Archive for 歴史 闇の考察

2016年6月11日㈯ 奈良一人旅 3日目 纏向散策 箸墓古墳 ホケノ山古墳

箸墓古墳を目指して のんびりテクテク歩きました。

あ~~!! 今思い出しても ほんと楽しかった~~!!

気持ちよかった~~!!

心地よい風を受けながら のんびり歩くたんぼ道♥ 最高~~!!

見晴らしが良いから 目当ての古墳も すぐわかるし

あの解放感 ほんとに最高です。

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憧れの箸墓古墳に 一歩一歩どんどん近づいている!

長い年月夢見た時を経て とうとうこの時が来た!

と思うと 興奮して興奮して~~~~ w

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箸墓古墳

テレビや写真で見た通りの セクシーで美しい姿~~

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169号(天理← →榛原 明日香)の交差点から

古墳の池の堤?っていうのかな

登れるようになってました。

散歩コースみたいになってます。

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この池のほとりをまっすぐ進んで 誰かが踏み固めた道なき道wを

南方面?へ 抜けると

拝所の前に出ます。

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崇神天皇陵やほかの古墳と違って

鳥居の前には水の入った堀がないので

うお! すぐ目の前に古墳がある!

という かなり近い感(変な日本語)があります。

 

ここが 記紀で有名な ヤマトトビモモソヒメ様が眠ってらっしゃる古墳!

記紀を読むと ものすごい能力を持った巫女のような印象を受けるお方です。

呪術を使えそうだし 視える能力もすごそうだし。。

 

感想を申しますと

ちょっと怖い雰囲気がありましたです。。^^;

 

水辺に映える箸墓古墳は とても美しくておだやかで優雅な雰囲気で

誰でもウエルカムみたいな。。 そういう感じなのですが

(この日 実際に来るまではそう思ってました)

この拝所から拝見する箸墓古墳は そうではなく。。。

なんだか 人をよせつけない というか。。

(私が坂東の人間だから 特にそうなのか。。)

 

水のある方と ない方では 古墳の雰囲気が全然違いました。。。

あまりの空気感の違いが ものすごい違和感です。。。(日本語が、、)

 

そして

古墳の木にいるカラスの鳴き声が 尋常じゃないほどすごくて。。。

明らかに あれ

早く帰れ~~ 早くここから立ち去れ~~~

って感じで 普通以上にギャーギャー鳴いてました。。。 ^^;

歓迎はされてない。。。 感じでした。。。

 

霊能者玲子さんの霊視を頭に置いたうえで 参拝してるし

これから ホケノ山古墳にも参拝しよう~としてるし

そういうのって 悟られてるのかな~と 思いました。

 

玲子さんの霊視では

崇神天皇の頃 モモソ姫は

ホケノ山古墳に眠る巫女が生きてた時分

彼女を邪魔に思い

勢力争いみたいな事を繰り広げていたようです。。

お礼を言って 拝所の前から失礼しました。

古墳沿いの細い道を通って 水辺ではない方の反対側の道路に出ました。

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道路に ところどころ 案内板があるので

初めての道ですが 安心して歩けました。

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↓ 国津神社 ホケノ山古墳のそば

とても趣と風情のある神社でした。歴史が古そう!

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ホケノ山古墳に眠るお方のお宮 だったのかしら~。。

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この神社のある場所は なんだか重要な地点という感じでした

ここを起点として あちこちの道の大事な場所へ行けそうな。。というか。。。

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すぐそばのホケノ山古墳へ行く途中

近くの家の方か 若い人たちが数名

車のそばで楽しそうにしゃべっていて

そばの草むらに ↓にゃんこがいました♥

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↓ ホケノ山古墳

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お花がいっぱい♥ なんてステキ!

