Archive for 歴史 闇の考察

雀宮 と 宇都宮  地名の由来 考えてみました(何回目だろう w)

今日は

日本武尊と一緒に 尾張海軍を率いて東征へ行った建稲種命さん

(私の中では 三代目Jソウルみたいなイケメンのお頭になっている

あ 直虎の龍雲丸でも良いかな w)

 

を 検索して調べようとしたら

あらら。。。

違う方向へ行ってしまいました・・・

 

なんで? お彼岸だから? (笑)。。。

栃木県那須塩原市にある 嶽山 箒根神社 (たけさん  ほうきねじんじゃ)

が ひっかかりました。。。

 

この神社は創建時期は不明ですが

豊城入彦命の曾孫 御諸別王(みもろわけのおう)が

豊城入彦命を合祀して

さらに 御諸別命の曾孫 宇都野別命(うつのわけのみこと)が

神主となり ここに住んだので

地名を宇都野とつけた

のだそうです。

 

キター!!

宇都野別命 キター!!!

 

以前 ちらっと 検索にひっかかって

その他どこか もっとわかりやすいところ(どこ?)にいないかな~~。。。と

思い出した時に PCの中を探して(・・・どこ?)いたのですが

 

なんと 今日!

思いがけず ひょいっと 見つかりました!!

 

系図を作って調べてみたら

宇都野別命は ちょうど履中天皇もしくは 履中天皇以降の頃の方になります

履中天皇は 仁徳天皇の息子さんです。

 

おお~~!!

ということは

仁徳天皇は 名は大雀命(おほさざきのみこと 雀さん) なので

宇都宮の雀宮近くの上三川から出土した器の裏に書いてあった人の名字?「雀部○○」

と 雀宮の地名と 宇都宮の地名が

全部 つながった気がする。。。( 勝手に)

 

仁徳天皇の時代に 下野の国司になった奈良別王(ならわけのきみ 豊城入彦命の4世孫)が

雀部の人がたくさん住んでいた地に 神社を建て

下野の国を一生懸命開拓して 土地の人に慕われた父(御諸別王)を祀り

荒尾崎には(宇都宮市) 4代前のおじいちゃん豊城入彦命を合祀した

と 思われます。

 

荒尾崎付近(八幡山とか)は

ゲゲが思うに

豊城入彦命が先住民族と戦をして 彼らを滅ぼした土地だと思う

 

なので 鎮魂のために

力のある4代前のおじいちゃん豊城入彦命をご祭神に選んだのだと思う。

 

そして 奈良別王の孫 宇都野別命の代になった時

この嶽山または箒根山(現 那須塩原市)で 怪異が起きたのだと思う。

 

箒根という山の名前は 豊城入彦命が名づけたという伝承があるそうです

ならば きっと ここで 先住民族と戦をしたに違いない!

と ゲゲは思いました。

 

「根」っていうのは 「根の国」 に通じるものがあるから

もしかして 滅ぼされた民族が眠る土地につける名前なのかもしれない。。

 

そんなこんなで

奈良別王の孫 宇都野別命は

山の怪異を鎮めるため

嶽山山頂付近にある 箒根神社に住んで 日夜祭祀を行ったのではないか?

と 思いました。

 

ややこしいのですが

嶽山と 箒根山って 違う山らしい。。。

そうだよね。。名前が違うんだもんね。。。><

後でよく 調べてみます。。

 

で おそらくだけど この 宇都野別命は

荒尾崎の二荒山神社の神主もしていたのだと思います。

というか 昔は

国司は国を治めつつ 神社の祭祀権も持っていたそうなので

 

いつしか 宇都野別命が治める宮ということで

荒尾崎周辺の地(現・宇都宮市)を

宇都野別の宮 → うつののみや 宇都宮 と

呼ぶようになったのではないかしら。。

 

というのが ゲゲの推測です。。

 

雀宮神社周辺の土地は 雀部の人達の治める土地なんだと思う。。

 

宇都宮と雀宮の間には

江曽島(蝦夷の民が住む地 伝承では日本武尊が滅ぼした)があるし、、

。。。

なんか 空気感が違う気がする。。

 

もしかしたら 仁徳天皇が

雀宮から上三川の土地は 自分の氏族 雀部のものとして

江曽島から宇都宮の方は 国司 奈良別王のもの

って 分けたのかも知れません。。

 

で 奈良別王の支配する土地を そのまま 子の宇都野別命が引き継いだのかも~。。

 

ってことは

那須塩原の嶽山 箒根山周辺も

奈良別王が支配していたのかな。。。

 

あ~~!!

もしかして!!

