ことば ふとひらめいた解釈 禍々編(伊藤三巳華先生風wに) 

○三毳山 (栃木県佐野市にある 神々しいお山)

みかもやま

甕の喪山

ではないかと 思いました

 

日本書紀に載っている  神代に 東国にいた 星の神 天津甕星(あまつみかぼし)

のことです

別名 天香香背男(あめのかがせお)星神香香背男(ほしのかがせお)香香背男(かがせお)

 

なんとなくですが 

みかも山って ものすごく不思議な感じのする謎の山なので

(以前にも書いたけど 名前と漢字がすでに不思議) 

ものすごい人 または 神がからんでいる山ではないかと

思っていました

 

平将門公 かとも思っていましたが

いや もっと前にさかのぼるんじゃ。。。

しかも 平将門公と同じく 国から反逆者扱いされたような感じが。。。

 

って ことは

 

古代の いや 神代の 天津甕星(あまつみかぼし)様!

 

甕 (星の) 喪山

みか       もやま

 

○崇神天皇

古事記では   御眞木入日子印惠命

日本書紀では  御間城入日子五十瓊殖天皇

 

この        みまき  という部分なのですが

 

三巻       ではないかと思いました

 

あれ 字が 全部 でっかくなっちゃった!

 

三巻 は ゲゲ訳で

 

三輪山の蛇がとぐろを巻いてる姿

 

に思えるんです

 

○美具久留御魂神社 みぐくるみたまじんじゃ

大阪富田林の神社

ご祭神 美具久留御魂大神(大国主命)

 

ご由緒に 天孫族の崇神天皇が出てきますので

この神社のご祭神のお名前は

 

国譲りで身をくくった(お隠しになられた)大国主命様

 

という意味だと思いました

 

崇神天皇と お子様の豊城入彦命様と垂仁天皇様は

全国で 荒ぶる神をお祀りになられたのですね。。

 

恐れ多いので 言葉が丁寧

広告

栃木=遠つ紀(木)の国 で ふと思った ゲゲ推測

古代 崇神天皇の時代

西の纏向の地から 栃木県へ東征に来た豊城入彦命様が

ホームシックになり

栃木の太平山を見て

ご自分の出身地 木の国(昔の紀州)を恋しく思って

「遠つ木の国」

とおっしゃったとか。。。

それで

 

とおつきのくに → とちぎ

という名前になったという

 

県名の由来(市の名の由来?栃木市)ですが

そういう伝承があります

 

先日 ふと 思ったのですが

古事記とか読んでると

 

近つ淡海

遠つ淡海

 

という地名が出てきます

近つ淡海 は 近江の国(滋賀県) 琵琶湖

遠つ淡海 は 遠江の国(静岡県西部) 浜名湖

 

のことだそうです

 

これを見て あれ? と 思いました

 

もしかしたら 栃木県(下毛の国)って

遠い紀の国って ことで

もしかしたら 紀の国の遠いバージョン 分国?属国?

って扱いだったのではないだろうか。。。

みたいな気がしました

 

想像してみたのですが

豊城入彦命様は 父の崇神天皇から

「東征に行ったら あそこ(群馬と栃木)おまえにあげるから 好きにして良いよ」

と言われたので

「遠つ木の国」 って 言上げをして

ここは木の国だ

二つ目の木の国だ !

って 公に宣言されたのかも~。。。

ホームシックがどうのこうのではなく

地名を名付けた祝詞だったのかも!

なんて 考えてみました 。。

 

 

いつからかはわかりませんが

栃木と群馬は 「毛の国」と呼ばれ

後に 群馬を 「上毛の国」  栃木を「下毛の国」 と分けたそうです

 

毛の国 の意味は

都から遠く離れた東の未開地で野蛮人(蝦夷 毛人)がいるという意味で 「毛」を使ったのではないか

とか 現在 いろいろ推測されてますが

はっきりとは わからないみたいです

 

佐野にある 三毳山(みかもやま) が 謎の 毛が三つつく漢字の名前なので

それと関連するのか

はたまた 天之香々背男が高天原グループに滅ぼされたから

田舎の野蛮人が支配していた という意味で 毛 を使ったのか。。。

 

謎だらけ(毛) です

 

 

とりあえず

毛の国と呼ばれだしたのは いつの事なのか。。。

 

ゲゲ的には

豊城入彦命様が言った「木の国」がなまって「毛の国」になった説が

好きです!

 

木の国の属国?分国?で 良いって 思います!

みかん がおいしそう!!分けて欲しい!

