「裳原の戦い」 を調べていたら。。。((゚Д゚ ||;;)))))) ガクブル

4日 月曜日に 用事があって 宇都宮市役所地下の売店へ行きました

そこで 「宇都宮の旧跡」という 平成はじめ頃 教育委員会が発行した本を見つけ

購入しました

 

親切にしてくださった市役所の方お二人様 ありがとうございました!! (^・^)

お世話になりました <m(__)m>

 

家へ帰って読んでみたら

なんと 冒頭に 古戦場の事が書いてあって

私が 常々

これって どこなんだろう。。。

と 頭をひねっていた「裳原の戦い」のあった場所が書いてあったのです!!

 

ヽ(^。^)ノヤッター

 

ネットとか 色々探したけど よくわからなかったのですよ

 

喜んで 文章を読み始めた私ですが

。。。

。。。場所を読んだ途端

愕然としました!!

恐怖でひきつりました。。。。((゚Д゚ ||;;)))))) ガクブル

 

えぇ~~!!???

あそこ~~???!!!

 

・・・

やっぱり!!!

っていうか

怖っ!!

ゲゲの妖怪アンテナ 怖っ!!!

 

その場所は国道4号線沿いでした。。。

 

こうに書くとアレなんですけど。。。

なんかこうね 宇都宮から4号線を南下すると

ゲゲ なんか 毎回いつも不思議な気分になるんですよ。。

。。。

なんとも言えない 歴史の重みというか 。。。

何かこう 古い。。。。

というか

現代じゃない空気

というか。。。

 

一言で表すと

 

「??? なんだここ?・・・・」

 

っていう感じ。。。。違和感?・・・・

 

お店は並んでいるし (ラーメン屋さんとかおいしそう♥)

田んぼは豊かだし

農家さんはいっぱいあるし。。。

 

普通の人が住んでる場所だって思うのですが

何か こう 古い庄を感じるというか。。。

 

多分 おそらくですが

古代 豊城入彦命様や 日本武尊様の東征に 関係した地に近いから

古代の古墳時代の空気を感じるのかな

とは思っていたのですが

 

そこに 戦国の空気も 混じっていたとは。。。。!!!

((((;´・ω・`)))ガクガクブルブル

 

裳原古戦場

 

康暦2年(1380)

宇都宮氏 11代当主 宇都宮基綱軍 と 小山氏 小山義政軍 の激戦地

 

宇都宮氏当主 宇都宮基綱 討ち死に

 

負けた宇都宮軍の戦死者80名

勝った小山軍の 戦死者200名

 

 

当主が討ち死にした宇都宮軍と

勝ったけど 200名も戦死した小山軍

という

さんざんな結果になった 恐ろしい大戦 だったのです。。。

 

場所として

茂原2丁目付近

または

自衛隊宇都宮南駐屯地 南側の窪地

または

石橋町の鞘堂付近

 

と 書いてありました

ですが

ゲゲ

これらすべてをひっくるめたかなりの範囲が戦場になったんじゃないだろうか。。。

 

と 思うのですが。。。( ノД`)。。。

 

なんか あまり良い評判が残っていない(どういう表現^^;)ゲリラ戦だった

って 何かで読んだことがあります ><

 

石橋町の鞘堂という地名は

戦死した者たちの刀の鞘を塚にしたというところから起こったそうです

 

別の本には

戦死した280名を埋めた上にお堂を建て 鞘堂と呼んだ

 

なんて 書いてあるのもありました。。。ヾ(。>д<)))))))))

 

どっちなのーーー!!!

っていうか

どっちも 内容がすご過ぎてついていけないーーーーーー((((;;OдO;lll))))ガタガタブルブル

 

鞘堂は 地図で見ると

私が大好きな 日本武尊様の甲神社 の横。。。

というか

国道4号線をはさんだ反対側

でして。。。

甲神社の とても近くに位置する場所になります。。。

 

うがぁ~~~!!

そういえば

この間 国道4号線をチャリで南下した時 お堂の前 通った~~!!

 

あ ステキなお堂(名前がわからない)

こんにちは 前 失礼します~~

 

って 帽子ちょっと 頭から浮かせて 軽く挨拶して チャリで通り過ぎた~~!!

。。。

 

あの 違和感満載の場所近辺で

280名もなくなったんだ。。。><

宇都宮氏の当主様も。。。 ><

 

現在ののどかな風景の中

かつて 大激戦があったって

宇都宮市民のみなさんは 知っているのでしょうか。。。><

 

先日のチャリ散歩から

なんだか 戦国時代へ迷い込んでしまった感満載ですが

5日 火曜日

裳原の戦いの事で 現 宇都宮市茂原を調べていたら

翌 6日 水曜日

テレビの朝の天気予報で 依田さんがいた場所が千葉の茂原 だった。。。

 

 

昨日7日 小山(おやま)氏(現 栃木県小山市周辺を支配していた)の事を調べていたら

夜 だんなが何気に変えたテレビで オードリーの2人が廃品回収していたのが

まさに栃木県の小山市だった。。。

 

 

うわ~~~

なんだこのシンクロはぁ~~~!!!

