっと思ったのですが。。。

(ずっと 愛読してます♥)

以前にも考察しましたが

かぐやひめというステキなお名前の方は

11代天皇 垂仁天皇 の妃に 迦具夜毘賣という方がいます。

 

そして かぐやひめとは名前の読み方が一つだけ違う

かぐろひめ

というお方が お二人 います。

12代天皇 景行天皇の妃 訶具漏比賣

 

15代天皇 応神天皇の妃 迦具漏比賣

 

です。

 

私は 色んな方の意見を参考にして あれこれ考えたのですが(特に池田氏の古墳墓碑本と マクモニーグル氏の卑弥呼透視本から)

卑弥呼さんがいた時代というのは

10代 崇神天皇

11代 垂仁天皇

12代 景行天皇

の3代に渡った時期だと思うのです。

 

池田氏が調べた「古墳墓碑」の年号も理由の一つですが

その他として 3人の天皇の行動?というか

記紀に書いてある事に 着目しました。

 

以前 HONKOWAで 玲子さんがおっしゃってた

「記紀って 卑弥呼を隠してるよね」みたいなお言葉も拝見して

 

そうだ!!

卑弥呼さんって あまりにもすごい能力の持ち主だから

天皇家にとっては 国土をまとめるのに必要不可欠の存在だけど

本音はいてほしくないんだ!!

と 気づかされました。

 

 

ありがたいけど邪魔な存在の人。。。!

いなきゃ困るけど 本音は 自分達が国をまとめたい。。

卑弥呼に代わって 国のトップに立ちたい。。。

目の上のたんこぶ。。。

 

と 内心思ってんじゃないかなあ~、、、と気づかされました。

 

そもそもは 崇神天皇の時

四道将軍達が地方へ行って国を統一したっぽいのは

卑弥呼の力を借りたからできたのでは?と 思います。

 

そして 崇神天皇は 卑弥呼の力を借りて国をまとめつつ

同時に 卑弥呼がいなくなった後

自分達のヤマト政権が 国々をまとめるトップに立てるように

独自路線を開発というか

あれこれ模索していったのだと 思うのです。

 

崇神天皇は 国を大きくまとめるのに 卑弥呼の力を利用しつつ

自分は 倭トトモモソ姫をそばに置いて 自分周辺の事を視てもらい

なおかつ 自分の娘 豊スキイリヒメには

天照大御神の鏡を持って 宮の外に出して 祀らせて

卑弥呼がいなくなった時 困らないように

呪術的な面を強化してる感じがします。

 

モモソ姫は 三輪山伝説で 箸でホトを突いて亡くなってしまいますが

あれって 推測ですが

モモソ姫は 卑弥呼にとって代わって 国の頂点に立とうと

三輪山の神の力を使って なんか好き勝手やっちゃったから

崇神天皇に見つかって殺された。。。

って事なんじゃなかろうか。。

って 気もします。。。

 

そして 崇神天皇が

天照大御神の鏡と大国主命の魂を宮の外に出したのは

政教分離というか。。。

卑弥呼が 政治面でも宗教面でもトップにいる事への対抗というか。。

 

もし 卑弥呼亡き後

自分が 国々をまとめる時が来たら

シャーマンには宗教だけまかせて 政治は自分達でやる!

という強い決意なんじゃないかなあ。。と思うのです。。

 

そして 次の垂仁天皇は

自分の娘 倭姫を 豊スキイリヒメの後を継がさせて

今度は 天照大御神を祀る良い場所を探す旅に出させます。

 

これはもう 卑弥呼に とって代わるために

自分達の先祖である ヒルメムチという女性(多分 ものすごいすぐれた伝説のシャーマンだったんだと思う。。持統天皇あたりが 「天照大御神」って 名前を付けたんじゃないのかしらん。。)

を 最高に素晴らしい場所で

最高にうやうやしく祀って 天皇家を守護していただく!