(古代 紀州がみかんの産地だったかは知らないけど♥)

 

 

それとも 昔々

天照大御神の孫 ニニギ命の頃ですよね。。

神武天皇が即位するだいぶ前です。。天孫降臨の時。。。

天の香々背男が 建葉槌命・フツヌシ命・タケミカヅチ命に 討伐された時

すでに 群馬と栃木は 「毛の国」

と呼ばれていたのでしょうか。。。

 

↑ この考えも捨てがたしだけど

 

ゲゲ的には やはり

栃木と群馬を愛して治めて下さった豊城入彦命様に敬意を表して

 

木の国が訛って毛の国になった

 

ステキだなあ。。。と 思います

 

みかん。。。。食べたくなった。。。

 

 

「ヤマタのおろち」の「ヤマタ」、奈良県天理市「柳本」って もしかしたら 「ヤマト」なのかも。。。

今 買ったばかりの初めてのスマホ関連作業?で 四苦八苦中ですw

悩みに悩んで やっと 手帳タイプのカバーを 密林さんに発注しましたw

カバーって お店に行っても 一つか二つしか売ってないのに

密林さんでは 山のようにあって びっくりしました

条件を絞って 400ページ 見ました!ストレッチしながら・・・

眼と腕が疲れた~~~~~!! w

 

 

確か スマホを買う前のことですが

出雲大社のご神木?を使ったブレスレットが欲しいかも~~♪

 

と パワーストーンがついてる雑誌の事をネットで検索したり

 

ユーキャンから 突然

古事記の話の無料サンプルDVD(アニメ入り)が送られてきたりしていました

(一度何かを買うと その後たくさん 次から次へとご案内が来ますw)

 

その無料サンプルDVDを見せてもらっていたら

 

あれ?

スサノオノミコト様が退治した

ヤマタノオロチって・・・

 

確か

あの怪獣は 川の事だろうって 今言われている事が多いけど

 

もしかしたら

ヤマタ って 。。。

 

yamata…

yamato…

 

似てる!!

「大和」 「 倭」 「日本」に

似てる!!!

 

って 思いました。

もしかしたら 以前 ブログに書いたことがあるかもです

再度 思いました

 

推測ですが

「やまと一族のオロチ」という人 または部族が支配していた出雲のあの辺りの地域を

スサノオノミコトが 戦をして 幹部8人を倒し

出雲を手に入れた

ということではないかと 思ったりしました

 

・・・

酒に酔わせて敵を滅ぼす やり方は

確か 神武天皇もなさっていたような・・・

日本武尊様も・・・ ^^;

 

日本語の発音ですが

縄文 弥生時代の 言葉の発音については よく わかりませんが

滅ぼされた人達の事なので

もしかしたら 後世 区別する意味で

「やまと」 ではなく 「やまた」 と 発音表記するようになったのかも。。。

と 想像してみました

または

「やまとの山田に住むオロチ」というボスかもしれません。。。

 

神話では 8つの頭を持つ大蛇となっていますが

世界各国に 似たような話があるそうなので

もしかしたら

スサノオノミコトとオロチの戦いは

わざと

「あれって 神話だよね?」のノリでうやむやにされて

史実から 外されるように仕向けられたのかもしれません。。。

 

出雲に行くと 史跡がたくさん残されているんですよね。。。

ネットで見た時

 

あー。。。

この戦いって 人VS化け物 ではなく

実際 人VS人 の戦で行われたんだろうなあ。。。

と 史跡の画像を見て 感じました

 

私の推測では

イザナミさんは 出雲の姫で

高天原のイザナギさんと結婚した時は 出雲と高天原は良好な関係を築けていたのに

その後 何か 出雲で

カグツチさんが関わるごたごたに巻き込まれて 亡くなってしまい

 

それ以来

高天原グループは

うまく 出雲と つきあえなくなり

そこに スサノオノミコトが 地方長官として 派遣されていったのではないか

と思います

 

イザナギさんとイザナミさんあたりの 出雲と高天原の関係は

私もうまく考えがまとまらず 上手に表現できませんが

イザナギさんにしてみたら

出雲の姫と 結婚したんだから

出雲は自分の支配する国

と 思っていたのかもしれません

 

ですが 出雲は  とても豊かな地なので

様々な人たちが この豊かさを目当てに この地を欲しがり

色々 トラブルもあったのではないか・・・

と 思います。。

 

 

そして この間 景行天皇の古墳の辺りの地図を見ていて

はた!と 気づいたのですが

地名 「柳本」を 不明瞭に発音していくと(変な日本語w)

 

やなぎもと。。。

やないもと。。。

やなもと。。。

やぁもと

。。。

やまと!!!

 

になる!!!

