Archive for the ‘日本武尊’ Category

雀宮 と 宇都宮  地名の由来 考えてみました(何回目だろう w)

2017年9月24日

今日は

日本武尊と一緒に 尾張海軍を率いて東征へ行った建稲種命さん

(私の中では 三代目Jソウルみたいなイケメンのお頭になっている

あ 直虎の龍雲丸でも良いかな w)

 

を 検索して調べようとしたら

あらら。。。

違う方向へ行ってしまいました・・・

 

なんで? お彼岸だから? (笑)。。。

栃木県那須塩原市にある 嶽山 箒根神社 (たけさん  ほうきねじんじゃ)

が ひっかかりました。。。

 

この神社は創建時期は不明ですが

豊城入彦命の曾孫 御諸別王(みもろわけのおう)が

豊城入彦命を合祀して

さらに 御諸別命の曾孫 宇都野別命(うつのわけのみこと)が

神主となり ここに住んだので

地名を宇都野とつけた

のだそうです。

 

キター!!

宇都野別命 キター!!!

 

以前 ちらっと 検索にひっかかって

その他どこか もっとわかりやすいところ(どこ?)にいないかな~~。。。と

思い出した時に PCの中を探して(・・・どこ?)いたのですが

 

なんと 今日!

思いがけず ひょいっと 見つかりました!!

 

系図を作って調べてみたら

宇都野別命は ちょうど履中天皇もしくは 履中天皇以降の頃の方になります

履中天皇は 仁徳天皇の息子さんです。

 

おお~~!!

ということは

仁徳天皇は 名は大雀命(おほさざきのみこと 雀さん) なので

宇都宮の雀宮近くの上三川から出土した器の裏に書いてあった人の名字?「雀部○○」

と 雀宮の地名と 宇都宮の地名が

全部 つながった気がする。。。( 勝手に)

 

仁徳天皇の時代に 下野の国司になった奈良別王(ならわけのきみ 豊城入彦命の4世孫)が

雀部の人がたくさん住んでいた地に 神社を建て

下野の国を一生懸命開拓して 土地の人に慕われた父(御諸別王)を祀り

荒尾崎には(宇都宮市) 4代前のおじいちゃん豊城入彦命を合祀した

と 思われます。

 

荒尾崎付近(八幡山とか)は

ゲゲが思うに

豊城入彦命が先住民族と戦をして 彼らを滅ぼした土地だと思う

 

なので 鎮魂のために

力のある4代前のおじいちゃん豊城入彦命をご祭神に選んだのだと思う。

 

そして 奈良別王の孫 宇都野別命の代になった時

この嶽山または箒根山(現 那須塩原市)で 怪異が起きたのだと思う。

 

箒根という山の名前は 豊城入彦命が名づけたという伝承があるそうです

ならば きっと ここで 先住民族と戦をしたに違いない!

と ゲゲは思いました。

 

「根」っていうのは 「根の国」 に通じるものがあるから

もしかして 滅ぼされた民族が眠る土地につける名前なのかもしれない。。

 

そんなこんなで

奈良別王の孫 宇都野別命は

山の怪異を鎮めるため

嶽山山頂付近にある 箒根神社に住んで 日夜祭祀を行ったのではないか?

と 思いました。

 

ややこしいのですが

嶽山と 箒根山って 違う山らしい。。。

そうだよね。。名前が違うんだもんね。。。><

後でよく 調べてみます。。

 

で おそらくだけど この 宇都野別命は

荒尾崎の二荒山神社の神主もしていたのだと思います。

というか 昔は

国司は国を治めつつ 神社の祭祀権も持っていたそうなので

 

いつしか 宇都野別命が治める宮ということで

荒尾崎周辺の地(現・宇都宮市)を

宇都野別の宮 → うつののみや 宇都宮 と

呼ぶようになったのではないかしら。。

 

というのが ゲゲの推測です。。

 

雀宮神社周辺の土地は 雀部の人達の治める土地なんだと思う。。

 

宇都宮と雀宮の間には

江曽島(蝦夷の民が住む地 伝承では日本武尊が滅ぼした)があるし、、

。。。

なんか 空気感が違う気がする。。

 

もしかしたら 仁徳天皇が

雀宮から上三川の土地は 自分の氏族 雀部のものとして

江曽島から宇都宮の方は 国司 奈良別王のもの

って 分けたのかも知れません。。

 

で 奈良別王の支配する土地を そのまま 子の宇都野別命が引き継いだのかも~。。

 

ってことは

那須塩原の嶽山 箒根山周辺も

奈良別王が支配していたのかな。。。

 

あ~~!!

もしかして!!

 

豊城入彦命が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫である 御諸別王や 奈良別王 宇都野別王が引き継いで

 

日本武尊が東征に来て 敵と戦って勝った土地は

子孫の仁徳天皇が 権利があるっていうか 自分の荘園みたいにして

そこから上がった米とか野菜とか

自分に納めさせていたのかな。。。

 

よくわからないけど

もしかしたら そうなのかな。。。

 

国司って 自分は 米とか作らなくても

豪族とかが 納めてくれるんだよね。 多分。。

 

また 思いついたら ブログに書くので

地名問題 もしかしたら

またまた 違うひらめきが降りてくるかも知れません。。

 

一体 何回 考証したら ゴールへたどり着けるのだろう。。w

ゴール。。。

近いような。。。

遠いような。。。(*_*; 。。。

 

 

 

 

 

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飯野の眞黑比賣(古事記)の謎 隠された?姫 卑弥呼系列?

