Archive for 万葉集

大阪 奈良 一人旅☆平成26年7月13日 奈良 桜井市 忍阪 其の参

 雨の中 一人で 自宅から遠い奈良の忍坂を歩いているなんて ステキ~~~ ♪

 民家さんの塀とか 石がいっぱい~~

 古墳で使われた石かしら~。。。わくわく!

 

 

 それにしても 忍阪って 神秘的な雰囲気がある~。。。

 山の神の力 かしら~~!

 などと すっかり 旅情に浸って  ナルシーな気分で雨の中を歩いていました~

 肩に斜めに背負ったバッグは重かったけど 頑張りました~。。

湿度と暑さで 喉カラカラで 髪ばっさばさでしたが 

水筒の水を飲み飲み 髪を手ぐしで整えながら 歩きました ^^;

 

 

↓ 途中の空き地?にあった 新しそうな案内板

   今 観光案内地図を見たら ここは 旅行者さんが車を止めて良い駐車場 みたいですね。。

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 ↓ この駐車場から下って 坂を降りたら 小さな宮跡というか 社がありました ありました 

  ゲゲの勘違いでした。。

  軽皇子の宮跡ではなく

  妹の絶世の美女 衣通姫尊(そとおりひめのみこと)の生まれた地だそうです

                           ↓ 井戸跡    

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 ↓ 玉津島明神というのだそうです。。

   祭神 稚日女尊(わかひるめのみこと) 天照大御神様の妹君

       衣通姫尊 (そとおしひめのみこと) 軽皇子の妹君 允恭天皇皇女

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   この井戸の水を 産湯に使うと美人になる

  という言い伝えが 地元に残っているそうです (*^。^*) キャッ  

 

 

 さらにテクテク歩いていって 神社を見つけました

 前回は 参拝しなかったので 今回は 参拝させて頂きました

  ↓ 忍坂坐生根神社 おっさかにいますいくね じんじゃ

      ご祭神 少彦名命 すくなひこな のみこと

            天津彦根命 あまつひこね のみこと 額田部氏の祖

   三輪の大神神社と同様に 本殿がありません

  後方の宮山(忍坂山の一部) を 御神体とした古社だそうです

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  ↓ 古くからの ものすごい力がありそうな 静かで大迫力の神社でした!!

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  ↓ 趣のあるお水場 

    よくよく見てみたら。。。

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  ↓ 雨のおかげで 昔 彫った字が よく見えました 

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  この 中 の字が とてもよく見えたので

  ゲゲは

  ここって もしかしたら  允恭天皇皇后の 

忍坂大中姫(おしさかのおおなかつひめ)の宮があった場所じゃ・・・?!

 と 思いました!!

 狂喜乱舞しました~

 

 

 でもまあ 後日 帰宅して よくよく見てみたら

全 安 中 村  

みたいな感じに見えるので 「村中安全」 とかって 

江戸時代とか明治時代 割とつい最近あたりに 彫ったのかも知れません ^^;

 

 

 ですが この時は

 雨のおかげで 石の文字が浮かび上がって 文字が読めた~~~!!

 と とても嬉しかったでした~。。!!

 場所的にも ここは ちょっと高台なので この辺り一帯 貴人の宮があっても良い場所だな。。

 と 思いました。。。

 

 

 忍坂大中姫の宮は まだ 発見されていないそうなので

 もしかしたら ここじゃないですか~~ と 書いてみる ww

 

 

 写真を撮っていて 気付きましたが 

 晴れてきました・・・!!

 雨が上がりました~~~~~~!!!

 

  ↓ 神社から南側に見えた雨上がりの山に もやが・・・

   とても神々しく美しい眺めでした。。

   この山には神がいらっしゃる・・・!! と まじで思いました!!