すっごい すがすがしいというか

パワースポット的な気持ちよさでした。

 

さっきの箸墓古墳とは 空気が違うな~。。と思いました。

カラスは全然鳴いてなくて

代わり?に 鶯がさえずってました♥

空の様子も ほんとに ステキな夕暮れというか~

歩きまわって疲れた体をいたわってくれてるようで

とても心地よかったです☆

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↓ ステキな古墳なので登ってみたかったのですが

この看板を見て あきらめました ^^;

あ。。 やっぱりいるのね。。^^; みたいな。。。

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いっぱい元気を頂いたので

さあ 駅に戻ろう~ 歩こう~~~

と 来た道を引き返すため 歩き出しました。

10歩くらい歩いたのですが

なんだか ふと 帰るのが名残惜しくなって

また さよならを言おうと思って 古墳を振り返ってみたんです。

 

そうしたら 古墳の上空が さっきとうってかわって

一面 かわいらしいピンク色に!!!!

 

きゃ~~~~っ!!! なんて ステキ!!!!

 

↓ 望遠で頑張ったけど カメラはこれが限界

私の肉眼の視界では 古墳の上ほぼ全部の空が

淡いきれいな可愛いピンクで埋め尽くされてました。

 

ピンクとブルーのコントラストが ほんとにたとえようもないほど

美しくて。。。涙ものの美しさでした。。

天使か!みたいな。。(意味不明)

語彙が足りなさ過ぎて うまく表現できない~~~~~~~~!!!!

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え~~~ こんなステキなかわいい夕焼け空の色 見た事ない~~!!

きゃー! キャー!ステキ~~~~ ヽ(^。^)ノ

 

もう~ 嬉しくって嬉しくって 空に向かって

きれいなピンクを 何枚も何枚もバシャバシャ撮りました。

 

さすが 地元の人から慕われていた巫女~(玲子さんの霊視)

優しい~~!!

私に 見せてくれたんだ~~!!

私を歓迎してくれたんだ~~~!!!

来てくれてありがとう~って お礼してくれたんだ~

振り返って良かった~~~!!! (*^。^*)ノ

 

空を見て浮かれまくった私は ハイテンションでまた歩き出し

さっきの神社のところに出ました。

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そこで 駅を確認するため もう一回地図の看板を見たのですが

あ。。 古墳からこっちに降りて来るんじゃなくて

古墳から向こうへ行けばいいんだ。。

と 気づきまして

また 来た道を古墳目指して 歩いていきました。

で 古墳のすぐ近くまで戻って来たのですが

ふと 道路上のある物体に 気付いてしまいました。。

↓ 看板に書いてあったモノが ご昇天されてましたが

この日早くに交通事故にあったみたいな。。^^;

ありました。。

ぎえ~~~~!!!っっっ

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まぢでまぢでいるんだ! うわ~~!!

初めて見た!!

でも ここ さっき 小さい犬連れた近所の人が散歩してたし

普通の生活道路みたいなのに~

近所の人達 家いっぱいあるけど まぢ危ないじゃん!!!

ふつうに生息してるんだ こいつら~~!!

道路に出てきちゃうんだ~~~!!

 

さっき ネコちゃんだっていたのに~~

こんな奴らが 這ってるなんて危険すぎる~~ (^◇^;)

 

よりによって こんなステキな古墳に こいつらがいるなんて。。。

こいつらがいなくて登れる古墳も 世間にはいっぱいあるのに~~~~。。。なんてこった ぱんなこった~~~!!

 

これって やっぱり ヤマトトビモモソ姫の巫女集団による

ホケノ山古墳の巫女への呪詛 なのかなあ。。。と思いました。。

今でも生きてる。。。

 

もしかしたら 私 来る日とタイミングによっては

こいつに噛まれていたのかもしれない。。

と 思ったら 余計 ぞぞぞぞ~。。。っとしました。。

同時に

ホケノ山古墳の巫女様が守ってくれた!

と 勝手にですが思いました。ありがとうございました!!

 

そういえばさっき 帰る時 何気にふと 古墳を見上げたのも

もしかしたら

「そっちの道じゃないよ。駅はこっちの道が近いよ」

って 教えてくれてたのかも。。

ますます ありがとうございます~~~ (*^ω^*)

と 思いました。

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2016年6月11日㈯ チャリ散歩 大神神社~ 徒歩 巻向 古墳

あ~~ チャリ返却の時間が~~!

