Archive for 新選組 土方さん 戊辰戦争

組織の長 近藤さん

慶応4年4月25日 板橋刑場にて
新選組局長 近藤 勇 さんが 斬首されました
西洋暦 1868年5月17日 です
 
同年4月3日に 流山にいた新撰組は 西軍に包囲され
近藤さんが 投降しました
 
土方さんも 助命嘆願にひた走ったのですが
あっという間に 刑死が決まってしまいました
 
。。早すぎ~~。
ちょー むかつきます!
っていうか 見せしめ??
 
私は 近藤さんも疲れていたのもあって
自ら投降したのではないかと
思っています
その場で切腹では 
残された戦う気満々の土方さん達の立場が
ちょっと微妙なものになってしまうと判断して
投降したのではないかと思います
 
これは 組織としての 考え方ですよね~。
やはり、敵に見つかったら
長が 出て行かないと 収まりません
長 自ら 逃げるのは不可能です。
余計 疑いがかけられます
 
ここで 副長の土方さんも投降の選択はあったでしょうが
彼は 違う場所へ行くことを 選択しました
 
テレビや 雑誌の特集でも
この二人のとった行動のことは
二人の選択
というタイトルで よくとりあげられます
 
私は どっちとは
選べられませんです 
やっぱり
多分 長なら 近藤さんの行動
副長なら 土方さんの行動をとると
思います
 
子どもの関係のクラブや 子ども会
PTAで いろいろ
長と 副長をこなしてきました
その感想として
やっぱり、長と副長は違う
という結論を得ました。
 
自分が副部長のときは
自分が嫌われてもいいから
部長が 部員の皆さんに好かれるように
立ち回りました
おー、土方さんと同じやねん、と
そのとき思いました
 
自分が部長のときは
なるべくどっしりと人の話を聞くようにして
あまり おたおたしないようにしました
副部長の性格をよく見て
その人の得意分野をなるべく任せるようにしました
何か責任を取るような時は
いつでも 自分が辞めてもいい覚悟で
物事の処理に当たりました
 
どっちが大変と聞かれれば
どっちもそれなりに大変でした
でも 長のほうが やや精神的に楽かもしれません
責任をとって辞任という選択があるからです
(だめなら やめればいいさ、という感じです)
 
副部長というのは 部長がいない時
部長代理もこなさないといけないし
部長と意見が合わないときも
ぐっと我慢しなければいけないので
ちょっと ストレスです。。
責任をとって辞任もできないですしね。。。
 
PTA組織では よく みんな 副部長が楽~
って 言いますが ほんとは 副部長のほうが
大変なんです。
なんせ、部長を精神的にも
ささえていかなければいけないのですから。
部長に倒れられたら 自分が代わりをこなさないと
いけないのです。。 それはもう大変な気苦労です。。
女房役に徹しないとなのです。。
 
私は 長をやっていて 辛い時は
心の中で 土方さんに 話しかけて
組織疲れを 癒していました
組織を引っ張るのは 大変です~~。
 
組織を守るために 投降した 近藤さん
自分達は間違っていない!江戸の将軍様を守るんだ!
と 北の大地へ行った 土方さん
 
土方さんの気持ちも ほんと わかります~。
私も 投降しないですむなら
最後まで 生きて 戦う道を選びます
 
ていうか、自分がくじけたら
江戸の将軍様が 悪者にされてしまうような気がするからです
いきなり 菊の御紋の御旗を 掲げてきた相手のいいなりになって、
日本の政治を渡してしまうのは
くやしいのです。
 
最後まで戦って戦い抜いて 
将軍の武将には こういう
ものすごい奴がいたということを
敵に 一泡ふかせてやりたいのです
 
官軍のほうが 利口と言えば利口なのですが
やっぱり それについていけない人々も
いるんですよね。。
 
天皇のために戦っていたのに
いつのまにか 足利尊氏によって 
天皇家へ あだなすものになっていた 
新田一族の悲劇にも 通じるものがありますな~。
 
霊能者 玲子さんによると
近藤さんは 多摩のお墓で やすらかに眠っているそうです
激動の時代を生きて 最後 斬首ということに
なってしまいましたが
その生き様は いつまでも 人々に
愛されていくものと思ってます
 