と 気づきました

^^; 結構 強引 w

 

マクモニーグル氏が

ヤマト民族が 移動した地は 「やまと」と呼ばれた

みたいなことをおっしゃっていたので

 

もしかして 柳本 って 昔々は

やまと って 呼ばれていたんじゃないかなあ。。。

と 思いました

 

地名の由来をネットで検索してみましたが

大きな楊の木があった? みたいな感じで

はっきりしたことは わからないみたいです

 

近くには 「長岡」があるようで

!!!

ナーガ!!

インド系の古代の蛇の神 の名前がついてる!!!

と 感動しました

大和神社が長岡の地に祀られる と 垂仁紀に書いてあるそうです

 

近くの 「渋谷」(しぶたに)は

水に関係する地名のようです

鉄分を帯びた 赤しぶの水の出る谷 らしいです

 

(参考 天理市ホームページ)

 

私は 邪馬台国も 「やまと」国 って 読むんじゃないかなあ

と思っています

結局は やまと という国は 各地にたくさん大きくあったと思うのです

(やまと民族は南から北へ北へ移動していったというマクモニーグル氏の霊視?が好き♥)

 

ですが

国津神(イザナミさん) 天津神(イザナギさん) 辺りで仲良くやっていたのに

後々 子孫でこじれる。。。

みたいなことを繰り返していくうちに

(戦国武将とかでも 代が変わると 兄弟でもめたりするアレ的な)

 

誰が 「やまと」を名乗るのに 一番ふさわしいか

みたいな 戦争というか 抗争というか

戦いになってしまい

負けた出雲は 結局「出雲」と 呼ばれ

区別されるようになってしまったのではないか

と思います

 

やまと は 山のふもと という意味もあるそうなので(山本やまもと も そうらしい)

そうなると 各地に 自分達はヤマトだ! と名乗る氏族がいっぱいいたかもしれません

 

本家やまと族

元祖やまと族。。。

 

卑弥呼さんがいた氏族がヤマトで(邪馬台国という漢字も良いけど 山門も良いなぁ)

景行天皇は 卑弥呼さん亡き後 ヤマトを 吸収して

自分達が ヤマトである! と 名乗り

国土統一に向かって進んでいった 気もします

 

天照大御神に仕える妹は 「倭姫」  という名前

 

南へ北へ戦に行く息子には 「倭武」 という名前

 

。。。。

 

うーむ 玲子さんの霊視でHONKOWAに書いてあったけど

この命名は奥が深い!

 

ヤマト。。

大和。。。

倭。。。

日本。。。

 

漢字はいろいろありますが

 

やまと

 

って 本当に美しい響きだなぁと思います

 

 

 

もともと奈良辺りを支配していたのは大物主神 って気がしてきた

栃木市の大神神社を調べていたのですが

 

そういえば

豊城入彦命(崇神天皇 息子)が この下野 栃木に

大和(奈良県)の三輪山の大三輪明神を勧請したのは

おそらく 滅ぼした太平山の先住民族の魂を祀るためで(ゲゲ推測)

当たり前の事なんだろう。。。って思っていたけど。。。

 

でも どうして 大神神社を勧請したのだろう。。。?

 

と 改めて 疑問に思いました

 

記紀を読んでみると

古代の天皇家にとって 大和の三輪山というのが特別な山であることは

とてもよく伝わってきます

 

HONKOWAの霊能者玲子さんは

三輪山は「戦没者を祀っている」

と 霊視されました

 

なるほど~!!

。。。

でも 戦没者って誰?。。。

 

 

疑問は尽きなかったのですが

古事記で

国造りに悩む大国主命の前に現れる大物主大神

のところを読んでいたら

ふと気付きました

 

これって 大国主命が

国造りがうまくいかないって悩んでるのは

もしかしたら

大国主命が 戦で滅ぼした相手を祀ってないから

祟りが起きて 国造りがうまくいってないってことなんじゃないかな。。

 

と 思いました

 

日本書紀では

 

「大物主大神は 大国主神の幸魂(さきみたま)・奇魂(くしみたま)であると名乗られた」

 

って書いてあるので

 

わかったようなわからないような

結局 本人なの? 別人?一体誰?!どうゆうこと?!

と もどかしく思っていましたが(^◇^;)

 

これって

 

奈良の三輪山辺り あるいは 大和周辺 か 大阪方面とかを

大物主という

大国主命とは全くの別人 偉大なる王が治めていたのではないか?