 

豊城入彦命が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫である 御諸別王や 奈良別王 宇都野別王が引き継いで

 

日本武尊が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫の仁徳天皇が 権利があるっていうか 自分の荘園みたいにして

そこから上がった米とか野菜とか

自分に納めさせていたのかな。。。

 

よくわからないけど

もしかしたら そうなのかな。。。

 

国司って 自分は 米とか作らなくても

豪族とかが 納めてくれるんだよね。 多分。。

 

また 思いついたら ブログに書くので

地名問題 もしかしたら

またまた 違うひらめきが降りてくるかも知れません。。

 

一体 何回 考証したら ゴールへたどり着けるのだろう。。w

ゴール。。。

近いような。。。

遠いような。。。(*_*; 。。。

 

 

 

 

 

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ゲゲ推測年表 記紀に書いてない古代史♥

ゲゲが ぶばばばっと書いてる歴史ノートが

どんどん 未整理 殴り書き状態のまま 増えていきます。。

 

今日 見返してみたのですが

ま~

わからない わからない。。。(笑)

 

書いた本人も よく思い出せない だーだー書き。。。

 

これは 何をテーマに謎を解こうとしたんだっけ。。。うーむ。。。

と ノートとにらめっこしちゃうことも しばしば です。

 

あ~~!!

これって あの頃 ひらめいて 一生懸命

考えてたじゃん!

まだ 途中だよ~~~!!

 

と 自分で自分につっこんだりします

 

そんな中で

自分で 推測歴史年表を作っていこう~

自分の頭の整理のために

 

と 書いていた古代史を 思い出しました

 

調べていくうちにどんどん訂正が入りますが

思いついたら ブログに書き留めておこう~と 思いました!

 

AD     ニニギ命 出雲の大国主命を討つ

出雲をホヒ命にまかせて大国主を祀る(出雲大社)

 

AD    天火明命(ニニギの兄)なんばから入って伊賀へ行く

なんばから伊賀地方を支配する

 

AD    九州 火照命(海幸彦 ニニギの息子)は

熢理命(山幸彦 ニニギの息子)と争って負ける。

 

AD    火照命(海幸彦 ニニギの息子)は奈良のヤマトへ行く。

火照命は 三輪山周辺にいた出雲族と戦って勝つ。

火照命は 大神神社を宮として 戦没者を祀る。

 

AD    火須勢理命(火照命の弟 ニニギの息子)は三重に行く。

戦って その地を支配する。

 

時が経ち

 

AD     天火明命の三代孫ニギハヤヒは なんばの地~桜井市を治める

家来 ナガスネヒコ

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息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)の謎

なんか 「○○の謎」 ってタイトルをつけると かっこいい!(#^.^#)

 

いや でも ほんとに謎です。。

訶具漏比賣を調べていて 系図を書くと いつも目に留まる女性なのですが

(思いついた時に書くので 何年もかかってる w)

第9代開化天皇と妃の意祁都比賣(オケツヒメ)の子

日子坐王(ヒコイマスオウ)が

近つ淡海の御上の祝がもち拜く、天之御影神の女、息長水依比賣

を娶して」

と 古事記にありますので

息長水依比賣は

お父さんが天之御影神で 夫は日子坐王

ということになります。

 

古事記の注として 赤部分は

「近江の国(滋賀県)野洲郡三上の神職がお祭りしている」

と 書いてあります。

 

天之御影神の娘さん。。。

 

。。。。

 

えぇっ?! 神?

お父さん 神なの?

 

神の娘?!

 

と 古事記を読んで びっくりしました!

と 同時に 武田信玄の霊視(玲子さん)を思い出しました。

武田信玄は 諏訪の大祝(おおほうり 諏訪頼重)を攻め滅ぼして その娘と結婚し

勝頼をもうけますが

それって 実は 諏訪に代々続く土地の力を

娘と結婚することで自分に宿した

ということらしいです。

 

それを考えると

古代からの戦と 古代の天皇がその土地土地の実力者の娘と結婚する理由が

よ~く 理解できます!

 

古代の土地の実力者って

その土地の神を祀る神職でもあるので

その土地の神の力を受け継いでるっていう事なんでしょうね。

 

だから その土地を支配できるというメリットの他に

神の力を宿せて 子孫が栄える!

