「裳原の戦い」 を調べていたら。。。((゚Д゚ ||;;)))))) ガクブル

4日 月曜日に 用事があって 宇都宮市役所地下の売店へ行きました

そこで 「宇都宮の旧跡」という 平成はじめ頃 教育委員会が発行した本を見つけ

購入しました

 

親切にしてくださった市役所の方お二人様 ありがとうございました!! (^・^)

お世話になりました <m(__)m>

 

家へ帰って読んでみたら

なんと 冒頭に 古戦場の事が書いてあって

私が 常々

これって どこなんだろう。。。

と 頭をひねっていた「裳原の戦い」のあった場所が書いてあったのです!!

 

ヽ(^。^)ノヤッター

 

ネットとか 色々探したけど よくわからなかったのですよ

 

喜んで 文章を読み始めた私ですが

。。。

。。。場所を読んだ途端

愕然としました!!

恐怖でひきつりました。。。。((゚Д゚ ||;;)))))) ガクブル

 

えぇ~~!!???

あそこ~~???!!!

 

・・・

やっぱり!!!

っていうか

怖っ!!

ゲゲの妖怪アンテナ 怖っ!!!

 

その場所は国道4号線沿いでした。。。

 

こうに書くとアレなんですけど。。。

なんかこうね 宇都宮から4号線を南下すると

ゲゲ なんか 毎回いつも不思議な気分になるんですよ。。

。。。

なんとも言えない 歴史の重みというか 。。。

何かこう 古い。。。。

というか

現代じゃない空気

というか。。。

 

一言で表すと

 

「??? なんだここ?・・・・」

 

っていう感じ。。。。違和感?・・・・

 

お店は並んでいるし (ラーメン屋さんとかおいしそう♥)

田んぼは豊かだし

農家さんはいっぱいあるし。。。

 

普通の人が住んでる場所だって思うのですが

何か こう 古い庄を感じるというか。。。

 

多分 おそらくですが

古代 豊城入彦命様や 日本武尊様の東征に 関係した地に近いから

古代の古墳時代の空気を感じるのかな

とは思っていたのですが

 

そこに 戦国の空気も 混じっていたとは。。。。!!!

((((;´・ω・`)))ガクガクブルブル

 

裳原古戦場

 

康暦2年(1380)

宇都宮氏 11代当主 宇都宮基綱軍 と 小山氏 小山義政軍 の激戦地

 

宇都宮氏当主 宇都宮基綱 討ち死に

 

負けた宇都宮軍の戦死者80名

勝った小山軍の 戦死者200名

 

 

当主が討ち死にした宇都宮軍と

勝ったけど 200名も戦死した小山軍

という

さんざんな結果になった 恐ろしい大戦 だったのです。。。

 

場所として

茂原2丁目付近

または

自衛隊宇都宮南駐屯地 南側の窪地

または

石橋町の鞘堂付近

 

と 書いてありました

ですが

ゲゲ

これらすべてをひっくるめたかなりの範囲が戦場になったんじゃないだろうか。。。

 

と 思うのですが。。。( ノД`)。。。

 

なんか あまり良い評判が残っていない(どういう表現^^;)ゲリラ戦だった

って 何かで読んだことがあります ><

 

石橋町の鞘堂という地名は

戦死した者たちの刀の鞘を塚にしたというところから起こったそうです

 

別の本には

戦死した280名を埋めた上にお堂を建て 鞘堂と呼んだ

 

なんて 書いてあるのもありました。。。ヾ(。>д<)))))))))

 

どっちなのーーー!!!

っていうか

どっちも 内容がすご過ぎてついていけないーーーーーー((((;;OдO;lll))))ガタガタブルブル

 

鞘堂は 地図で見ると

私が大好きな 日本武尊様の甲神社 の横。。。

というか

国道4号線をはさんだ反対側

でして。。。

甲神社の とても近くに位置する場所になります。。。

 

うがぁ~~~!!

そういえば

この間 国道4号線をチャリで南下した時 お堂の前 通った~~!!

 

あ ステキなお堂(名前がわからない)

こんにちは 前 失礼します~~

 

って 帽子ちょっと 頭から浮かせて 軽く挨拶して チャリで通り過ぎた~~!!