2017年8月18日

ちょっと前に調べていた 迦具漏比賣(垂仁天皇妃)と

訶具漏比賣(景行天皇妃)ですが

あの後 なんだか 集中できなくて

調べ始めても どんどんずれていって 気付いたら 違う事を調べてたり

上の空になったり

なんか うまく調べる事ができなくて。。。

。。。 何も降りてこないし^^;

不思議な感じに苦しみました。。 (^_^;)

 

で 昨日 何気に

訶具漏比賣(景行天皇妃)の父方のおばあさまである

飯野の眞黑比賣という方を 調べはじめまして

ゲゲ流の系図を ノートに書いていたのですが

あれ?っと 思いました。。

 

飯野の眞黑比賣という方は 古事記に書いてある系図がおかしいので

以前にも 記事にとりあげたことがあります。

だんなさんは 若建王(日本武尊の息子 古事記)ですが

それは誤りで 本当は 吉備の若建日子ではないかと

「若建」違いを考察してみました。

 

ゲゲ流の系図は

「池田氏の古墳墓碑」本に書かれてる生没年を参考にさせて頂き

記紀に書かれている親子関係を元に

その時代に生きたと思われる同世代が横に並ぶように

ノートに書いて 作っていくものです。

 

昔は 子だくさんなので

長子と末子の年の差が

もしかしたら20歳とか30歳とか50歳とかもあったかも知れません。。

そういう場合は ひーひー言いながら

こんな感じかしらん?。。末っ子と長男の甥っ子 多分きっと同じ世代だよね。。

とか 勝手に 妄想?しながら

系図を埋めていきます

 

そうやって 作っていった系図を見ていたら

やっぱり 飯野の眞黑比賣さんが

なんだか気になって気になって仕方ありませんでした。。

むむむむ。。。と 降りてきたー!! というか。。。

 

古事記には

眞黑比賣のお父さんは 杙俣長日子王(日本武尊の孫)と書いてありますが

(日本書紀には 眞黑比賣の名は書いてない)

 

系図を見ていると どうもなんだか それは間違いっぽい気がします。

 

もっとさかのぼって

実は 景行天皇(日本武尊のお父さん)と同世代なのでは?

と思えて仕方ありません。。。

 

じゃあ 眞黑比賣のお父さんは誰なのか

となると

ゲゲの勝手な推測ですが

水穂之眞若王さん かな~? と思いました。

または 弟の 神大根王さんか。。。(^^;

 

理由としましては

水之穂眞若王と神大根王のお母さんが 息長水依比賣という方でして

あたまに息長が付きます。

 

眞黑比賣の場合も

お父さんのお父さん(おじいさん)が息長田別王(日本武尊の子)という方なので

 

長く言い伝えてる間に

眞黑比賣は息長の孫だから

ということで 伝聞ミスがあったのではないか?

と 考えてみました。

 

古事記に書いてある眞黑比賣の妹?は 息長真若中比賣といいますが

この方は 15代応神天皇の妃になっています。

眞黑比賣の孫が12代景行天皇妃で

妹が 3代下の天皇妃じゃ

やっぱり 系図的に無理がありそうです。。(多分。。)

 

伝聞ミスなら良いのですが。。。

もしかしたら 誰かが意図的に 眞黑比賣を変なところに入れたのかもしれません。。

訶具漏比賣が 卑弥呼グループの巫女である事を隠すために。。。

 

飯野の眞黑比賣の 飯野という おそらく場所を表す地名ですが

ネットで調べたら

なんだか 日本全国にあった地名みたいで。。。^^;

 

でも くじけないで

多分ここかな? と狙いを定めたのが

香川県丸亀市飯野町 飯野山 飯神社

というところです。

神社のご祭神が 飯依比古命で

古事記の国生みの段 のところにも名前が出ています。

 

想像でしかないのですが

香川(讃岐)なら 吉備と 昔からつながりがありそうだし

結婚もありうるんじゃないかな~?と思うので

飯野の眞黑比賣の夫は 吉備の若建日子ではないか

と 推測してみました。

 

で ノートに 眞黑比賣 眞黑比賣と書いていて

はた! と 思ったのですが

ま ぐ ろ

か ぐ ろ

 

似てる! って 思いました。

 

祖母と孫 「くろ」 がいっしょ!!

(この訶具漏比賣は かぐる と読む説もありますが ^^;)

 

「ま」 というのは おそらく 「真の」 とか 「ほんとの」 という意味だと思うのです。

今でも 「まんなか」 とか 「まっしょうめん」 とか 使うから。。

 

「か」 というのは 仮の という意味だと「池田氏 古墳墓碑」に書いてありました。

 

元々は 黒比賣 という名前に

真の とか 仮の

という語を あたまに載せたのではないか?って 思いました。

 

さらに そういえば

仁徳天皇妃で 吉備の黒比賣(皇后の嫉妬で国に逃げ帰った)という方も

履中天皇妃で 葦田の宿禰の娘 黒比賣 という方もいたなあ。。。

と 思い出しました。。

 

なんだか

黑ひめって

巫女的能力のある女性が そう呼ばれる名前なんじゃないかなあ。。。

と 思いました。

 

眞黑比賣って もしかしたら 卑弥呼かなあ。。。

とも 考えましたが

卑弥呼さんは 結婚しなかったっていうし

なら 卑弥呼さんグループの上の方の人だったのかなあ。。。

謎の方です。。。

 

「池田氏 古墳墓碑」にも載ってない方なので

池田氏も 調べたけど わからなかったのでしょうね。。。

ほんとに謎の女性 だなあ。。。。

卑弥呼の宗女イヨ?トヨ?は 景行天皇妃 訶具漏比賣だと思うううう~!!