という呪術的な事も ものすごいメリットになっていると思うのです。

 

開化天皇と その前後の天皇の記事を読んでも

名前に「神」がつく人(人って言ってもいいのか)

は 登場しません。

 

近江富士 三上山

御上神社 社記(ネット参照)

孝霊天皇の治世期、天之御影神が三上山に降臨したので

開化天皇の治世期、その子孫である彦伊賀都命が三上祝に命じられ、

それ以後 三上山を神の宿る神奈備山として

山頂の奥津磐座にて祭祀を執り行ったのだという。

 

これって どういう事か推測すると

第7代孝霊天皇の治世期、

おそらく吉備津彦命(天皇の息子)さんとかが、

近江で

御影という人(多分男性で 多分その土地を代々治めてるサイキッカー)か、その一族を滅ぼしたので、

三上山に その霊を天之御影神として祀った(=降臨)ってことですよね。

 

だけどきっと おそらく攻め滅ぼされた御影神の怒りは収まらなくて

祟りがすごかったのでしょうね。。

 

なので 第9代開化天皇の治世期、

息子の日子坐王(10代崇神天皇の異母兄弟)が

天之御影神のために

天之御影神の子孫(息子?孫?)彦伊賀都命(名前からして 伊賀を治めていた人かも)

を探しだして

 

三上祝として 三上山の山頂の磐座で

祭祀を代々執り行うように命じたってことなのかも。。。

 

(崇神天皇が 三輪山の神の子孫のオオタタネコさんを探し出して 三輪山の神を祀らせたのに似ている)

 

そして 彦伊賀都命の娘か妹か孫と結婚した

って事になるんじゃ。。。(または 御影神の末娘)

((((;´・ω・`)))ガクブル。。。

 

以前 ゲゲが考察した 栃木の太平山神社の奥宮に祀られてる神の事も

頭をよぎります。

(ゲゲの推測で 崇神天皇の次の垂仁天皇時代 太平山を治めていた方が攻め滅ぼされて 奥宮に祀られている)

 

まあ 戦があったかどうかは

実は平和的に結婚したかも知れませんし

定かではありませんが。。。

 

古事記を読むと 日子坐王って 子孫がものすごく繁栄していて

日子坐王の妻の名 子どもの名 がたくさんと

孫の名 子孫の名が たくさんと

開化天皇のページの半分を占めて書いてあるので

ほんとにすごい人だったんだな~と 思います。

 

やっぱり 力がある実力者で あっちこっち 将軍として行って

戦って勝ち抜いた方だったんでしょうか。。

神を祀るのも上手だったのかもしれません。。

 

息長水依比賣も お父さんかおじいさん?の力を継いで

きっと サイキッカーだったのでは と思います。

古代の名前では 「依」がつくと どうやら

巫女というか 能力者 みたいです。

「玉依比賣」さんは そうらしいです

 

息長水依比賣は 水に関しての何か能力があったのでしょうか

もしかして 諏訪の姫(諏訪御寮人)みたいに

琵琶湖?の神を 自分に下ろせて

託宣を伝えられるお姫様だったのかなあ。。

と 想像させてもらってます。

 

 

日子坐王も もしかしたら 自分が祝になって

天之御影神の力を受け継ごうと思ったのかもしれません。

ですが 祟りのすごさに それは諦めて

天之御影神の子孫を祝と命じて 祀らせる事にしたのかも です。。

 

ゲゲが 諏訪を調べていた時に

大祝(おおほうり)の役目を書いたメモが ひょこっと出てきましたが

(いろんなノートのあちこちにぶばばばばっと書くから

探してる時になかなか見つからない

後から出てくる w)

 

神の憑依者、シャーマンだそうです。

 

自然神のチカラと感応し

おのれの体を依代とし、

パワーを統合させ人間界に伝える者

 

だそうです。

 

息長水依比賣も 祝の素質があったのでは と思います。

 

古代の 謎めいたとても気になる女性です。

願わくは

古代のああゆう戦乱がたくさんあったであろう時代ですが

日子坐王と子ども達と 幸せで落ち着いた生活を送られたのなら良いなあ。。。

と 思うのです。。

 

 

 

 

 

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飯野の眞黑比賣(古事記)の謎 隠された?姫 卑弥呼系列?