。。。

 

あの 違和感満載の場所近辺で

280名もなくなったんだ。。。><

宇都宮氏の当主様も。。。 ><

 

現在ののどかな風景の中

かつて 大激戦があったって

宇都宮市民のみなさんは 知っているのでしょうか。。。><

 

先日のチャリ散歩から

なんだか 戦国時代へ迷い込んでしまった感満載ですが

5日 火曜日

裳原の戦いの事で 現 宇都宮市茂原を調べていたら

翌 6日 水曜日

テレビの朝の天気予報で 依田さんがいた場所が千葉の茂原 だった。。。

 

 

昨日7日 小山(おやま)氏(現 栃木県小山市周辺を支配していた)の事を調べていたら

夜 だんなが何気に変えたテレビで オードリーの2人が廃品回収していたのが

まさに栃木県の小山市だった。。。

 

 

うわ~~~

なんだこのシンクロはぁ~~~!!!

これ 絶対 呼ばれてる~~~ ような気がする~~~

ブログに書いて投稿しなきゃ~~ って 気がする~~~ ><;

 

供養?のために

ヨドバシネットで買った NHK ヒストリアのサントラCD聴きながら

ブログ書いたり 調べものしてます

気持ちが和みます。。。( ^^) _旦~~

 

戦国時代って

調べれば調べるほど

えげつなさと 残酷さに

顔面蒼白になっていきます ((´д`)) キモチガシズム。。。

 

ここまでやるんかい?!

と 人間不信になります。。。

 

以前 小山で ひどい事件あったけど

なんかちょっと 戦国時代にあった事件に似てる。。。気がする。。。==;

 

 

ジャニーズの ○○くん。。。>< 読み方違うけど。。。

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「ヤマタのおろち」の「ヤマタ」、奈良県天理市「柳本」って もしかしたら 「ヤマト」なのかも。。。

今 買ったばかりの初めてのスマホ関連作業?で 四苦八苦中ですw

悩みに悩んで やっと 手帳タイプのカバーを 密林さんに発注しましたw

カバーって お店に行っても 一つか二つしか売ってないのに

密林さんでは 山のようにあって びっくりしました

条件を絞って 400ページ 見ました!ストレッチしながら・・・

眼と腕が疲れた~~~~~!! w

 

 

確か スマホを買う前のことですが

出雲大社のご神木?を使ったブレスレットが欲しいかも~~♪

 

と パワーストーンがついてる雑誌の事をネットで検索したり

 

ユーキャンから 突然

古事記の話の無料サンプルDVD(アニメ入り)が送られてきたりしていました

(一度何かを買うと その後たくさん 次から次へとご案内が来ますw)

 

その無料サンプルDVDを見せてもらっていたら

 

あれ?

スサノオノミコト様が退治した

ヤマタノオロチって・・・

 

確か

あの怪獣は 川の事だろうって 今言われている事が多いけど

 

もしかしたら

ヤマタ って 。。。

 

yamata…

yamato…

 

似てる!!

「大和」 「 倭」 「日本」に

似てる!!!

 

って 思いました。

もしかしたら 以前 ブログに書いたことがあるかもです

再度 思いました

 

推測ですが

「やまと一族のオロチ」という人 または部族が支配していた出雲のあの辺りの地域を

スサノオノミコトが 戦をして 幹部8人を倒し

出雲を手に入れた

ということではないかと 思ったりしました

 

・・・

酒に酔わせて敵を滅ぼす やり方は

確か 神武天皇もなさっていたような・・・

日本武尊様も・・・ ^^;

 

日本語の発音ですが

縄文 弥生時代の 言葉の発音については よく わかりませんが

滅ぼされた人達の事なので

もしかしたら 後世 区別する意味で

「やまと」 ではなく 「やまた」 と 発音表記するようになったのかも。。。

と 想像してみました

または

「やまとの山田に住むオロチ」というボスかもしれません。。。

 

神話では 8つの頭を持つ大蛇となっていますが

世界各国に 似たような話があるそうなので

もしかしたら

スサノオノミコトとオロチの戦いは

わざと

「あれって 神話だよね?」のノリでうやむやにされて

史実から 外されるように仕向けられたのかもしれません。。。

 