という宗教政策? だと思います。。

 

っていうか。。

卑弥呼さんが 結構 予想外に長生きだったんでしょうね。。。

それって 天皇家にとっては想定外だったんでしょうね。。。

 

次の景行天皇は 伊勢に落ち着いた倭姫に天照大御神を祀らせて

倭姫から 日本武尊様に草なぎの剣を与えて

日本武尊 様に 東征へ行かせます。

 

天皇の支配下にあるシャーマンが

天皇の支配下にある武士に 神の力を与えて 戦いに出させる

みたいな。。。

今までは おそらく

鬼道を操る(玲子さんも わからない。。っておっしゃってました)卑弥呼が

神から託宣を受けて 天皇に命令していたのでは?・・・

と思います。。。

 

そして ゲゲの推測ですが

日本武尊 様が西に戦に出る前あたりに

卑弥呼さんが亡くなったんじゃないのかなあ~。。。と思うのです。。

 

というか。。。

卑弥呼さんが亡くなった後

あちこちの国がやっぱり乱れてきちゃったので

景行天皇が 武力に長けた日本武尊様を 西に東に戦に出した。。と思います。。

 

で タイトルにもあるトヨ または イヨ さんですが

景行天皇妃の訶具漏比賣 だと思うのです。。

でも 確か 宗女トヨ または イヨは 13歳!

後見役が必要ということで

垂仁天皇妃の 迦具夜毘賣!が 後見した!と 思います。

 

理由は 月に帰るかぐやひめ という不思議な昔話と

かぐ という名前の部分が共通してるからです

 

卑弥呼の宗女グループがあって(マクモニーグルさんがおっしゃってた)

多分だけど そのグループの女子には かぐろ か かぐや って名前を付ける決まりになってたんじゃないのかなあ~。。。

と あくまでも推測ですが。。。

 

あと 理由ですが

景行天皇妃の かぐろひめは 残されてる系図が めちゃくちゃなんです

確か 日本武尊様の子孫が

日本武尊様の父である景行天皇と結婚とか

あり得ないんです。。(まあ ありえなくもないけど 実際的には無理じゃね?みたいな。。。)

 

ゲゲの調べた範囲では 残された系図がおかしいっていうのは

なにか隠してる!! って 事なんですよね。。

知られちゃまずい何かを。。。

 

続く。。。

 

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2016年6月11日㈯ 奈良一人旅 3日目 纏向散策 箸墓古墳 ホケノ山古墳

箸墓古墳を目指して のんびりテクテク歩きました。

あ~~!! 今思い出しても ほんと楽しかった~~!!

気持ちよかった~~!!

心地よい風を受けながら のんびり歩くたんぼ道♥ 最高~~!!

見晴らしが良いから 目当ての古墳も すぐわかるし

あの解放感 ほんとに最高です。

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憧れの箸墓古墳に 一歩一歩どんどん近づいている!

長い年月夢見た時を経て とうとうこの時が来た!

と思うと 興奮して興奮して~~~~ w

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箸墓古墳

テレビや写真で見た通りの セクシーで美しい姿~~

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169号(天理← →榛原 明日香)の交差点から

古墳の池の堤?っていうのかな

登れるようになってました。

散歩コースみたいになってます。

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この池のほとりをまっすぐ進んで 誰かが踏み固めた道なき道wを

南方面?へ 抜けると

拝所の前に出ます。

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崇神天皇陵やほかの古墳と違って

鳥居の前には水の入った堀がないので

うお! すぐ目の前に古墳がある!

という かなり近い感(変な日本語)があります。

 

ここが 記紀で有名な ヤマトトビモモソヒメ様が眠ってらっしゃる古墳!

記紀を読むと ものすごい能力を持った巫女のような印象を受けるお方です。

呪術を使えそうだし 視える能力もすごそうだし。。

 

感想を申しますと

ちょっと怖い雰囲気がありましたです。。^^;

 

水辺に映える箸墓古墳は とても美しくておだやかで優雅な雰囲気で

誰でもウエルカムみたいな。。 そういう感じなのですが

(この日 実際に来るまではそう思ってました)

この拝所から拝見する箸墓古墳は そうではなく。。。

なんだか 人をよせつけない というか。。

(私が坂東の人間だから 特にそうなのか。。)

 

水のある方と ない方では 古墳の雰囲気が全然違いました。。。

あまりの空気感の違いが ものすごい違和感です。。。(日本語が、、)

 

そして

古墳の木にいるカラスの鳴き声が 尋常じゃないほどすごくて。。。

明らかに あれ

早く帰れ~~ 早くここから立ち去れ~~~

って感じで 普通以上にギャーギャー鳴いてました。。。 ^^;

歓迎はされてない。。。 感じでした。。。

 

霊能者玲子さんの霊視を頭に置いたうえで 参拝してるし

これから ホケノ山古墳にも参拝しよう~としてるし

そういうのって 悟られてるのかな~と 思いました。

 

玲子さんの霊視では

崇神天皇の頃 モモソ姫は

ホケノ山古墳に眠る巫女が生きてた時分

彼女を邪魔に思い

勢力争いみたいな事を繰り広げていたようです。。

お礼を言って 拝所の前から失礼しました。

古墳沿いの細い道を通って 水辺ではない方の反対側の道路に出ました。

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道路に ところどころ 案内板があるので

初めての道ですが 安心して歩けました。

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↓ 国津神社 ホケノ山古墳のそば

とても趣と風情のある神社でした。歴史が古そう!