2017年7月23日

今流れてるCMで

携帯?の画像が夜でもきれいっていうアレ。。

卑弥呼様が出てますが

あれって マクモニーグル説の卑弥呼様ですよね。。

 

アジア系の かわいい美女!

あのCM作った人 絶対 マクモニーグル氏の卑弥呼本 読んでる!

と 睨んでる (笑)

 

池田仁三氏の「画像解析による古墳墓碑」を読んでいて

ふっと思ったのですが。。。

(ずっと 愛読してます♥)

以前にも考察しましたが

かぐやひめというステキなお名前の方は

11代天皇 垂仁天皇 の妃に 迦具夜毘賣という方がいます。

 

そして かぐやひめとは名前の読み方が一つだけ違う

かぐろひめ

というお方が お二人 います。

12代天皇 景行天皇の妃 訶具漏比賣

 

15代天皇 応神天皇の妃 迦具漏比賣

 

です。

 

私は 色んな方の意見を参考にして あれこれ考えたのですが(特に池田氏の古墳墓碑本と マクモニーグル氏の卑弥呼透視本から)

卑弥呼さんがいた時代というのは

10代 崇神天皇

11代 垂仁天皇

12代 景行天皇

の3代に渡った時期だと思うのです。

 

池田氏が調べた「古墳墓碑」の年号も理由の一つですが

その他として 3人の天皇の行動?というか

記紀に書いてある事に 着目しました。

 

以前 HONKOWAで 玲子さんがおっしゃってた

「記紀って 卑弥呼を隠してるよね」みたいなお言葉も拝見して

 

そうだ!!

卑弥呼さんって あまりにもすごい能力の持ち主だから

天皇家にとっては 国土をまとめるのに必要不可欠の存在だけど

本音はいてほしくないんだ!!

と 気づかされました。

 

 

ありがたいけど邪魔な存在の人。。。!

いなきゃ困るけど 本音は 自分達が国をまとめたい。。

卑弥呼に代わって 国のトップに立ちたい。。。

目の上のたんこぶ。。。

 

と 内心思ってんじゃないかなあ~、、、と気づかされました。

 

そもそもは 崇神天皇の時

四道将軍達が地方へ行って国を統一したっぽいのは

卑弥呼の力を借りたからできたのでは?と 思います。

 

そして 崇神天皇は 卑弥呼の力を借りて国をまとめつつ

同時に 卑弥呼がいなくなった後

自分達のヤマト政権が 国々をまとめるトップに立てるように

独自路線を開発というか

あれこれ模索していったのだと 思うのです。

 

崇神天皇は 国を大きくまとめるのに 卑弥呼の力を利用しつつ

自分は 倭トトモモソ姫をそばに置いて 自分周辺の事を視てもらい

なおかつ 自分の娘 豊スキイリヒメには

天照大御神の鏡を持って 宮の外に出して 祀らせて

卑弥呼がいなくなった時 困らないように

呪術的な面を強化してる感じがします。

 

モモソ姫は 三輪山伝説で 箸でホトを突いて亡くなってしまいますが

あれって 推測ですが

モモソ姫は 卑弥呼にとって代わって 国の頂点に立とうと

三輪山の神の力を使って なんか好き勝手やっちゃったから

崇神天皇に見つかって殺された。。。

って事なんじゃなかろうか。。

って 気もします。。。

 

そして 崇神天皇が

天照大御神の鏡と大国主命の魂を宮の外に出したのは

政教分離というか。。。

卑弥呼が 政治面でも宗教面でもトップにいる事への対抗というか。。

 

もし 卑弥呼亡き後

自分が 国々をまとめる時が来たら

シャーマンには宗教だけまかせて 政治は自分達でやる!

という強い決意なんじゃないかなあ。。と思うのです。。

 

そして 次の垂仁天皇は

自分の娘 倭姫を 豊スキイリヒメの後を継がさせて

今度は 天照大御神を祀る良い場所を探す旅に出させます。

 

これはもう 卑弥呼に とって代わるために

自分達の先祖である ヒルメムチという女性(多分 ものすごいすぐれた伝説のシャーマンだったんだと思う。。持統天皇あたりが 「天照大御神」って 名前を付けたんじゃないのかしらん。。)

を 最高に素晴らしい場所で

最高にうやうやしく祀って 天皇家を守護していただく!