組織の長として 実に立派で素晴らしい人であったと
私は思います
 
参考文献 写真集 新選組始末記 釣 洋一編 新人物往来社 昭和56年11月15日第一刷発行
       新撰組を歩く               新人物往来社 平成15年10月26日 
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昨日 ラジオで 都内で梅の開花を 言っていました
去年より20日早く 平均より10日ほど早いと言ってました
そうだ 確か去年はちょっと 遅かったですよね~
うちの梅は 寒い土地で日が当たらないものだから
桜と同じ開花でしたよ~
 
梅 といえば 私は どうしても 土方さんを連想してしまうのです
新選組 土方さんです
新選組や 土方さんに関しては お登勢さんのブログを
ごらんになってください~
美しい文章とともに 詳しいことが載ってますよ~
 
土方さんの句で 梅があった気もしますが
やはり 梅と聞くと 土方さんと 思ってしまう。。
しかも 紅梅 。あのきれいなピンクの梅の花。
 
私は出勤して 車を止めて お店まで少し路地を歩くのですが
そこに 毎年 素敵に咲く 紅梅の木があるのです。
よそのお宅なのですが 紅梅の木が一本と
白梅の梅の木が一本 とても美しく立っています
 
生垣の上から 背の高い梅の木が見えて
その姿の良い木から 梅の花が覗いてなんともいえない良い香りを
漂わせているのです~
本当に美しい光景なのですよ~
 
そのきれいな紅梅の木 が いつも毎年毎年
土方さんを 連想させるのです~
 
なんでなのでしょう~
まだ 寒い空気の中 太陽に向かって凛として立って
気品のある 一本すじが通った 気高さ。。とでも
表現できる感じでしょうか~
おしゃれだった土方さん 赤がとても似合ったようで
それが紅梅のイメージとつながったのかも知れません~
 
土方さんにとっては 宇都宮は痛恨の苦ーい思い出の場所でした
奪った城は また 新政府軍に奪い返され 土方さんは
足指を負傷、撤退・療養を余儀なくされます~
京都にある地名の 壬生 と同じ 地名が
宇都宮の隣りにもあり、その壬生城も
奪うことができませんでした
 
宇都宮城は 長いこと 日光へ参詣する将軍の宿泊所でした
(何度も書きますが釣り天井は あれ 作り話ですからね!嘘 ですよ!)
ですから 宇都宮は 最後まで 将軍に忠誠をつくすはず
と誰もが思っていたはずなのに
(城でも すごい もめたそうです)
結局 早々と 新政府軍派になりました
 
それを思うと 土方さんも ものすごい 憤りがあったものと
思われます。。
土方さんは 宇都宮城の攻防戦の時
どこにいたか定かではないそうですが
おそらく 二荒神社で指揮をとっていたか
城の松ヶ峰門あたりにいたのではないか と いわれているそうです
 
松が峰門は 今 私が住んでいるとこにつながっている道へ
通じる門で 私の仕事先からも
直線で1キロぐらいの距離にあります
 
その松ヶ峰門 から まっすぐのとこに
その紅梅の木があることになるのです
ものすごい 遠いこじつけですが
いつも この梅を見ると
土方さーん 見てますか~
と 心の中で 呼びかけてしまいますね~~
 
宜保さんによると
魂というのは 生前行った場所しか 死後行けないそうなのです
ですから 土方さんの魂も 宇都宮へは飛んでこられる
ことになります
 
そして やはり その人が生前関係した場所で
その人の名を呼ぶと その人の魂がすぐ来てくれる
とも 誰かの話で聞いたことがあります
 
。。。多分 土方さんも 来てくれるンじゃないかな~
と 思いながら 心の中で慕っているのです。。
 
宇都宮は 戦争がなければとてもいいとこですよ~
日野に似てますよ~
良かったら あの恨みも忘れてくださいね~
この梅の木 見事でしょう~ ごらんになってくださいね~
 
桜は みんなが待ち望んで咲き、惜しまれながら散っていきます
その前に 咲く 梅。。
どうしても影が薄いです
咲いたことは喜ばれますが
皆は 次に咲く桜をどうしても待ち望んでしまいます
春の先触れ の ようです 梅って。
 