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ホケノ山古墳に眠るお方のお宮 だったのかしら~。。

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この神社のある場所は なんだか重要な地点という感じでした

ここを起点として あちこちの道の大事な場所へ行けそうな。。というか。。。

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すぐそばのホケノ山古墳へ行く途中

近くの家の方か 若い人たちが数名

車のそばで楽しそうにしゃべっていて

そばの草むらに ↓にゃんこがいました♥

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↓ ホケノ山古墳

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お花がいっぱい♥ なんてステキ!

すっごい すがすがしいというか

パワースポット的な気持ちよさでした。

 

さっきの箸墓古墳とは 空気が違うな~。。と思いました。

カラスは全然鳴いてなくて

代わり?に 鶯がさえずってました♥

空の様子も ほんとに ステキな夕暮れというか~

歩きまわって疲れた体をいたわってくれてるようで

とても心地よかったです☆

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↓ ステキな古墳なので登ってみたかったのですが

この看板を見て あきらめました ^^;

あ。。 やっぱりいるのね。。^^; みたいな。。。

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いっぱい元気を頂いたので

さあ 駅に戻ろう~ 歩こう~~~

と 来た道を引き返すため 歩き出しました。

10歩くらい歩いたのですが

なんだか ふと 帰るのが名残惜しくなって

また さよならを言おうと思って 古墳を振り返ってみたんです。

 

そうしたら 古墳の上空が さっきとうってかわって

一面 かわいらしいピンク色に!!!!

 

きゃ~~~~っ!!! なんて ステキ!!!!

 

↓ 望遠で頑張ったけど カメラはこれが限界

私の肉眼の視界では 古墳の上ほぼ全部の空が

淡いきれいな可愛いピンクで埋め尽くされてました。

 

ピンクとブルーのコントラストが ほんとにたとえようもないほど

美しくて。。。涙ものの美しさでした。。

天使か!みたいな。。(意味不明)

語彙が足りなさ過ぎて うまく表現できない~~~~~~~~!!!!

dscn2456

 

え~~~ こんなステキなかわいい夕焼け空の色 見た事ない~~!!

きゃー! キャー!ステキ~~~~ ヽ(^。^)ノ

 

もう~ 嬉しくって嬉しくって 空に向かって

きれいなピンクを 何枚も何枚もバシャバシャ撮りました。

 

さすが 地元の人から慕われていた巫女~(玲子さんの霊視)

優しい~~!!

私に 見せてくれたんだ~~!!

私を歓迎してくれたんだ~~~!!!

来てくれてありがとう~って お礼してくれたんだ~

振り返って良かった~~~!!! (*^。^*)ノ

 

空を見て浮かれまくった私は ハイテンションでまた歩き出し

さっきの神社のところに出ました。

dscn2458

そこで 駅を確認するため もう一回地図の看板を見たのですが

あ。。 古墳からこっちに降りて来るんじゃなくて

古墳から向こうへ行けばいいんだ。。

と 気づきまして

また 来た道を古墳目指して 歩いていきました。

で 古墳のすぐ近くまで戻って来たのですが

ふと 道路上のある物体に 気付いてしまいました。。

↓ 看板に書いてあったモノが ご昇天されてましたが

この日早くに交通事故にあったみたいな。。^^;

ありました。。

ぎえ~~~~!!!っっっ

dscn2460

 

まぢでまぢでいるんだ! うわ~~!!

初めて見た!!

でも ここ さっき 小さい犬連れた近所の人が散歩してたし

普通の生活道路みたいなのに~

近所の人達 家いっぱいあるけど まぢ危ないじゃん!!!

ふつうに生息してるんだ こいつら~~!!

道路に出てきちゃうんだ~~~!!

 

さっき ネコちゃんだっていたのに~~

こんな奴らが 這ってるなんて危険すぎる~~ (^◇^;)

 

よりによって こんなステキな古墳に こいつらがいるなんて。。。

こいつらがいなくて登れる古墳も 世間にはいっぱいあるのに~~~~。。。なんてこった ぱんなこった~~~!!