でも多分 大神神社から20分 ガンガン飛ばせば

桜井駅へは 余裕で戻れるはず~~

 

と 名残惜しさいっぱいで 帰ろうと

駐輪場でチャリを動かし始めたら

 

あ。。 神社だ。。

 

と 駐輪場そばの小道に神社を発見して 寄らせて頂きました。

 

あ~~!!

すぐお隣だったんだあ~~~!!

三輪山の神の祟りを鎮めた 子孫の方の神社~~

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記紀で有名な おおたたねこの命

三輪山の大物主を祀った 大物主の子孫のお方。。。

玲子さんの霊視では

 

崇神天皇が探す前から この人 三輪山の神をずっと祀っていたよ。

おじいちゃんだよ

 

だそうです。

名前からして きっと女性で

しかも 超 力のある巫女さんだと ゲゲは勝手に思っていましたw

(多分 学校の時のクラスメイトもそう思っていたはずw)

 

とても静かで趣のある神社でした。

決して 華やかではないのですが

古風な感じが控えめで良い味。。 というか。。

 

大神神社のにぎやかさとはうってかわって 静まり返っていて

参拝者は ゲゲ1人でした。

チャリを返さなきゃ~~!という 慌ただしい気持ちを

落ち着かせる事ができて

少しの間でしたが とてもすてきな時間を頂けました。

 

こういうひと時って

神社のご祭神のお方と 二人っきりで 過ごせるというか

神殿にいらっしゃる神様と 心静かに対面させて頂いてるような気がして

とっても大好きです。

 

お相手の神様は 歴史に名を残すスーパースター \(^o^)/

ですし

とてもドキドキわくわく萌えるというか 恐れ多いというか、、

時空を超えて 不思議な感じがします♪

 

拝殿の前でご挨拶させて頂いたら

拝殿の屋根が ミシッと 大きく鳴りました

感覚からいうと 大きな蛇さんが 屋根に乗ったみたいな感じの音でしたw

 

↑ これは 旅の手帳に書いてありました。

やっぱり 忘れないうちにすぐメモるって必要な事だなあ~と思いました。。

まじですっかり忘れていました。。^^;;。。。

 

さあ 桜井駅へ戻ろう~~ と思った途端!

リュックをしょった散策のグループさん達でしょうか

30人位の中高年の方たちが にぎやかに

この神社の鳥居をくぐって 境内に入ってこられたのです。

 

わ~~ そうだよねえ~~。。

すぐお隣に大神神社があって あれだけの参拝客がいたし

散策コースだし

ここも 人 たくさん来るよねえ~。。

今まで ゲゲ1人だけだったのが 奇跡なんだわ~~~

 

と 思いました。

何かの本に

まるで 人払いされたかのように 他に参拝客がいなくて

神社で1人っきりの時間を楽しめたら

神様が歓迎してくれてます。

 

って 書いてあったから

もしそうだとしたら嬉しいなあ~。。

と にやけました ♥

 

あ~ 今 ふっと思ったけど

三輪って みわ 巳輪 蛇さんがとぐろを巻いた状態

とも 言えるかも~。。。

 

以前 ブログで考察しましたが

全国にある 三輪神社 美和神社 三和神社って

多分 滅ぼされた一族っていうか。。

新政権によって 追い払われた一族を

祟り封じのために祀る場所。。。

 

って思います。。

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日本武尊 棺 空っぽ 白鳥伝説 大鳥大社

昨日は 6月の旅の思い出に浸りながら

自分が今まで書きなぐってきた歴史覚え書きノートに

ラベルをページの端っこに張り付ける作業をして

めくりやすくして 遊んでました。

 

何気に むふむふと読み返していたのですが

大鳥大社について調べた懐かしいページが出てきたので

またまた気になって くいついてしまいました。

 

やっぱり なんかこう

 

棺 空っぽ

 