ちょっと前に調べていた 迦具漏比賣(垂仁天皇妃)と

訶具漏比賣(景行天皇妃)ですが

あの後 なんだか 集中できなくて

調べ始めても どんどんずれていって 気付いたら 違う事を調べてたり

上の空になったり

なんか うまく調べる事ができなくて。。。

。。。 何も降りてこないし^^;

不思議な感じに苦しみました。。 (^_^;)

 

で 昨日 何気に

訶具漏比賣(景行天皇妃)の父方のおばあさまである

飯野の眞黑比賣という方を 調べはじめまして

ゲゲ流の系図を ノートに書いていたのですが

あれ?っと 思いました。。

 

飯野の眞黑比賣という方は 古事記に書いてある系図がおかしいので

以前にも 記事にとりあげたことがあります。

だんなさんは 若建王(日本武尊の息子 古事記)ですが

それは誤りで 本当は 吉備の若建日子ではないかと

「若建」違いを考察してみました。

 

ゲゲ流の系図は

「池田氏の古墳墓碑」本に書かれてる生没年を参考にさせて頂き

記紀に書かれている親子関係を元に

その時代に生きたと思われる同世代が横に並ぶように

ノートに書いて 作っていくものです。

 

昔は 子だくさんなので

長子と末子の年の差が

もしかしたら20歳とか30歳とか50歳とかもあったかも知れません。。

そういう場合は ひーひー言いながら

こんな感じかしらん?。。末っ子と長男の甥っ子 多分きっと同じ世代だよね。。

とか 勝手に 妄想?しながら

系図を埋めていきます

 

そうやって 作っていった系図を見ていたら

やっぱり 飯野の眞黑比賣さんが

なんだか気になって気になって仕方ありませんでした。。

むむむむ。。。と 降りてきたー!! というか。。。

 

古事記には

眞黑比賣のお父さんは 杙俣長日子王(日本武尊の孫)と書いてありますが

(日本書紀には 眞黑比賣の名は書いてない)

 

系図を見ていると どうもなんだか それは間違いっぽい気がします。

 

もっとさかのぼって

実は 景行天皇(日本武尊のお父さん)と同世代なのでは?

と思えて仕方ありません。。。

 

じゃあ 眞黑比賣のお父さんは誰なのか

となると

ゲゲの勝手な推測ですが

水穂之眞若王さん かな~? と思いました。

または 弟の 神大根王さんか。。。(^^;

 

理由としましては

水之穂眞若王と神大根王のお母さんが 息長水依比賣という方でして

あたまに息長が付きます。

 

眞黑比賣の場合も

お父さんのお父さん(おじいさん)が息長田別王(日本武尊の子)という方なので

 

長く言い伝えてる間に

眞黑比賣は息長の孫だから

ということで 伝聞ミスがあったのではないか?

と 考えてみました。

 

古事記に書いてある眞黑比賣の妹?は 息長真若中比賣といいますが

この方は 15代応神天皇の妃になっています。

眞黑比賣の孫が12代景行天皇妃で

妹が 3代下の天皇妃じゃ

やっぱり 系図的に無理がありそうです。。(多分。。)

 

伝聞ミスなら良いのですが。。。

もしかしたら 誰かが意図的に 眞黑比賣を変なところに入れたのかもしれません。。

訶具漏比賣が 卑弥呼グループの巫女である事を隠すために。。。

 

飯野の眞黑比賣の 飯野という おそらく場所を表す地名ですが

ネットで調べたら

なんだか 日本全国にあった地名みたいで。。。^^;

 

でも くじけないで

多分ここかな? と狙いを定めたのが

香川県丸亀市飯野町 飯野山 飯神社

というところです。

神社のご祭神が 飯依比古命で

古事記の国生みの段 のところにも名前が出ています。

 

想像でしかないのですが

香川(讃岐)なら 吉備と 昔からつながりがありそうだし

結婚もありうるんじゃないかな~?と思うので

飯野の眞黑比賣の夫は 吉備の若建日子ではないか

と 推測してみました。

 

で ノートに 眞黑比賣 眞黑比賣と書いていて

はた! と 思ったのですが

ま ぐ ろ

か ぐ ろ

 

似てる! って 思いました。

 

祖母と孫 「くろ」 がいっしょ!!

(この訶具漏比賣は かぐる と読む説もありますが ^^;)

 

「ま」 というのは おそらく 「真の」 とか 「ほんとの」 という意味だと思うのです。

今でも 「まんなか」 とか 「まっしょうめん」 とか 使うから。。

 

「か」 というのは 仮の という意味だと「池田氏 古墳墓碑」に書いてありました。

 

元々は 黒比賣 という名前に

真の とか 仮の

という語を あたまに載せたのではないか?って 思いました。

 

さらに そういえば

仁徳天皇妃で 吉備の黒比賣(皇后の嫉妬で国に逃げ帰った)という方も

履中天皇妃で 葦田の宿禰の娘 黒比賣 という方もいたなあ。。。

と 思い出しました。。

 

なんだか

黑ひめって

巫女的能力のある女性が そう呼ばれる名前なんじゃないかなあ。。。

と 思いました。

 