これ 絶対 呼ばれてる~~~ ような気がする~~~

ブログに書いて投稿しなきゃ~~ って 気がする~~~ ><;

 

供養?のために

ヨドバシネットで買った NHK ヒストリアのサントラCD聴きながら

ブログ書いたり 調べものしてます

気持ちが和みます。。。( ^^) _旦~~

 

戦国時代って

調べれば調べるほど

えげつなさと 残酷さに

顔面蒼白になっていきます ((´д`)) キモチガシズム。。。

 

ここまでやるんかい?!

と 人間不信になります。。。

 

以前 小山で ひどい事件あったけど

なんかちょっと 戦国時代にあった事件に似てる。。。気がする。。。==;

 

 

ジャニーズの ○○くん。。。>< 読み方違うけど。。。

広告

2018年5月6日㈰下野チャリ散歩 不思議な感じのサイクリング日和

この日は いつもより ちょっと遠くへ足を伸ばそうと

宇都宮の自宅を出発して

壬生町の磐裂根裂神社でご朱印を頂いてから

いつもなら車で行く 壬生町の車塚古墳へ

愛チャリでのんびり行きました

 

そして その次は すぐ近くの愛宕塚古墳へ行きました

震災直後 一度 訪れた古墳ですが

この日は その時と 雰囲気がガラリと変わっていて

あたたかく 優しく美しく とてもすてきな場所になっていたので

私は 嬉しくて キャーキャー言いながら しばし 滞在させて頂きました

 

それから

さあ 上三川町の白鷺神社へ行きましょうか~

と 初めての道を選んで 出発しました

 

私は 方角を たとえば 南東だにゃ と定めたなら

そこへ向かって 知らない田舎道(失礼)を チャリでゆるゆる適当に行くのが好きで

今回も そうしてみました(車の場合は ナビでちゃんと行くのが好き)

とりあえず 南南東に向かって 進んでみたのです

 

よく晴れた気持ちの良いお天気

日差しを浴びながら 田んぼや畑の間の道を

1人で のんびり 進んでいく 気持ち良さ♪

 

そんなこんなで楽しく自転車をこいでいた私は

30分後

 

あれ? ここって 全く知らない道だ。。。^^;

遠くに見える景色も全然違う。。。

っていうか 100mほど離れたところに立ってる木々が邪魔して

遠くの山が見えない。。。(^◇^;)

 

と 気づきました。。

 

えぇ~ ???

いつもの道はどこへ行ったの~~???

 

と 不安を感じながら ひたすら 南南東へ。。。

 

ここって。。。 もしかして あの世じゃないよね?。。。

誰もいないし。。。

田んぼも 乾いた泥だらけで 水入ってないし。。。

私 別次元に迷い込んだんじゃないよね。。。

私 生きてるよね? 死んでないよね?

何 この 雰囲気。。空気。。。閉塞感。。。

広々とした農村地帯なのに。。。

 

と 思ってしまったほどの 不思議な不思議な空気感のある場所でした

 

やっと ちょっと広い道路に出て

看板に小さな観光地図が貼ってあり 見てみたら

 

え~~??? ここって 石橋なの??? 壬生じゃないの?

 

と びっくりしました

 

時間的&体力的に 上三川へ行くのを 即座に諦めて

じゃあ 地図に書いてある孝謙称徳神社へ行こう~ と 決めました

 

この神社は 下野に左遷された道鏡関係の孝謙天皇を祀る神社で

以前 一度 訪れたことがあります

 

なので

簡単にたどりつける! と 思って

地図をきちんと確認せず ふらふら出発してチャリを走らせたのですが。。。

 

気付いたら 全然 たどり着けず。。。

 

え ここ どこ?

あれ? 国道4号線だ。。。

 

という 若干 ほぼ完全な迷子状態に。。。w

4号線を北上すれば 宇都宮へ戻れるとわかってるので

じゃあ 意地でも戻らない! みたいな。。。^^;

 

そんなこんなで 意地を張り続け 孝謙称徳神社を探して走り続け

途中の ステキな神社で休憩して おにぎり食べたり

自分 全然 焦ってないもん~~!!!

と 気取っていたのですが ^^;

 

気付いたら 小金井駅前 に出て。。。

 

さすがに 私の進んでる方向は とんでもない方向だ。。

このままでは 小山へ出て東京へ行くことになってしまう。。。

 

と 気付いて 宇都宮方面へ 引き返すことにしました ^^;;;;

もう 孝謙称徳神社へ行くのは あきらめましたw

BS18時の西郷どん までには 吉野家の牛丼買って 自宅に着きたいし!w

 

よし じゃあ 4号線を通らないで 今度は 北北西へ向かって

斜めに 知らない道!農道!を行くぞ~~~。。。

近道じゃあ~~~~~!!!!