っていう あの 山岸涼子先生名作「厩戸皇子 続編」のお言葉が

頭の中に浮かんできます。

この件は 自分のブログでも 何度も考察を書いてますが

やっぱり 最初から ご遺体は大鳥大社で呪詛に使うつもりで

能褒野陵には埋葬せずに 持っていっちゃったんじゃないかと思うのです。。

 

飛んでいく白鳥の後を 妃達は泣きながら後を追った

 

って なんかこう 想像すると かなり異様な光景に思えるのです。

鳥が飛んでいっちゃってるのに 泣いてる暇はないでしょう!!いくら 悲しくても!!

 

確か ものすごい大きい鳥なんですよね。。

翼を広げると12メートル以上。。

白鳥以上にでかいです。。。。

数回羽ばたいただけで 地上にいる人間からは またたく間に見えなくなってしまう感じがする。。(モスラ並み?)

皆さん!(誰?)泣いてる暇はありませんよ!

アスリート並みに走らないと あっという間に見失っちゃいますからね!!

まじめに考えても 能褒野から御所(鳥になった尊が最初に降り立ったと言われてる場所)は かなり距離があるし

上空を飛ぶ鳥の後を 泣きながらは追えない。。って思う。。。

最初の1時間は空を見ながら泣いて頑張れる(?)余裕もあると思うけど。。

その後は。。。

疲れてもう無理。。歩けない。。。

。。。ってなりそう。。。

(昔のお話を 真面目に検証。。)

 

これって

 

違う地へ持っていかれる尊のご遺体の後を 妃達は泣きながら後を追った(呪詛に使われるのをわかっているから)

 

に変えると しっくりくるような気がします。

悲しいですよね。。。

大和ではなく その先の海ぞいの地へ持っていこうというのですから。。。

 

 

 

そして 日本武尊をお祀りする3つの陵ですが

やっぱり 御所市の古墳は 仲哀天皇と妻の神功皇后が作ったもので

津堂城山古墳(軽の里ではない派)は仲哀天皇と先妻の子達 押熊王・かご坂王が作ったものではないか。。。

と 思うのです。。

この件に関しては ブログでもしつこい位何度も考察しましたが

今では 最終的にこう考えてます。。。

 

能褒野で埋葬されるはずだった尊のご遺体は

誰かの意図で 大鳥大社へと向かった。。

三重から堺へ。。陸を通って その後は海沿いを通ったと 思います。。

 

大鳥氏が支配していたという大鳥の地で

尊をお祀りしたのは 大野氏。。

 

能褒野から→堺は 西方面

陰陽五行で 西は 白。。

鉄関係も(金属?) 白 みたいです。。

尊は 鉄の産地を支配するために 東征に赴いたようですから。。。

鉄の王子様。。。

 

鉄(白)を求めて全国を駆け巡った尊は

能褒野に埋葬されずに 西(白)の大鳥の地へ連れていかれてしまった

 

白 大鳥 = 白い大きい鳥 = 尊の体が白い大きい鳥になった

 

そういう連想が 後々 伝承となって

尊の体は 白い大きい鳥となり 西へ向かって飛んで行った。。

と 人々が信じていった。。。

気がします。。。

 

仁徳天皇の頃には

 

日本武尊の陵は 空っぽだから 墓守を置くのをやめよう

 

というお気楽な意見が 天皇から出されたほどですから

尊の大鳥伝承は 呪詛という暗い側面は忘れられて

単純に涙をさそう大鳥の伝説へと すでに変化していったのだと思います。。

(いや だからって せっかく古墳があるんだから 墓守の一人位 いても良いじゃん。。)

 

呪詛って 決めつけてますが

ふつうだったら 古墳に埋葬するところを

なぜか 鳥が飛んでいったので神社で祀った

っていう不思議な変わった伝承が残っているので

 

ん??? これはきっと 何かあるに違いない!。。。

 

と 勝手に決めつけてます。。

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ガクブル((;゚Д゚));  葛城の日本武尊の古墳(琴引原)ってもしかして・・・!