出雲に行くと 史跡がたくさん残されているんですよね。。。

ネットで見た時

 

あー。。。

この戦いって 人VS化け物 ではなく

実際 人VS人 の戦で行われたんだろうなあ。。。

と 史跡の画像を見て 感じました

 

私の推測では

イザナミさんは 出雲の姫で

高天原のイザナギさんと結婚した時は 出雲と高天原は良好な関係を築けていたのに

その後 何か 出雲で

カグツチさんが関わるごたごたに巻き込まれて 亡くなってしまい

 

それ以来

高天原グループは

うまく 出雲と つきあえなくなり

そこに スサノオノミコトが 地方長官として 派遣されていったのではないか

と思います

 

イザナギさんとイザナミさんあたりの 出雲と高天原の関係は

私もうまく考えがまとまらず 上手に表現できませんが

イザナギさんにしてみたら

出雲の姫と 結婚したんだから

出雲は自分の支配する国

と 思っていたのかもしれません

 

ですが 出雲は  とても豊かな地なので

様々な人たちが この豊かさを目当てに この地を欲しがり

色々 トラブルもあったのではないか・・・

と 思います。。

 

 

そして この間 景行天皇の古墳の辺りの地図を見ていて

はた!と 気づいたのですが

地名 「柳本」を 不明瞭に発音していくと(変な日本語w)

 

やなぎもと。。。

やないもと。。。

やなもと。。。

やぁもと

。。。

やまと!!!

 

になる!!!

と 気づきました

^^; 結構 強引 w

 

マクモニーグル氏が

ヤマト民族が 移動した地は 「やまと」と呼ばれた

みたいなことをおっしゃっていたので

 

もしかして 柳本 って 昔々は

やまと って 呼ばれていたんじゃないかなあ。。。

と 思いました

 

地名の由来をネットで検索してみましたが

大きな楊の木があった? みたいな感じで

はっきりしたことは わからないみたいです

 

近くには 「長岡」があるようで

!!!

ナーガ!!

インド系の古代の蛇の神 の名前がついてる!!!

と 感動しました

大和神社が長岡の地に祀られる と 垂仁紀に書いてあるそうです

 

近くの 「渋谷」(しぶたに)は

水に関係する地名のようです

鉄分を帯びた 赤しぶの水の出る谷 らしいです

 

(参考 天理市ホームページ)

 

私は 邪馬台国も 「やまと」国 って 読むんじゃないかなあ

と思っています

結局は やまと という国は 各地にたくさん大きくあったと思うのです

(やまと民族は南から北へ北へ移動していったというマクモニーグル氏の霊視?が好き♥)

 

ですが

国津神(イザナミさん) 天津神(イザナギさん) 辺りで仲良くやっていたのに

後々 子孫でこじれる。。。

みたいなことを繰り返していくうちに

(戦国武将とかでも 代が変わると 兄弟でもめたりするアレ的な)

 

誰が 「やまと」を名乗るのに 一番ふさわしいか

みたいな 戦争というか 抗争というか

戦いになってしまい

負けた出雲は 結局「出雲」と 呼ばれ

区別されるようになってしまったのではないか

と思います

 

やまと は 山のふもと という意味もあるそうなので(山本やまもと も そうらしい)

そうなると 各地に 自分達はヤマトだ! と名乗る氏族がいっぱいいたかもしれません

 

本家やまと族

元祖やまと族。。。

 

卑弥呼さんがいた氏族がヤマトで(邪馬台国という漢字も良いけど 山門も良いなぁ)

景行天皇は 卑弥呼さん亡き後 ヤマトを 吸収して

自分達が ヤマトである! と 名乗り

国土統一に向かって進んでいった 気もします

 

天照大御神に仕える妹は 「倭姫」  という名前

 

南へ北へ戦に行く息子には 「倭武」 という名前

 

。。。。

 

うーむ 玲子さんの霊視でHONKOWAに書いてあったけど

この命名は奥が深い!