眞黑比賣って もしかしたら 卑弥呼かなあ。。。

とも 考えましたが

卑弥呼さんは 結婚しなかったっていうし

なら 卑弥呼さんグループの上の方の人だったのかなあ。。。

謎の方です。。。

 

「池田氏 古墳墓碑」にも載ってない方なので

池田氏も 調べたけど わからなかったのでしょうね。。。

ほんとに謎の女性 だなあ。。。。

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日記

昨日15日㈫は 1人で 本庄~宇都宮を車で往復しました

次女は 心配してくれましたが

ゲゲは 結構 好きというか 萌えるというか

ゲゲの通る道が 結構 古代 重要な場所で

そこかしこに 古墳があるので

闇探検というか 脳内で 古代の謎を考えるのが 非常に楽しいというか

好きな音楽を聴きながら 色んなひらめきもどこかから降りてくる感じで

ひじょう~に 好きです。

 

昨日のひらめき 忘れないうちに書き留めておく~♪

 

○日本武尊の伝承って

かなり 村人と触れ合った話が多い。。

景行天皇には 多分ないと思う。。自分の家臣との話はあるけど。。

 

やっぱり 日本武尊って 村人たちと直接触れ合おうとした

気さくな人なんじゃないかって思う。。。

んで 最近の通説というか

民を喜ばすには 経済をまわすこと!

らしいので 日本武尊はそれに早くから気付いていて

征西や東征で訪れた地の民には なんらかの見返りというか

そういう感じの事をしてあげたんじゃないだろうか。。

 

 

なので 喜んだ民衆が 好意的に 尊の事を

末永く語り継いだ気がします。

 

地元にいる鬼を退治しただけでは

あまり 語られないような気もするし。。

逆に 退治された鬼こそが

実は 地元の民から慕われていたっていう話が多いから

それを征伐する方って 多少はやっぱり 好意的な伝承って 残らない気がする。

 

ゲゲの知ってる中で

甲をプレゼントして 守りにしなさい という話が二つ残っているから

村人にとっては 守り神になるような物をもらえるって

とてもありがたい事だよなあ。。。

と思う。。

村を守る物って 力も刀も持たない村人にとっては

精神的にひじょうに救いとなる気がする。

 

○日本武尊(=小碓命)って 双子のお兄さん(=大碓命)がいるけど

実は 父である景行天皇って お兄さんの方を気に入っていたんじゃないのかなあ。。。

と なんとなくですが そう思いました。。

 

だから 美濃に自分の妃2人を迎えに行かせる という大切なお役目に

お兄さんの方を指名したんじゃないだろうか。。。

(妃を迎えに行くにあたって

昔の事なので あくまでも油断禁物で

知力 武力に長けた人を大将として行かせる。。

と考えます)

 

結果的には まさか

お兄さん 父を裏切って ちゃっかり 妃2人と結婚しちゃって

しかも

偽ものの妃2人を父の元に送って

自分は美濃を支配する!みたいな感じになってしまいましたが。。。

 

○ 栃木県 壬生の車塚古墳って

亀山市の能褒野王塚古墳と

地形的によく似た場所にある!

と 思いました。

 

昨日 車で 通って 改めて

あ~ ここって 懐かしい~~!

亀山の日本武尊様の古墳のところと似てるんだ~~!!

 

って 気付きました。

 

川を行き来した古代

川から見上げる場所にある大きな古墳って

人々を圧倒する すごい存在だったのでしょうね。。。

 

○道路の傍にある 闇夜の中の古墳を見て

昨日 直観的にですが

 

あ~。。。夜の古墳って そこから 根の国に通じてるんだ~。。

根の国に行けるんだ~。。。

 

と思いました。。。(怖)

 

 

 

 

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卑弥呼の宗女イヨ?トヨ?は 景行天皇妃 訶具漏比賣だと思うううう~!!

今流れてるCMで

携帯?の画像が夜でもきれいっていうアレ。。

卑弥呼様が出てますが

あれって マクモニーグル説の卑弥呼様ですよね。。

 

アジア系の かわいい美女!

あのCM作った人 絶対 マクモニーグル氏の卑弥呼本 読んでる!