ずっと引っかかって 気になって調べていたのですが

以前にも書いた事です

 

日本武尊の息子さんである仲哀天皇の奥さん=神功皇后のお母さんは(ややこしい)

葛城高ぬか姫です

なので 神功皇后は 葛城地域と何かしら縁があるお方という事になります

 

美しい大人の女性に成長して 晴れて結婚して

さらに 結婚した相手が天皇になったので

もしかしたら 当時 その地位力は 葛城最強だったのかもしれません

 

もしかしたら 夫の皇太子時代も 力を持っていて

そこそこ発言力もあったかも知れません

 

そこで思ったのです

霊能者玲子さんの見立てでは 神功皇后はかなりのシャーマンだったようですし

色んな力を利用して

何か意図を持って 日本武尊の古墳を 葛城に造らせたのではないかと!

 

夫の父の古墳を 自分と関係する地域に造って

夫が大王になれるように願ったのか・・・

 

そもそも

二つ目の古墳を造るって事は 結局 改葬という事になると思うのです

古墳の改葬って もしかしたら 呪術的な意味合いが強いような気がするので

神功皇后は それらの事を知った上で

夫と 夫の叔父=成務天皇 夫の父=景行天皇 にお願いしたんではないだろうか。。とか

想ったりして。。。

 

白鳥伝説も 誰が言いだしたか わからないけど

民衆が言いだしたか それとも 支配層が意図的に流布させたか。。。

 

そういう美しい美談でもないと

古墳を3つも造るなんて 民衆にとっては 意味が不明ですものね。。

 

琴引原古墳は 仲哀天皇の皇太子時代に造られたような気がします

 

そして 津堂城山古墳は

仲哀天皇が 九州へ熊襲征伐に向かった後

事前に天皇から許可をもらった 息子の押熊王・かご坂王が

造り始めたのかも知れません。。

 

何かの意図を持って。。。

 

結局 神功皇后は 夫の仲哀天皇が亡くなった後

熊坂王とカゴ坂王側 と戦う道を選びましたから

熊坂王とカゴ坂王も 事前にそういう空気を感じとっていたのかもしれません。。

 

津堂城山古墳は 何か中途半端に工事が中断みたいな 未完みたいな感じが見受けられるそうで。。。

完成してないらしいです

 

伝承では(ネットで見た)押熊王とカゴ坂王が造っていた という話もあるそうです。。

 

うまくまとまらないけど

書かないと忘れちゃう(齢。。。^^;)ので 急いで

ブログにメモってみました。。

 

以前は 景行天皇が3つの古墳を造ったって思っていたけど

なんだか やっぱり 違うのかも~~。。と

思ったり。。。

あーでもない こーでもない と 日々考えてます。。

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栃木の前方後方墳って出雲系?高おかみの神に通じる?

栃木にある前方後方墳は 豊城入彦命様系列かと思ったのですが

調べてみたら 命の出身の紀の国(和歌山県)には

前方後方墳がなさそうなので

やっぱり 出雲系の方々が関係あるのかも と思いました

 

出雲系といえば イザナミの出身で カグツチの神がいた という気がするので(勝手に)

イザナギがカグツチを斬った時の血から生まれた 磐裂 根裂の神 達

も出雲系かな~と 以前考察した事があります

 

栃木には 磐裂根裂の神を祀る神社が多いので

何か 前方後方墳と 結びつくのかも

と 今 ひらめいたので 書き留めておきました

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2015年5月22日㈮23日㈯24日㈰ 二泊三日 兵庫・岡山一人旅 思い出 日本武尊の奥様の吉備武媛様に会いに行きました

今は8月。お盆

田んぼの稲も大きく成長しました。

宮崎ではもうお米がとれたそうで 季節の移り変わりの早さをしみじみ感じております。

私が旅行で西日本を訪れた時は ちょうど どこもかしこも田植えの時期で

稲もまだ小さくて 水田にはお水がいっぱいでした。

水田に滔々と流れいる用水路のお水に頼もしさを感じながら

初めての道を1人できょろきょろてくてく歩いたのが

昨日の事のように思い出されます。

 