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大阪 奈良 一人旅☆平成26年7月13日 奈良 桜井市 忍阪 その弐 

 雨は 降り始めという感じで そこそこ小雨でしたので 傘をさして

舒明天皇古墳の脇の道を通って 奥の 鏡王女の古墳へと向かいました。。

 途中の畑で ウイーンと音をたてて 機械を使って草むしりしてるおじさんがいたので

ご挨拶 させて頂きました

 

雨が降っても 本当に雰囲気のいい古墳でした。。

前回の訪問は 確か2009年だったと思いますが

あの頃と 全然 変わっていませんでした。。

 ↓ 新しくできた?案内板

    多分 この道をずっと山の方へ行くと 大伴皇女の古墳があると思います~。。

    今回 雨でしたので 訪問しませんでした。。

    前回も 雨が降りそうだったので 訪問しませんでした。。

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  雨が似合う古墳です

  しっとりとした落ち着いた情緒が 辺り一杯漂っています

 あ~ ここまでいくともう 心がとても落ち着くお寺さんの感覚ですよね。。

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 本当に素敵な方だったのでしょうね。。鏡王女さんって。。。

古墳の前に立つと 彼女の気高さと言うか 美しさに(視えないけど) 身が引き締まる想いがします。。

霊能者の視っちゃんが何回も訪れているというのも頷けます。。。

 

 近くの石の写真を撮影しながら 舒明天皇の古墳に戻りました

 雨が結構降ってきたので 舒明天皇古墳脇の管理事務所前で雨宿りさせて頂きました

 以前はよくわからなかったけど 宮内庁の事務所だったのですね~。。

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 雨がさらにひどくなり さっき草むしりしていたおじさんも バイクで 道を走ってきました

 雨のため 草むしりをやめて おうちに帰るのでしょう~。。

 ゲゲは 

 この雨は絶対止んで これから晴れる!

 と なぜか 確信しました。。。

 根拠の無い自信ですが。。。^^;

 

 雨の中 奈良で 古墳散策できるのもおつなもんだなあ~と ありがたく思いながら

てくてくと歩き出して 民家さん脇の石とか 撮影しました。。。

 

 ↓ 神籠石 じんごいし (地元では ちご石と呼んでいるそうです)

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 前回来た時は 

天武天皇皇女の十市皇女を中心に 700年代初めの飛鳥時代に焦点を合わせていたので

あまり関心を持たなかったので 申し訳なかったのですが^^;

 この石は 日本の初代天皇であらせられます 神武天皇ゆかりの すごい石なのです!!

 

 さっきのタクシー運転手のお兄さんがおっしゃってましたが

 

桜井市忍阪は 神武天皇が上陸して戦った 日本という国の

歴史の発祥の地なんです!!

日本の始まりの地なんですよ!

そう考えると 本当にものすごい事ですよね!!

 

という言葉が想いだされました。。。

記紀にも書いてある  八十建(やそたける) がここ忍坂に住んでいたのです。。。

う~む。。。 考えると ほんとにすごい事です。。。

 

ここで 古代 戦があったんだぁ~。。。。。

そういう視点から考えていくと このそばに サイキッカーの鏡王女が眠るというのも 

誰か王家の方の選択として 頷けるような。。。

 

 ↓ とても大きい石なので 近くから撮るのに 一苦労しました(笑)

   あーでもない こーでもないと 狭い道をあちこち移動して

   そこそこ離れて撮ってます。。

   忍阪のパンフレットを見ると 

   秋 この石の周囲は 彼岸花がきれいみたいですね~。。。

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 今回の忍阪の旅は 

 どの時代に焦点を合わせて 訪れようと思ったのか 

 自分で 歩きながら再確認したのですが^^;

(年だから バタバタしてると すぐ忘れてしまう ww)

 

やっぱり 日本武尊の前後 の時代のようです。。

 前回の旅の時 

 あの兄妹で愛し合った兄のほうの軽皇子の宮跡の小さい社が

 あったようなないような あいまいが記憶があるので ^^;

そこも確かめたかったのでした。。。という事を思い出しました (^◇^;) 

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万葉集 2-160、161

天武天皇が崩御された後 持統天皇が詠んだ 謎の歌です
以前にも トライしてみました
 
読み下し文
2-160 
燃ゆる火も 取りて裹みて(つつみて) 福路(ふくろ=袋)庭(には) 入ると言はずや 面(おも)智(し)る男(を)雲
 
意味
あの燃えさかる火とて取って包んで袋に入れるというではないか。お姿を知ってるいるものを、雲よ(中西 進先生 訳)
 
