天皇家系図 宮内庁HPの系図を見てみました

結構そこそこの期間 独自に 天皇家の事を調べていますが

去年 初めて!

宮内庁のHPで 天皇家の系図を見てみました(^◇^)(遅)

 

なんと びっくりしました!

。。。

いや 驚くことではなく

むしろ 当たり前の事ですが

 

武烈天皇の後 継体天皇が皇位を継いだので

応神天皇の息子で 継体天皇の祖である 4代前の稚野毛二派皇子

のお名前が書いてありました!

 

これは

仁徳天皇の子孫は 武烈天皇で途絶えたが

腹違いの兄弟の稚野毛二派皇子の子孫は今でも続いてる

ということになります

 

 

 

もしかしたら 以前 どこかの本で読んだかもの史実ですが

改めて 宮内庁の系図で確認してみたら

なんだかまじで うわ~ と思いました(どういう表現)

 

系図で見ると 仲哀天皇から応神天皇へ皇位が移り

そして 結果的に 簡単に表現すると

応神天皇の次から枝が二つに分かれる形になっています

 

当時本当にそういう名前で呼ばれていたのかわかりませんが

今となっては

稚野毛二派皇子(若沼毛二俣王)の〝ふたまた〟のお名前が

何かを暗示してるようで ちょっと怖いです

後世の人が 付け足したのかな?

 

仁徳天皇の子孫は武烈天皇で終わりましたが

その上の世代で考えていくと

仁徳天皇の祖母 神功皇后の系統は今に続いてるという事になります

 

以前 皇極天皇を調べていた時

どうも 神功皇后のにおいがすると感じました

皇極天皇も 神功皇后からずっとつながっていることになります

 

さらに その上の系図を見てみると やはり

日本武尊は強い!!

となります

日本武尊の父 景行天皇

景行天皇の祖父 崇神天皇

天皇家初代 神武天皇

の流れ 最強です!

 

稚野毛二派皇子の系図を ゲゲ推測図で 作ってみました♥

たどっていくと

来熊田大酒主(くくまたおおさかぬし)

息長田別王(おきながたわけおう)

という方にたどり着きました

 

稚野毛二派皇子の母は 息長眞若中比賣です

そして息長眞若中比賣の父は杙俣長日子で 母は不明です

 

杙俣長日子の父は息長田別王で 母は不明です

杙俣長日子さんは 日本書紀の河派仲彦と同一人物と考えられているそうです

 

息長田別王の父は日本武尊で 母は不明です

 

ということで 色々史実を調べて それに推測を加えてみました

 

史実では

日本武尊の息子の仲哀天皇は

来熊田大酒主(くくまたおおさかぬし)または 来熊田造(くくまたのみやつこ)

という人の娘 弟媛 を妻にしたそうです

 

弟…媛・・・

弟・・・

 

弟というならば 当時は妹…

この弟媛さんには お姉ちゃんがいるのではなかろうか。。。

(当時は 兄媛 えひめ と呼びます)

 

妹が仲哀天皇に嫁ぐ位なのだから

姉もおそらく 仲哀天皇か天皇の兄弟クラスに嫁ぐはず。。。

と ゲゲは考えました

そこで 仲哀天皇の母違いの兄弟 息長田別王に嫁いだのではないだろうか

と 推測した次第です

 

古代では よほどの事がないかぎり 女性の名前は正史に残らないそうです

そして しかも 若くして亡くなった場合などは 特に残らないそうです

 

兄媛さんは お若い時 杙俣長日子さんを産んですぐ亡くなられたのではないか

と ゲゲは 勝手に推測してみました

 

そして そしてですが

杙俣長日子を 来熊田大酒主の孫として系図に当てはめた理由ですが

。。。

名前が 似てるんです!

 

くくまた。。。くくまた。。。。

くく…また。。。

う~ん。。。どうにも くくが言いづらい・・・

。。。

くくーまた。。。

。。。

くぅまた。。。

。。。

→ くいまた!!!

。。。

やや 強引かもしれませんが。。。

 

そして もう一つ ネットで調べたのですが

大阪の 杭全!!

読めないので有名な地名らしいですが

くまた と読むそうです

 

くいを またする という漢字で

どうやら 道か川の二股にわかれるところに杙を打つという意味らしいです

 

 

杙俣長日子の くいまた と 同じ意味に見えます

 

さらに この3人↓ を3世代として考えたのにも理由があります

祖父 来熊田大酒主

娘婿 息長田別王

孫 杙俣長日子

 

どうも 大阪の杭全地区に住んでいたのでは?

と 調べれば調べるほど 思いました

 

来熊田大酒主 は 普通に読むと熊が来る田 大きい酒主(その土地をおさめる人)

です

もしかしたら 熊が来るのではなく

くいをふたまたのところに打って整備して

くいまた という名前を この漢字に当てはめたのかもしれません

そして おおさかぬし が 大阪 という地名になっていったのかも

と推測しました

 

息長田別王は

息長川 または 息長氏に関する土地に入ってきたお婿さんで

(都会から地方に入る皇子を わけおう という)

ネットで調べたところ 意見は分かれるそうですが

息長川という川が流れてるそうです

 

 

杭俣長日子は

先ほどの推測で おじいちゃんの くくまたと 名前が似てるという点と

そして この長日子さんも

自身の代で 川が二手に分かれるところに杙を打って整備した

ということもありえると思いました

 

3世代をこのように考えて 系図に当てはめてみたら

なぜだか とてもしっくりとしました

 

また いつか 考えが変わるかも知れませんが

その時は 新説をブログに書こうと思います

 

 

それにしても 宮内庁HPの系図に載ってる稚野毛二派皇子

母が 息長眞若中比賣 ということで

息長帯比賣=神功皇后

 

そして 以前に考察した

息長水依比賣(おきながのみづよりひめ)の謎

の 息長水依比賣 様も

息長という姓? 名前?を持つお方。。。

 

謎?の息長一族は

系図のそこそこに隠れていらっしゃいます。。。

 

現代では

「息長」というのは 忍者用語だと知って

少々驚きました

息を短く吸ってから 細く長く吐く呼吸法だそうです

 

細く長く。。。

 

なんか 意味深~~~。。。。。

 

 

今日 思いついて

初めて ワードで系図を作ってみましたが

意外と楽しくて

はまってしまいました

きれいで簡単 ♥(*^^)v

 

↓ 昨夜 ペンタブで手書きで書いたら こうなりました

(PД`q)゚・*:..ヒ・・・ヒドイ.

 

 

 

 

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