という宗教政策? だと思います。。

 

っていうか。。

卑弥呼さんが 結構 予想外に長生きだったんでしょうね。。。

それって 天皇家にとっては想定外だったんでしょうね。。。

 

次の景行天皇は 伊勢に落ち着いた倭姫に天照大御神を祀らせて

倭姫から 日本武尊様に草なぎの剣を与えて

日本武尊 様に 東征へ行かせます。

 

天皇の支配下にあるシャーマンが

天皇の支配下にある武士に 神の力を与えて 戦いに出させる

みたいな。。。

今までは おそらく

鬼道を操る(玲子さんも わからない。。っておっしゃってました)卑弥呼が

神から託宣を受けて 天皇に命令していたのでは?・・・

と思います。。。

 

そして ゲゲの推測ですが

日本武尊 様が西に戦に出る前あたりに

卑弥呼さんが亡くなったんじゃないのかなあ~。。。と思うのです。。

 

というか。。。

卑弥呼さんが亡くなった後

あちこちの国がやっぱり乱れてきちゃったので

景行天皇が 武力に長けた日本武尊様を 西に東に戦に出した。。と思います。。

 

で タイトルにもあるトヨ または イヨ さんですが

景行天皇妃の訶具漏比賣 だと思うのです。。

でも 確か 宗女トヨ または イヨは 13歳!

後見役が必要ということで

垂仁天皇妃の 迦具夜毘賣!が 後見した!と 思います。

 

理由は 月に帰るかぐやひめ という不思議な昔話と

かぐ という名前の部分が共通してるからです

 

卑弥呼の宗女グループがあって(マクモニーグルさんがおっしゃってた)

多分だけど そのグループの女子には かぐろ か かぐや って名前を付ける決まりになってたんじゃないのかなあ~。。。

と あくまでも推測ですが。。。

 

あと 理由ですが

景行天皇妃の かぐろひめは 残されてる系図が めちゃくちゃなんです

確か 日本武尊様の子孫が

日本武尊様の父である景行天皇と結婚とか

あり得ないんです。。(まあ ありえなくもないけど 実際的には無理じゃね?みたいな。。。)

 

ゲゲの調べた範囲では 残された系図がおかしいっていうのは

なにか隠してる!! って 事なんですよね。。

知られちゃまずい何かを。。。

 

続く。。。

 

2017(平成29)年5月26日㈮ 27日㈯ 千葉県安房郡鋸南町 一泊旅行

2017年7月2日

なんと!

ホテル宿泊券ペアチケットが当たったので 行ってきました!

人生初!!

日本出版販売㈱の

「今日は、本を読もう。プレゼントキャンペーン」

書店で本を買って応募しようというキャンペーンです。

 

確か 今年の2月 ツタヤで 本を ささやかに爆買いwしたら

応募券を頂いたので

ネットで応募したのが3月初めでした。

締切ギリギリだったし 申し込んだ後 すっかり忘れていたのでしたが

4月に 突然 書留郵便が届き

見たら

見事 二等 5組10名様が当たっちゃってました!!

ありがとうございました~!!

 

一等の10万円旅行券も なかなか魅力的だったので

申し込む時は 相当 悩みましたぜ~。。w

 

いや~ でも 驚きました。ほんと。

 

だんなに言ったら 大喜びでノリノリだったので

 

じゃあ 私と2人で行く?

 

と 聞いたら とたんにおし黙って

 

。。いや 俺はいいから 長女と行ってこいや

 

と言いました。良かった~♪(笑)

 

当選した本人が行かないとダメみたいで

私としては

伊勢へ行きたがっていた次女と長女にプレゼントしよう

と思ったのですが

当選者ご本様+他1名様って 事なんだそうです。

 

長女に 当たったと言ったら 大乗り気で喜んでくれたので

。。。50代の親と一緒に旅行に行ってくれるなんて なんてありがたい。。

と ひそかに感動しました。。w

 

有効期限があるので ホテルに空きが多い5月6月にしちゃおう!

と 早めに使う事にしました。

松本市が良いかな~とも 思ったのですが

よくよくパンフレットを読んだら

南房総の海が見えるホテルがありましたので

とりあえず そこにしたいと

このチケットの担当である

ステキな旅をプレゼントする会社? Reluxコンシェルジュ

さんへ メールしました。

 

聞いてみたら そこのホテル 大人気らしく

金曜日の空きは 5月26日しかない!とのことで。。。

(ってことは 6月からはもう㈮は空いてない!ってこと?。。。驚。。)

 

とりあえず 私は

5月30日㈫に 群馬の友達4人が宇都宮まで遊びに来てくれることになってたし

長女は長女で 5月28日㈰が仕事 29日㈪が友達と東京へ

みたいに予定がつまっていたので

どうしたもんかと 長女に聞いてみたら

あっさり

 

大丈夫だよ。全然平気。

 

と言うので 5月26日㈮に決まりました。

 

やっぱり 若い子って フットワーク軽いですなあ~。。。

ゲゲはもう 体力温存を真っ先に考えるから

無理のない範囲でって 引きこもっちゃうけど

見習わなくっちゃなあ~~~ (^◇^)

 

ホテルは 日本全国から 選べます。

どのホテルもとてもすてきでした。

それこそが このReluxコンシェルジュさんの売りみたいです。

 

ゲゲの目に留まった南房総のこのホテルは

君津市に近い!のでした。

住所を見て

あ!! ここは 日本武尊様の上陸伝承のある場所から目と鼻の先じゃないか!