今 ニュースや新聞で 岡山県のどこそことか 姫路とか 神戸とか 市や町の地名を聞くと

あ あそこら辺だ~!大体の位置関係がわかる~~

と 懐かしく思い出しています。

 

今回の旅行を振り返って まず一番に想うのが

自分の足で無事に旅行が出来て 元気に自宅に戻れて良かった~

です。

あたりまえの事だけど 一番大切な事かも。。

と思える年代になりました。

神様が守って下さったんですよね。。きっと。。。ありがとございます!

 

倉敷の穴門山神社へはたどり着けなかったので

いつかリベンジをと思い

旅行から帰ってきて さらにまたいっぱい調べさせて頂きました

(負け惜しみじゃないけど^^; もし 神社に予定通りにたどり着いていたら もう調べ直す事はしなかったと思う。。。だから たどり着けなくて 正解だったのかも。。。ww)

ネットの資料をあたらせて頂きましたが

吉備 播磨 丹後 難波 等々。。。

あの周辺の地域の深い歴史には ほんと改めて

すごいな~。。。と再感動させられました。

 

日本武尊を追って 今回は 奥様だった吉備武媛の地元を訪れたわけですが

吉備一族と日本武尊の関係については

両者は 深い愛情で繋がっていたのかも。。と思えました。

勿論 景行天皇のいる大和との利害関係も多々あって

武媛と日本武尊は政略結婚なのでしょうが

尊は 自分より年下の武媛を可愛く思って愛していたと思います。。

(根拠はないんだけど なんとなくそう感じるというか。。。w)

 

武媛は 東征の途中 走水で亡くなった尊の妻 弟橘媛の事件について

何かこう心にくるものがあったような気がしてなりません。

(根拠はないんだけど なんとなくそう感じる。。w)

もしかして 武媛も 東征に 自分の父親と一緒に付いていったのかなあ。。。

年齢は幼いだろうけど 身分は高いから 姫軍の大将クラスだったのかも。。。

 

私は今回の旅で 岡山県では海を感じる事ができなかったのですが

考古学的には 吉備地域と海はとても重要な関係だそうです。

吉備は 船を使って外国と行き来し 莫大な富を築いたと言われていますし

きっと 武媛も 幼い頃から 海・陸・山を自由自在に駆け回っていたような気がします。

 

私が旅行から帰ってきて 次の日 車を運転して「銀魂」の歌を聞いていたら

一曲 鳥肌が立った歌がありました。

私は 旅行から戻ると なんか憑いてる?ようで

自分の気持ちとは全く関係なく 突然鳥肌が立つのです。。^^;

 

曲は「シギ」の「輝いた」でした

特にこの部分にぶるぶるっときました

 

♪この道が正解とは限らないから

僕はいつもひとり立ち止ってしまう

だけど踏み出さなきゃ何も見えない

君は言った「正解なんてあとからついてくればいい」

その大事なものは捨てちゃダメだよ

辛い時は進んでいる証拠 そう思えばいい ♪

 

私が想像するのに 吉備武媛は 結婚後も吉備の親の元にいたと思います。

なので 日本武尊が 通い婚の形態で 時たま会いに行ったのではないかと思っています。

武媛は 吉備の国の 多分 穴門地域辺りのお姫様で しかも名前に「武」を持つ 軍事にも優れた武士的立場ですから

国の経営とか 大和とかの地域との付き合い方とか

若いなりに この先の事を色々考えて

時には国の未来をおもんぱかって悩んだ時期もあったと思うのです

父や他の親戚や兄達と意見が違って イライラした事もあったかもしれません。

そういう時に 人生の先輩である夫の日本武尊に 色々相談した事もあったのではないかと 勝手に想像してます。

日本武尊は おじいさんが吉備の人ですから

武媛は幼い頃からかなりの親近感を持って ちょっと年の離れたお兄ちゃん的に尊の事を慕っていたような気がします。

 