 

と 1人で 気勢をあげて 自転車をこぎだしました

気付いたら また

全く知らない未知の道を走ってる ことに気づきました。。。 ^^;

 

え~~~ ここどこ~~~???

こんな道 あったの~~~???(失礼)

不安過ぎる~~~ ><

 

川。。。

箕輪城跡。。。

いくつもの神社。。。

 

自転車をこいでいると 要所 要所に 古そうな威厳のある神社が建っていました

江戸 明治で言えば 村の神社でしょうか

今も大切にされているようで 掃除が行き届いて とてもきれいでした

 

落ち着いて よくよく 周囲を見渡してみれば

田んぼは 水を入れてる途中だったり

田植えが済んでるところ 済んでないところがある と 判明しました♪

農家の方達が 今まさに田植え作業にいそしんでる田んぼもありました

 

で のどかな風景を眺めながら

不安を紛らわせ 平気な顔をして自転車をこいでいた私ですが

内心 ものすごい 不思議な感じを味わっていました

知らない場所 というせいもあるでしょうが

父母の生家が農村地帯だったので

農村の風景には慣れてるつもりでしたのに。。。

 

戦国時代 。。。

 

という 感じが 妙に伝わってきて。。。

不思議な気持ちいっぱいになりました

 

いつもは 古墳やら遺跡やらで 古代の感覚を感じるのに

今回は 戦国時代?・・・

 

箕輪城跡を 遠くから 見たからかなあ。。。

 

この道のせいかなあ。。。

普通の 農道だけど。。。

不思議だなあ。。。

 

不思議 不思議 と 思いつつ チャリをこいで

壬生町に入り 線路の踏切を渡ったら。。。

 

 

あれ?

 

狐につままれた感いっぱいになりました。。

 

知らない道と思い やみくもになって 走ってきたのに

気付いたら 朝 お別れした 愛宕塚古墳の前に出たのです。。。

 

 

?????

えぇ~~~ そうなの?

この道 そうなの???

 

もう~~ 一人つっこみの嵐でした

適当に走ってきたのに なぜか また 振り出しに戻されたみたいな。。。

 

愛宕塚古墳にお礼を言って 宇都宮へ向けて 北上しました

途中 吉野家で牛丼買って w

無事 18時前に 自宅へ着きました

 

家で 見てみたら 3つ牛丼を買ったつもりが 二つは 豚丼でした ^^;

狐につままれとる~~ >< 単に 私の発注ミス?

 

 

夜 私の通ったルートを 地図と栃木神社誌 で 確認しました

孝謙称徳神社を目指して走っていたはずでしたが

私は 北へ行くべきところを 南へ向かって走っていたのでした。。

どうりで たどりつけないはず。。。><

 

不思議な空気に満ちていた道は

下野市(旧 国分寺町)箕輪 橋本

壬生町藤井 という場所を通る道でした。。

戦国時代 その道沿いに城があったのだそうです(おぉ~~~!!!)

 

そして 道中いくつも見た神社を 地図で住所を割り出して調べてみたら

一つ  豊城入彦命様の名前が由緒来歴に出てくる神社があったのです!!

今までノーマークの 初めて知った神社だったので びっくりしました!!!

 

そこは 私は気付かずに 通り過ぎていた と 判明しました

 

うが~~~!!!

なんて ミステリアスな土地&道なんだぁ~~~!!!

きっと 戦国時代以前の 古代へもつながっている気がする~~~!!!

 

地図で見たら 近くには 国分寺跡 や 古代の国府跡もあるという

うわー ここって 軍事上ものすごい重要な処なんだろなあ。。。

という場所でした

 

不思議感と不安感いっぱいで通った道でしたが

下野の歴史探索に 新たな重要ルートを発見できた(昔からあったけど^^;)喜びで

いっぱいです ♥

未知の世界へ足を踏み入れて

ニューワールドが目の前に開けたような気分~~~~

大げさ~~~ヽ(^。^)ノ

天皇家系図 宮内庁HPの系図を見てみました

結構そこそこの期間 独自に 天皇家の事を調べていますが

去年 初めて!

宮内庁のHPで 天皇家の系図を見てみました(^◇^)(遅)

 

なんと びっくりしました!

。。。

いや 驚くことではなく

むしろ 当たり前の事ですが

 

武烈天皇の後 継体天皇が皇位を継いだので

応神天皇の息子で 継体天皇の祖である 4代前の稚野毛二派皇子

のお名前が書いてありました!

 

これは

仁徳天皇の子孫は 武烈天皇で途絶えたが

腹違いの兄弟の稚野毛二派皇子の子孫は今でも続いてる

ということになります

 

 

 

もしかしたら 以前 どこかの本で読んだかもの史実ですが

改めて 宮内庁の系図で確認してみたら

なんだかまじで うわ~ と思いました(どういう表現)

 

系図で見ると 仲哀天皇から応神天皇へ皇位が移り

そして 結果的に 簡単に表現すると

応神天皇の次から枝が二つに分かれる形になっています

 

当時本当にそういう名前で呼ばれていたのかわかりませんが

今となっては

稚野毛二派皇子(若沼毛二俣王)の〝ふたまた〟のお名前が

何かを暗示してるようで ちょっと怖いです

後世の人が 付け足したのかな?