2-161
神山に たなびく雲の 青雲の 星離れ行き 月を離れて
 
意味
神山にたなびく雲は 青雲の中の星からも離れ 月をも離れて去っていったことよ
 
玲子さんが 160は 何か人を指して 161は特定の場所の守りを固めるっていう感じの事を
おっしゃいました
さらに 天武・持統天皇陵へ来たら 天智天皇が ぐお~っと強く出てきたそうなので
何かこう やっぱり この歌は 呪詛的な歌だと思いました
この歌は 意味がわからない謎の歌で 陰陽師に作らせたのかも という事も言われています
 
 
奈良旅行へ行って 天武・持統天皇陵と 高松塚古墳を見てきた私は 改めてこの歌を読んでみて 
なんかこう ぱっと思ってしまいました
 
やっぱり 160は 天武天皇を指していて 161は 天武天皇の魂を雲に封じ込めて 陵にとどめているのだと思います
 
160のゲゲ訳
天武天皇(=大海人皇子)は 燃える火を取って包んで袋に入れられると 生前 私におっしゃっていた方です
私だけにおっしゃっていました それが特徴です
天武天皇の魂を取って包んで 天智天皇の血を引く私の直系が永久に栄える福のある路と庭 龍道と藤原宮に入れてください。
天智天皇もお顔はご存知です  天智天皇の魂を持つ雲よ
 
161のゲゲ訳
天武天皇陵にたなびく天武天皇の魂を入れた雲は 広い天の 北にある北斗七星からも離れ 
西を正位とする月からも離れ 東(飛鳥京)から南へ 去って行く 
龍道の場所でしか 動けない 
 
天武天皇を使って 持統天皇の血を引く直系が 末永く 皇位を保てるようにと 呪詛をかけた感じがします
怖いです。。。

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万葉集 巻2ー156、157、158

昨日 日曜日は 花粉症とてぽどんを避け 家の中で 万葉集に逃げてました^^;
やりかけたままの歌。。
高市皇子が 十市皇女の亡くなった後 詠んだ3首 にまた首をつっこんでみました
 
巻2-156
三諸の神の神杉 夢のみに見えつつ 共に寝(い)ねぬ夜ぞ多き
 
巻2-157
神山の山辺 真麻木綿(まそゆう) 短木綿 かくのみ故(から)に 長くと思ひき
 
巻3ー158
山振(やまぶき)の 立ち儀(よそ)ひたる 山清水 酌みに行かめど 道の知らなく
 
根本的に考えてみました
どうして3首なんだろう。。と まず思いました
天武天皇は 陰陽道に詳しい人ですから その息子の高市皇子も陰陽道の知識は
あったろうと推測しました
 
3の数字について調べてみました
1は天(陽)の数
2は地(陰)の数
3は人の数
 
だそうです。
十市皇女は 自害だといわれているそうですから
あまり良くない 亡くなり方です。。
もしかして 3という数の歌を詠むことによって
天と地 人 という世界全てに網羅して
魂を 慰めた というか
天のお怒りに謝罪する?っていうか
許しを請う たのでしょうか。。
 
十市は 皇族なのに 伊勢神宮の斎宮になるのを拒否して 出発の朝自害するという
しかも自分の血で穢したという
すさまじいことをして亡くなったので 
十市の魂も 癒されて安らかになってほしいし
アマテラス神からも許してほしいし という意味があるのかなと 思いました。。
 
そして 2つの歌に出てくる 三輪山。。
三輪山は 神々しい神の山ですが 亡くなった十市のために詠むにしては
生々し過ぎます
十市は その父天武天皇によって滅ぼされた前王朝 天智天皇の息子の大友皇子の正妃だったからです
そして三輪山も かつてその昔 天皇が滅ぼした前王朝の人達の魂が眠る山だからです
 
高市は 三輪山を歌に詠むことによって
伊勢のアマテラスからは怒られそうな 十市の魂を
三輪山の神様にお願いしたのか と 思いました
十市も そんなことはないでしょうが
もし 父親を恨んでいるとしたら 天武政権にとっては とても危険な魂だからです。。
 
