「ヤマタのおろち」の「ヤマタ」、奈良県天理市「柳本」って もしかしたら 「ヤマト」なのかも。。。

今 買ったばかりの初めてのスマホ関連作業?で 四苦八苦中ですw

悩みに悩んで やっと 手帳タイプのカバーを 密林さんに発注しましたw

カバーって お店に行っても 一つか二つしか売ってないのに

密林さんでは 山のようにあって びっくりしました

条件を絞って 400ページ 見ました!ストレッチしながら・・・

眼と腕が疲れた~~~~~!! w

 

 

確か スマホを買う前のことですが

出雲大社のご神木?を使ったブレスレットが欲しいかも~~♪

 

と パワーストーンがついてる雑誌の事をネットで検索したり

 

ユーキャンから 突然

古事記の話の無料サンプルDVD(アニメ入り)が送られてきたりしていました

(一度何かを買うと その後たくさん 次から次へとご案内が来ますw)

 

その無料サンプルDVDを見せてもらっていたら

 

あれ?

スサノオノミコト様が退治した

ヤマタノオロチって・・・

 

確か

あの怪獣は 川の事だろうって 今言われている事が多いけど

 

もしかしたら

ヤマタ って 。。。

 

yamata…

yamato…

 

似てる!!

「大和」 「 倭」 「日本」に

似てる!!!

 

って 思いました。

もしかしたら 以前 ブログに書いたことがあるかもです

再度 思いました

 

推測ですが

「やまと一族のオロチ」という人 または部族が支配していた出雲のあの辺りの地域を

スサノオノミコトが 戦をして 幹部8人を倒し

出雲を手に入れた

ということではないかと 思ったりしました

 

・・・

酒に酔わせて敵を滅ぼす やり方は

確か 神武天皇もなさっていたような・・・

日本武尊様も・・・ ^^;

 

日本語の発音ですが

縄文 弥生時代の 言葉の発音については よく わかりませんが

滅ぼされた人達の事なので

もしかしたら 後世 区別する意味で

「やまと」 ではなく 「やまた」 と 発音表記するようになったのかも。。。

と 想像してみました

または

「やまとの山田に住むオロチ」というボスかもしれません。。。

 

神話では 8つの頭を持つ大蛇となっていますが

世界各国に 似たような話があるそうなので

もしかしたら

スサノオノミコトとオロチの戦いは

わざと

「あれって 神話だよね?」のノリでうやむやにされて

史実から 外されるように仕向けられたのかもしれません。。。

 

出雲に行くと 史跡がたくさん残されているんですよね。。。

ネットで見た時

 

あー。。。

この戦いって 人VS化け物 ではなく

実際 人VS人 の戦で行われたんだろうなあ。。。

と 史跡の画像を見て 感じました

 

私の推測では

イザナミさんは 出雲の姫で

高天原のイザナギさんと結婚した時は 出雲と高天原は良好な関係を築けていたのに

その後 何か 出雲で

カグツチさんが関わるごたごたに巻き込まれて 亡くなってしまい

 

それ以来

高天原グループは

うまく 出雲と つきあえなくなり

そこに スサノオノミコトが 地方長官として 派遣されていったのではないか

と思います

 

イザナギさんとイザナミさんあたりの 出雲と高天原の関係は

私もうまく考えがまとまらず 上手に表現できませんが

イザナギさんにしてみたら

出雲の姫と 結婚したんだから

出雲は自分の支配する国

と 思っていたのかもしれません

 

ですが 出雲は  とても豊かな地なので

様々な人たちが この豊かさを目当てに この地を欲しがり

色々 トラブルもあったのではないか・・・

と 思います。。

 

 

そして この間 景行天皇の古墳の辺りの地図を見ていて

はた!と 気づいたのですが

地名 「柳本」を 不明瞭に発音していくと(変な日本語w)

 

やなぎもと。。。

やないもと。。。

やなもと。。。

やぁもと

。。。

やまと!!!

 

になる!!!

と 気づきました

^^; 結構 強引 w

 

マクモニーグル氏が

ヤマト民族が 移動した地は 「やまと」と呼ばれた

みたいなことをおっしゃっていたので

 

もしかして 柳本 って 昔々は

やまと って 呼ばれていたんじゃないかなあ。。。

と 思いました

 

地名の由来をネットで検索してみましたが

大きな楊の木があった? みたいな感じで

はっきりしたことは わからないみたいです

 

近くには 「長岡」があるようで

!!!

ナーガ!!

インド系の古代の蛇の神 の名前がついてる!!!

と 感動しました

大和神社が長岡の地に祀られる と 垂仁紀に書いてあるそうです

 

近くの 「渋谷」(しぶたに)は

水に関係する地名のようです

鉄分を帯びた 赤しぶの水の出る谷 らしいです

 

(参考 天理市ホームページ)

 

私は 邪馬台国も 「やまと」国 って 読むんじゃないかなあ

と思っています

結局は やまと という国は 各地にたくさん大きくあったと思うのです

(やまと民族は南から北へ北へ移動していったというマクモニーグル氏の霊視?が好き♥)

 

ですが

国津神(イザナミさん) 天津神(イザナギさん) 辺りで仲良くやっていたのに

後々 子孫でこじれる。。。

みたいなことを繰り返していくうちに

(戦国武将とかでも 代が変わると 兄弟でもめたりするアレ的な)

 

誰が 「やまと」を名乗るのに 一番ふさわしいか

みたいな 戦争というか 抗争というか

戦いになってしまい

負けた出雲は 結局「出雲」と 呼ばれ

区別されるようになってしまったのではないか

と思います

 

やまと は 山のふもと という意味もあるそうなので(山本やまもと も そうらしい)

そうなると 各地に 自分達はヤマトだ! と名乗る氏族がいっぱいいたかもしれません

 

本家やまと族

元祖やまと族。。。

 

卑弥呼さんがいた氏族がヤマトで(邪馬台国という漢字も良いけど 山門も良いなぁ)

景行天皇は 卑弥呼さん亡き後 ヤマトを 吸収して

自分達が ヤマトである! と 名乗り

国土統一に向かって進んでいった 気もします

 

天照大御神に仕える妹は 「倭姫」  という名前

 

南へ北へ戦に行く息子には 「倭武」 という名前

 

。。。。

 

うーむ 玲子さんの霊視でHONKOWAに書いてあったけど

この命名は奥が深い!