と 睨んでる (笑)

 

池田仁三氏の「画像解析による古墳墓碑」を読んでいて

ふっと思ったのですが。。。

(ずっと 愛読してます♥)

以前にも考察しましたが

かぐやひめというステキなお名前の方は

11代天皇 垂仁天皇 の妃に 迦具夜毘賣という方がいます。

 

そして かぐやひめとは名前の読み方が一つだけ違う

かぐろひめ

というお方が お二人 います。

12代天皇 景行天皇の妃 訶具漏比賣

 

15代天皇 応神天皇の妃 迦具漏比賣

 

です。

 

私は 色んな方の意見を参考にして あれこれ考えたのですが(特に池田氏の古墳墓碑本と マクモニーグル氏の卑弥呼透視本から)

卑弥呼さんがいた時代というのは

10代 崇神天皇

11代 垂仁天皇

12代 景行天皇

の3代に渡った時期だと思うのです。

 

池田氏が調べた「古墳墓碑」の年号も理由の一つですが

その他として 3人の天皇の行動?というか

記紀に書いてある事に 着目しました。

 

以前 HONKOWAで 玲子さんがおっしゃってた

「記紀って 卑弥呼を隠してるよね」みたいなお言葉も拝見して

 

そうだ!!

卑弥呼さんって あまりにもすごい能力の持ち主だから

天皇家にとっては 国土をまとめるのに必要不可欠の存在だけど

本音はいてほしくないんだ!!

と 気づかされました。

 

 

ありがたいけど邪魔な存在の人。。。!

いなきゃ困るけど 本音は 自分達が国をまとめたい。。

卑弥呼に代わって 国のトップに立ちたい。。。

目の上のたんこぶ。。。

 

と 内心思ってんじゃないかなあ~、、、と気づかされました。

 

そもそもは 崇神天皇の時

四道将軍達が地方へ行って国を統一したっぽいのは

卑弥呼の力を借りたからできたのでは?と 思います。

 

そして 崇神天皇は 卑弥呼の力を借りて国をまとめつつ

同時に 卑弥呼がいなくなった後

自分達のヤマト政権が 国々をまとめるトップに立てるように

独自路線を開発というか

あれこれ模索していったのだと 思うのです。

 

崇神天皇は 国を大きくまとめるのに 卑弥呼の力を利用しつつ

自分は 倭トトモモソ姫をそばに置いて 自分周辺の事を視てもらい

なおかつ 自分の娘 豊スキイリヒメには

天照大御神の鏡を持って 宮の外に出して 祀らせて

卑弥呼がいなくなった時 困らないように

呪術的な面を強化してる感じがします。

 

モモソ姫は 三輪山伝説で 箸でホトを突いて亡くなってしまいますが

あれって 推測ですが

モモソ姫は 卑弥呼にとって代わって 国の頂点に立とうと

三輪山の神の力を使って なんか好き勝手やっちゃったから

崇神天皇に見つかって殺された。。。

って事なんじゃなかろうか。。

って 気もします。。。

 

そして 崇神天皇が

天照大御神の鏡と大国主命の魂を宮の外に出したのは

政教分離というか。。。

卑弥呼が 政治面でも宗教面でもトップにいる事への対抗というか。。

 

もし 卑弥呼亡き後

自分が 国々をまとめる時が来たら

シャーマンには宗教だけまかせて 政治は自分達でやる!

という強い決意なんじゃないかなあ。。と思うのです。。

 

そして 次の垂仁天皇は

自分の娘 倭姫を 豊スキイリヒメの後を継がさせて

今度は 天照大御神を祀る良い場所を探す旅に出させます。

 

これはもう 卑弥呼に とって代わるために

自分達の先祖である ヒルメムチという女性(多分 ものすごいすぐれた伝説のシャーマンだったんだと思う。。持統天皇あたりが 「天照大御神」って 名前を付けたんじゃないのかしらん。。)

を 最高に素晴らしい場所で

最高にうやうやしく祀って 天皇家を守護していただく!

という宗教政策? だと思います。。

 

っていうか。。

卑弥呼さんが 結構 予想外に長生きだったんでしょうね。。。

それって 天皇家にとっては想定外だったんでしょうね。。。

 

次の景行天皇は 伊勢に落ち着いた倭姫に天照大御神を祀らせて

倭姫から 日本武尊様に草なぎの剣を与えて

日本武尊 様に 東征へ行かせます。

 

天皇の支配下にあるシャーマンが

天皇の支配下にある武士に 神の力を与えて 戦いに出させる

みたいな。。。

今までは おそらく

鬼道を操る(玲子さんも わからない。。っておっしゃってました)卑弥呼が

神から託宣を受けて 天皇に命令していたのでは?・・・

と思います。。。

 

そして ゲゲの推測ですが

日本武尊 様が西に戦に出る前あたりに

卑弥呼さんが亡くなったんじゃないのかなあ~。。。と思うのです。。

 

というか。。。

卑弥呼さんが亡くなった後

あちこちの国がやっぱり乱れてきちゃったので

景行天皇が 武力に長けた日本武尊様を 西に東に戦に出した。。と思います。。

 

で タイトルにもあるトヨ または イヨ さんですが

景行天皇妃の訶具漏比賣 だと思うのです。。

でも 確か 宗女トヨ または イヨは 13歳!