そして ふと 鏡王女のお墓を調べていて ふっと気付きました
鏡女王は 十市の伯母にあたります
玲子さんの霊視では 鏡女王は 不憫な姪の事を とても気の毒に思っていたそうです
鏡女王は 額田王の姉ですが 額田と同じく サイキッカーだったようです
今の奈良県桜井市忍坂 にあるお墓は とても空気の良い落ち着く素敵な場所だそうです
 
そこは 三輪山と大神神社が近くにある場所です
もしかして。。
十市も 三輪山のそばに葬られたのではないだろうか。。と思いました
十市は 亡くなって一週間で埋葬されます(変死の場合は 埋葬までの期間が異常に早い)
赤穂という土地だそうです
現代では諸説ありまして 比売塚(ひめづか)(奈良市高畑)というところが
十市の墓所だとして 人気があります
でも 玲子さんは 違う。。と言いました。
 
他には 桜井市赤尾 広陵町三吉 が 候補にあがっているそうです
私は 桜井市赤尾 のような気がしました あかほ あこう あかお と 発音が似ている^^;
で 地図を見てみました。。
赤尾というところは 鏡女王が眠っている忍坂の隣りの町で 
三輪山と大神神社が 近い場所なのです
 
恐らく 十市が亡くなり 墓所は 三輪山が見える場所が良いだろうということになり
埋葬されて。。
その5年後 鏡女王が亡くなった時
サイキッカーの鏡に 十市のそばで 十市をお願いしようと言うことになって
鏡女王は 隣りの忍坂に 葬られたのでは。。と 思いました
恐らくですが 直線で きっちりした数字の距離だけ 離れたところではないか と 想像します
鏡女王の墓所のあるとこは 舒明天皇陵の陵内にあたります
 
高市皇子のこの3首の歌は
十市が 死後 安らかに眠れるようにと願う
愛があふれた歌だと 思いました
 
それにしても 今の時期
奈良は 桜がきれいだろうなあ~ と 思いにふけってしまいました。。
行きたいです。。貸し自転車で 走りたい。。です。。

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万葉集 ゲゲ訳 巻4-488、489、490、491

 万葉集 巻第四  相聞
 
4-488  額田王
       君待つと わが恋をれば わがやどの すだれ動かし 秋の風ふく
       
4-489  鏡王女
       風をだに 恋ふるはともし 風をだに こむとし待たば 何かなげかむ
          
4-490  吹黄刀自 2首
       まののうらの よどのつぎはし こころゆも おもへばいもが 夢にしみゆる
        
4-500  河のへの いつもの花の いつもいつも 来ませわがせこ 時じけめやも
 
以前に取り上げた4首です
490と500は 吹黄刀自の歌ですが ゲゲは勝手に 十市皇女だと 見ています
くつかんむり詠みをしていたら あれ?と 思いました この4首。
天智天皇の息子で 叔父の 大海人皇子に攻められ 滅ぼされた大友皇子の事を
偲んでる?って 思えてきました。。
 
額田王は 十市の母で 天智天皇の思い人です
鏡王女は 額田の姉で 十市の伯母で 藤原鎌足(天智天皇 側近)の 思い人です
十市は 天智天皇の息子の大友皇子の妻でした。
 
まあ いわば この3人は 天智派で 大友皇子を偲んでも 恐らく不思議ではない関係の人達です。。
万葉集には 大友皇子(弘文天皇) の死を悼む歌はありません
もしかして この4首で 内緒で その役目を担っているかなと 思いました。。
 
  沓冠詠み 5・7・5・7・7の頭と下の漢字をひらがなにして さらに隠れた漢字を探して 詠んでいきます
 
488    きみと わがば わがの すだれし あきふく
       きみとわ かは わが の すたれ し あき ふく
       君 永久 替   吾  退  廃れ 死 空  伏 
 
489    かぜに こひし かぜだに こむば なにかむ
       かぜにこ ひし かぜだにこむは  なに か む
       風に来  悲死  風たに来むは  何  科 無
 
490    まの よはし こころも おもが い(み)ゆる
       ま の よはし  こ ころも おもが いゆる
       真 退 世は死 来  衣   お喪が 入ゆる
 