 

ヤマト。。

大和。。。

倭。。。

日本。。。

 

漢字はいろいろありますが

 

やまと

 

って 本当に美しい響きだなぁと思います

 

 

 

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かごめかごめの唄の謎 日本武尊編

ちょっと前のHONKOWAを読み直していたら

玲子さんの霊視で

「囲ってる」

というワードがありました。

 

そのワードを見た途端

ゲゲの頭の中には 以前訪れた大阪堺の

大鳥大社と4つの摂社 が浮かびました

 

続いて 頭の中に なぜだか

かごめかごめの唄が浮かびました

 

かごめかごめの唄は 童謡ですが

その歌詞から

何かの秘密の鍵を示唆する内容ではないか

という説があります。

テレビの怪奇特番でも取り上げられたことがあります

 

日光東照宮の徳川埋蔵金のありかを示しているとか

他にもいろいろな解釈がある 不思議な謎を秘めたわらべ歌です

 

かごめかごめの唄って

「鳥」という言葉が出てくるし

もしかしたら 大鳥大社に祀られてる日本武尊の唄かも。。。

と ふと思いました。

 

大鳥大社には 近くに 4つの摂社があります。

大きい神社の周辺に小さな摂社があるというのはよくある事なのでしょうが

なぜだか ゲゲには

 

大鳥大社がその4つの摂社に囲まれてる。。。

もしくは

4つの摂社が大鳥大社を囲ってる。。。

 

と感じられて感じられて仕方がないのです。

 

かごめかごめの唄を

子どもの頃覚えた通り 口ずさんでみました。

 

かごめ かごめ

かごの中の鳥は いついつ出やる

夜明けの晩に 鶴と亀がすべった

後ろの正面 だあれ~

 

私が住んでいた地域では

かごめかごめ遊びとは

何人かが手をつないで円を作り

その真ん中に 目隠ししてしゃがんでいる子がいて(かごの中に入っているように)

その子の周りを 時計まわりに歌を歌いながら ゆっくり動いて

歌が止んだ時にぴたっと止まり

真ん中の子が 自分のま後ろにいる子を当てる

というものです

 

当たると

その子は かごから出られて円のメンバーになれて

反対に 今度は

当てられた子がかごの中に入って目隠しをします

 

当時は何も考えずに遊んでいましたが

今 漢字をあてると 「囲め 囲め」ということだと思います

なんだか 人に目隠しをして 大きいかごの中に閉じ込めてる

というイメージがあります。

 

私の 勝手な解釈ですが

この歌は

かごの中の鳥が出て 鶴と亀のところに飛んでいこうとするから

決して外に出してはいけません

その間に 鶴と亀は滑って再起不能になりました

内緒ですが 鶴と亀を滑らせた犯人は 後ろの正面にいますよね

 

という意味なんだと思えて仕方ないです

 

これを大鳥大社の日本武尊に当てはめてみると。。。

 

囲め 囲め

かごの中の鳥(日本武尊の魂)は

いついつ出やる

夜明けの晩に 鶴と亀が滑った

後ろの正面 だあれ

 

。。。

しばらく考えていたら

頭の中に

「神功皇后」…

と浮かびました

 

鶴と亀って・・・

神功皇后が滅ぼした かご坂王と押熊王…

もしかしたら 2人の母親・・・ 母親が出た家の一族・・・

さらには もっと拡大解釈すると成務天皇や成務天皇の母方の一族・・・

そして さらには 仲哀天皇の母親の一族…

 

…神功皇后にとって

今までのすべての政敵たち?・・・

 

次々に 浮かんできました。。。

 

神功皇后の子 応神天皇が天皇の位につくことができたのは

実は 神功皇后と家臣の武内宿禰が起こしたクーデターで

王位継承権を持つ かご坂王 と 押熊王 を滅ぼしたから…

 

という説があります。

 

ゲゲの推測ですが

景行天皇から 神功皇后までの間

一番子孫が繁栄して 長期間 実権を握れた勝者は

神功皇后

ではないかと思うのです

 

景行天皇の息子である日本武尊は 武勇に優れていたにも関わらず

東征のため 都へ戻る前に亡くなってしまいます。

生きていたら おそらく 次期天皇だったと思います。

そして 景行天皇の正妃であった日本武尊の母(播磨出身)も亡くなりました

(ということは 母方の一族=外戚は 天皇家の家臣としては 多少なりとも力を失ったという感じになると思います)

 

景行天皇の次に天皇になったのは 成務天皇です

母親は 八坂の入媛(父は八坂の入日子=崇神天皇の子 八坂は京都?)です

 

そして 次の天皇は 成務天皇の子ではなく

日本武尊の子 仲哀天皇でした

(ということは 成務天皇の母の一族は 今までの権力を多少失ったのかも ということになります)

 

仲哀天皇の母は 垂仁天皇の娘で 名前は両道(ふたぢ)の入媛(京都?)です

 

そして 仲哀天皇は 早くに亡くなり(同時に 母方父方の権力も弱まり…)

おそらく それ以前に

仲哀天皇の最初の妻(大中津媛 兵庫?)も亡くなっていて…

妻の父方母方の権力も弱まって…

 

ここまでの間に 天皇が次々代わり

そして 同時に 天皇の母 天皇の妻 も代わって…(当たり前ですが)

さらには 天皇の母の外戚 妻の外戚

と 推測でしかないですが

天皇をとりまく家臣の力関係が

次々変わっていったのです。

 

記紀では この頃の天皇家の家臣団についてはあまり詳しく書かれてありませんが

後の世の 中臣家 蘇我家の争いとか見てると

古代でも

大和の天皇家周辺では 天皇の母親の出身家による権力争いが

あったのではないかと思っています。

 

 

そして 仲哀天皇の死後

戦が起こります。

 

仲哀天皇の後妻(神功皇后 父は開化天皇曾孫)と

仲哀天皇の最初の妻の子ども達が(かご坂王・押熊王 兵庫?)