 

仁徳天皇の子孫は武烈天皇で終わりましたが

その上の世代で考えていくと

仁徳天皇の祖母 神功皇后の系統は今に続いてるという事になります

 

以前 皇極天皇を調べていた時

どうも 神功皇后のにおいがすると感じました

皇極天皇も 神功皇后からずっとつながっていることになります

 

さらに その上の系図を見てみると やはり

日本武尊は強い!!

となります

日本武尊の父 景行天皇

景行天皇の祖父 崇神天皇

天皇家初代 神武天皇

の流れ 最強です!

 

稚野毛二派皇子の系図を ゲゲ推測図で 作ってみました♥

たどっていくと

来熊田大酒主(くくまたおおさかぬし)

息長田別王(おきながたわけおう)

という方にたどり着きました

 

稚野毛二派皇子の母は 息長眞若中比賣です

そして息長眞若中比賣の父は杙俣長日子で 母は不明です

 

杙俣長日子の父は息長田別王で 母は不明です

杙俣長日子さんは 日本書紀の河派仲彦と同一人物と考えられているそうです

 

息長田別王の父は日本武尊で 母は不明です

 

ということで 色々史実を調べて それに推測を加えてみました

 

史実では

日本武尊の息子の仲哀天皇は

来熊田大酒主(くくまたおおさかぬし)または 来熊田造(くくまたのみやつこ)

という人の娘 弟媛 を妻にしたそうです

 

弟…媛・・・

弟・・・

 

弟というならば 当時は妹…

この弟媛さんには お姉ちゃんがいるのではなかろうか。。。

(当時は 兄媛 えひめ と呼びます)

 

妹が仲哀天皇に嫁ぐ位なのだから

姉もおそらく 仲哀天皇か天皇の兄弟クラスに嫁ぐはず。。。

と ゲゲは考えました

そこで 仲哀天皇の母違いの兄弟 息長田別王に嫁いだのではないだろうか

と 推測した次第です

 

古代では よほどの事がないかぎり 女性の名前は正史に残らないそうです

そして しかも 若くして亡くなった場合などは 特に残らないそうです

 

兄媛さんは お若い時 杙俣長日子さんを産んですぐ亡くなられたのではないか

と ゲゲは 勝手に推測してみました

 

そして そしてですが

杙俣長日子を 来熊田大酒主の孫として系図に当てはめた理由ですが

。。。

名前が 似てるんです!

 

くくまた。。。くくまた。。。。

くく…また。。。

う~ん。。。どうにも くくが言いづらい・・・

。。。

くくーまた。。。

。。。

くぅまた。。。

。。。

→ くいまた!!!

。。。

やや 強引かもしれませんが。。。

 

そして もう一つ ネットで調べたのですが

大阪の 杭全!!

読めないので有名な地名らしいですが

くまた と読むそうです

 

くいを またする という漢字で

どうやら 道か川の二股にわかれるところに杙を打つという意味らしいです

 

 

杙俣長日子の くいまた と 同じ意味に見えます

 

さらに この3人↓ を3世代として考えたのにも理由があります

祖父 来熊田大酒主

娘婿 息長田別王

孫 杙俣長日子

 

どうも 大阪の杭全地区に住んでいたのでは?

と 調べれば調べるほど 思いました

 

来熊田大酒主 は 普通に読むと熊が来る田 大きい酒主(その土地をおさめる人)

です

もしかしたら 熊が来るのではなく

くいをふたまたのところに打って整備して

くいまた という名前を この漢字に当てはめたのかもしれません

そして おおさかぬし が 大阪 という地名になっていったのかも

と推測しました

 

息長田別王は

息長川 または 息長氏に関する土地に入ってきたお婿さんで

(都会から地方に入る皇子を わけおう という)

ネットで調べたところ 意見は分かれるそうですが

息長川という川が流れてるそうです

 

 

杭俣長日子は

先ほどの推測で おじいちゃんの くくまたと 名前が似てるという点と

そして この長日子さんも

自身の代で 川が二手に分かれるところに杙を打って整備した

ということもありえると思いました

 

3世代をこのように考えて 系図に当てはめてみたら

なぜだか とてもしっくりとしました

 

また いつか 考えが変わるかも知れませんが

その時は 新説をブログに書こうと思います

 

 

それにしても 宮内庁HPの系図に載ってる稚野毛二派皇子

母が 息長眞若中比賣 ということで

息長帯比賣=神功皇后

 

そして 以前に考察した

息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)の謎

の 息長水依比賣 様も

息長という姓? 名前?を持つお方。。。

 

謎?の息長一族は

系図のそこそこに隠れていらっしゃいます。。。

 

現代では

「息長」というのは 忍者用語だと知って

少々驚きました

息を短く吸ってから 細く長く吐く呼吸法だそうです

 

細く長く。。。

 

なんか 意味深~~~。。。。。

 

 

今日 思いついて

初めて ワードで系図を作ってみましたが

意外と楽しくて

はまってしまいました

きれいで簡単 ♥(*^^)v

 

↓ 昨夜 ペンタブで手書きで書いたら こうなりました

(PД`q)゚・*:..ヒ・・・ヒドイ.