菅原道真公のように どことなく 悲劇の感じがつきまといます
源氏物語の 紫の上 のはかなさを 思わせるものもあります
 
桜も好きだけど
私は やっぱり 梅 がいーなー
。。梅干も好きだし。。。
 

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漫画雑誌ほんとにあった怖い話 闇検 新選組

私の愛読書 漫画雑誌 ほんとにあった怖い話
漫画家・芸能人・読者の恐怖体験特集 オール読み切り本です
朝日ソノラマより 2ヶ月に一回  発行してます
 
先日 11月25日に 2007年1月号が発行されました
タレント恐怖体験コミックは
実力派声優の 川上とも子さん 「ふりむくな!」
 
霊能者 寺尾玲子の新都市伝説 闇の検証72は
「藤原定子の謎」 
清少納言が敬愛した中宮 定子を 玲子さんが霊視しています。
 
私は この雑誌が好きで 平成10年あたりから買っています
恐怖体験を 真面目に漫画にしてありますので 好感が持てました
 
こころの治療を治癒する先生のことも漫画になってますので
とても勉強になります
 
怖い話だけでなく、 胸を打つ 心温まる話も数多く掲載されているのも
魅力的です
 
一番好きなのは 霊能者 玲子さんの闇検 と 霊視解決物語かな~
玲子さんは 才能ある方で いつも 真摯に 霊的相談を解決してらっしゃる方です
その玲子さんの能力で 歴史上の方の 霊視を あちこち
日本全国へ行って 試みているのが 闇検なのです
 
単行本も発行されています
本屋さんには あまり 置いてないかもです
私も いつも 取り寄せを頼んでます
アマゾンでは扱っているようです~
 
雑誌 ほん怖 ですが 買っていたので古本がたまりました
去年 ほんとは 取っておきたかったのですが(全部 いいお話なので)
部屋に置ききれない 古い分を リサイクルに出しました
でも 一冊 闇検で 新選組 が 取り上げられた回があったので
その本は 保存しました
平成10年 5月号です (3月発売だと思います)
 
懐かしいな~ と 表紙を 見て びっくり!!
 
ななんと その時の タレント恐怖体験話は
大河で 土方さん を演じた 山本耕史さん なのですよ!!
21歳の若き 山本さん。。。
えーーーっ!!ななんだー この偶然 !! できすぎ~~!!
 
きっと 2004年 大河で 土方さんを演じるということが
この時点で運命づけられていたのかもしれ魔へん。。。
と 思いました
 
彼も 霊を見たりとか 感じたりする人のようで
家にいて 霊をみたりとか
舞台で 謎の人影をみたりとかしてたそうです
 
でも 怖くないそうです
生きてる人のほうが 全然怖いって思ってるそうですよ~
(土方さんみたいな人だ~)
 
玲子さんによる新撰組の霊視ですが 霊感お嬢 視っちゃん も 同行しました。
スタッフ・玲子さん・視っちゃん 全員 新撰組にはなぜか疎い人々だそうで
先入観なしの霊視だそうですよ
 
伊東甲子太郎 
殉難の地碑 の建つ本光寺前の道路にて霊視
「左肩から首にかけて刺されている。 けい動脈に達してる」
「壮絶なほどの無念さが感じられる」
「しっかりした人。頭の切れがよくて統率力もあるよね。惜しい人を亡くしたと思わせるような人物」
「背は高くてがっちりした人」(顔はよくわからないそうです)
「御陵衛士たちって 育ちがいいから人を疑わないのね」
 
芹沢 鴨  壬生寺にて
「そんな悪い人じゃないよ」
「育ちがいいお坊ちゃんで、お坊ちゃんゆえに無神経」
「まあ いいや いいや で何事もすます。その鷹揚さというかアバウトさに近藤は我慢できなかったんじゃない?」
「近藤は真面目で努力する人だから。個人的なあつれきもあったみたい」
「誰に何で殺されたかわかっていない。相手の顔も見ていない。布団を一歩二歩 出るか出ないかで息絶えた」
「顔がでかくて目が小さい。髪の毛は薄い」
「お梅さんはべっぴんよね。野心家。しいていえば 小川知子の少し目を細くしたような、いかにも玄人あがりの粋な感じ」
 
