平成26年7月12日 大阪 藤井寺市 堺 古墳&神社 一人旅

平成26年7月12日 土曜日
朝 4時55分頃 起床
旅先では 朝早く 割としゃっきり起きられるので 実に不思議です~
さ~~ 熱中症対策して 今日も一日 頑張ろう~!
大阪を いっぱい歩くぞ~~~!!
と 気愛を入れてみました
今日は 愛しの 日本武尊様の眠る 津堂城山古墳 と 大鳥大社だぁぁぁぁ~~~!!!

そういえば 予約の段階で大阪のホテルも調べたのですが 全然 取れなかったでした。。。
USJが大人気だからでしょうね。。。
この旅行は ハリポタオープン前ですが こんな感じだったので
これで ハリポタがオープンしたら さぞかしもっとすごい事になるんでしょうねえ~。。。

6:30 朝食
朝食付きのホテルなので 実にありがたかったです!
スポーツの合宿らしきスポーツマンや 土日も仕事のリーマンがたくさんいらしたでした。。。

7:00 荷物を用意して ホテルを出発

事前にネットで調べた結果を元に 鉄道の乗り換えを決めておきました
なので わけがわからないまま ネットの選んでくれた路線の 一番わかりやすいと思われる感じの組み合わせです ^^;

 

7:29  京都駅発   JR東海道山陽本線 新快速 播州赤穂行  920円

7:57  大阪駅
8:03           乗り換え JR大阪環状線 外回り 普通

8:25  天王寺駅
徒歩

8:34  大阪阿倍野橋駅  近鉄 南大阪吉野線準急 普通   300円

8:47  藤井寺駅
9:05              バス 八尾行き    200円

9:15頃  小山(こやま)バス停

徒歩すぐ

↓ 津堂城山古墳

墳丘長さ 208メートル 前方後円墳

二重の堀と堤を入れると全長 440メートル

 

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バス停からすぐ 古墳全体が見えたのですが

見た途端

あ~・・・ここだ・・・ここがまさしく 日本武尊様の古墳だ・・・と感じました。。

亀山の能褒野古墳 御所市の琴弾原古墳。。。

二つの古墳と全く同じ雰囲気が 感じられました。。

古市にある軽里古墳は 日本武尊様の古墳ではない・・・と思いました。。

 

一歩一歩 歩いて ゆっくりと 墳丘部分に近づいていきました

全身鳥肌が立ちました

9時台という朝のせいか 古墳が 前夜の夜の部分を引きずっていたように感じました

私が 栃木の太平山客人神社で聞いた時と同じ あの悲しい声の蝉が 古墳の山いっぱいに シクシク シクシク シクシク シクシク鳴き叫んでいました。。

悲しい 悲しい 哀しい 哀しい。。。

山全体が渦を巻いているかのように オイオイと泣き沈んでいるようでした。。

私も泣きそうになりました。。

蝉の鳴き声のものすごい迫力に 自分の感情が圧倒されてしまって 涙腺が自然と緩んできてしまうのです。。

古墳全体を 悲しみ、無念、残念、途中で・・・、という負の感情が取り巻いているように感じました。。

周囲は明るく晴れた夏空なのに

この古墳の土地だけが どんよりとした悲しい曇り空に覆われてるようでした。。

 

内堀部分には 小山花しょうぶ園と津堂草花園があり 尊の霊を慰めるかのように

きれいなお花がたくさん咲いていました

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↓ 古墳に登らせて頂きました

金網のある後円部すぐわきの前方部から見た西の方角

IMG_0022

↓ 後円部を背にして 前方部の端までをずーっと。。。

方角にしてみると 南東方面

地図でおおざっぱにずーっとたどっていくと

御所市の日本武尊の陵とか 奈良の桜井市方面なんですね。。。

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↓ 古墳東側に建てられた八幡神社

八幡神社なので ご祭神は誉田別命 日本武尊のお孫さんですね。。

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↓ 神社へ向かう参道

暑い中 おじさんが草むしりをなさっていました

写真を撮っていたら 気さくに話しかけて下さいました~^^

「関東から古墳を見に来ました~」 と言うと

「藤井寺は良いでしょう~、古墳がたくさんあって~」

と 親切に話して下さいました

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↓ 藤井寺市教育委員会 文化財保護課の

「史跡 城山古墳ガイダンス棟 まほらしろやま」まほら城山?