 

 

 

 

八角墳の謎 中大兄皇子(天智天皇)と中臣鎌足による蘇我氏への対抗呪術

大型古墳の終末期に 八角形の古墳が出現します

今までは

進化したんだね~

と 科学の進歩みたいに軽く考えていましたが

先日

もしかしたら 八角形という形は

天智天皇サイドが 蘇我氏に対抗しようと取り入れた呪術なのかも!

と 気付きました ( ̄□ ̄;)!! ∑( ̄□ ̄ノ)ノ

 

最初に登場した八角形の古墳は 舒明天皇陵だそうです

おそらく

次の天皇であり妻の皇極天皇と 息子である中大兄皇子が

神事・祭祀のエキスパート 中臣鎌足に相談し

蘇我氏対策& 自分達の子孫繁栄に効果があるようにと

八角形の形を取り入れたように思います

 

当時の蘇我氏は 蘇我蝦夷の時代で

とても繁栄していたそうですが

私が思うに それは吉相の土地に造られたお墓効果だと思います

 

蘇我家の馬子(蝦夷の父)の墓と伝わっている石舞台古墳を訪れた時に感じましたが

そこは とても気持ちが良い場所でした

いるだけで 体中に良いパワーをもらえるような

不思議な何かを感じられました

 

墓というのは

古代中国の風水思想で

良い土地に作ると子孫が繁栄するという

最強のパワースポットだそうです

 

皇極天皇 中大兄皇子 中臣鎌足たちは

蘇我氏の勢いがこのまま続けば

天皇家を上回る力を持つ恐れがある

と脅威を感じ かなりの危機感を抱いていたと思います

 

蘇我氏が代々受け継いできた仏教パワーも

恐れの対象となったのかも知れません

(参考文献 HONKOWA 寺尾玲子の真 闇の検証

 

そこで 古墳を八角形にして

これ以上蘇我氏の力が大きくなるのを阻止して

自分達の子孫が繁栄するようにと

呪術を施したのだと思います

 

おそらく 舒明天皇の古墳を造る段階で

中大兄皇子 中臣鎌足は

蘇我宗家を滅ぼす!

蘇我蝦夷・入鹿親子を倒す!

と決めていたのではないでしょうか。。

そんな気がします

 

そして 八角形の古墳の効果か

乙巳の変で 蘇我宗家が滅びました

 

その後 皇極天皇から孝徳天皇に代わり

孝徳天皇の後 皇極天皇が重祚して斉明天皇となりました

 

斉明天皇が亡くなった後 中大兄皇子が天智天皇となりました

中臣鎌足が世を去り

その後 天智天皇も 亡くなりました

 

天智天皇の古墳は

天皇位を継承した息子の大友皇子が造営したのでしょうが

八角形だそうです

 

そして 壬申の乱が起こり

天智天皇の弟 大海人皇子が 大友皇子から政権を奪い

天皇となりました

 

その後 故中臣鎌足の妻 鏡女王が亡くなり

墓は 舒明天皇陵のすぐ隣りに造られました

 

親子でもないのになぜ?と謎なのですが

(あるいは血縁関係があったのか)

もしかしたら

舒明天皇陵の八角形のパワーを持続させるために

鎌足の関係する談山神社からの中継地点ということで

そこの場所に造ることにしたのかもしれません

 

鏡女王は もともとは 天智天皇の妻でしたから

舒明天皇は 元夫の父ということになるので

多少の縁はあるわけです

 

鎌足亡きあと 息子の藤原不比等が

天皇家の発展を祈願しつつも

同時に

自分達藤原氏の勢力を伸ばすために

何かこう仕掛けているのではないかと 思います

 

大海人皇子が天皇となった後 中臣鎌足の息子 不比等が

天武天皇(大海人皇子)・持統天皇(うのの皇女さらら)に

重用されて ものすごい力を持つようになります

 

そして 天武天皇が亡くなると

八角形の古墳に埋葬されます

 

これは 舒明天皇~天智天皇の古墳の形を取り入れて

自分達の子孫を繁栄させるために

八角形を選んだのだと思います

 

天智天皇から弘文天皇(大友皇子)に伝わった天皇家独自の視えない何かが

天武天皇側には伝わらなかった

(HONKOWA 寺尾玲子の真 闇の検証)

ため

古墳を八角形にして 呪術力を高めたのかもしれません

 

天智天皇の息子 弘文天皇から

皇位は 天武天皇に移りましたが

それも 約100年で 称徳天皇の薨去により終わりました

 

天武天皇・持統天皇の八角形の古墳の効果は

天皇が代々 代わっていく中

途中で切れてしまったのかもしれません

 

もしかしたら

天智天皇が舒明天皇の古墳を造った時のような

強い想いと呪術力が

天武系の天皇たちが代々子孫に伝えていった呪術に勝ったのかもしれません

 

あるいは やはり 政権を奪った側として

天皇位を続けていける視えない何かが足りなかったのかもです

 

天智天皇 死後約100年後

天智天皇の孫 白壁王が光仁天皇となり

天智系が復活しました

 

そして 現在

天皇家も 藤原家も 見事に存続しています

古墳って 先人たちがかけた呪術?で

つくづく 計り知れない謎があると思います

 

そして やはり

天智天皇と中臣鎌足のお二人は

ただものではない!!!