 

ヤマト。。

大和。。。

倭。。。

日本。。。

 

漢字はいろいろありますが

 

やまと

 

って 本当に美しい響きだなぁと思います

 

 

 

もともと奈良辺りを支配していたのは大物主神 って気がしてきた

栃木市の大神神社を調べていたのですが

 

そういえば

豊城入彦命(崇神天皇 息子)が この下野 栃木に

大和(奈良県)の三輪山の大三輪明神を勧請したのは

おそらく 滅ぼした太平山の先住民族の魂を祀るためで(ゲゲ推測)

当たり前の事なんだろう。。。って思っていたけど。。。

 

でも どうして 大神神社を勧請したのだろう。。。?

 

と 改めて 疑問に思いました

 

記紀を読んでみると

古代の天皇家にとって 大和の三輪山というのが特別な山であることは

とてもよく伝わってきます

 

HONKOWAの霊能者玲子さんは

三輪山は「戦没者を祀っている」

と 霊視されました

 

なるほど~!!

。。。

でも 戦没者って誰?。。。

 

 

疑問は尽きなかったのですが

古事記で

国造りに悩む大国主命の前に現れる大物主大神

のところを読んでいたら

ふと気付きました

 

これって 大国主命が

国造りがうまくいかないって悩んでるのは

もしかしたら

大国主命が 戦で滅ぼした相手を祀ってないから

祟りが起きて 国造りがうまくいってないってことなんじゃないかな。。

 

と 思いました

 

日本書紀では

 

「大物主大神は 大国主神の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)であると名乗られた」

 

って書いてあるので

 

わかったようなわからないような

結局 本人なの? 別人?一体誰?!どうゆうこと?!

と もどかしく思っていましたが(^◇^;)

 

これって

 

奈良の三輪山辺り あるいは 大和周辺 か 大阪方面とかを

大物主という

大国主命とは全くの別人 偉大なる王が治めていたのではないか?

 

と 思いました

 

そして

出雲地方の大国主命(あるいはそのご先祖)と

大和地方の大物主命 とで戦が起きて

出雲の大国主命が 勝った

という事があったのだと 思うのです

 

(物部氏っって 何か関係がありそう)

 

で 大和は 出雲の大国主が支配するところとなったものの

負けた側の大物主命を うまく祀らなかったのかも知れません

 

大国主命の前に現れた大物主大神は

「吾をば大和の青垣 東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望んだとあります(奈良 大神神社 ご由緒)

 

後の世で 10代崇神天皇が 国造りがうまくいかない時占ってみたら

大物主が出てきて 我を祀れと言ったそうなので

これと同じことが 大国主命の時代にもあったのではないか

と 推測してみました

 

そして これに関連してることなのですが

大国主命の奥様で 神屋楯比賣 という方がいらっしゃるのですが

この方が 全くの謎の方のようです

大国主命との間に 息子 事代主命がいます

 

天つ神 ニニギ命派が  国つ神 大国主命に国譲りを迫った際

大国主命が 「息子に相談してみます」 と おっしゃってた

あの息子さんです

 

ゲゲは 推測してみたのですが その神屋楯比賣様は

名前に神がついてますから 相当なお方のように思えるのです

 

もしかしたら 大和の三輪山に祀られてる大物主命の娘さんか 子孫の方ではないでしょうか

大国主命は 大物主命との戦いに勝ち

そして その血を引く女性と結婚したというのは

古代では 大いにあり得るような気がします

 

事代主の命も 大和の葛城坐一言主神社にて 祀られています

出雲の神と 思われていますが

出雲を支配していたのは 父 大国主命で

息子の事代主命は 自分の母親と共に 大和で暮らしていた

と 思えるのです

 

天つ神 ニニギ政権は 大国主命との戦いに勝ち

大和を手に入れました(ゲゲ推測)

そこで 大国主命政権に代わって 大和や尾張 三重とかを

支配したのは ニニギの兄弟 天火明命だと思います

 

ニニギは 九州を支配しなければならないなので

出雲は 叔父 天ホヒ命に支配させ

大和は 兄弟 天火明命に支配させた

と 推測します

 

また系図を作ってみたいと思いますが

 

大物主命 - 神屋楯比賣 - (   ) - (  ) -

ヒメタタライスケヨリヒメ

と続くと 考えてます

 