 

これって やっぱり ヤマトトビモモソ姫の巫女集団による

ホケノ山古墳の巫女への呪詛 なのかなあ。。。と思いました。。

今でも生きてる。。。

 

もしかしたら 私 来る日とタイミングによっては

こいつに噛まれていたのかもしれない。。

と 思ったら 余計 ぞぞぞぞ~。。。っとしました。。

同時に

ホケノ山古墳の巫女様が守ってくれた!

と 勝手にですが思いました。ありがとうございました!!

 

そういえばさっき 帰る時 何気にふと 古墳を見上げたのも

もしかしたら

「そっちの道じゃないよ。駅はこっちの道が近いよ」

って 教えてくれてたのかも。。

ますます ありがとうございます~~~ (*^ω^*)

と 思いました。

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2016年6月11日㈯ チャリ散歩 大神神社~ 徒歩 巻向 古墳

あ~~ チャリ返却の時間が~~!

でも多分 大神神社から20分 ガンガン飛ばせば

桜井駅へは 余裕で戻れるはず~~

 

と 名残惜しさいっぱいで 帰ろうと

駐輪場でチャリを動かし始めたら

 

あ。。 神社だ。。

 

と 駐輪場そばの小道に神社を発見して 寄らせて頂きました。

 

あ~~!!

すぐお隣だったんだあ~~~!!

三輪山の神の祟りを鎮めた 子孫の方の神社~~

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記紀で有名な おおたたねこの命

三輪山の大物主を祀った 大物主の子孫のお方。。。

玲子さんの霊視では

 

崇神天皇が探す前から この人 三輪山の神をずっと祀っていたよ。

おじいちゃんだよ

 

だそうです。

名前からして きっと女性で

しかも 超 力のある巫女さんだと ゲゲは勝手に思っていましたw

(多分 学校の時のクラスメイトもそう思っていたはずw)

 

とても静かで趣のある神社でした。

決して 華やかではないのですが

古風な感じが控えめで良い味。。 というか。。

 

大神神社のにぎやかさとはうってかわって 静まり返っていて

参拝者は ゲゲ1人でした。

チャリを返さなきゃ~~!という 慌ただしい気持ちを

落ち着かせる事ができて

少しの間でしたが とてもすてきな時間を頂けました。

 

こういうひと時って

神社のご祭神のお方と 二人っきりで 過ごせるというか

神殿にいらっしゃる神様と 心静かに対面させて頂いてるような気がして

とっても大好きです。

 

お相手の神様は 歴史に名を残すスーパースター \(^o^)/

ですし

とてもドキドキわくわく萌えるというか 恐れ多いというか、、

時空を超えて 不思議な感じがします♪

 

拝殿の前でご挨拶させて頂いたら

拝殿の屋根が ミシッと 大きく鳴りました

感覚からいうと 大きな蛇さんが 屋根に乗ったみたいな感じの音でしたw

 

↑ これは 旅の手帳に書いてありました。

やっぱり 忘れないうちにすぐメモるって必要な事だなあ~と思いました。。

まじですっかり忘れていました。。^^;;。。。

 

さあ 桜井駅へ戻ろう~~ と思った途端!

リュックをしょった散策のグループさん達でしょうか

30人位の中高年の方たちが にぎやかに

この神社の鳥居をくぐって 境内に入ってこられたのです。

 

わ~~ そうだよねえ~~。。

すぐお隣に大神神社があって あれだけの参拝客がいたし

散策コースだし

ここも 人 たくさん来るよねえ~。。

今まで ゲゲ1人だけだったのが 奇跡なんだわ~~~

 

と 思いました。

何かの本に

まるで 人払いされたかのように 他に参拝客がいなくて

神社で1人っきりの時間を楽しめたら

神様が歓迎してくれてます。

 

って 書いてあったから

もしそうだとしたら嬉しいなあ~。。

と にやけました ♥

 

あ~ 今 ふっと思ったけど

三輪って みわ 巳輪 蛇さんがとぐろを巻いた状態

とも 言えるかも~。。。

 

以前 ブログで考察しましたが

全国にある 三輪神社 美和神社 三和神社って

多分 滅ぼされた一族っていうか。。

新政権によって 追い払われた一族を

祟り封じのために祀る場所。。。

 