491   かはの いの いつも きこ ときも
      かは の い の いつも き こと き も
      替  退 逝 退  出雲 奇 事  来 喪 
 
488 ゲゲ訳
    君(大海人皇子)は永遠。 大友皇子は死んでしまって 系統は廃れた
 
489 風に聞こえるは 悲しい死、 さらに風に聞こえる事には 何の罪も無し
 
490 正当な方が退き 死がきた 喪服に 着替えよう
 
491 政権が交代し 退き去る人もいます 出雲では奇怪な事が起こり 喪となるでしょう 
 
歌のゲゲ意訳
  額田王は 大友皇子が死んで 天智天皇の系統が絶たれたのを 悲しみます
 
  姉の鏡王は 大友皇子が 罪もないのに 悲しく死んでいったという噂を聞き 嘆きます
 
  大友皇子が戦場から 妻の十市へ宛てた歌です(勝手に決め)。天皇の位をきちんと父から継いだけど 皇位継承権のない叔父に戦を挑まれ負けた。僕は死ぬから 喪に服してくれ、と言います
 
  十市の歌です。自分の父と、かつて仲の良かった高市皇子に攻められ自分の夫が死に、父が天皇の権力を得たという、
  容赦ない現実に耐えられずに 気が狂っていきます。出雲の斎宮に選ばれ 自分の自殺で 斎宮職を穢そうと します
  自分の死をほのめかしている歌です。。
 
それにしても ほんとに 大友と十市は お気の毒だと思います
っていうか 私はなんでこの2人に こんなに同情して 魂を奪われているのでしょうか。。 ^_^; 。。
ちょっと怖いです。。

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十市皇女 闇の考察

額田王の有名な歌
 
4-488 君まつと~
 
姉と言われている鏡王女 との相聞歌
 
4-489 風をだに~
 
を見ていて およ? と思いました。。
この歌の次になんと 正体が不明な あの人。。
十市皇女と阿閉皇女が伊勢へ行く時にお供して歌を詠んだあの人
吹黄刀自(ふきのとじ) の歌が 2首 あるのです
びっくりしました
 
4-490 真野の浦の~
 
4-491 河の上(へ)の~
 
これは一応男女の相聞歌になっていて 490が男性の歌
491が 女性の歌になってるらしいです (中西進先生 解説)
吹黄刀自が 二つの歌を虚構したのではないか らしいです。。
 
ふふふ。。
私の闇の考察の血が 騒ぎました。。
やっぱり 吹黄刀自って。。。
=十市皇女 であろうという 私の読み。。
さらに確信しました。。
 
前に考察しましたが 吹黄刀自の歌 もう一首は
額田王と 大海人皇子の歌のあとに ありました
十市は 2人の間に生まれた子どもです
 
そして 今回
額田と 鏡女王 の後に また吹黄刀自の歌が 続きます
鏡は 十市にとっては 母の姉 伯母に あたります。。
 
この歌の並び順からして。。  
きっと 吹黄刀自=十市皇女 であると 私は思います(勝手に)
 
歌の意味です (中西進先生訳 参考)
4-488 天智天皇が来てくれるからと 恋しく思って待っていると 我が家のすだれを動かして 秋風が吹く
 
4-489 あなたが風だけにしろ恋うているのは羨ましい。鎌足様が亡くなって訪れてくれる人がいない私は 風だけでも来るかと待つのなら、こんなに嘆きはしないのに。
 
4-490 真野の浦の淀に渡した継橋のように、次々と心から恋しく思うからか 近頃は夢の中に恋しいあなたが現れることだ。
 
4-491 川辺になびく美しい藻(いつも)のごとく、いつもいつもおいで下さい。おいでのない時など考えられません。 
 
488 は 生きている中大兄皇子を慕ってます
489 は もう死んでしまった藤原鎌足(恐らく)を 慕ってます
 
で 490ですが 
私が思うに この歌は 吹黄刀自(十市)が 男性からもらった歌のような気がします
で しかも 中大兄皇子と 藤原鎌足に次ぐ歌の人なので。。
大友皇子ではないかと 思う次第です。。
 
大友皇子は 天智天皇の息子です 
天皇に即位して(弘文天皇)すぐ 叔父の大海人皇子に攻められ
亡くなります(壬申の乱)
大友皇子の歌は 万葉集には一つも載っていません
漢文の詩の方の 懐風藻 に漢詩が載ってます
 