沖田氏縁者の墓 光縁寺 視っちゃん 弱々しくしか感じられないので 詳しくはわからないそう。。
「沖田の姉妹だと思う。血のつながりはあるけど世間に出られない事情があるみたい。ひょっとしたら腹違いとか、あるいは 死亡時の時代的な事情で 沖田の縁者ということをはばかっている感じ」
おみつさんではない。。。と玲子さん
 
山南敬助  光縁寺
「この人、覚悟してたみたい。つかまってから(ということは脱走があった)死ぬまでの間に覚悟してたから。(死後の状態が) すごく穏やかで静かだよ。途中から周囲と合わなくなった。新撰組のやりかたが こんなことをやってたらダメになる、と思ってたみたい。脱走しても逃げ切れるとは思ってなかった。万が一の望みはあったかも知れないけど。」
「学者タイプでインテリ」
「沖田は腕がいいね。。。」
 
沖田総司  光縁寺 山南さんから 沖田のイメージをつかんだそうです
「げた顔」 視っちゃん にべもないお言葉。。。 
「こども集めて説教してた」(寺の境内で子どもと遊んでいたというのは、実は。。)
遺体のある東京の墓が非公開なので 今回は 詳しいことはこれ以上わからない
 
遊女明里 ? 八木邸の前  玲子さんに「もうし・・・」と声をかけてきた
彼女の中に 山南さんへの思いが感じられるそう。。。
「別にさまよってる不浄霊というわけではない。早死にではあるけどふつうに死んでるし。ただ彼女の人生のうちでいい思い出がこの辺にいっぱいあるからだと思う」
目元の涼やかな美人で 控えめでやさしそう
 
土方歳三 石田寺
玲子さん 視っちゃん 腕組みしたまま なかなか言葉がでてこない
「何もなくはないけど・・・・ねぇ。遠いんだよね。ちゃんとしたお墓(遺体を埋葬した、亡くなった地ではない)ってわけじゃないからね」
「頭のきれる人。底知れない冷たさのある人」玲子さん
「プライド高い。ちょっとナルシストっぽくありません?」視っちゃん
ただし、
「土方本人というより、彼に対する人々の想いやイメージのほうがここでは強くでるから」イメージに多少左右される霊視結果かもしれないそうです
 
近藤 勇  竜源寺
「疲れてる。この人 戦いに疲れてる」
「理想や信念もそれなりに持っていたんだけど、自分が思ってたより大きく違う方向にどんどんころがっていった」
「帰りたい という感情がある。この土地だったり、夢を持っていた頃に」
傷は 左肩甲骨下にあるそうです
「好きなところに帰ってきたんだから いいんじゃないかな」 玲子さん
竜源寺の墓地には穏やかな空気が満ちてたそうです。。。
 
 
10年ほど前ですが 民法テレビ局で
沖田総司を 霊視 ! とかの番組があって
沖田家の仏壇の前に おみつさんのお孫さんでしたか 要氏が
座って 霊能者が 総司の霊視を試みていました
 
そのとき 総司の外見を
色黒く 体格が良くて 筋肉もりもりの青年
あごがはって目がちょっとはなれたひらめ顔 と 言ってました
私は あらー 香取慎悟ちゃんタイプだねーっ と テレビを見ていて
直感的にそう思いました
私は視えなかったです。。。
霊能者も 総司とは会話は出来なかったような記憶があります
ナマ番組だったかな~
 
確かに 剣ができる人は 多少 口に力がはいるから
あごがはったりするような気もします
 
 
 
お題提供は お登勢さんでした~
北海道旅行 いってらっしゃーい!!楽しんできてくださいね~\(^o^)/
おみやげ話 まってますよ~~ん!!