日本武尊という人は

古事記からは 父の元でかなり苦労していた感じが受け取れますし

父の後を継ぐ予定の義弟(成務天皇)の母親は美濃の人(八坂入媛)で

吉備氏ではないですし

しかも義弟に付いてる臣は

後に神功皇后政権下で大活躍する 武内宿禰(紀伊国出身)ですし。。。

流れ的に なんだか 尊(母は播磨出身)からは違う方へ行ってるような。。。感じがあります

。。。

吉備のおじいちゃんの力をバックに持つ尊としては

なんかこう 父政権のもとでは かなりの苦労を強いられていたのではないか。。。と思えます。

なので 尊は その大変な中で

自分的に 強く生きる智慧というか信条みたいなものを 心に持っていたのではないか。。

と 勝手に想像してしまうのであります

 

なので 色々悩む武媛に対して 尊は

「正解なんて後からついてくればいい

辛い時は進んでいる証拠 そう思えば良い」

と アドバイスしたように感じられて仕方ありません。

 

尊も 軍隊を引き連れて 大和から遠く離れて東征してますから

時には「どうすりゃいいんだ」とか 「やってらんねー 投げ出したい」とか「早く帰りたい」とか「逃げたい」とか 苦しい とか つらい とか

ほんとにたくさんの事を考えながら

でも

「父の命令の元 進むしかない!正解は後からついてくる!辛い時は進んでるんだ!」

と 自分に言い聞かせながら戦ってきたと思うのです。。

 

こういう事を勝手に想像していくと

日本武尊が能褒野で亡くなったと聞いた時の武媛のショックを想うと

とても気の毒になります。。。

 

尊が亡くなる前は 武媛にも子どもが生まれていますから

もしかしたら 親子ともども 大和で暮らしていたのかも知れません。。

尊の葬儀が終わった後は 吉備へ帰ったのでしょうか。。

 

一応 景行天皇の後の成務天皇は 妻として吉備郎女という人をもらっていますから 吉備の国は大和政権下に置いては安泰だったのでしょうが

武媛としては 子ども達の父親と 自分の精神的よりどころを喪って

さぞかしつらかったのでは。。。と 推測してしまいます。。

 

でも その後は

私はくじけない!頑張る!吉備のため!子のため!

と 吉備の国のために一生をささげたように思います。

そして今も

山の頂にある穴門山神社から 海や里の様子を見守ってらっしゃる。。

と思います

 

勝手に1人で盛り上がってますが

私が 大阪の神社で 吉備武媛になんとなく魅かれたのは

そういった事を感じたからです

色んなご苦労があったろうに それにも拘わらず

武媛様ご祭神の神社からは

落ち着いた月夜のような 研ぎ覚まされて凛とした

晩年の宮本武蔵みたいなすべてを悟った剣豪のようなイメージが伝わってきたのでありました。。

 

最近 前の事を忘れちゃう事が多いのですが(笑)…いや… 笑えない…)

確か 尾張で 草薙の剣を守り通したミヤズ媛は

夢で見たら 前田敦子さんに似てました w

 

吉備武媛のびじゅあるは 今 ぱっと浮かんだのが

おかっぱで 目がくりっとしたバレー部の主将

です! (なんとなく。。)

 

↓ 今回の旅のお土産♥

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おいしゅうございました~!!

 

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山の怖い話

季節柄

怖い話が読みたくて ネットで 怖くて不思議な話 特に 山の怪を

検索しては読んでます

 

うわ~~~!!怖い~~~!!って ドキドキしたり

やっぱり 山の神っているんだねえ~ と驚いたり。。

古くからの恐ろしい因習にびびったり。。。

 

うちの父(79歳)は今でも山に登って 無事に帰ってくるから

山にはご縁があって しかも守られているんだと思う。。。

 

やっぱり 現代でも 山って不思議~~!!

だから 古代の日本武尊が

山の神を退治に行ったのとか まぢありえる~~~~

って思う。。。

 

ネタもオチもなくてすみません。。

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