大物主命 ー 櫛御方命 - 飯片巣見 - 建ミカ槌命 -その後13代くらい? - オオタタネコ

 

と続く系図も あります

 

天火明命 - ニギハヤヒ1世 - ニギハヤヒ2世 - ニギハヤヒ3世 -物部氏

という系図も 推測してます

 

大和の大神神社は

古代からの戦で亡くなった方達を祀っている

というのはありえると思います

先住民族の聖地だったところが 代々 大事にされてきた

とも言えると思います

 

山幸彦と豊玉姫

古代の 妄想だか推理になるのかわかりませんが

ある日 ふと 頭の中に

 

あれの真相って あーゆーことじゃないだろうか。。

 

って 浮かぶんです。

 

なので 浮かんだことを せっせと記事にしています

数年後にたまたま読んで

 

え? 過去ゲゲ こんなことが降りてきたの?

 

と 自分でもびっくりすることが多々ありますw

 

古事記や日本書紀に書かれている 過去の天皇の事って

時代は違えど 結局は 1人の人間の人生なので

視点によって 色んなとらえ方があるだろうし

関わった人達に関しても 名前とか気持ちとか 伝え間違いがあるだろうし

絶対 本の通りだ!!

という決めつけは よくないと思うのです

 

後世の人が 良い風に推測したり 真相?を究明しようとする姿勢が

供養になるんじゃないか

と 思ったりします

 

山幸彦と 豊玉姫ですが

なぜ 豊玉姫は怒ってしまったのか。。

愛する旦那様の山幸彦と生まれたばかりの子どもを置いて

海に帰ってしまったのか。。

 

古事記では

お産を見られたから と簡単に書いてありますが

もっと 深い意味が隠されているのでは?

なんて 勘ぐってしまいます。

 

やはり これは

家の問題ではないかと思います

山幸彦の天孫族と 豊玉姫のワニ族(お産でワニになったというので和邇族だと思いました)では

ダメだったのでしょう。。

 

家同志の結びつきが決裂して

親の意向で 2人は離婚し

豊玉姫は 違う部族の人に嫁いだのだと思います

 

そして 子の養育のために

豊玉姫がよこした妹の玉依姫というのは

母違いの妹だと思います

母親が 天孫族に近い氏族なのかもです

 

姉と 姉の子どもが不憫で可哀想。。

と 玉依姫が 苦労を覚悟で決意して

家を出てきたのかも知れません

 

と こんな考えが 先日 ふと 頭の中に降りてきました

 

もしかしたら

 

いつかは 本土の大和へ上って戦って 支配地を広げるぞ!!

 

という秘めた野望?を持つ天孫族の山幸彦に

海のそばで生まれ育った豊玉姫は

心身ともに ついていけなかったのかも知れません

故郷を捨てられなかった。。とか。。。

 

 

古代も今も

結婚生活って

好きって気持ちだけじゃやっていけないものなんですねぇ。。。

倭氏族 倭迹迹日百襲姫命と ニギハヤヒ始祖の物部氏 伊香色謎命の系図

系図作りが楽しいです

わくわくしながらワード画面に向かっています♪

 

倭迹迹日百襲姫に連なる

神武天皇の頃の 弟師木 からの系図を作ってみました

弟師木の息子が 師木縣主 波延(しきのあがたぬし はえ)です

系図の左側です

 

伊香色謎命は 両親から 書いてみました

系図の右側です

 

 

 

以前にも考察してみましたが

こうして系図を作って マジマジと眺めて

両家? というか 比べてみると

モモソ姫の先祖は 今でいう 地元の県知事クラス出身で

伊香色謎命(いかがしこめのみこと)は 略してますが

父方は 始祖がニギハヤヒという 天皇家から枝分かれしたお方です

 

どっちが上 とか表現するのは

優劣をつけるようで あまり触れたくないですが^^;

この頃の 古代にも

先祖が誰々 という出自争いみたいなものが

あったんではないだろうか。。。

と つい勘ぐってしまいます

 

系図を作っているうちになんだか見えてきたのが

天皇位の継承にからむストーリーです

 