と ひしひしと想うのであります

ガクガク(((i;・´ω`・人・´ω`・;i)))ブルブル

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ゲゲ推測年表 記紀に書いてない古代史♥

ゲゲが ぶばばばっと書いてる歴史ノートが

どんどん 未整理 殴り書き状態のまま 増えていきます。。

 

今日 見返してみたのですが

ま~

わからない わからない。。。(笑)

 

書いた本人も よく思い出せない だーだー書き。。。

 

これは 何をテーマに謎を解こうとしたんだっけ。。。うーむ。。。

と ノートとにらめっこしちゃうことも しばしば です。

 

あ~~!!

これって あの頃 ひらめいて 一生懸命

考えてたじゃん!

まだ 途中だよ~~~!!

 

と 自分で自分につっこんだりします

 

そんな中で

自分で 推測歴史年表を作っていこう~

自分の頭の整理のために

 

と 書いていた古代史を 思い出しました

 

調べていくうちにどんどん訂正が入りますが

思いついたら ブログに書き留めておこう~と 思いました!

 

AD     ニニギ命 出雲の大国主命を討つ

出雲をホヒ命にまかせて大国主を祀る(出雲大社)

 

AD    天火明命(ニニギの兄)なんばから入って伊賀へ行く

なんばから伊賀地方を支配する

 

AD    九州 火照命(海幸彦 ニニギの息子)は

熢理命(山幸彦 ニニギの息子)と争って負ける。

 

AD    火照命(海幸彦 ニニギの息子)は奈良のヤマトへ行く。

火照命は 三輪山周辺にいた出雲族と戦って勝つ。

火照命は 大神神社を宮として 戦没者を祀る。

 

AD    火須勢理命(火照命の弟 ニニギの息子)は三重に行く。

戦って その地を支配する。

 

時が経ち

 

AD     天火明命の三代孫ニギハヤヒは なんばの地~桜井市を治める

家来 ナガスネヒコ

平成29年5月26日㈮27日㈯旅行 上野公園 国立博物館

上野公園に着いたら 西郷どん~の写真をパチリ♪

私はいつも 階段から行くので 西郷さんの銅像そばを通ります。

そのお次には 天海和尚様の毛髪塔へ。

雅でステキな上野を楽しませて下さい、

と ご挨拶させて頂くことにさせてもらってます。

みみか先生の「スピ散歩」を読んで以来♪

 

花園神社

 

穴神社

 

↓ 五條天神社

 

この日は なんと大祭日でした!

お神輿が出てました!

長女すごいなあ~

もってるなあ~♥

 

私はこの日 ご朱印状を持ってきていたので

五條天神社でハンコを押して頂きました

 

ママね 以前 もう一つ

天海和尚様が 琵琶湖の竹生島を模して作った不忍池の弁天様に行った事あるんだけど 行っても良い?

と長女に聞いてみたら 行こう行こう と言ってくれましたので

テクテクと行ってきました。

 

蓮の花はまだだったけど お寺へ行く参道脇には

食べ物の屋台がたくさん出ていて お祭りみたいで

とても賑やかでした

ここは 辛口のおみくじで有名なんだそうです。

私と長女がいた時 おみくじをひいた若い男性が

うわ~~!

と叫んで 自分がひいたおみくじを仲間に見せていたので

もしかしたら あれを引いちゃったのかも。。。と思いました (笑)(笑っていいのか。。。w)

 

今回 私は凶ではありませんでした キャッポーヽ(^。^)ノ

 

お参りをすませて ご朱印を頂いて

さて なんとなくおなかがすいてきたね

ということで また戻って 公園内をテクテク歩いて 東京国立博物館へ入りました。

途中の上野動物園 にぎわってたなあ~。。

公園内も 盆栽展とか 全国の食べ物とか 大道芸もやってて

上野公園って ほんと活気にあふれてて いつも来るたび元気もらえます

 

この日は ネットで

博物館は お茶(茶器だったかな?)の特別企画展をやっていて

ものすごい人気で超混んでる!と情報を得ていました。

入場券は 何を買えばいいのかしらんと

入場券売り場前中心で  声を大にして叫びながら お客さんの流れを止めないよう誘導している?係員のお兄さんに聞いて

常設展のみの入場券を買いました。

 

長女は 以前 ここには 企画展?で 絵を見にきたようで

常設展示や 小さい展示は 今回が初めてだったようです。

最初 桂甲の武人埴輪を見よう~と 平成館に入りました。

部屋の入口に デン!! と 陳列ケースに入って

飾られていらっしゃいました!(なんか恐れ多くて 怪しげな敬語を使う)

 

うお~~~!!!