後見役が必要ということで

垂仁天皇妃の 迦具夜毘賣!が 後見した!と 思います。

 

理由は 月に帰るかぐやひめ という不思議な昔話と

かぐ という名前の部分が共通してるからです

 

卑弥呼の宗女グループがあって(マクモニーグルさんがおっしゃってた)

多分だけど そのグループの女子には かぐろ か かぐや って名前を付ける決まりになってたんじゃないのかなあ~。。。

と あくまでも推測ですが。。。

 

あと 理由ですが

景行天皇妃の かぐろひめは 残されてる系図が めちゃくちゃなんです

確か 日本武尊様の子孫が

日本武尊様の父である景行天皇と結婚とか

あり得ないんです。。(まあ ありえなくもないけど 実際的には無理じゃね?みたいな。。。)

 

ゲゲの調べた範囲では 残された系図がおかしいっていうのは

なにか隠してる!! って 事なんですよね。。

知られちゃまずい何かを。。。

 

続く。。。

 

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2016年6月11日㈯ 奈良一人旅 3日目 纏向散策 箸墓古墳 ホケノ山古墳

箸墓古墳を目指して のんびりテクテク歩きました。

あ~~!! 今思い出しても ほんと楽しかった~~!!

気持ちよかった~~!!

心地よい風を受けながら のんびり歩くたんぼ道♥ 最高~~!!

見晴らしが良いから 目当ての古墳も すぐわかるし

あの解放感 ほんとに最高です。

dscn2379

憧れの箸墓古墳に 一歩一歩どんどん近づいている!

長い年月夢見た時を経て とうとうこの時が来た!

と思うと 興奮して興奮して~~~~ w

dscn2386

箸墓古墳

テレビや写真で見た通りの セクシーで美しい姿~~

dscn2392

169号(天理← →榛原 明日香)の交差点から

古墳の池の堤?っていうのかな

登れるようになってました。

散歩コースみたいになってます。

dscn2391

dscn2395

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この池のほとりをまっすぐ進んで 誰かが踏み固めた道なき道wを

南方面?へ 抜けると

拝所の前に出ます。

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崇神天皇陵やほかの古墳と違って

鳥居の前には水の入った堀がないので

うお! すぐ目の前に古墳がある!

という かなり近い感(変な日本語)があります。

 

ここが 記紀で有名な ヤマトトビモモソヒメ様が眠ってらっしゃる古墳!

記紀を読むと ものすごい能力を持った巫女のような印象を受けるお方です。

呪術を使えそうだし 視える能力もすごそうだし。。

 

感想を申しますと

ちょっと怖い雰囲気がありましたです。。^^;

 

水辺に映える箸墓古墳は とても美しくておだやかで優雅な雰囲気で

誰でもウエルカムみたいな。。 そういう感じなのですが

(この日 実際に来るまではそう思ってました)

この拝所から拝見する箸墓古墳は そうではなく。。。

なんだか 人をよせつけない というか。。

(私が坂東の人間だから 特にそうなのか。。)

 

水のある方と ない方では 古墳の雰囲気が全然違いました。。。

あまりの空気感の違いが ものすごい違和感です。。。(日本語が、、)

 

そして

古墳の木にいるカラスの鳴き声が 尋常じゃないほどすごくて。。。

明らかに あれ

早く帰れ~~ 早くここから立ち去れ~~~

って感じで 普通以上にギャーギャー鳴いてました。。。 ^^;

歓迎はされてない。。。 感じでした。。。

 

霊能者玲子さんの霊視を頭に置いたうえで 参拝してるし

これから ホケノ山古墳にも参拝しよう~としてるし

そういうのって 悟られてるのかな~と 思いました。

 

玲子さんの霊視では

崇神天皇の頃 モモソ姫は

ホケノ山古墳に眠る巫女が生きてた時分

彼女を邪魔に思い

勢力争いみたいな事を繰り広げていたようです。。

お礼を言って 拝所の前から失礼しました。

古墳沿いの細い道を通って 水辺ではない方の反対側の道路に出ました。

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道路に ところどころ 案内板があるので

初めての道ですが 安心して歩けました。

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↓ 国津神社 ホケノ山古墳のそば

とても趣と風情のある神社でした。歴史が古そう!