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よみがえれ 宇都宮城 キャンペーン

おととい 26日の会議で よみがえれ!宇都宮城 とプリントされた
うちわを頂きました
忘れていた 募金を思い出し、昨日 仕事の振込みのついでに
銀行で振り込んできました。3000円なり~。
 
市民からの募金を足して 宇都宮城再建の費用にあてるのだそうです~
 
戊辰戦争で 燃えてから 宇都宮城跡はそのままで どんどん民間に
売り出されていきました
残ったのは 丘の頂上といった ごくわずかな場所です
宇都宮城跡 という 石碑 がたっていなければ
誰も市民でさえも ここが 城跡だとわからなかったでしょう~
 
新選組の史料には 殺風景な小高い丘みたいな宇都宮城跡地の写真が
よく 載ってます 。又は 石垣のとこ。
私が お嫁に来てからもずっとその景色でしたが
今年から工事が始まりまして 市民もくつろげる 緑の敷地と城を 建設中なのです
どうりで すぐ隣りに更地にした空き地がいっぱいあるなーと思ってました~
 
あの 殺風景もよかったです~
ここで 激しい戦いがあったけど 今は 草が生えて 当時を偲ぶものは何もない・・・
と、戊辰の戦のあった4月23日の夜に行って 桜の散った後 じーんと一人
感慨にふけったこともありました~ (あぶないって・・)
 
ちなみに 隣りの壬生町の 壬生城跡も 私が嫁に来たころは 
戊辰戦争以来の殺風景さでとてもよかったのですが、
今はすっかり きれいな 城址公園になって 市民がくつろぐ場所となっています
一部 昔のままが 残ってます
 
そういえば 昭和62年 私は壬生へ行き、車で壬生城跡を探しましたね~
新撰組の史料から道路を割り出し、
勘が当たって 大体この辺! とわかったのですが
その場所ずばりが わからず 近くの交番にかけこみました
当時は 看板も 歴史案内の標札も何もない 時代でした~
 
夕方4時くらいでしたので 若いおまわりさんが二人 夜食?のらーめんを食べていました
 
「すみません!!この辺に 壬生城跡があると思うんですが
どこでしょうか~ 教えてくださーい!!」
 
「お城ー?」
 
「はい!!あの 明治の初めに戊辰戦争で燃えちゃって
今は 城はないはずです。 跡地は 残ってるようなんですが~」
 
「さあー 学(がく)がないから わかんないな~
ごめんね~」
 
と ラーメンを食べながら 親切に答えてくれました
 
「(笑をこらえつつ・・)ありがとうございました!」
 
「がんばって探してねー」
 
「はいっ!!ありがとうございます!!
お食事中 失礼しました!!」
 
・・・・自力で探してやる!!と 発奮!!
見事に勘があたって 探し当てた時は嬉しかったです~
きっと、土方さんと 大鳥さんが教えてくれたんだーと ただただ感謝でした~
今は 看板があって わかりやすくなってます
 
現在 我が家の近くの 県立博物館では 10月14日から11月26日まで
名城 宇都宮城ーしろとまちのうつりかわりー  という
企画展をやっています
明日 講演を聴きに 行ってきます 史料集も購入したいです
 
今までは、
宇都宮城が燃えたのは 戊辰戦争の時!
と 知っていたのは歴史通の人だけでしたが、
今現在、 宇都宮城を建設するにあたって パンフレットで周知をはかっているため
多くの方達が 
新撰組の土方軍が きたんだ~
と知ることと なりつつあります
 
戊辰に燃ゆ、宇都宮城炎上
「幕末の戊辰戦争で、大鳥圭介や新撰組の土方歳三ら率いる
旧幕府軍との激しい攻防の舞台となり、残念ながらその戦火に
よって建物の多くは焼失してしまいました。」
パンフレットにのっている文章です。
 
・・・・なんだか ・・・ぐさっ!とくるんです。。。
いえ 城に火をつけたのは
城を奪われ 逃げる宇都宮城の兵だったのですが。。。
なんだかね~
武州 埼玉出身の私は いたたまれないのです 気分的に。
宇都宮藩は さっさと新政府軍になってしまい 幕軍の敵となってしまいました
私は 新政府軍の中心で きゃー土方さんーー!!と
愛を叫んでいるのです。。。
あまり 居心地はよくありません 
 
 
その私の気持ちが 募金へと走らせたのです
もう一回くらい したい気分です
長女に10万くらいしたら?と言われましたが
そんな金額は とうてい無理です。。したいけど だんなにばれたら後が面倒です
 