と 驚きまして

もしかして これって 日本武尊様からのプレゼント?と

まぢで確信したwオタクなゲゲです。。

 

去年が 奈良 巻向の地への旅行だったので

もしかしたら

今年は 尊が東征した地へ行って

弟橘媛を偲んで 房総の海を見てらっしゃい。。ってことなのかなぁ。。

と 勝手に解釈しました。。

 

平成29年5月26日㈮ 雨

9:20頃 家出

出る時 隣家の工事車両がちょっと。。w^^;

9:30 バス 宇都宮駅行き

9:55    到着

10:06 宇都宮駅 発

普通 JR上野東京ライン

10:59 東京駅 着

途中 乗ってた車両に何か不具合があったらしく 乗客全員 途中の駅で 用意されてた違う電車にまるまる乗り換えたのでした(こんなこと 人生初!!)

12:55 東京駅 発

快速 JR総武本線(東京ー銚子)

14:31 君津 下車

14:35 君津 発

普通 JR内房線(館山行き)

15:08 保田駅 着

 

朝は大雨だったのに すっかり 止んでいました!

あらかじめ連絡しておいたので

ホテルの車がお迎えに来て待っていて下さいました(うわ~~!! 憧れの「ホテル車 駅お迎え」~!!)

 

昔々。。

ゲゲが小さい頃 父は電車で毎年旅行に連れていってくれました。

ですが そこは 公務員の生活でしたので 泊まるお宿は 公務員が組合で使える旅館ばかり。。

電車が駅に着くと 駅前にはいろんなホテルの名前の入ったお迎えの車が ずらりと並んでいます。

「ねえねえ お父さん。私たちの泊まるホテルの車はどれ?」

わくわくしながら無邪気に問いかける幼いゲゲに 父は

「ない!さあ しっかり荷物持て! がんばって旅館まで歩くぞ!」

と 答えるのでした。。

懐かしい~~~ (^◇^)ノ

 

私達が泊まったホテルは 紀伊国屋のホテルみたいで

オーシャンリゾート ゆうみ さんです~

〒299-1901 千葉県安房郡鋸南町元名442

 

↓ 全室オーシャンビュー ゲゲ 顔が隠れてちょうどいい(笑)

 

↓ すぐ近くにある鶴ヶ崎神社

ゲゲ 1人でお散歩&ごあいさつ

 

↓ すぐ近くにある 観光地 鋸山(のこぎりやま)へ登れる入口

↓ ここまで登って ここから先へ行くのをあきらめ 戻りました

おなかがすいたw

↓ すぐそばが海なので そこから 鋸山を見上げました

ダイダラボッチ伝承があるそうです

どこかな~ ダイダラボッチ♥~ もっと 東かな~

↓ たぶんだけど 君津方面。。

日本武尊様。。。弟橘媛様は一緒に上陸できなかったのですね。。><

↓ 南 沖 望遠レンズ最大

船の航路になってるらしく ひっきりなしに大型船が行きかってました

日本武尊様や熱田の健稲種命様達が あそこを通って

大船団で 東夷征伐へ行ったのかなあ。。。

  

20時から 夕食 個室! 部屋着可!

最初 お料理がすでにテーブルいっぱい載っていたので

。。。食べられないかも。。と思っていたら。。。

まだまだ それから どんどん 持ってきてくれて~!!

うお~~ 嬉しい悲鳴~~!!

長女と 頑張って次々 挑戦して頂きました!

アルコール ガブ呑みしてたら 絶対これ 食べられないから~!

夢中で食べちゃったので 写真撮り忘れ有り w

        

 

20:30~ 長女と挑戦 初エステ ヘッドスパと肩 顔30分

21:20~ 貸切風呂 窓を開けると夜のオーシャンがぁ~

多分だけど ディズニーランド?の花火見えた!

 

部屋に戻ったら 長女がもう 大ソファーに寝転がって

大画面テレビを見て まったりくつろいで ご満悦~

明日帰るのが 辛すぎる感じになってる~~~

 

↓ 二階ラウンジにある ドリンクバー

いつ 誰が補充してるんだろう。。いつ通ってもいっぱいあった・・!!

((;゚Д゚). ガクブル

根津大神宮(あえて この表現)

2016年12月25日

今年は かなり健康で 活動的だったので

このまま無事1年を終えるであろう~~♪

と 軽く考えていたら。。。

 

12月も終わるというこの時期に

見事 風邪をひいて

3日間 寝込みました~~~ ><

 

1日寝てれば 治るだろう~~ と軽く考えていたのですが。。。

甘かった。。。orz…

 

20日 火曜日 仕事中 なんか 体が重い。。

鼻水もいっぱい出る(きちゃない)

おかしいなあ~。。

と 思っていたら

 

21日の朝 布団から起き上がれなくなっていました。。

なんとか這って出ましたが

熱が出たらしく 体がだるくて重くて

仕事にも行けず ご飯も作れず。。

 

思えば18日日曜日 真田丸の最終回の日

風邪をひいたらしいだんなが マスクもせず

咳菌をまき散らしながら

1日中 ぐったり リビングのこたつでうたたねしていて。。

 

これはうつったら大変!と

1日 2階の次女の部屋に避難して

真田丸を BS 地上波と 2回 泣きながら観ました。。

 

そんな努力もむなしく。。。

あっさり うつって 風邪をひいてしまったという。。

どんだけ すごいんだ だんなの風邪菌。。。

(完全に だんなのせいになっているww)

 

仕事は 義母と義父でなんとかするだろう~(鬼嫁)

と気にもせず(鬼嫁)いたのですが

問題は 自分の体。。。でした。。。

 

これ やばくない?

