かぐろひめは 2人いたんですね。。画像解析 古墳墓碑より~

画像解析によって判明した古墳墓碑 上・下 池田仁三氏

は ゲゲの愛読書になりました

暇な時 寝っ転がって

あの人は この古墳の主なんだあ~

と 楽しみながら 読んでいます (*^。^*)

この間までは ネタバレになっちゃうからと

この本に書いてある事は ブログにはあえて書かないでいたのですが

この間 池田氏さんの生前のホームページを見つけました

そこでは この本の内容が全部書かれていたのでした。。

それじゃあってことになりまして

ゲゲもどんどん 掲載させていただき 本の宣伝をさせていただこう~と 思いました

ホームページへは 右欄から いけます →

池田氏周辺の方達の努力によって

全国にある古墳の墓碑名がたくさん 画像解析によって明らかになったわけですが

学会? からは あまり熱い反応は 感じられません。。^^:

静観状態?・・・ (^◇^;)

○郎氏の騒ぎのような ものすごい反響があれば 良いんだけど。。。

。。。

さて かぐろ媛ですが この方の系図が 古事記では おかしな事になっています。。

日本武尊の子孫なのに 日本武尊のお父様の妻になっています。。

私は

昔は早婚だから そーゆーのもありえるよね!

と 豪語?しておりましたが

実は 時代が違うかぐろひめが 2人いた ということが

この「古墳墓碑」から 判明しました (^◇^)ノ

日本武尊のお父様 景行天皇と結婚された かぐろひめは

訶具漏比賣 です

彼女の古墳は 岡山県 総社作山古墳(全国古墳ランキング9位 長さ286メートル)です

生没年は 236年ー280年 です

吉備王国のお姫様なんですね。。

景行天皇と結婚して 大江王をもうけます。。

そして もう一人の かぐろひめは 時代が下がって 応神天皇の妻となった方です。。

迦具漏比賣 です

古墳は 藤井寺市 市野山古墳です 允恭天皇陵と言われている古墳ですが 画像解析の結果 迦具漏比賣のものだとわかったそうです。。(古墳ランキング 19位 長さ230メートル)

生没年は 323年ー366年

応神天皇との間に5人の皇子皇女がいると 記紀どっちか^^;に書かれています。。

上記のかぐろひめと混同されたためか

この方の お父様 お母様 出身地が 全くわからないので

ゲゲは 色々推測してみました

仲哀天皇の息子さんの ほむやわけ王 かな~と 思ったりしてみました。。

。。。これについては 後日 考察しようと思っています~

。。。

漢字が違う かぐろひめ 2人。。。

時代が多少近いので 後世で わからなくなって おかしな系図が生まれてきたのでしょうかね。。。

もしかして これが原因かな?っていうのが 一つあります。。

景行天皇と結婚した訶具漏比賣さんは 系図では

おじいさんが 日本武尊の息子の「若建王」になっています。。

この「若建王」ですが もしかしたら間違いで 本当は 「若建吉備津日子」ではないか?と思うのです。。

それにしたって 「若建吉備津日子」(桃太郎伝説の桃太郎の異母弟って感じ)じゃあ 時代が古すぎる!という意見もあるのですが

「古墳墓碑」によると この方 103歳の長寿をほこったようです。。!(^^)!

すごい~~ 128年-230年 !

古墳は 岡山造山古墳(古墳ランキング4位 長さ350メートル)

訶具漏比賣のお父さん 須売伊呂大中つ日子(222-271 「古墳墓碑」)を 95歳でもうけてる計算です \(^o^)/

まあ これは 実子でなくても 養子でも良い(多分)わけですから

古事記は 「若建」違いで 間違えた ということになるかもです。。

あと 思うのは 景行天皇の妻の訶具漏比賣さんは

ひ孫が あの 神功皇后と戦をして負けた 忍熊王と香坂王なので

系図上 わざと 神功皇后側によって その正体?を悪意的にねじまげられたのかも知れません。。。

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