募金をした 栃木銀行本店は 城跡の近くで 西側になります 
松ヶ峰門に 近いです
 
銀行から 東は かつて 城があり 武家屋敷が立ち並んでいたのでしょうが
・・・・空が暗いなーー
と 嫁に来た時から思ってます。。。
昨日も思いました
今は ビルが立ち並ぶ街並みなのですが
お得意の 空が暗い を感じるのです。。
 
戦争の空襲か 戊辰戦争で町が燃えたからなのか
わかりませんが なんとなく 古い とか 伝統 とか 強固 とか 石 とか
いうのも うっすら 感じます~
 
参考 ホームページ 「よみがえれ!宇都宮城」市民の会 
    まんが うつのみやの歴史 

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土方さん

わたくしの尊敬する方は 幕末の 新選組副長 土方歳三さまです。
天保6年5月 5日(新暦1835年5月31日) 武州多摩郡石田村出生
明治2年5月11日(新暦1869年6月20日) 函館にて戦闘中 敵弾を受け即死 35歳
 
 
今週号(9月11日発売)のジャンプの 銀魂 は
なんだかしんみり悲しいお話でした・・・
 
多分 沖田が 史実上 労咳のため27歳で早世する代わりに 
彼女が 漫画で 亡くなったのではないかと思って読みました~
彼女は 実際 長生きしましたから~
 
今 ふと思い出しましたが 実物のミツさんの老後の写真 
マザー・テレサ氏 にソックリ!
ずーーっと長い間20年間 誰かに似てるー似てるーと考えていたんです~
よかったー! やっと判明しました~ 
 
銀魂では 土方さんが彼女に惚れてた設定で
私は うちひしがれてしまいました・・・  
 
やっぱり、土方さんは 恋愛より将軍様への忠誠です!
そうであって欲しい!!
 
銀魂の作者 空知先生は 土方さんの大ファンだそうで、
崩して描けないとおっしゃってました 
とても わかります。
普通に描くのもつらいのではないでしょうか~
私も 学生の頃 土方さんを主人公にして漫画を描こうとして、
・・・挫折しました。。。。
 
なんだか 描けないんです・・・絵ももちろんですが
ストーリー何を考えても うそくさいから駄目 まじめすぎるから駄目
かっこよくないから駄目 かっこよすぎるから駄目 
相手の女性は思いつかないし 史実もいじれないし 
何を考えても、 こんなん 土方さんのストーリーじゃない!!
と、自分で否定してしまうのです。。。
 
・・・・結局 尊敬する人を主人公にしてしまうと
自分の思い入れが深すぎて 全然 うまくまとまらないんですよね~
今はやりのアンソロ的なら描けたかな・・・いや やっぱり 描けないですね~
 
ガクトさんも 歌を歌う時のことを以前おっしゃってましたが
 
自分の気持ちに合った歌でも 自分の気持ちを込めて歌うとうまく歌えない。
変に 気持ちが入りすぎて 声がよく出ない。
作品の主人公の気持ちになって歌うと よく歌える
 
だそうなんです。
 
歌でもそうなんだから 漫画でも
登場人物に 深い愛情がありすぎると 駄目なのですね~きっと~。
 
なんだか 文章も 上手く入力できません
色々 あれも書きたい これも書きたいで 全然まとまりませんです。
尊敬する方のことを書くのは 難しいですね~。
 
参考 写真集新選組始末記  釣 洋一編  新人物往来社 
    昭和56年11月15日 第一刷
 
写真 函館五稜郭 土方さんの銅像 平成17年8月撮影
 

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戊辰戦争史跡巡り その弐

いつもなのですが、史跡巡りをすると、頭が痛くなります。
8月6日の自転車散策も、とても痛くなりました。
 
ここが、あの場所だーー!
 