なんで こんな 動けないの?

 

と つらくてつらくて。。。><

 

多分 いつものように 鼻が炎症を起こしていて

熱が上がって 体力的にダメージを受けていたんだと思います。。

 

気力も奪われ。。(これが一番のダメージかも。。)

 

こんなんじゃ 新幹線乗れない。。TT

旅行へ行けない。。TT

と 思うと 悲しくて悲しくて。。。(;O;)

 

真田丸の最終回の悲しいシーンと 曲が

何度も何度も 頭の中をぐるぐるするし。。 ^^;;;

 

いやもう 最悪な感じ状態でした。。。 (^◇^;)

 

午前 着替えて 近くのスーパーへ だんなの夕飯にとお弁当を買いに行って 帰って うどんを食べて1日寝る

の3日間でした。

3日目の23日金曜日は 午後 パソコンを開けることができて

安心したのですが

24日㈯の早朝。。。

朝3時位から 眠れなくなって 布団の中でもんもんしてました。。

また熱が上がってきたので 気持ち的にほんとがっかりして

。。。クリスマスイブにこの状態って。。。

治るのか これ。。。

と がっかりした後

知らぬ間に ちょっと眠ったようでした。

 

そこで 夢を見ました。。

神社の拝殿前に行って お参りしてる夢でした。

ゲゲが1人で

横に誰かいるのかいないのか 見えなくてわからないのですが

お賽銭箱の前で お参りしまして

その右隣りには 青々としたみかんかキンカンの木があって

実がたわわになっていました。

 

その時 見えない誰かが教えてくれる声がして

 

ここは 根津大神宮。

この実は体に良いんだよ。

 

みたいな事を私に言っていました。

 

へぇ~ これって 体に良いんだ。

じゃあ 食べたら治るかな~

 

と私が言ったところで 目が覚めました。

 

あ 今 夢を見ていた。。

あの実を食べると良いって 誰か言ってたっけ。

じゃあ せっかくだから 食べる真似をしよう~。。

 

と どうせ熱が出て意識がふらふらしてるから好きな事をしようと

布団の中で その実を木からとって

2つ もぐもぐと食べてみる真似をしました。

 

その後は また 眠ったようです。

そして その実のおかげか?!

24日㈯ 朝 9時頃 治りました~ \(^o^)/

起きて 動けた~~ ♪

 

で 調べてみました。。

根津大神宮。。

持っていた本を出して 読んでみました。

 

根津大神宮ではなく 根津神社でした。。

ん?!

この神社って この間2か月位前 テレビでやっていて

ちょっと調べたことがある!!

と 思い出しました。

 

根津神社は 大神宮ではなくて 神社なのですが

私の夢の中では 説明してくれた存在の方(あいまい)が

はっきり「根津大神宮」と おっしゃっていました。

 

そして さらに 神社の由来を読んでいたら

あ! そういえば ここって 日本武尊創祀の神社なんだ~!

と 思い出したのです。

 

社伝によれば 日本武尊が東征の折

千駄木でスサノオノミコトに武運を祈ったのが起源

 

なのです。。

 

うわ~~~!!

熱にうなされてる夢の中で

日本武尊様の関係する神社にお参りした~~ !!

なんてこと~!!

しかも みかん だか キンカン 頂いたし~~!!

きゃ~~!!

感動~~~!!!

 

助けてくれたのかなあ~。。。

 

以前は 夢の中に

父の従姉妹のだんなさんで耳鼻科医の先生が出てきて 薬をくれた事もあったけど。。。

今度は 日本武尊様関係の神社。。

実際参拝した事ないけど。。

嬉しいなあ~。。

 

ただ

神社にあったみかんは この間行った実家の庭先になっていた状態に ちょっと似ていました。。

 

解説の見えない方も 声だけ聞こえて 姿はわからず。。

なので。。。

もしかしたら 私のご先祖様が

実家のみかんパワーと 私が好きな日本武尊様パワーを

夢に 視覚として現わして

私に元気を与えようと 声だけ参加してくれたのかも知れません。。

 

そう考えると

不思議だなあ~

と 思えるのと同時に

深く深く 心から感謝の気持ちが湧いてきます。。

 

とりあえず 治って良かった~~~!!!

\(^o^)/

元気に動けるって 幸せ~~~!!!

(^◇^)v

 

 

日本武尊 棺 空っぽ 白鳥伝説 大鳥大社

2016年8月14日

昨日は 6月の旅の思い出に浸りながら

自分が今まで書きなぐってきた歴史覚え書きノートに

ラベルをページの端っこに張り付ける作業をして

めくりやすくして 遊んでました。

 

何気に むふむふと読み返していたのですが

大鳥大社について調べた懐かしいページが出てきたので

またまた気になって くいついてしまいました。

 

やっぱり なんかこう

 

棺 空っぽ

 

っていう あの 山岸涼子先生名作「厩戸皇子 続編」のお言葉が

頭の中に浮かんできます。

この件は 自分のブログでも 何度も考察を書いてますが

やっぱり 最初から ご遺体は大鳥大社で呪詛に使うつもりで

能褒野陵には埋葬せずに 持っていっちゃったんじゃないかと思うのです。。

 

飛んでいく白鳥の後を 妃達は泣きながら後を追った

 

って なんかこう 想像すると かなり異様な光景に思えるのです。

鳥が飛んでいっちゃってるのに 泣いてる暇はないでしょう!!いくら 悲しくても!!