 

と 思いました

 

そして

出雲地方の大国主命(あるいはそのご先祖)と

大和地方の大物主命 とで戦が起きて

出雲の大国主命が 勝った

という事があったのだと 思うのです

 

(物部氏っって 何か関係がありそう)

 

で 大和は 出雲の大国主が支配するところとなったものの

負けた側の大物主命を うまく祀らなかったのかも知れません

 

大国主命の前に現れた大物主大神は

「吾をば大和の青垣 東の山の上にいつきまつれ」と三輪山に祀られることを望んだとあります(奈良 大神神社 ご由緒)

 

後の世で 10代崇神天皇が 国造りがうまくいかない時占ってみたら

大物主が出てきて 我を祀れと言ったそうなので

これと同じことが 大国主命の時代にもあったのではないか

と 推測してみました

 

そして これに関連してることなのですが

大国主命の奥様で 神屋楯比賣 という方がいらっしゃるのですが

この方が 全くの謎の方のようです

大国主命との間に 息子 事代主命がいます

 

天つ神 ニニギ命派が  国つ神 大国主命に国譲りを迫った際

大国主命が 「息子に相談してみます」 と おっしゃってた

あの息子さんです

 

ゲゲは 推測してみたのですが その神屋楯比賣様は

名前に神がついてますから 相当なお方のように思えるのです

 

もしかしたら 大和の三輪山に祀られてる大物主命の娘さんか 子孫の方ではないでしょうか

大国主命は 大物主命との戦いに勝ち

そして その血を引く女性と結婚したというのは

古代では 大いにあり得るような気がします

 

事代主の命も 大和の葛城坐一言主神社にて 祀られています

出雲の神と 思われていますが

出雲を支配していたのは 父 大国主命で

息子の事代主命は 自分の母親と共に 大和で暮らしていた

と 思えるのです

 

天つ神 ニニギ政権は 大国主命との戦いに勝ち

大和を手に入れました(ゲゲ推測)

そこで 大国主命政権に代わって 大和や尾張 三重とかを

支配したのは ニニギの兄弟 天火明命だと思います

 

ニニギは 九州を支配しなければならないなので

出雲は 叔父 天ホヒ命に支配させ

大和は 兄弟 天火明命に支配させた

と 推測します

 

また系図を作ってみたいと思いますが

 

大物主命 - 神屋楯比賣 - (   ) - (  ) -

ヒメタタライスケヨリヒメ

と続くと 考えてます

 

大物主命 ー 櫛御方命 - 飯片巣見 - 建ミカ槌命 -その後13代くらい? - オオタタネコ

 

と続く系図も あります

 

天火明命 - ニギハヤヒ1世 - ニギハヤヒ2世 - ニギハヤヒ3世 -物部氏

という系図も 推測してます

 

大和の大神神社は

古代からの戦で亡くなった方達を祀っている

というのはありえると思います

先住民族の聖地だったところが 代々 大事にされてきた

とも言えると思います

 

山幸彦と豊玉姫

古代の 妄想だか推理になるのかわかりませんが

ある日 ふと 頭の中に

 

あれの真相って あーゆーことじゃないだろうか。。

 

って 浮かぶんです。

 

なので 浮かんだことを せっせと記事にしています

数年後にたまたま読んで

 

え? 過去ゲゲ こんなことが降りてきたの?

 

と 自分でもびっくりすることが多々ありますw

 

古事記や日本書紀に書かれている 過去の天皇の事って

時代は違えど 結局は 1人の人間の人生なので

視点によって 色んなとらえ方があるだろうし

関わった人達に関しても 名前とか気持ちとか 伝え間違いがあるだろうし

絶対 本の通りだ!!

という決めつけは よくないと思うのです

 

後世の人が 良い風に推測したり 真相?を究明しようとする姿勢が

供養になるんじゃないか

と 思ったりします

 

山幸彦と 豊玉姫ですが

なぜ 豊玉姫は怒ってしまったのか。。

愛する旦那様の山幸彦と生まれたばかりの子どもを置いて

海に帰ってしまったのか。。

 

古事記では

お産を見られたから と簡単に書いてありますが

もっと 深い意味が隠されているのでは?

なんて 勘ぐってしまいます。

 

やはり これは

家の問題ではないかと思います

山幸彦の天孫族と 豊玉姫のワニ族(お産でワニになったというので和邇族だと思いました)では

ダメだったのでしょう。。

 

家同志の結びつきが決裂して

親の意向で 2人は離婚し

豊玉姫は 違う部族の人に嫁いだのだと思います

 

そして 子の養育のために

豊玉姫がよこした妹の玉依姫というのは

母違いの妹だと思います

母親が 天孫族に近い氏族なのかもです

 

姉と 姉の子どもが不憫で可哀想。。

と 玉依姫が 苦労を覚悟で決意して

家を出てきたのかも知れません

 

と こんな考えが 先日 ふと 頭の中に降りてきました

 

もしかしたら

 

いつかは 本土の大和へ上って戦って 支配地を広げるぞ!!