争う事になり

かご坂王 押熊王は 負けて 亡くなりました

 

この戦いの結果

勝って残ったのは 景行天皇の直系の仲哀天皇ではなく

仲哀天皇の妻 神功皇后でした

景行天皇が築きあげた大きな権力が

開化天皇曾孫の娘という 直系からかなり遠い皇后(=息長一族)に

移行したのです。

 

仲哀天皇の最初の妻 大中津媛は 祖父が景行天皇なので

血統からいえば 神功皇后よりも上になりますが

神功皇后は

自分よりも血筋の良いかご坂王 押熊王を滅ぼして

強大な権力を持ちました

 

そして

自分の息子が天皇位を獲得した後(応神天皇)

その政権は安定した形で 仁徳天皇へ続いていったのでした。

 

ゲゲ訳

 

 

囲め 囲め

かごの中の鳥はいついつ出やる

世空けの晩に 鶴と亀が滑った

後ろの正面 だあれ~

 

なぜだかわからないのですが

神功皇后が一番恐れたのが

景行天皇の命によって大鳥大社で祀られている日本武尊の魂

だったのではないか…

と思えて仕方ありません。

 

おそらく 日本武尊は

あれだけの偉業をやってのけたのに 都に帰れず

望郷の念を持ちつつ 苦しみながら地方で亡くなった

という事から

人々にとって 恐れる対象になってしまった…

と思います。(私は尊を大好きなので 〃ω〃

怨霊という表現は使いたくないです テヘペロ^^;)

 

なので 尊の3つもある古墳はすべて

巻向ではない場所に造られたのかもです

まるで 巻向の地に尊の魂は入れさせない

としてるような意図を感じさせます。

そして 最終的に 4つ目として 堺に 神社を作って

魂を祀らせました

 

理由はわかりませんが

3つの古墳だけでは何かが収まらず 神社も必要だったのか…

誰かが 神社で何かに使うためだったのか…

 

それとも 一つの古墳と一つの神社が造られた後

長い時間をかけて

それぞれ違う人たちが 2つ目と3つ目の古墳を造っていったのか…

(ゲゲも 過去記事で 色々考察してます)

 

崇神天皇 垂仁天皇 景行天皇は 大和の磯城郡で 政治を行いました

(ゲゲは この天皇3代で巻向に大きい都を作っていったと思っています)

 

日本武尊の腹違いの弟 成務天皇は

景行天皇の晩年

大和からかなり離れた近江へ遷都しました

これは

日本武尊がかつて住んでいてなじみのある纏向の都から

あえて離れたのだと思います。

 

ゲゲの推測ですが

おそらく 成務天皇は 自分が天皇に即位する前

老衰で体が弱っていた(想像です)景行天皇を 無理矢理説得して

巻向から近江へ連れていったのではないかと

思うのです

 

後世 極端な遷都として

乙巳の変で 蘇我氏を滅ぼした後 孝徳天皇が難波へ遷都したのが有名です

これは 飛鳥の地にあふれる蘇我の怨霊から逃げるためだったのではないか?と言われています

 

それと同じように もっと以前 成務天皇は

日本武尊の魂から逃れるために 遷都したのだと思います。

もしかしたら 孝徳天皇は成務天皇の真似をしたのかもしれません

 

そのように強力な日本武尊の魂ですから

日本武尊の息子の妻である神功皇后は

何はともあれ 義父の怒りを 相当恐れていたのではないかと思います

日本武尊の孫(夫の先妻の子ども2人)を滅ぼすために戦をしたのですから。。

 

記紀に 神功皇后の神頼みが

かなりたくさん出てきますが

日本武尊の祟りを恐れていたからではないか

とも思えます。

 

ゲゲの推測ですが

大鳥大社の回りにある4つの摂社は

神功皇后が 尊の魂を大社から出さないために

社を建て 何かの術をほどこして 囲った跡なのかも。。。

と思ったりします。。。

 

そして

民衆は それを知っていたのかもしれません。。。

でも はっきり言えば

古代の事ですから おそらく だめでしょう。。

 

なので 代々 内緒で口伝している間に

いつしか わらべ歌となり

かごめかごめの唄として 後世 語り継がれていったのかも。。。しれません。。。

 

ゲゲ訳

 

囲ってる 囲ってる

日本武尊の魂は

子孫を助けるため いつか 社から出そうだね

出てこないように 囲ってるんだね

仲哀天皇が九州遠征で亡くなって 天皇位が空いて暗闇だった時

大和を守っていたかご坂王と押熊王が失脚したね

2人を失脚させた犯人は 後ろの正面にいるよね

 

 

 

 

 

地図の上でのことですが

大鳥大社の後ろを ずっと北にたどって行って

東の方を振り向くと

正面を海側に向けた ○○大社があるんです。。。

 

なんか怖いので

はっきり書くの やめておきます (;*^^)v

 

雀宮 と 宇都宮  地名の由来 考えてみました(何回目だろう w)

今日は

日本武尊と一緒に 尾張海軍を率いて東征へ行った建稲種命さん

(私の中では 三代目Jソウルみたいなイケメンのお頭になっている

あ 直虎の龍雲丸でも良いかな w)

 

を 検索して調べようとしたら

あらら。。。

違う方向へ行ってしまいました・・・

 

なんで? お彼岸だから? (笑)。。。

栃木県那須塩原市にある 嶽山 箒根神社 (たけさん  ほうきねじんじゃ)

が ひっかかりました。。。

 

この神社は創建時期は不明ですが

豊城入彦命の曾孫 御諸別王(みもろわけのおう)が

豊城入彦命を合祀して

さらに 御諸別命の曾孫 宇都野別命(うつのわけのみこと)が

神主となり ここに住んだので

地名を宇都野とつけた

のだそうです。

 

キター!!