490は 488に呼応して 生きてる大友皇子からもらった歌
491は 489に呼応して 死んでしまった大友皇子を思う歌
 
のような気がします。。
 
488と489は 天智天皇が生きてる時代の歌ですが 491は実は
天武天皇が即位してからの歌 ということになります
いかにも天智天皇が生きてる時の歌 という風に錯覚させてます
万葉集得意の 配置で読者をごまかすテクニック(勝手に。。)です。。
 
以前 日本書紀に死が詳しく書かれている人は 万葉集には歌がない、と
気付きました
大友皇子 十市皇女も 歌がありません。日本書紀にその死が記載されているからです
 
でも なぜ万葉集に歌がないのか。。
絶対 いくつかは作ったはずだと思うのです。。あの時代ですから。。
まだ考え中ですが
やはり 載せられないほどの 何か があるのでは?
と 私はついつい 勘ぐってしまいます。。 
 
吹黄刀自にしろ なぜ 十市の名前ではいけないのか?。。
 
なんとなく考えたのが
大友皇子は その死によって 政権を 違う人に譲った天皇です
系列が 天智系から 天武系へと 変わってしまった 大変な時代です
恐らく かなりの無念と 悔しさがあって死を選んだ人です。。
なので 最高の魂鎮めに当たる万葉集でも 
もうそれはとても取り扱えないという事で 歌を載せてないのかも知れません。。
 
怨霊鎮めの万葉集が 歌を載せてないなんて とても不思議です
大津皇子とか有間皇子(無実の罪で死を賜わった)
の歌も載せている万葉集なのに。。
 
十市皇女ですが 彼女の歌も載っていません
玲子さんの霊視によると ちょっと精神的におかしくなった上での自害ということです
こういう場合の 自ら死を選んだ人の歌は 
万葉集では とても取り扱えないから載せない という事だったのでしょうか。。
 
491を読むと 私はとても怖いのです なんか恐ろしさを感じるのです。。
     
          へ            いつ  いつ
4-491 河の上の いつ藻の花の 何時も何時も 来ませわが背子 時じけめやも
 
いつ藻は いつも(毎回)。 あとは 出雲 もひっかけてるらしいです。。
いつもが 3回も出てきます
これが全部 出雲 出雲 出雲 だったら。。。なんだかとても 恐ろしいです。。
出雲は アマテラス政権に国を譲って死を選んだ 大怨霊オオク二ヌシを祀っている地名だからです
 
そして 藻は 川の中の美しい藻のことで 美しい髪とか 美しい模様とか 良い意味の言葉です
でも。。私は 怖く感じます
藻→ も → 喪 だからです。。
同じ音を違う漢字で当てはめる 裏の読み方でいくと 喪 になってしまうのです。。 
それに 藻は 川の中では 流れてきた死体をひっかけて ゆらゆらゆれてるイメージもあります。。
 
          出雲       出雲 出雲
 かはのへの いつものはなの いつもいつも きませわがせこ ときじけめやも
 替わ退 退    喪退  退    喪  喪  来          来死    喪
       
この歌 なんだかちょっと異色に感じます
川辺の藻の花のようにって。。 
たとえ 「いつも」 とひっかけてるとはいえ。。
死体を呼んでいるか または 私が死んでそこにいるから 会いに来て
と どうしてもイメージが浮かんできてしまうのです。。
精神的に おかしくなった時の歌なのでは?と 私には思えてなりません。。
 
出雲 を 3回連呼なので 
これは危険な歌と判断されたのかも知れません。
しかも 作者は自死してるから 
この歌は歌集に載せて 鎮められるべき歌であろう ということで
万葉集に載せられたのかも知れません。。
 
だけど 皇族で気がおかしくなって自死した方ですから 
名前を出すと差しさわりがある、名前を変えよう、
という事になったかもです。。
十市皇女は 吹黄刀自と 名前を変えられたのです。。(想像)
 
490の歌を 生前の大友皇子からもらったのか それとも
もしかして 戦場にいた大友皇子から 人伝えに聞いた自分への愛の歌だったのか。。
とにかく十市は その歌をとても大切にしていたのだと 
ゲゲは想像しました。。
 