孝元天皇が亡くなり 開化天皇が跡を継ぐことになり

良い皇后を ということで

元 孝元天皇妃の伊香色謎命 が選ばれたと思うのですが

これには 伯母であり 孝元天皇皇后の鬱色謎命が強く

「おまえ ぜひ うちの家(物部氏)のためにも 息子と結婚しておくれ」

と勧めたような気がします

 

多分おそらく 伊香色謎命はサイキック能力もあり

天皇皇后として最適な女性だったのだと思います

そして モモソ姫の倭一族に対抗するためにも

自分の息子に力強い妻を持たせたかったような気がします

 

ほんとに系図を書くのって 面白いです

いろんなストーリーが 頭の中に 生き生きと浮かんできます

 

今回 系図を作るにあたって

またまた 気になる女性を見つけてしまいました

伊香色謎命の母 高屋阿波良姫

伊香色謎命の父 おおへそき の母 坂戸由良都姫 です

 

たかやあわらひめ

 

さかどゆらつひめ

 

とお読みするのかもですが

 

なんて素敵なお名前~~~

 

と惹かれてしまいました♥

 

飯野の眞黑比賣 考察 作ってみました ゲゲ系図

以前に考察した 飯野の眞黑比賣です

飯野の眞黑比賣(古事記)の謎 隠された?姫 卑弥呼系列?

 

↑ この記事とは やや違う場所に 眞黑比賣をあてはめてみました

 

 

若建吉備津日子の妻になった という点では変わらないのですが

父を 讃岐 飯野山の飯日子と考えました

(名前は 神社のご祭神からの推測です)

飯神社のある辺り飯野を治めていた 讃岐国の飯依比古命の子孫と 推測しました

 

前回も 書きましたが

古代ですので

親子と言っても 年齢が 長子と末子では かなり離れていることを考慮しつつ

その天皇の時代に活躍したと思われる同世代の方達が 横に並ぶように

作ってみました

 

 

皇族だったら 男女15歳位で 最初の子どもが生まれるでしょうし

70歳を越えた男性が 若い女性を妻にして お子さんをもうけることも充分ありえる

と仮定して 推測してみました

 

景行天皇妃 訶具漏比賣も 私が推測する場所に

入れてみました

 

古事記に書いてある親子関係 婚姻関係を読んだ場合

どうにも疑問が残ってしまうので

やはり 眞黑比賣 訶具漏比賣という方は サイキック能力に秀でた卑弥呼グループの方だと思うのです

意図して 隠されたのでしょう

 

後の時代の私達に

「文章を写し間違えたに違いない」

と 軽く思わせつつ

訶具漏比賣に連なる香坂王 忍熊王の出自をあいまいにして

地位をおとしめ

この2人には 皇位を継ぐ資格はない、応神天皇の方がふさわしい

と 思わせる意図もあったと思います

 

参考文献 画像解析による古墳墓碑 池田仁三氏 青林堂

HONKOWA 闇の検証 寺尾玲子 朝日出版社

 

 

 

 

八角墳の謎 中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足による蘇我氏への対抗呪術

大型古墳の終末期に 八角形の古墳が出現します

今までは

進化したんだね~

と 科学の進歩みたいに軽く考えていましたが

先日

もしかしたら 八角形という形は

天智天皇サイドが 蘇我氏に対抗しようと取り入れた呪術なのかも!

と 気付きました ( ̄□ ̄;)!! ∑( ̄□ ̄ノ)ノ

 

最初に登場した八角形の古墳は 舒明天皇陵だそうです

おそらく

次の天皇であり妻の皇極天皇と 息子である中大兄皇子が

神事・祭祀のエキスパート 中臣鎌足に相談し

蘇我氏対策& 自分達の子孫繁栄に効果があるようにと

八角形の形を取り入れたように思います

 

当時の蘇我氏は 蘇我蝦夷の時代で

とても繁栄していたそうですが

私が思うに それは吉相の土地に造られたお墓効果だと思います

 

蘇我家の馬子(蝦夷の父)の墓と伝わっている石舞台古墳を訪れた時に感じましたが

そこは とても気持ちが良い場所でした

いるだけで 体中に良いパワーをもらえるような

不思議な何かを感じられました

 