宇都野別命 キター!!!

 

以前 ちらっと 検索にひっかかって

その他どこか もっとわかりやすいところ(どこ?)にいないかな~~。。。と

思い出した時に PCの中を探して(・・・どこ?)いたのですが

 

なんと 今日!

思いがけず ひょいっと 見つかりました!!

 

系図を作って調べてみたら

宇都野別命は ちょうど履中天皇もしくは 履中天皇以降の頃の方になります

履中天皇は 仁徳天皇の息子さんです。

 

おお~~!!

ということは

仁徳天皇は 名は大雀命(おほさざきのみこと 雀さん) なので

宇都宮の雀宮近くの上三川から出土した器の裏に書いてあった人の名字?「雀部○○」

と 雀宮の地名と 宇都宮の地名が

全部 つながった気がする。。。( 勝手に)

 

仁徳天皇の時代に 下野の国司になった奈良別王(ならわけのきみ 豊城入彦命の4世孫)が

雀部の人がたくさん住んでいた地に 神社を建て

下野の国を一生懸命開拓して 土地の人に慕われた父(御諸別王)を祀り

荒尾崎には(宇都宮市) 4代前のおじいちゃん豊城入彦命を合祀した

と 思われます。

 

荒尾崎付近(八幡山とか)は

ゲゲが思うに

豊城入彦命が先住民族と戦をして 彼らを滅ぼした土地だと思う

 

なので 鎮魂のために

力のある4代前のおじいちゃん豊城入彦命をご祭神に選んだのだと思う。

 

そして 奈良別王の孫 宇都野別命の代になった時

この嶽山または箒根山(現 那須塩原市)で 怪異が起きたのだと思う。

 

箒根という山の名前は 豊城入彦命が名づけたという伝承があるそうです

ならば きっと ここで 先住民族と戦をしたに違いない!

と ゲゲは思いました。

 

「根」っていうのは 「根の国」 に通じるものがあるから

もしかして 滅ぼされた民族が眠る土地につける名前なのかもしれない。。

 

そんなこんなで

奈良別王の孫 宇都野別命は

山の怪異を鎮めるため

嶽山山頂付近にある 箒根神社に住んで 日夜祭祀を行ったのではないか?

と 思いました。

 

ややこしいのですが

嶽山と 箒根山って 違う山らしい。。。

そうだよね。。名前が違うんだもんね。。。><

後でよく 調べてみます。。

 

で おそらくだけど この 宇都野別命は

荒尾崎の二荒山神社の神主もしていたのだと思います。

というか 昔は

国司は国を治めつつ 神社の祭祀権も持っていたそうなので

 

いつしか 宇都野別命が治める宮ということで

荒尾崎周辺の地(現・宇都宮市)を

宇都野別の宮 → うつののみや 宇都宮 と

呼ぶようになったのではないかしら。。

 

というのが ゲゲの推測です。。

 

雀宮神社周辺の土地は 雀部の人達の治める土地なんだと思う。。

 

宇都宮と雀宮の間には

江曽島(蝦夷の民が住む地 伝承では日本武尊が滅ぼした)があるし、、

。。。

なんか 空気感が違う気がする。。

 

もしかしたら 仁徳天皇が

雀宮から上三川の土地は 自分の氏族 雀部のものとして

江曽島から宇都宮の方は 国司 奈良別王のもの

って 分けたのかも知れません。。

 

で 奈良別王の支配する土地を そのまま 子の宇都野別命が引き継いだのかも~。。

 

ってことは

那須塩原の嶽山 箒根山周辺も

奈良別王が支配していたのかな。。。

 

あ~~!!

もしかして!!

 

豊城入彦命が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫である 御諸別王や 奈良別王 宇都野別王が引き継いで

 

日本武尊が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫の仁徳天皇が 権利があるっていうか 自分の荘園みたいにして

そこから上がった米とか野菜とか

自分に納めさせていたのかな。。。

 

よくわからないけど

もしかしたら そうなのかな。。。

 

国司って 自分は 米とか作らなくても

豪族とかが 納めてくれるんだよね。 多分。。

 

また 思いついたら ブログに書くので

地名問題 もしかしたら

またまた 違うひらめきが降りてくるかも知れません。。

 

一体 何回 考証したら ゴールへたどり着けるのだろう。。w

ゴール。。。

近いような。。。

遠いような。。。(*_*; 。。。

 

 

 

 

 

飯野の眞黑比賣(古事記)の謎 隠された?姫 卑弥呼系列?

ちょっと前に調べていた 迦具漏比賣(垂仁天皇妃)と

訶具漏比賣(景行天皇妃)ですが

あの後 なんだか 集中できなくて

調べ始めても どんどんずれていって 気付いたら 違う事を調べてたり

上の空になったり

なんか うまく調べる事ができなくて。。。

。。。 何も降りてこないし^^;

不思議な感じに苦しみました。。 (^_^;)

 

で 昨日 何気に

訶具漏比賣(景行天皇妃)の父方のおばあさまである

飯野の眞黑比賣という方を 調べはじめまして

ゲゲ流の系図を ノートに書いていたのですが

あれ?っと 思いました。。

 

飯野の眞黑比賣という方は 古事記に書いてある系図がおかしいので

以前にも 記事にとりあげたことがあります。

だんなさんは 若建王(日本武尊の息子 古事記)ですが

それは誤りで 本当は 吉備の若建日子ではないかと

「若建」違いを考察してみました。

 

ゲゲ流の系図は

「池田氏の古墳墓碑」本に書かれてる生没年を参考にさせて頂き

記紀に書かれている親子関係を元に

その時代に生きたと思われる同世代が横に並ぶように

ノートに書いて 作っていくものです。

 

昔は 子だくさんなので

長子と末子の年の差が

もしかしたら20歳とか30歳とか50歳とかもあったかも知れません。。

そういう場合は ひーひー言いながら

こんな感じかしらん?。。末っ子と長男の甥っ子 多分きっと同じ世代だよね。。

とか 勝手に 妄想?しながら

系図を埋めていきます

 

そうやって 作っていった系図を見ていたら

やっぱり 飯野の眞黑比賣さんが

なんだか気になって気になって仕方ありませんでした。。

むむむむ。。。と 降りてきたー!! というか。。。

 

古事記には

眞黑比賣のお父さんは 杙俣長日子王(日本武尊の孫)と書いてありますが

(日本書紀には 眞黑比賣の名は書いてない)

 

系図を見ていると どうもなんだか それは間違いっぽい気がします。

 

もっとさかのぼって

実は 景行天皇(日本武尊のお父さん)と同世代なのでは?