ビルの右横 平屋の建物

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↓ ガイダンス棟の建物から見た 古墳石室の石と 古墳

この時間になったら 古墳を取り囲む雰囲気が変わってきて

まるで偉大な王が眠るかのような 迫力ある雰囲気になってました。。。

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冷房の効いた 休憩もできるガイダンス棟があって そこの庭に

なんと 本物の石室の石が 置いてありました!

ガイダンス棟の説明員の方が出てきて 教えてくれました

八幡山神社から 返してもらったんだそうです。。(^◇^)

八幡山神社で 碑として 使われていたそうで

この度 無事・・・(無事でもないか 土台部分は穴開けられちゃったし。。)

返してもらえたのだそうでした。。

後は 長野の某ちょー有名なお寺さん(名前をはっきり聞いたけど なんとなく書くのはためらわれた・・ww HPに堂々と書いてあったような気もするけど 気のせいかな・・・)

とか あちこちに持っていかれてしまったようで ^^;

まだ 返してもらってないそうです。。

 

説明のおじさんがおっしゃるには

昔は 規制がゆるかったから 持っていっちゃったんだよね

だそうです。。

あ~。。ネットで 前 読んだ~。。

石室の石って大きくて立派な一枚岩なので 碑として使うのにとても重宝みたいです。。

だけど まさか この古墳の場所で こんなリアルで生々しい証言が得られようとは・・・^^;・・・

 

明治時代の発掘調査の時の白黒写真で見た 津堂城山古墳の石室の石は ものすごく立派だったから 人気?だったんでしょうね。。。><

あ!津堂城山古墳発掘調査書に 書いてあった気がした! (^◇^)

 

だけど 石室や石棺として使われていた石を 碑として使うって・・・

普通に考えて ちょっと怖いです・・・ (^_^.)

だって お墓の石・・・

 

ガイダンス棟の説明員の方に

この古墳は 日本武尊が眠る古墳だと思うんです!

と言ってみたら

そういう説もあるけど この地域を治めた豪族の墓かも知れんし まだよくわからんよねぇ~

と おっしゃっていました (^◇^;)

やっぱり 藤井寺市としては はっきり断言できないですよね。。><

津堂城山古墳調査書には この古墳は 日本武尊の古墳ではないだろうか という寄稿文がありましたが やっぱり断言はね・・・ (^_^.)

 

説明員の方に(おじさん 学芸員さん?) とても親切にしていただきました

本当にありがとうございました

↓ ガラスケースの中にあった本物 衝立型埴輪

写真に納まっちゃうと小さく感じるけど 本物は デカッ!でした。。

あまりの大きさに愕然としました 高さ60センチ・・70センチ?以上はあった気がする! 迫力~~!!幅は1メートル位 あった?!

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↓ 館内にあったパネル

津堂城山古墳は 中世には城として利用され その後も開墾などで一部破壊されたそうですが 現在は史跡に指定され 市民の憩いの場として活用されているそうです。。

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ガイダンス棟を出て しばしまた 写真撮影しました

↓ 金網に囲まれた後円部部分

恐らく 明治時代 ここを発掘したんだと思う~。。

宮内庁立て看板

陵墓参考地に治定されたそうです

 

もう一枚の別の写真にも写ったのですが 真ん中部分と左にオーブっぽいのが・・・

だけど 調べたら まぶしい光が入り込んだというフレア現象?みたいで。。。

なんだ~~~。。。^^;

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↓  水鳥形埴輪が出た 島状遺構の案内板

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↓ よくわからなかったけど ここかしら~

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名残惜しかったけど お昼頃

すっかり 堂々とした王者の風格の古墳にお別れをして

バス停へと歩きました

 

古墳って 神社と同じで 時間と共に雰囲気が変わるのですね。。

やっぱり 夜の古墳には 行かない方が良いな。。。と思いました。。。^^;;;(怖)。。。

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