と、感激のあまり、首・肩がはって、血流が悪くなり、頭痛発生・・?
普通なら、感激のあまり血流が良くなり肩こりが直りそうなものです。
 
よく、塩 といいますが、一度憑いてしまったら、塩は役立たないそうです。
気持ちが清浄な時 念じてまくと、悪いものが憑かないようになるらしいです。
昔の中国の大奥?後宮で、天子様の気を引きたくて、姫様が盛り塩を
入り口の外において、天子様が入ってくるようにしたという話もあるので、
相手によっては、かえって憑きやすくなるのでは?とも思います。
 
誰か霊能者が、葬式の後に塩まくよりは、葬式行く前に塩まいて、
憑かないようにしたほうがいいと、言っていました。
過去、私も、頭痛の後にいくら塩まいてもだめでした。
 
お気に入りの水晶の数珠を持っていけばよかった~
 
六道 戊辰役戦死墓(ぼしんえきせんしはか)の、道路を東に行くと、報恩寺 があります。
山門が美しいと、有名です。臨済宗。
 
もう頭痛がんがんでしたので、写真も撮らず、ひたすら低姿勢で、言い訳しながら
 
お墓参りさせてくださいー、何もしませんからー
新撰組が好きですが、基本的には戦争って大変だったなーと思ってます。
霊能力ないので、何もできません、すみません。
 
と入っていきました。
 
本堂の正面右側に、戊辰薩藩戦死者墓 という、白い大きな高さ2メートル幅1メートル厚さ70センチくらいの
立派な、みかげ石?の墓石があります。
 
官修墳墓だそうで、見るからに、
 
あー、明治政府が立派に建てたんだーというものです
 
その向かいに、鳥居があって、戦士烈士の墓があり、薩州、長州、大垣藩の戦死者名が
列記されてます。寺の境内に鳥居があるってことは、神仏分離令がからんでいるのか、
神に祭上げて、祟らないよう封じ込めているのか、よくわかりません。
 
幕府軍側の戦死者の遺体は道路上に遺棄されたままだったそうなので、
付近の住民の方々が、道路わきに埋葬してくださいました。
これが、六道口の道路の墓です。ここも鳥居があります。
ここの写真は、丁寧にごあいさつして、一枚だけ撮らせて頂きました。
私は、幕軍よりの人間なので、許してもらえると勝手に思って・・
 
同じ人間、日本人なのに。どこでも、同じですね、激戦地では。
きっと、地元の方々は、新政府軍の目を盗んで、こっそり埋葬してくださったんでしょうね。
ありがとうございます。
でも、新政府の役人さんも、知っててもあえて何も仕置きしなかったんじゃないかなー
と勝手に想像します。そうであってほしいです。見つかって罰せられたという話も
伝えられてないので、良かったーと、思っています。
 
報恩寺に、幕府軍の土饅頭墓があると思っていたのは、記憶違いのようでした。
官軍のお墓しかありませんでした。
あとで、頭痛がない時を狙って再訪問したいと思います。
美しい山門も、写真を撮るつもりです。
 
記憶って、たった数年の間に変わってしまうんですねー
やっぱり、その日その日できちんと記録に残しておかないとダメですね。
特に史跡は、きれいに修復したり、周りの家の様子でがらりと雰囲気変わります。
 
次は、近くの光琳寺へ行きました。報恩寺の北方面に当たります。浄土宗。
 
ここも、本堂正面右側に、鳥居があって、官修墳墓があります。
これは、土饅頭で、上に墓石が置いてあります。
 
記憶では、本堂正面左側に、幕軍の戦没者の土饅頭があった気がしてたんです。
で、一生懸命探しましたが、ありませんでした。
初めて見た時は、ただの土饅頭で、2回目見に行ったときは、屋根がかかっていた気がしてたんですが
記憶違いだったのかなー・・・・うーん、夢でもみたのかな。。。
 
幕軍の墓は、確かにありますが、平地で、土饅頭ではありません。
きれいな墓石も新たに建てられていました。
 
官修墳墓と、幕軍墓が、ごちゃまぜになってしまっていたのでしょうか。
でも、うーーーん、あの、土饅頭はすごい衝撃で、確かな記憶と思っていたのですが・・
残念です。
 
報恩寺と、松ヶ峰門の間に激しい戦闘があったそうですが、今はもう、家やビル、学校などが
立ち並び、報恩寺の前の道路からは、松ヶ峰門の今も残る松の木は見えません。
松の木のそばに高いビルがあるので、大体の目印になりますが、地図で見たり、目の感覚では
約300メートル離れている感じがします。
 