と思えて仕方ありません。。。

 

じゃあ 眞黑比賣のお父さんは誰なのか

となると

ゲゲの勝手な推測ですが

水穂之眞若王さん かな~? と思いました。

または 弟の 神大根王さんか。。。(^^;

 

理由としましては

水之穂眞若王と神大根王のお母さんが 息長水依比賣という方でして

あたまに息長が付きます。

 

眞黑比賣の場合も

お父さんのお父さん(おじいさん)が息長田別王(日本武尊の子)という方なので

 

長く言い伝えてる間に

眞黑比賣は息長の孫だから

ということで 伝聞ミスがあったのではないか?

と 考えてみました。

 

古事記に書いてある眞黑比賣の妹?は 息長真若中比賣といいますが

この方は 15代応神天皇の妃になっています。

眞黑比賣の孫が12代景行天皇妃で

妹が 3代下の天皇妃じゃ

やっぱり 系図的に無理がありそうです。。(多分。。)

 

伝聞ミスなら良いのですが。。。

もしかしたら 誰かが意図的に 眞黑比賣を変なところに入れたのかもしれません。。

訶具漏比賣が 卑弥呼グループの巫女である事を隠すために。。。

 

飯野の眞黑比賣の 飯野という おそらく場所を表す地名ですが

ネットで調べたら

なんだか 日本全国にあった地名みたいで。。。^^;

 

でも くじけないで

多分ここかな? と狙いを定めたのが

香川県丸亀市飯野町 飯野山 飯神社

というところです。

神社のご祭神が 飯依比古命で

古事記の国生みの段 のところにも名前が出ています。

 

想像でしかないのですが

香川(讃岐)なら 吉備と 昔からつながりがありそうだし

結婚もありうるんじゃないかな~?と思うので

飯野の眞黑比賣の夫は 吉備の若建日子ではないか

と 推測してみました。

 

で ノートに 眞黑比賣 眞黑比賣と書いていて

はた! と 思ったのですが

ま ぐ ろ

か ぐ ろ

 

似てる! って 思いました。

 

祖母と孫 「くろ」 がいっしょ!!

(この訶具漏比賣は かぐる と読む説もありますが ^^;)

 

「ま」 というのは おそらく 「真の」 とか 「ほんとの」 という意味だと思うのです。

今でも 「まんなか」 とか 「まっしょうめん」 とか 使うから。。

 

「か」 というのは 仮の という意味だと「池田氏 古墳墓碑」に書いてありました。

 

元々は 黒比賣 という名前に

真の とか 仮の

という語を あたまに載せたのではないか?って 思いました。

 

さらに そういえば

仁徳天皇妃で 吉備の黒比賣(皇后の嫉妬で国に逃げ帰った)という方も

履中天皇妃で 葦田の宿禰の娘 黒比賣 という方もいたなあ。。。

と 思い出しました。。

 

なんだか

黑ひめって

巫女的能力のある女性が そう呼ばれる名前なんじゃないかなあ。。。

と 思いました。

 

眞黑比賣って もしかしたら 卑弥呼かなあ。。。

とも 考えましたが

卑弥呼さんは 結婚しなかったっていうし

なら 卑弥呼さんグループの上の方の人だったのかなあ。。。

謎の方です。。。

 

「池田氏 古墳墓碑」にも載ってない方なので

池田氏も 調べたけど わからなかったのでしょうね。。。

ほんとに謎の女性 だなあ。。。。

卑弥呼の宗女イヨ?トヨ?は 景行天皇妃 訶具漏比賣だと思うううう~!!

今流れてるCMで

携帯?の画像が夜でもきれいっていうアレ。。

卑弥呼様が出てますが

あれって マクモニーグル説の卑弥呼様ですよね。。

 

アジア系の かわいい美女!

あのCM作った人 絶対 マクモニーグル氏の卑弥呼本 読んでる!

と 睨んでる (笑)

 

池田仁三氏の「画像解析による古墳墓碑」を読んでいて

ふっと思ったのですが。。。

(ずっと 愛読してます♥)

以前にも考察しましたが

かぐやひめというステキなお名前の方は

11代天皇 垂仁天皇 の妃に 迦具夜毘賣という方がいます。

 

そして かぐやひめとは名前の読み方が一つだけ違う

かぐろひめ

というお方が お二人 います。

12代天皇 景行天皇の妃 訶具漏比賣

 

15代天皇 応神天皇の妃 迦具漏比賣

 

です。

 

私は 色んな方の意見を参考にして あれこれ考えたのですが(特に池田氏の古墳墓碑本と マクモニーグル氏の卑弥呼透視本から)

卑弥呼さんがいた時代というのは

10代 崇神天皇

11代 垂仁天皇

12代 景行天皇

の3代に渡った時期だと思うのです。

 

池田氏が調べた「古墳墓碑」の年号も理由の一つですが

その他として 3人の天皇の行動?というか

記紀に書いてある事に 着目しました。

 

以前 HONKOWAで 玲子さんがおっしゃってた

「記紀って 卑弥呼を隠してるよね」みたいなお言葉も拝見して

 

そうだ!!

卑弥呼さんって あまりにもすごい能力の持ち主だから

天皇家にとっては 国土をまとめるのに必要不可欠の存在だけど

本音はいてほしくないんだ!!