かっこいい~~~~~!!

ってか やっぱ 生きてる~~~~!!!

見張ってる~~~~!!!

眼が違う~~~~!!!

今でもきっと 古墳を守ってる~~~~!!!!

変なことしようとする人がいたら

絶対 腰の剣 抜くから~~~~!!! ((((゜Д゜))))

 

 

長女も かっこいい!と 気に入ってくれました。

でしょー?? (^◇^)vエッヘン

 

それから 順番に ゆっくりゆっくり 陳列物を見て行って

 

女子がたくさんいるところ(群がってw)で 刀の鳴狐を

無事 見る事ができました♥

 

けっこう撮影OKだったので(ダメなものは 撮影禁止の張り紙がありました)

見て歩いてる途中

みんなが写真を撮っとる!

と気づいた長女は 自分もアイフォンを取り出し

カシャカシャ たくさん撮ってました。

 

いや~ ほんと アイフォンって カメラに負けず劣らず 美しく撮れるんだな~。。と 心から感動しました。

長女が撮影したのを見せてもらったのですが

ものすごく美しくきれいに 刀とか埴輪とか 彫刻とか

一眼レフで写した芸術本の写真みたいだったわ~。。

 

ゲゲは

展示物に会いたくなったら 宇都宮駅に行って電車に乗るんだ!! そうしよう!!また 来るんだ! 何度でも!!

と 固く決意して あえて撮りませんでした(変な意地を張ってみたw)

 

ぼちぼち おなかすいたね。。食べようか。。

ということで

でも 今自分がいる場所がわからず ほぼ迷子状態で

 

ゲゲの

確か なんとなく レストランあっちの東洋館だった気がする。。違っていたらごめん。。。

という 大変不確かで情けない情報を元に館内を歩きました。

 

最終的に迷子?になり 立っていた博物館のお姉さんに聞きました。

 

確かな記憶としては

「法隆寺展の建物ではない方のホテルオークラレストラン!」

をキーワードに 無事 お姉さんに教えてもらいました ^m^

 

15:00 ランチ~~

ホテルのレストランなんて たまにしか行けないし

せっかくの長女とデート 豊かにおいしいもの食べたいし~ ♪

 

一度 東京でプロが揚げてくれる天ぷらを食べてみたかったので(会社員時代からの夢 30年前!??!)

天丼~ ♪

長女はカレー ♪

朝ホテルで頂いた豪華な朝食が やっと おなかのなかで消化されました

 

 

そして 二人とも 食後はコーヒーだけ飲もうと決めていたのですが

お姉さんの お飲み物とデザートのセットはいかがですか?

の優しいお誘いに 思わず はい!!

と言ってしまったのでした (笑)

せっかくだしねえ~~~(こればっか) オホホホホ(=^・・^=)

この日は 暑かったので レストランでゆっくり休ませてもらってから

また 博物館の中を歩きました。

 

券があれば 特別企画展以外

たくさんある建物の中を自由に何度でも行き来できて 常設展を見れるので

大変お得だと思います。

ディズニーランドみたい~~~ ♪

 

長女おすすめの 獅子王も 見ることができました

館内には 刀剣や甲も多く

若い女子がたくさんいました。

ファンなんですね~~~ 刀女子 ☆

 

平成館とか一通り見てから 次に ゲゲがまた行きたいと

法隆寺展を見にいきました。

前回と 展示内容 展示物が がらりと変わっていました

でも 相変わらず シーン~~ とした感じは同じで。。。^^;

この雰囲気 好きだわ~。。。

修学旅行の時 早朝の雨上がりの法隆寺で感じた不思議な感じと同じ~。。

^^;

 

一通り見て トイレ休憩した後

ゲゲが 長女に

悪いけど もう一回 二階見てきていい?

と わがままを言いまして 法隆寺に寄進された仏像をぐるっと

再び 見せてもらいました。

展示物の内容を書いたプリントも 受付で頂きました。

 

前回も書いたけど どうして これだけの仏像がたくさん

奉納されたのかが ものすごい不思議。。。

一般的?な どうぞ私の願いをかなえて下さい とか言うんじゃなくて

法隆寺で祀られる聖徳太子様とその一族の心を慰めるためとしか思えない。。

 

次に長女が

獅子王の画像がぼやけていたので もう一回 撮影に行きたい

と申しまして 本館?だっけかな。。建物の中に入りました。

 

何回でも 入ったり出たり 時間の許す限り 散策?できるから

ほんと 良いわ~。。。

↓ すっかり夜になりました

とてもすてきでした☆ やっぱりディズニーランド?w

閉館は9時だったけど その前に博物館を出て

夜の公園を歩いて 人でいっぱいの上野駅へ行って

新幹線で宇都宮へ帰りました。

 

帰りは バスがあったので

バスに乗って 帰宅しました

 

あ~~~

楽しかった~~~ ヽ(^。^)ノ

ホテル宿泊券 当たって良かった!!