 

確か ものすごい大きい鳥なんですよね。。

翼を広げると12メートル以上。。

白鳥以上にでかいです。。。。

数回羽ばたいただけで 地上にいる人間からは またたく間に見えなくなってしまう感じがする。。(モスラ並み?)

皆さん!(誰?)泣いてる暇はありませんよ!

アスリート並みに走らないと あっという間に見失っちゃいますからね!!

まじめに考えても 能褒野から御所(鳥になった尊が最初に降り立ったと言われてる場所)は かなり距離があるし

上空を飛ぶ鳥の後を 泣きながらは追えない。。って思う。。。

最初の1時間は空を見ながら泣いて頑張れる(?)余裕もあると思うけど。。

その後は。。。

疲れてもう無理。。歩けない。。。

。。。ってなりそう。。。

(昔のお話を 真面目に検証。。)

 

これって

 

違う地へ持っていかれる尊のご遺体の後を 妃達は泣きながら後を追った(呪詛に使われるのをわかっているから)

 

に変えると しっくりくるような気がします。

悲しいですよね。。。

大和ではなく その先の海ぞいの地へ持っていこうというのですから。。。

 

 

 

そして 日本武尊をお祀りする3つの陵ですが

やっぱり 御所市の古墳は 仲哀天皇と妻の神功皇后が作ったもので

津堂城山古墳(軽の里ではない派)は仲哀天皇と先妻の子達 押熊王・かご坂王が作ったものではないか。。。

と 思うのです。。

この件に関しては ブログでもしつこい位何度も考察しましたが

今では 最終的にこう考えてます。。。

 

能褒野で埋葬されるはずだった尊のご遺体は

誰かの意図で 大鳥大社へと向かった。。

三重から堺へ。。陸を通って その後は海沿いを通ったと 思います。。

 

大鳥氏が支配していたという大鳥の地で

尊をお祀りしたのは 大野氏。。

 

能褒野から→堺は 西方面

陰陽五行で 西は 白。。

鉄関係も(金属?) 白 みたいです。。

尊は 鉄の産地を支配するために 東征に赴いたようですから。。。

鉄の王子様。。。

 

鉄(白)を求めて全国を駆け巡った尊は

能褒野に埋葬されずに 西(白)の大鳥の地へ連れていかれてしまった

 

白 大鳥 = 白い大きい鳥 = 尊の体が白い大きい鳥になった

 

そういう連想が 後々 伝承となって

尊の体は 白い大きい鳥となり 西へ向かって飛んで行った。。

と 人々が信じていった。。。

気がします。。。

 

仁徳天皇の頃には

 

日本武尊の陵は 空っぽだから 墓守を置くのをやめよう

 

というお気楽な意見が 天皇から出されたほどですから

尊の大鳥伝承は 呪詛という暗い側面は忘れられて

単純に涙をさそう大鳥の伝説へと すでに変化していったのだと思います。。

(いや だからって せっかく古墳があるんだから 墓守の一人位 いても良いじゃん。。)

 

呪詛って 決めつけてますが

ふつうだったら 古墳に埋葬するところを

なぜか 鳥が飛んでいったので神社で祀った

っていう不思議な変わった伝承が残っているので

 

ん??? これはきっと 何かあるに違いない!。。。

 

と 勝手に決めつけてます。。

平成28年6月9日(木)奈良一人旅 初日 景行天皇陵近辺 其の七

2016年8月11日

すでに8月になってしまったのにまだ初日分。。 (*_*;

でも 本当に ふとした瞬間に思い出すたび懐かしいです。。

奈良のあの空気。。

ほんとに楽しい旅でした。。 ヽ(^。^)ノ

↓ 景行天皇陵 鳥居

ばしばし撮影していたら 鳥居の奥に 一輪の花が咲いてる!?

私のために 天皇様が 白百合を?! きゃー!!♥

DSCN1977

↓ 老眼のため 肉眼ではよく見えず。。w

カメラのレンズの望遠を最大にして撮影。。

。。。

旅行後 自宅PCで確認してみたら 枯れた葉っぱでした。。 (^◇^;)

DSCN1982

ちょっとがっかりしたけど でも 良いの。。

この時 ささやかな幸せを感じられたから。。(笑)

↓ さすが奈良。

史跡巡りに良いですね。いろんな案内板が立ってます

DSCN2001

DSCN2002

DSCN2004

↓ すごい雲。。三輪山方面かなあ~。。

DSCN1987

予定では この後

西殿塚古墳、大和神社、渟名城入姫神社、稚宮神社

(今 自分で入力していても すごいハードスケジュールだ。。 w)

へ足を延ばそう~~~ と 思っていたのですが

日没過ぎたので 名残惜しいけど 帰る(?)事にしました。

写真も 暗い中で撮らなきゃだから 部分的になっちゃうし。。

 