と 気づかされました。

 

 

ありがたいけど邪魔な存在の人。。。!

いなきゃ困るけど 本音は 自分達が国をまとめたい。。

卑弥呼に代わって 国のトップに立ちたい。。。

目の上のたんこぶ。。。

 

と 内心思ってんじゃないかなあ~、、、と気づかされました。

 

そもそもは 崇神天皇の時

四道将軍達が地方へ行って国を統一したっぽいのは

卑弥呼の力を借りたからできたのでは?と 思います。

 

そして 崇神天皇は 卑弥呼の力を借りて国をまとめつつ

同時に 卑弥呼がいなくなった後

自分達のヤマト政権が 国々をまとめるトップに立てるように

独自路線を開発というか

あれこれ模索していったのだと 思うのです。

 

崇神天皇は 国を大きくまとめるのに 卑弥呼の力を利用しつつ

自分は 倭トトモモソ姫をそばに置いて 自分周辺の事を視てもらい

なおかつ 自分の娘 豊スキイリヒメには

天照大御神の鏡を持って 宮の外に出して 祀らせて

卑弥呼がいなくなった時 困らないように

呪術的な面を強化してる感じがします。

 

モモソ姫は 三輪山伝説で 箸でホトを突いて亡くなってしまいますが

あれって 推測ですが

モモソ姫は 卑弥呼にとって代わって 国の頂点に立とうと

三輪山の神の力を使って なんか好き勝手やっちゃったから

崇神天皇に見つかって殺された。。。

って事なんじゃなかろうか。。

って 気もします。。。

 

そして 崇神天皇が

天照大御神の鏡と大国主命の魂を宮の外に出したのは

政教分離というか。。。

卑弥呼が 政治面でも宗教面でもトップにいる事への対抗というか。。

 

もし 卑弥呼亡き後

自分が 国々をまとめる時が来たら

シャーマンには宗教だけまかせて 政治は自分達でやる!

という強い決意なんじゃないかなあ。。と思うのです。。

 

そして 次の垂仁天皇は

自分の娘 倭姫を 豊スキイリヒメの後を継がさせて

今度は 天照大御神を祀る良い場所を探す旅に出させます。

 

これはもう 卑弥呼に とって代わるために

自分達の先祖である ヒルメムチという女性(多分 ものすごいすぐれた伝説のシャーマンだったんだと思う。。持統天皇あたりが 「天照大御神」って 名前を付けたんじゃないのかしらん。。)

を 最高に素晴らしい場所で

最高にうやうやしく祀って 天皇家を守護していただく!

という宗教政策? だと思います。。

 

っていうか。。

卑弥呼さんが 結構 予想外に長生きだったんでしょうね。。。

それって 天皇家にとっては想定外だったんでしょうね。。。

 

次の景行天皇は 伊勢に落ち着いた倭姫に天照大御神を祀らせて

倭姫から 日本武尊様に草なぎの剣を与えて

日本武尊 様に 東征へ行かせます。

 

天皇の支配下にあるシャーマンが

天皇の支配下にある武士に 神の力を与えて 戦いに出させる

みたいな。。。

今までは おそらく

鬼道を操る(玲子さんも わからない。。っておっしゃってました)卑弥呼が

神から託宣を受けて 天皇に命令していたのでは?・・・

と思います。。。

 

そして ゲゲの推測ですが

日本武尊 様が西に戦に出る前あたりに

卑弥呼さんが亡くなったんじゃないのかなあ~。。。と思うのです。。

 

というか。。。

卑弥呼さんが亡くなった後

あちこちの国がやっぱり乱れてきちゃったので

景行天皇が 武力に長けた日本武尊様を 西に東に戦に出した。。と思います。。

 

で タイトルにもあるトヨ または イヨ さんですが

景行天皇妃の訶具漏比賣 だと思うのです。。

でも 確か 宗女トヨ または イヨは 13歳!

後見役が必要ということで

垂仁天皇妃の 迦具夜毘賣!が 後見した!と 思います。

 

理由は 月に帰るかぐやひめ という不思議な昔話と

かぐ という名前の部分が共通してるからです

 

卑弥呼の宗女グループがあって(マクモニーグルさんがおっしゃってた)

多分だけど そのグループの女子には かぐろ か かぐや って名前を付ける決まりになってたんじゃないのかなあ~。。。

と あくまでも推測ですが。。。

 

あと 理由ですが

景行天皇妃の かぐろひめは 残されてる系図が めちゃくちゃなんです

確か 日本武尊様の子孫が

日本武尊様の父である景行天皇と結婚とか

あり得ないんです。。(まあ ありえなくもないけど 実際的には無理じゃね?みたいな。。。)

 

ゲゲの調べた範囲では 残された系図がおかしいっていうのは

なにか隠してる!! って 事なんですよね。。

知られちゃまずい何かを。。。

 

続く。。。

 

2017(平成29)年5月26日㈮ 27日㈯ 千葉県安房郡鋸南町 一泊旅行

なんと!

ホテル宿泊券ペアチケットが当たったので 行ってきました!

人生初!!

日本出版販売㈱の

「今日は、本を読もう。プレゼントキャンペーン」

書店で本を買って応募しようというキャンペーンです。

 

確か 今年の2月 ツタヤで 本を ささやかに爆買いwしたら

応募券を頂いたので

ネットで応募したのが3月初めでした。

締切ギリギリだったし 申し込んだ後 すっかり忘れていたのでしたが

4月に 突然 書留郵便が届き

見たら

見事 二等 5組10名様が当たっちゃってました!!

ありがとうございました~!!

 

一等の10万円旅行券も なかなか魅力的だったので

申し込む時は 相当 悩みましたぜ~。。w

 

いや~ でも 驚きました。ほんと。

 

だんなに言ったら 大喜びでノリノリだったので

 

じゃあ 私と2人で行く?