 

という秘めた野望?を持つ天孫族の山幸彦に

海のそばで生まれ育った豊玉姫は

心身ともに ついていけなかったのかも知れません

故郷を捨てられなかった。。とか。。。

 

 

古代も今も

結婚生活って

好きって気持ちだけじゃやっていけないものなんですねぇ。。。

倭氏族 倭迹迹日百襲姫命と ニギハヤヒ始祖の物部氏 伊香色謎命の系図

系図作りが楽しいです

わくわくしながらワード画面に向かっています♪

 

倭迹迹日百襲姫に連なる

神武天皇の頃の 弟師木 からの系図を作ってみました

弟師木の息子が 師木縣主 波延(しきのあがたぬし はえ)です

系図の左側です

 

伊香色謎命は 両親から 書いてみました

系図の右側です

 

 

 

以前にも考察してみましたが

こうして系図を作って マジマジと眺めて

両家? というか 比べてみると

モモソ姫の先祖は 今でいう 地元の県知事クラス出身で

伊香色謎命(いかがしこめのみこと)は 略してますが

父方は 始祖がニギハヤヒという 天皇家から枝分かれしたお方です

 

どっちが上 とか表現するのは

優劣をつけるようで あまり触れたくないですが^^;

この頃の 古代にも

先祖が誰々 という出自争いみたいなものが

あったんではないだろうか。。。

と つい勘ぐってしまいます

 

系図を作っているうちになんだか見えてきたのが

天皇位の継承にからむストーリーです

 

孝元天皇が亡くなり 開化天皇が跡を継ぐことになり

良い皇后を ということで

元 孝元天皇妃の伊香色謎命 が選ばれたと思うのですが

これには 伯母であり 孝元天皇皇后の鬱色謎命が強く

「おまえ ぜひ うちの家(物部氏)のためにも 息子と結婚しておくれ」

と勧めたような気がします

 

多分おそらく 伊香色謎命はサイキック能力もあり

天皇皇后として最適な女性だったのだと思います

そして モモソ姫の倭一族に対抗するためにも

自分の息子に力強い妻を持たせたかったような気がします

 

ほんとに系図を書くのって 面白いです

いろんなストーリーが 頭の中に 生き生きと浮かんできます

 

今回 系図を作るにあたって

またまた 気になる女性を見つけてしまいました

伊香色謎命の母 高屋阿波良姫

伊香色謎命の父 おおへそき の母 坂戸由良都姫 です

 

たかやあわらひめ

 

さかどゆらつひめ

 

とお読みするのかもですが

 

なんて素敵なお名前~~~

 

と惹かれてしまいました♥

 

飯野の眞黑比賣 考察 作ってみました ゲゲ系図

以前に考察した 飯野の眞黑比賣です

飯野の眞黑比賣(古事記)の謎 隠された?姫 卑弥呼系列?

 

↑ この記事とは やや違う場所に 眞黑比賣をあてはめてみました

 

 

若建吉備津日子の妻になった という点では変わらないのですが

父を 讃岐 飯野山の飯日子と考えました

(名前は 神社のご祭神からの推測です)

飯神社のある辺り飯野を治めていた 讃岐国の飯依比古命の子孫と 推測しました

 

前回も 書きましたが

古代ですので

親子と言っても 年齢が 長子と末子では かなり離れていることを考慮しつつ

その天皇の時代に活躍したと思われる同世代の方達が 横に並ぶように

作ってみました

 

 

皇族だったら 男女15歳位で 最初の子どもが生まれるでしょうし

70歳を越えた男性が 若い女性を妻にして お子さんをもうけることも充分ありえる

と仮定して 推測してみました

 

景行天皇妃 訶具漏比賣も 私が推測する場所に

入れてみました

 

古事記に書いてある親子関係 婚姻関係を読んだ場合

どうにも疑問が残ってしまうので

やはり 眞黑比賣 訶具漏比賣という方は サイキック能力に秀でた卑弥呼グループの方だと思うのです

意図して 隠されたのでしょう

 

後の時代の私達に

「文章を写し間違えたに違いない」

と 軽く思わせつつ

訶具漏比賣に連なる香坂王 忍熊王の出自をあいまいにして

地位をおとしめ

この2人には 皇位を継ぐ資格はない、応神天皇の方がふさわしい

と 思わせる意図もあったと思います

 

参考文献 画像解析による古墳墓碑 池田仁三氏 青林堂

HONKOWA 闇の検証 寺尾玲子 朝日出版社