それに なんといっても 今回は4日間も日にちがあるから

予定通りにぎゅーぎゅーではなく

時間的に余裕を持って のんびり歩いてみたくなったのでした。。

↓ 景行天皇陵隣りの 上の山古墳

大き過ぎて 古墳のふもと?からは全体像がよくわからない。。^^;

DSCN2006

DSCN2005

池田仁三氏 古墳墓碑によると

景行天皇妃 水歯郎女の墓だそうです

水歯郎女の父方の祖母は綺戸辺(かにはたとべ) 祖父は垂仁天皇

 

↓ 古墳のすぐ下にある神社

夕闇迫る中 ぽっと灯っている灯篭の灯りがステキでした

この古墳で眠るお方がかつて住んでいた宮跡でしょうか。。

と この時は なんとなく勝手に妄想していました

 

私的には とても素敵な落ち着いた神社でした

夜 訪れてくる殿方をお迎えするために 灯りを点けて待っている。。

みたいな (#^.^#) 。。。

女性的な感じを受けました。。

 

帰ってきてから調べてみました

水口神社

ご祭神 大水口宿禰命

ニギハヤヒ尊の4世孫

物部氏 !!

DSCN2007

DSCN2009

 

うーむ。。。

水歯郎女。。 大水口宿禰。。。

「水」 が一致している。。。

 

とりあえず ここを 後世の方たちが 神社として祀ってるってことは

何かこう パワーのある地なんだと思います。。

物部氏関係!

まだまだ明るいのですが さすがにもう19時なので

駅をめざして てくてく国道を歩き始めました。

 

素敵な夕焼けでした。。

雨の予報だったのに ここまできれいな紅い景色を見せて下さって

ほんとに感無量です。。

雄大~~~ 古都の貫禄~~~

DSCN2013

暑くて 汗びっしょりだったのですが

夕方の涼しい風がとても心地よくて 気持ちよく歩くことができました

憧れの奈良の地を こうして 一人のんびり写真を撮りながら歩ける事が

ほんとにもう 幸せ過ぎて幸せ過ぎて幸せ過ぎて。。。(*^。^*)

言葉にできない~~♥ 感動~~!

 

古代 ここは 古墳があるからさびしいところだったのかな。。

日本武尊は どこを歩いたんだろう。。

景行天皇より先に亡くなったから お墓詣りできなかったんだろうな。。

などなど。。

奈良の現地の空気を感じながら 古代の事を妄想して歩くのは

なんともいえない贅沢な時間です。。

DSCN2024

DSCN2028

↓ 19:30頃 柳本駅 到着

カメラのバッテリーが切れたので

小さいカメラをバッグから出して 撮影しようとしたら

カードエラーが出ました。。

えぇぇぇぇ~~???!!

もしかして カードが壊れた?!

ぎゃ~~~!!!

この小さいカメラで撮りためたデータ 全部 消えちゃったの?!

がーん ==。。。

 

ショックで倒れそうになりましたが

さっきのテープエラーの件もあるので

あきらめずに

カードを出しては入れて 出しては入れてを繰り返していたら

無事 元の状態に直りました!!

以前撮影したデータも 無事でした~~ ヤッター!(^o^)丿

 

↓ 柳本駅は無人駅で 奈良方面ホームへ行く歩道橋には屋根がありません

すごい雲!! 歩道橋の上から撮影

ぽつぽつと雨が少し降ってきましたが すぐ止みました

P1030276

↓ 月も出てました!

P1030279

↓ 奈良へ行くホームから夜の駅構内を撮影

人がいなくて 解放的です~

旅行先の無人駅で ほぼ一人 ホテルへ帰るために

屋根のないホームで 電車を待つのは

とても好きな時間です。

周囲の用水路の水の音や 田んぼのカエルさんの合唱やらが

心地よく聞こえてきて

ほんと気持ち良かった~~~ 幸せ~~~

P1030283

20:08 柳本駅 乗車

 JR桜井線

 20:30 奈良駅 着

平日でしたので 部活帰りの高校生や 会社帰りの方たちなど

電車内は混んでいました。

旅行へ行くといつもですが 部活帰りの高校生たちを見ると

頑張ってるな~って思って ほんとほっとします。。

保護者さんが 駅まで車でお迎えに来てるのも 電車から見えるし。。

自分の子育て時代が 懐かしいです。。

 

奈良駅に無事戻ってこれました!

コインロッカーからキャリーケースを出して

駅ビルのスーパーで(イオンカード 持っていけばよかった!! w)

夕飯 寿司 サラダ 唐揚げ 缶チューハイ を買い

ホテル目指して 歩き出しました

さすが 観光地 奈良!!

夜 観光客がたくさん歩いてる!!

お土産やレストランが並ぶ道を

キャリーバッグをガラガラひっぱりながら ホテルへ行きました

駅近 ワシントンホテル~~ 久々~~ チェックイン~~~♪

20代正社員時代の出張以来~~

 

無事 ホテルの部屋に入って

一人でお疲れ様の晩酌をしながらご飯を食べました。

 

あ~~~!! 今 思い出すと あの旅が懐かしい~~!!

4日間も のんびり過ごせた~~~ ちょー幸せ~~ (^o^)

また 行きたい~~~!!! ヽ(^o^)丿