 

と 聞いたら とたんにおし黙って

 

。。いや 俺はいいから 長女と行ってこいや

 

と言いました。良かった~♪(笑)

 

当選した本人が行かないとダメみたいで

私としては

伊勢へ行きたがっていた次女と長女にプレゼントしよう

と思ったのですが

当選者ご本様+他1名様って 事なんだそうです。

 

長女に 当たったと言ったら 大乗り気で喜んでくれたので

。。。50代の親と一緒に旅行に行ってくれるなんて なんてありがたい。。

と ひそかに感動しました。。w

 

有効期限があるので ホテルに空きが多い5月6月にしちゃおう!

と 早めに使う事にしました。

松本市が良いかな~とも 思ったのですが

よくよくパンフレットを読んだら

南房総の海が見えるホテルがありましたので

とりあえず そこにしたいと

このチケットの担当である

ステキな旅をプレゼントする会社? Reluxコンシェルジュ

さんへ メールしました。

 

聞いてみたら そこのホテル 大人気らしく

金曜日の空きは 5月26日しかない!とのことで。。。

(ってことは 6月からはもう㈮は空いてない!ってこと?。。。驚。。)

 

とりあえず 私は

5月30日㈫に 群馬の友達4人が宇都宮まで遊びに来てくれることになってたし

長女は長女で 5月28日㈰が仕事 29日㈪が友達と東京へ

みたいに予定がつまっていたので

どうしたもんかと 長女に聞いてみたら

あっさり

 

大丈夫だよ。全然平気。

 

と言うので 5月26日㈮に決まりました。

 

やっぱり 若い子って フットワーク軽いですなあ~。。。

ゲゲはもう 体力温存を真っ先に考えるから

無理のない範囲でって 引きこもっちゃうけど

見習わなくっちゃなあ~~~ (^◇^)

 

ホテルは 日本全国から 選べます。

どのホテルもとてもすてきでした。

それこそが このReluxコンシェルジュさんの売りみたいです。

 

ゲゲの目に留まった南房総のこのホテルは

君津市に近い!のでした。

住所を見て

あ!! ここは 日本武尊様の上陸伝承のある場所から目と鼻の先じゃないか!

と 驚きまして

もしかして これって 日本武尊様からのプレゼント?と

まぢで確信したwオタクなゲゲです。。

 

去年が 奈良 巻向の地への旅行だったので

もしかしたら

今年は 尊が東征した地へ行って

弟橘媛を偲んで 房総の海を見てらっしゃい。。ってことなのかなぁ。。

と 勝手に解釈しました。。

 

平成29年5月26日㈮ 雨

9:20頃 家出

出る時 隣家の工事車両がちょっと。。w^^;

9:30 バス 宇都宮駅行き

9:55    到着

10:06 宇都宮駅 発

普通 JR上野東京ライン

10:59 東京駅 着

途中 乗ってた車両に何か不具合があったらしく 乗客全員 途中の駅で 用意されてた違う電車にまるまる乗り換えたのでした(こんなこと 人生初!!)

12:55 東京駅 発

快速 JR総武本線(東京ー銚子)

14:31 君津 下車

14:35 君津 発

普通 JR内房線(館山行き)

15:08 保田駅 着

 

朝は大雨だったのに すっかり 止んでいました!

あらかじめ連絡しておいたので

ホテルの車がお迎えに来て待っていて下さいました(うわ~~!! 憧れの「ホテル車 駅お迎え」~!!)

 

昔々。。

ゲゲが小さい頃 父は電車で毎年旅行に連れていってくれました。

ですが そこは 公務員の生活でしたので 泊まるお宿は 公務員が組合で使える旅館ばかり。。

電車が駅に着くと 駅前にはいろんなホテルの名前の入ったお迎えの車が ずらりと並んでいます。

「ねえねえ お父さん。私たちの泊まるホテルの車はどれ?」

わくわくしながら無邪気に問いかける幼いゲゲに 父は

「ない!さあ しっかり荷物持て! がんばって旅館まで歩くぞ!」

と 答えるのでした。。

懐かしい~~~ (^◇^)ノ

 

私達が泊まったホテルは 紀伊国屋のホテルみたいで

オーシャンリゾート ゆうみ さんです~

〒299-1901 千葉県安房郡鋸南町元名442

 

↓ 全室オーシャンビュー ゲゲ 顔が隠れてちょうどいい(笑)

 

↓ すぐ近くにある鶴ヶ崎神社

ゲゲ 1人でお散歩&ごあいさつ

 

↓ すぐ近くにある 観光地 鋸山(のこぎりやま)へ登れる入口

↓ ここまで登って ここから先へ行くのをあきらめ 戻りました

おなかがすいたw

↓ すぐそばが海なので そこから 鋸山を見上げました

ダイダラボッチ伝承があるそうです

どこかな~ ダイダラボッチ♥~ もっと 東かな~

↓ たぶんだけど 君津方面。。

日本武尊様。。。弟橘媛様は一緒に上陸できなかったのですね。。><

↓ 南 沖 望遠レンズ最大

船の航路になってるらしく ひっきりなしに大型船が行きかってました

日本武尊様や熱田の健稲種命様達が あそこを通って

大船団で 東夷征伐へ行ったのかなあ。。。

  

20時から 夕食 個室! 部屋着可!

最初 お料理がすでにテーブルいっぱい載っていたので

。。。食べられないかも。。と思っていたら。。。

まだまだ それから どんどん 持ってきてくれて~!!

うお~~ 嬉しい悲鳴~~!!

長女と 頑張って次々 挑戦して頂きました!

アルコール ガブ呑みしてたら 絶対これ 食べられないから~!

夢中で食べちゃったので 写真撮り忘れ有り w

        

 

20:30~ 長女と挑戦 初エステ ヘッドスパと肩 顔30分

21:20~ 貸切風呂 窓を開けると夜のオーシャンがぁ~

多分だけど ディズニーランド?の花火見えた!