そして十市は 大友の死の後 父の宮へ移らされ 
何年かたってから その歌に返歌という事で491を詠み 
自ら死を選んだのかも。。
とさらに想像してしまいました。。
 
吹黄刀自の歌で
別のもう一首の歌 
巻1-22 河の上のゆつ~ 
があります
 
偶然ですが この22と 491 二つの歌 
なぜ 出だしが 
 22 河の上のゆつ~
と 
491 河の上のいつ~
 
で 同じなのでしょう。。
作者が同じなのだから 歌の出だしもお気に入りということで 
同じものを使ったという意見もあるでしょうが。。
うーむ。。
漢字を調べてみたら やっぱり意味があるようです。。
今 ゲゲ訳中です
 
十市皇女は 大友皇子のことを 夫として愛して 
高市皇子の事も愛していて。。
でも 
父が戦を仕掛けて 
父と夫が戦うことになってしまい。。 
そして 夫側が負けて
多くの臣、人 そして夫も死んで
父と高市が勝って 政権を握ってという。。
あまりに急展開したむごい現実に
精神的に耐えられなかったのでしょうね。。
 
491の歌は 沓冠(くつかんむり)の漢字読みでは こうなります
 
河  乃  伊 乃  何時   來 子  時  方 
かは の  い の  いつも  き こ  とき も 
 
逆さに読むと
 
も きと こ き もつい の い の はか
 
漢字を当てはめていくと
 
藻きっと濃 来  喪  終(つい)の   井の墓
もきと  こ き  も  ついの      いのはか
 
ゲゲ意訳
私は死んで 川の藻の中にいます 藻は私の髪がからまり さらに美しく濃くなるでしょう

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万葉集 巻二ー156、

 
  十市皇女薨時高市皇子尊御作歌三首
 
三諸之 神之神須疑 己目耳矣 得見乍共    不寝夜叙多
              己具耳矣 自得見藍乍共  
  
〔紀曰、七年戊寅夏四月丁亥朔発巳、十市皇女卒然病發薨於宮中
 
十市皇女(とをちのひめみこ)の薨(かむあが)りましし時に、高市皇子尊(たけちのみこのみこと)の作りませる御歌三首
 
156 三諸の 神の神杉 夢のみに 見えつつ共に  寝(い)ねぬ夜ぞ多き 
                かくのみに ありしと見つつ 
   
 〔紀に曰はく「七年戊寅(ぼいん)の夏四月丁亥(ていがい)の朔(つきたち)の癸巳(さし)、十市皇女卒然(にはか)に病発(おこ)りて宮の中に薧(かむあが)りましき」といへり〕
      
中西 進先生訳
156 三輪山の神々しい神杉のようなあなた。夢ばかりに見えながら共寝せぬ夜の長かったことよ。
 
〔日本書記にいうことには「天武七年(678) 四月七日に十市皇女は突然発病して宮中で没した」という〕
 
ゲゲ訳
大物主神(おおものぬしのかみ)の一族は 祟神天皇の系統に国を譲る約束をして この世から消えていき 三輪山の神となられた。
三輪山の神杉は 今も三輪山の神社のそばにじっと立っている。
十市皇女は 三輪山の神杉になってしまった。 
あなたの夫の大友皇子が あなたの父である大海人皇子との戦に破れて自害して 天智天皇の系統の政権は終わった。 
天智天皇から大海人皇子に政権が移ったのは まるでその昔 大物主一族が滅んで 祟神天皇一族に国を譲ったのによく似ている。
あなたは 父である大海人皇子の元に戻ってきた。そして大海人皇子から 伊勢神宮の斎宮になることを命じられた。
あなたは 父上のために 斎宮になるのは嫌だったのだろうか。
新しい政権の斎宮になるよりも 古い政権の社の神杉になることを選んだんだね。
杉になって 神となった大友皇子のそばにいて 彼を探しているのだろうか。
大友皇子を攻めたのは この私。私からも去っていったんだね。
あなたは もうだめだ、と絶望していたのに 目と耳だけははっきりしていて 刃物を手に入れ 自分を神に捧げてしまった
これから住む世界では 夜は 眠らなくてもいいのだろうか。 今までは 眠れない夜が多くてつらかったね。
神杉は神々し過ぎる。 会えるのは夢の中だけなのに 私も眠れない夜が多過ぎて会うことができない。
 