300メートルなら、大砲の射程距離でしょうか。
報恩寺から、東に、松ヶ峰門跡があります。
当時、人家などなければ、まっすぐ行った方向なので、狙いやすいかも知れません。
 
慶応4年1868年4月23日早朝から夕方まで、ここ六道で激しい戦いがあったそうです
宇都宮城には、すでに19日、旧幕府軍が入っていました。
この城を奪回しようと、新政府軍の救援隊(土佐藩を中心とした洋式部隊)が、
攻撃をしかけました。
 
そうですね、道が合流してるし、ここで、食い止めないと、新政府軍は一気に城へなだれこんで
いくでしょうし、幕軍はきっとこの六道を死守しようとがんばったんだと思います。
 
新撰組の土方さんは、このときどこにいたかはっきりしないそうですが
宇都宮戦で、足指を負傷してます。
二荒山神社にいて、指揮をとってたと言う方もいます。
この23日の戦いではやはり、松ヶ峰門にいたでしょうか。
 
23日夕方、城は新政府軍に奪回され、幕軍は北西へ撤退し、日光方面を目指し会津へ行きます。
 
宇都宮市内は、武家屋敷跡のなごりで、道がほそく、くねくねしてます。
曲者をすぐ、おいつめられるようにしてあるようです。
今も、残っているので(いや、ぜひ、永遠に残してほしい。もっと宣伝もしたほうがいいと思う)
自転車で走っていると、城があそこだから、こうに道が入ってーと、
江戸の街の様子が想像できます。
 
当たり前のことでしょうが、ここ六道で激戦があったとは、今は全く感じられません。
学校あり、人家あり、商店がありと、普通の住宅街です。
 
宇都宮で、趣味で歴史を研究してる人が
 
宇都宮の人、六道の戦いも、新撰組の土方がここに城攻めに来たなんて、
一切知らないんですョ!戊辰戦争の激戦が宇都宮であったって言うのも
知らないですからねー。
 
と、嘆いてました。
 
確かに、先祖代々宇都宮在住という人は、私も知りません。
よその町や県からの人が圧倒的に多い土地柄です。都会なんですね。
私も埼玉出身。夫の両親も新潟出身です。
 
でも、一方で、戦争の記憶っていうのは、忘れたい人もいるのも
事実です。
私は、戦争の経験がないので、のんきに歴史を調べたりできますが、
体験した方にとっては、非常につらいものですよね。
 
光琳寺を最後に帰宅しました。
吐き気がする頭痛で、寝込みました。土饅頭もなかったのもショーーック! 
お盆で、仕事が休みになったらまた行きたいと思います。
 
参考文献 まんが うつのみやの歴史 宇都宮市制100周年記念事業実行委員会
       うつのみやの歴史再発見 塙 静夫 随想舎
 
思い出しました。1996年の市制100周年イベントで、我が家の長女は小学校の管楽器クラブの一員として、
うつのみや市役所時計台お披露目の式で演奏したんだっけー。
1868年の戊辰役から128年、平和っていいですねー。 

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戊辰戦争史跡巡り

一昨日8月6日、宮まつりでにぎわう宇都宮市内を、自転車で走ってみました
お盆が近づくと、なんだかいつも、気分は戊辰戦争です。
 
人通りがあまりないだろうと、午前中の探索です。それでも混んでました~
思った通り非常に暑くて、お水持参で正解。
街は、祭りの準備で活気があり、にぎやかでした。はっぴ姿の人や、
屋台の準備の人が忙しそうに歩いてました。
 
二荒山神社~宇都宮城建設地~おおいちょう~松が峰門跡~
 
六道口戊辰戦争戦死者の墓~報恩寺~光琳寺

二荒山神社
幕府軍が陣をしき、社殿は兵火で焼失しました
今の社殿は明治10年1877年の再建だそうです。
宇都宮城

ただいま工事中で、城を復元するそうです

以前の荒れ果てていた城跡も良かったです「城破れて山河あり」みたいで。。

 

松が峰門

城の入り口で、ここと六道口間で激しい戦いがありました。

六道口戦死者の墓

宇都宮は官軍でした

捕えられて刑死した会津軍兵士と、この地で亡くなった幕軍兵士を祀ります

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