 

部屋に戻ったら 長女がもう 大ソファーに寝転がって

大画面テレビを見て まったりくつろいで ご満悦~

明日帰るのが 辛すぎる感じになってる~~~

 

↓ 二階ラウンジにある ドリンクバー

いつ 誰が補充してるんだろう。。いつ通ってもいっぱいあった・・!!

((;゚Д゚). ガクブル

根津大神宮(あえて この表現)

今年は かなり健康で 活動的だったので

このまま無事1年を終えるであろう~~♪

と 軽く考えていたら。。。

 

12月も終わるというこの時期に

見事 風邪をひいて

3日間 寝込みました~~~ ><

 

1日寝てれば 治るだろう~~ と軽く考えていたのですが。。。

甘かった。。。orz…

 

20日 火曜日 仕事中 なんか 体が重い。。

鼻水もいっぱい出る(きちゃない)

おかしいなあ~。。

と 思っていたら

 

21日の朝 布団から起き上がれなくなっていました。。

なんとか這って出ましたが

熱が出たらしく 体がだるくて重くて

仕事にも行けず ご飯も作れず。。

 

思えば18日日曜日 真田丸の最終回の日

風邪をひいたらしいだんなが マスクもせず

咳菌をまき散らしながら

1日中 ぐったり リビングのこたつでうたたねしていて。。

 

これはうつったら大変!と

1日 2階の次女の部屋に避難して

真田丸を BS 地上波と 2回 泣きながら観ました。。

 

そんな努力もむなしく。。。

あっさり うつって 風邪をひいてしまったという。。

どんだけ すごいんだ だんなの風邪菌。。。

(完全に だんなのせいになっているww)

 

仕事は 義母と義父でなんとかするだろう~(鬼嫁)

と気にもせず(鬼嫁)いたのですが

問題は 自分の体。。。でした。。。

 

これ やばくない?

なんで こんな 動けないの?

 

と つらくてつらくて。。。><

 

多分 いつものように 鼻が炎症を起こしていて

熱が上がって 体力的にダメージを受けていたんだと思います。。

 

気力も奪われ。。(これが一番のダメージかも。。)

 

こんなんじゃ 新幹線乗れない。。TT

旅行へ行けない。。TT

と 思うと 悲しくて悲しくて。。。(;O;)

 

真田丸の最終回の悲しいシーンと 曲が

何度も何度も 頭の中をぐるぐるするし。。 ^^;;;

 

いやもう 最悪な感じ状態でした。。。 (^◇^;)

 

午前 着替えて 近くのスーパーへ だんなの夕飯にとお弁当を買いに行って 帰って うどんを食べて1日寝る

の3日間でした。

3日目の23日金曜日は 午後 パソコンを開けることができて

安心したのですが

24日㈯の早朝。。。

朝3時位から 眠れなくなって 布団の中でもんもんしてました。。

また熱が上がってきたので 気持ち的にほんとがっかりして

。。。クリスマスイブにこの状態って。。。

治るのか これ。。。

と がっかりした後

知らぬ間に ちょっと眠ったようでした。

 

そこで 夢を見ました。。

神社の拝殿前に行って お参りしてる夢でした。

ゲゲが1人で

横に誰かいるのかいないのか 見えなくてわからないのですが

お賽銭箱の前で お参りしまして

その右隣りには 青々としたみかんかキンカンの木があって

実がたわわになっていました。

 

その時 見えない誰かが教えてくれる声がして

 

ここは 根津大神宮。

この実は体に良いんだよ。

 

みたいな事を私に言っていました。

 

へぇ~ これって 体に良いんだ。

じゃあ 食べたら治るかな~

 

と私が言ったところで 目が覚めました。

 

あ 今 夢を見ていた。。

あの実を食べると良いって 誰か言ってたっけ。

じゃあ せっかくだから 食べる真似をしよう~。。

 

と どうせ熱が出て意識がふらふらしてるから好きな事をしようと

布団の中で その実を木からとって

2つ もぐもぐと食べてみる真似をしました。

 

その後は また 眠ったようです。

そして その実のおかげか?!

24日㈯ 朝 9時頃 治りました~ \(^o^)/

起きて 動けた~~ ♪

 

で 調べてみました。。

根津大神宮。。

持っていた本を出して 読んでみました。

 

根津大神宮ではなく 根津神社でした。。

ん?!

この神社って この間2か月位前 テレビでやっていて

ちょっと調べたことがある!!

と 思い出しました。

 

根津神社は 大神宮ではなくて 神社なのですが

私の夢の中では 説明してくれた存在の方(あいまい)が

はっきり「根津大神宮」と おっしゃっていました。

 

そして さらに 神社の由来を読んでいたら

あ! そういえば ここって 日本武尊創祀の神社なんだ~!

と 思い出したのです。

 

社伝によれば 日本武尊が東征の折

千駄木でスサノオノミコトに武運を祈ったのが起源

 

なのです。。

 

うわ~~~!!

熱にうなされてる夢の中で

日本武尊様の関係する神社にお参りした~~ !!

なんてこと~!!

しかも みかん だか キンカン 頂いたし~~!!

きゃ~~!!

感動~~~!!!

 

助けてくれたのかなあ~。。。

 

以前は 夢の中に

父の従姉妹のだんなさんで耳鼻科医の先生が出てきて 薬をくれた事もあったけど。。。

今度は 日本武尊様関係の神社。。

実際参拝した事ないけど。。

嬉しいなあ~。。

 

ただ

神社にあったみかんは この間行った実家の庭先になっていた状態に ちょっと似ていました。。

 

解説の見えない方も 声だけ聞こえて 姿はわからず。。

なので。。。

もしかしたら 私のご先祖様が

実家のみかんパワーと 私が好きな日本武尊様パワーを

夢に 視覚として現わして

私に元気を与えようと 声だけ参加してくれたのかも知れません。。

 

そう考えると

不思議だなあ~

と 思えるのと同時に

深く深く 心から感謝の気持ちが湧いてきます。。

 

とりあえず 治って良かった~~~!!!

\(^o^)/

元気に動けるって 幸せ~~~!!!

(^◇^)v