十市皇女が亡くなった時 恋人?と噂されていた高市皇子が作った三首の歌の一首です
古来より 難訓とされて 二種類 伝わってます
 
去年は 3首を 違った方法で 解いてみました
今回は がんばって 漢字から 一首だけ 解いてみました
 
ゲゲ的解説
 
三諸之神   三輪山の神
神須疑     神杉。 三輪山にある 尊い杉 
 
三輪山は神の山で 大物主神が祀られています
今もカメラ ビデオが禁止の 現役の神体山です
大物主は その昔 祟神天皇との戦に破れて 国を譲り 亡くなります
後日 国に疫病が流行り 祟神の夢に 大物主が 子孫に私を祀らせよ と出ました
そこで 子孫の 大田田根子(オオタタネコ 玲子さんの霊視によると おじいちゃんらしい) が探し出され 
彼が 大物主一族を祀ると 国が治まります
天皇家にとっては 前政権の人の魂が眠る山です
 
考えてみたら 本当は 天智天皇から息子の大友皇子(明治時代 弘文天皇の名前が授けられます)に政権が伝わっていくはずだったのに
壬申の乱で 大海人皇子は 亡くなった兄の息子から 政権を奪って 前政権を葬ってしまったのですよね。。
高市皇子が 三輪山を歌に詠むのは 意味があるかも~と 考えて
この政権交代に 思い当たりました。。
 
十市皇女は 夫の死後 父の元に帰ってきましたが 伊勢神宮の斎宮に任じられ 出発の朝 急逝しました。 
自害かと 言われています
玲子さんは霊視で 痛い思いをしている と言っています 刃物で自身の体を刺したのでしょうか
 
神須疑 かみすぎ 
 須・・顔(頁)と ひざのさまをしめす 彡 とを合わせて 顔にある毛の飾り あごひげ。 待つ。
    オオタタネコ爺さんの事が 思い浮かびました 彼も杉のように ご先祖様の祀られた社に じっとよりそっていたのかな~と。。
    自分が死んだ後も 魂が杉の中にいそうだな~と 思いました
 
 疑・・人が杖をつき 立ち止まって辺りを見回しながら 迷っている形の象形。じっと思いをこらして立っている。
    オオタタネコ爺さんもそうですが 十市皇女も じっと立っているのかな~ 大友を探して迷っているのかな~ と 思いました
 
己目耳矣 いめのみに 夢のみに
 己矣・・やんぬるかな。 もうだめだ もうこれまでだ 絶望の言葉
 
 己と矣の中に 目と耳が あります。
    もうだめだ、と絶望した中でも 目と耳だけは働いていたような。。
    だから 明日は出発の日と 耳で聞き 目は 刃物を探してしまったのではないかと思いました
 
得見乍共   みえつつともに 見えつつ共に
  得 ・・ 歩いて行ってとる 財物を手に入れる
  乍 ・・ 亡(込) + 一 
       込 は逃げるの意味。一 は妨げる。 逃げる人を呼び止める声の意味
       甲骨文によれば ヒ + レ 。 ヒ(刃物)で レ形に切るの象形  さっと切るの意味
  共 ・・ 口が大きな物の形 大きな物を両手で捧げる
 
   宝刀に気付いて手にして 自分の体を切って 自分を神に捧げてしまったか。。と 考えました。。
 
不寝夜叙多    いねぬ夜ぞ多き
   不寝番 という言葉があります 眠らずに番をする事です
   この箇所は 高市皇子と十市皇女がいっしょに寝ないと いう 意味らしいですが
   私は 高市と十市が夜眠れなかった日々が続いた とも とれると思いました。。 
   そして 死んだ後は あの世で眠らなくてもいい生活になったね と十市を慰めてるようにも思いました。 
      
 
参考文献
 ← マイブックリスト 参照
  ・万葉集 中西 進 訳 講談社文庫
  ・闇の検証 朝日ソノラマ
  ・新版 漢語林 大修館書店
  ・国語辞典 旺文社

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