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ホケノ山古墳に眠るお方のお宮 だったのかしら~。。

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この神社のある場所は なんだか重要な地点という感じでした

ここを起点として あちこちの道の大事な場所へ行けそうな。。というか。。。

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すぐそばのホケノ山古墳へ行く途中

近くの家の方か 若い人たちが数名

車のそばで楽しそうにしゃべっていて

そばの草むらに ↓にゃんこがいました♥

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↓ ホケノ山古墳

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お花がいっぱい♥ なんてステキ!

すっごい すがすがしいというか

パワースポット的な気持ちよさでした。

 

さっきの箸墓古墳とは 空気が違うな~。。と思いました。

カラスは全然鳴いてなくて

代わり?に 鶯がさえずってました♥

空の様子も ほんとに ステキな夕暮れというか~

歩きまわって疲れた体をいたわってくれてるようで

とても心地よかったです☆

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↓ ステキな古墳なので登ってみたかったのですが

この看板を見て あきらめました ^^;

あ。。 やっぱりいるのね。。^^; みたいな。。。

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いっぱい元気を頂いたので

さあ 駅に戻ろう~ 歩こう~~~

と 来た道を引き返すため 歩き出しました。

10歩くらい歩いたのですが

なんだか ふと 帰るのが名残惜しくなって

また さよならを言おうと思って 古墳を振り返ってみたんです。

 

そうしたら 古墳の上空が さっきとうってかわって

一面 かわいらしいピンク色に!!!!

 

きゃ~~~~っ!!! なんて ステキ!!!!

 

↓ 望遠で頑張ったけど カメラはこれが限界

私の肉眼の視界では 古墳の上ほぼ全部の空が

淡いきれいな可愛いピンクで埋め尽くされてました。

 

ピンクとブルーのコントラストが ほんとにたとえようもないほど

美しくて。。。涙ものの美しさでした。。

天使か!みたいな。。(意味不明)

語彙が足りなさ過ぎて うまく表現できない~~~~~~~~!!!!

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え~~~ こんなステキなかわいい夕焼け空の色 見た事ない~~!!

きゃー! キャー!ステキ~~~~ ヽ(^。^)ノ

 

もう~ 嬉しくって嬉しくって 空に向かって

きれいなピンクを 何枚も何枚もバシャバシャ撮りました。

 

さすが 地元の人から慕われていた巫女~(玲子さんの霊視)

優しい~~!!

私に 見せてくれたんだ~~!!

私を歓迎してくれたんだ~~~!!!

来てくれてありがとう~って お礼してくれたんだ~

振り返って良かった~~~!!! (*^。^*)ノ

 

空を見て浮かれまくった私は ハイテンションでまた歩き出し

さっきの神社のところに出ました。

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そこで 駅を確認するため もう一回地図の看板を見たのですが

あ。。 古墳からこっちに降りて来るんじゃなくて

古墳から向こうへ行けばいいんだ。。

と 気づきまして

また 来た道を古墳目指して 歩いていきました。

で 古墳のすぐ近くまで戻って来たのですが

ふと 道路上のある物体に 気付いてしまいました。。

↓ 看板に書いてあったモノが ご昇天されてましたが

この日早くに交通事故にあったみたいな。。^^;

ありました。。

ぎえ~~~~!!!っっっ

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まぢでまぢでいるんだ! うわ~~!!

初めて見た!!

でも ここ さっき 小さい犬連れた近所の人が散歩してたし

普通の生活道路みたいなのに~

近所の人達 家いっぱいあるけど まぢ危ないじゃん!!!

ふつうに生息してるんだ こいつら~~!!

道路に出てきちゃうんだ~~~!!

 

さっき ネコちゃんだっていたのに~~

こんな奴らが 這ってるなんて危険すぎる~~ (^◇^;)

 

よりによって こんなステキな古墳に こいつらがいるなんて。。。

こいつらがいなくて登れる古墳も 世間にはいっぱいあるのに~~~~。。。なんてこった ぱんなこった~~~!!

 

これって やっぱり ヤマトトビモモソ姫の巫女集団による

ホケノ山古墳の巫女への呪詛 なのかなあ。。。と思いました。。

今でも生きてる。。。

 

もしかしたら 私 来る日とタイミングによっては

こいつに噛まれていたのかもしれない。。

と 思ったら 余計 ぞぞぞぞ~。。。っとしました。。

同時に

ホケノ山古墳の巫女様が守ってくれた!

と 勝手にですが思いました。ありがとうございました!!

 

そういえばさっき 帰る時 何気にふと 古墳を見上げたのも

もしかしたら

「そっちの道じゃないよ。駅はこっちの道が近いよ」

って 教えてくれてたのかも。。

ますます ありがとうございます~~~ (*^ω^*)

と 思いました。

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