って思います。。

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日本武尊 棺 空っぽ 白鳥伝説 大鳥大社

昨日は 6月の旅の思い出に浸りながら

自分が今まで書きなぐってきた歴史覚え書きノートに

ラベルをページの端っこに張り付ける作業をして

めくりやすくして 遊んでました。

 

何気に むふむふと読み返していたのですが

大鳥大社について調べた懐かしいページが出てきたので

またまた気になって くいついてしまいました。

 

やっぱり なんかこう

 

棺 空っぽ

 

っていう あの 山岸涼子先生名作「厩戸皇子 続編」のお言葉が

頭の中に浮かんできます。

この件は 自分のブログでも 何度も考察を書いてますが

やっぱり 最初から ご遺体は大鳥大社で呪詛に使うつもりで

能褒野陵には埋葬せずに 持っていっちゃったんじゃないかと思うのです。。

 

飛んでいく白鳥の後を 妃達は泣きながら後を追った

 

って なんかこう 想像すると かなり異様な光景に思えるのです。

鳥が飛んでいっちゃってるのに 泣いてる暇はないでしょう!!いくら 悲しくても!!

 

確か ものすごい大きい鳥なんですよね。。

翼を広げると12メートル以上。。

白鳥以上にでかいです。。。。

数回羽ばたいただけで 地上にいる人間からは またたく間に見えなくなってしまう感じがする。。(モスラ並み?)

皆さん!(誰?)泣いてる暇はありませんよ!

アスリート並みに走らないと あっという間に見失っちゃいますからね!!

まじめに考えても 能褒野から御所(鳥になった尊が最初に降り立ったと言われてる場所)は かなり距離があるし

上空を飛ぶ鳥の後を 泣きながらは追えない。。って思う。。。

最初の1時間は空を見ながら泣いて頑張れる(?)余裕もあると思うけど。。

その後は。。。

疲れてもう無理。。歩けない。。。

。。。ってなりそう。。。

(昔のお話を 真面目に検証。。)

 

これって

 

違う地へ持っていかれる尊のご遺体の後を 妃達は泣きながら後を追った(呪詛に使われるのをわかっているから)

 

に変えると しっくりくるような気がします。

悲しいですよね。。。

大和ではなく その先の海ぞいの地へ持っていこうというのですから。。。

 

 

 

そして 日本武尊をお祀りする3つの陵ですが

やっぱり 御所市の古墳は 仲哀天皇と妻の神功皇后が作ったもので

津堂城山古墳(軽の里ではない派)は仲哀天皇と先妻の子達 押熊王・かご坂王が作ったものではないか。。。

と 思うのです。。

この件に関しては ブログでもしつこい位何度も考察しましたが

今では 最終的にこう考えてます。。。

 

能褒野で埋葬されるはずだった尊のご遺体は

誰かの意図で 大鳥大社へと向かった。。

三重から堺へ。。陸を通って その後は海沿いを通ったと 思います。。

 

大鳥氏が支配していたという大鳥の地で

尊をお祀りしたのは 大野氏。。

 

能褒野から→堺は 西方面

陰陽五行で 西は 白。。

鉄関係も(金属?) 白 みたいです。。

尊は 鉄の産地を支配するために 東征に赴いたようですから。。。

鉄の王子様。。。

 

鉄(白)を求めて全国を駆け巡った尊は

能褒野に埋葬されずに 西(白)の大鳥の地へ連れていかれてしまった

 

白 大鳥 = 白い大きい鳥 = 尊の体が白い大きい鳥になった

 

そういう連想が 後々 伝承となって

尊の体は 白い大きい鳥となり 西へ向かって飛んで行った。。

と 人々が信じていった。。。

気がします。。。

 

仁徳天皇の頃には

 

日本武尊の陵は 空っぽだから 墓守を置くのをやめよう

 

というお気楽な意見が 天皇から出されたほどですから

尊の大鳥伝承は 呪詛という暗い側面は忘れられて

単純に涙をさそう大鳥の伝説へと すでに変化していったのだと思います。。

(いや だからって せっかく古墳があるんだから 墓守の一人位 いても良いじゃん。。)

 

呪詛って 決めつけてますが

ふつうだったら 古墳に埋葬するところを

なぜか 鳥が飛んでいったので神社で祀った

っていう不思議な変わった伝承が残っているので

 

ん??? これはきっと 何かあるに違いない!。。。

 

と 勝手に決めつけてます。。

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