墓というのは

古代中国の風水思想で

良い土地に作ると子孫が繁栄するという

最強のパワースポットだそうです

 

皇極天皇 中大兄皇子 中臣鎌足たちは

蘇我氏の勢いがこのまま続けば

天皇家を上回る力を持つ恐れがある

と脅威を感じ かなりの危機感を抱いていたと思います

 

蘇我氏が代々受け継いできた仏教パワーも

恐れの対象となったのかも知れません

(参考文献 HONKOWA 寺尾玲子の真 闇の検証

 

そこで 古墳を八角形にして

これ以上蘇我氏の力が大きくなるのを阻止して

自分達の子孫が繁栄するようにと

呪術を施したのだと思います

 

おそらく 舒明天皇の古墳を造る段階で

中大兄皇子 中臣鎌足は

蘇我宗家を滅ぼす!

蘇我蝦夷・入鹿親子を倒す!

と決めていたのではないでしょうか。。

そんな気がします

 

そして 八角形の古墳の効果か

乙巳の変で 蘇我宗家が滅びました

 

その後 皇極天皇から孝徳天皇に代わり

孝徳天皇の後 皇極天皇が重祚して斉明天皇となりました

 

斉明天皇が亡くなった後 中大兄皇子が天智天皇となりました

中臣鎌足が世を去り

その後 天智天皇も 亡くなりました

 

天智天皇の古墳は

天皇位を継承した息子の大友皇子が造営したのでしょうが

八角形だそうです

 

そして 壬申の乱が起こり

天智天皇の弟 大海人皇子が 大友皇子から政権を奪い

天皇となりました

 

その後 故中臣鎌足の妻 鏡女王が亡くなり

墓は 舒明天皇陵のすぐ隣りに造られました

 

親子でもないのになぜ?と謎なのですが

(あるいは血縁関係があったのか)

もしかしたら

舒明天皇陵の八角形のパワーを持続させるために

鎌足の関係する談山神社からの中継地点ということで

そこの場所に造ることにしたのかもしれません

 

鏡女王は もともとは 天智天皇の妻でしたから

舒明天皇は 元夫の父ということになるので

多少の縁はあるわけです

 

鎌足亡きあと 息子の藤原不比等が

天皇家の発展を祈願しつつも

同時に

自分達藤原氏の勢力を伸ばすために

何かこう仕掛けているのではないかと 思います

 

大海人皇子が天皇となった後 中臣鎌足の息子 不比等が

天武天皇(大海人皇子)・持統天皇(うのの皇女さらら)に

重用されて ものすごい力を持つようになります

 

そして 天武天皇が亡くなると

八角形の古墳に埋葬されます

 

これは 舒明天皇~天智天皇の古墳の形を取り入れて

自分達の子孫を繁栄させるために

八角形を選んだのだと思います

 

天智天皇から弘文天皇(大友皇子)に伝わった天皇家独自の視えない何かが

天武天皇側には伝わらなかった

(HONKOWA 寺尾玲子の真 闇の検証)

ため

古墳を八角形にして 呪術力を高めたのかもしれません

 

天智天皇の息子 弘文天皇から

皇位は 天武天皇に移りましたが

それも 約100年で 称徳天皇の薨去により終わりました

 

天武天皇・持統天皇の八角形の古墳の効果は

天皇が代々 代わっていく中

途中で切れてしまったのかもしれません

 

もしかしたら

天智天皇が舒明天皇の古墳を造った時のような

強い想いと呪術力が

天武系の天皇たちが代々子孫に伝えていった呪術に勝ったのかもしれません

 

あるいは やはり 政権を奪った側として

天皇位を続けていける視えない何かが足りなかったのかもです

 

天智天皇 死後約100年後

天智天皇の孫 白壁王が光仁天皇となり

天智系が復活しました

 

そして 現在

天皇家も 藤原家も 見事に存続しています

古墳って 先人たちがかけた呪術?で

つくづく 計り知れない謎があると思います

 

そして やはり

天智天皇と中臣鎌足のお二人は

ただものではない!!!

と ひしひしと想うのであります

ガクガク(((i;・´ω`・人・´ω`・;i)))ブルブル