二日間 のんびり 豊かに遊べました♪

ありがとうございました~~~!!!

 

と お礼のメールをさせて頂きました (#^.^#)

 

2016年6月9日(木)から6月11日㈰ 奈良ひとり旅感想 桜井市とか巻向とか天理市とか あちこち

昨年の旅行から もう!!11か月が経ちました。。。

来月は もう!!6月。。。

旅行から1年。。になります。。。早。。。!!!

 

途中 中断もしながら なんとか ほぼ1年かかりましたが

奈良ひとり旅をまとめる事ができました♥

やはり 4日間というのは 今思いかえしてみても 濃厚で

写真も相当な数になるんだな~。。。

と 改めて実感しました(笑)

 

父が この間 カメラのキタムラで デジカメを買った時^^:

(何台めだ。。弟に言ったら「また買ったん?!」と驚いていた。知らなかったそうだ。。。)

フォトブック半額券というのをもらい それを私にくれたので

せっかくだから と 先月4月に

奈良の旅を フォトブックにまとめてみました。。

 

フォトブックなるものを 初めて 作ってみました。

店頭に行ってPCを操作したので

夕飯のために帰宅しなきゃならない時間が迫っていて

若干編集時間が足りませんでしたが

仕上がってみたら とてもすてきでした~ ☆

半額なのも 嬉しかったし~~ ♥

 

最初に PCにデータを差し込むと

フォトブックの方で 写真を選んでくれるので

後は 自分でマウスを使って 写真を入れ替えたり

違う写真に変えてみたりと

自由に編集できるのが 楽でした。

改めて 奈良のあの旅を 総合的に振り返ってみました♥

撮影した写真の数は 数えてみたら970枚でした。。。多。。(^◇^;)

やっと最近 自分で撮った写真について

どれが何日目の写真か 順番に4日間分 わかるようになりました(遅。。)

 

PCに向かえる時に ブログを写真にアップしてきましたが

今 色々思い返してみると

 

あの時ふらふら あの神社へ行ったのは なんでだったんだろう。。

 

どうして この神社の場所に 偶然たどり着いたのだろう。。

 

という 「なぜ? どうして?」という想いが

やたらと自分の中で湧き起ってきます。。

 

帰宅した後 色々調べてみましたが

特に 今年になって

私が行った 地図にも載ってない神社は かなり重要な神社だ!

と確信する事ができましたし

 

古代の 崇神天皇 垂仁天皇 景行天皇という

巻向に都を作った3代の天皇の宮を

 

ここだ!

 

と 自分の中で決定する事が出来ました。

 

そして 同時に 時代を超えて

初代の神武天皇の東征時や

それ以前の 九州の神武天皇の先祖の方たちが 巻向に来て

打ち滅ぼした敵についても

おそらく この神社で祀っているのだろう。。。

という事が 自分的に わかってきました。

 

推測ですが 自分なりに

玲子さんや視っちゃんの霊視や

画像解析の池田氏の本から まとめていって

ヤマトの地の歴史を 一つの物語として

つなげて語れるように なりました。

 

やっぱりね。。

欠史7代なんて ありえません!!

神武天皇から 崇神天皇の間には ちゃんと天皇が存在してらっしゃいます!

そうでないと 歴史が つながらない!!

嫁さんとか 臣とか 人が結びつかないっす!!!

 

苦労して 西日本をまとめていったんです。

やっぱり 日本は広いから 神武天皇から崇神天皇まで

国をまとめあげるのに 軽く 10代 かかると思う!!

(天才と言われた織田信長だって 戦国時代 国土統一に向けて あんなに苦労してたしねえ~。。)

 

今年に入ってから ゲゲ

割と突然 色々 降りて?きたり ひらめいたりして

とり憑かれたように 魂を奈良へ飛ばす勢いで

わわわ~~~っと 纏向の地の事 調べました。

 

最初は 玲子さんや視っちゃんの霊視 池田氏の本の内容を

 

ほぉ~~~。。。

奇想天外な感じで 面白いなぁ~

ふぅん~~~。。。

 

と 全然見当もつかず

漠然と読み流していただけだったのですが

 

自分で調べれば 調べるほどに

 

え?。。。ちょっと待って。。。

まさに これって この方達の言う通りじゃん!

 

みたいな結果が見えてきてしまって。。。

ほんと びっくりです。。!!!

 

あの旅を応援して下さった神様。。家族。。 特に 長女 次女。。

そして 温かく歓迎して下さったポロンさん!

本当にありがとうございました (*^。^*)

 

今思い出しても 懐かしいあの時。。

感謝感激です~~~ \(^o^)/

楽しかった~~~!!!