ヤマトタケルのミコト様の3つの陵を追いかけて想った事ー父・景行天皇の宮の守りとなっているのかなあ。。。

1泊2日のハードな日程で 日本武尊のものと言われている3つの古墳を訪れて

なんだかつくづく 日本武尊の父 景行天皇って ヤマトの天皇として とても大きい存在だったんだな。。。と 思ってしまいました。。

多分 オーラがすごいっていうか 本当に 先代の血を受け継いだ天皇として 

戦に優れた能力と 神を祀るサイキックな能力 を合わせ持って 

王として日本国に君臨した方だったんだろうな。。と感じました。。

その子の日本武尊も 父の血を引いて 戦に優れ 呪術に長けた なんでもできる人だったので 

将軍として 南と東の敵を討つ役目を帯びて 日本国中を歩いたのだと思いました。。

日本武尊の白鳥伝説と なぜ古墳が3つもあるのか  ゲゲなりにあれこれ考えてみました

そもそも 古墳ですが  どうやら 次の天皇が造るものらしいです。。

日本武尊の場合は 父である天皇より早くに亡くなっているので 古墳は 父 景行天皇が造ったのではないかと 思います。。

以下 あれこれ考えた事を書いてみます~。

① 日本武尊の父 景行天皇は陰陽道に通じていた? 

   多分きっと天皇家には 代々呪術が伝わっていたと思う。。大陸からの陰陽道的な・・・  

   日本武尊の古墳は 

   父 景行天皇が政治を行った宮 (大和の巻向の日代の宮 ヤマトのまきむくのひしろのみや 奈良県桜井市穴師の辺り)の守りとなっている! 

   と 思います。。

   能褒野古墳(三重県亀山市)は 宮から見て 丑寅 北東の方向にあるので 鬼門の守り 

   琴引原古墳(御所市玉手)は 宮から見て 未申 南西にあるので 裏鬼門の守り

   志磯古墳(羽曳野市軽里)は 宮から見て 酉 西にあるので 西の守り 

   ちなみに 景行天皇の宮の北には 祟神天皇陵

            東には 鳥見山 があります

   古墳の山を造ると その上を龍道が通るそうです 

   龍道というのは 王家存続というか 自分の血筋を残すというか そういう呪術的側面があるみたいです

   日本武尊の古墳を東から南、西へと移動して造って 景行天皇の宮の守りとした事を 

   尊の魂は鳥になって飛んでいったという美談に仕立て上げたのではないかと 思いました。。

   尊は白鳥になって 空へ飛んでいってしまったので 尊のご遺体は3つの古墳にはないそうです。

   もしかして 最後 留まったという堺市の神社あたりで 

   父天皇が 呪術として使っているのでは?とも 思いました。。

   伊吹山から 尊が歩いた軌跡と 尊が死後飛んだという跡を追っていくと

   ちょうど 景行天皇のヤマトの宮を 北から西へきれいに覆っているというか 

   バリアを張ったみたいになっています。。

②  3つの古墳を拝見して  それぞれの古墳のカラーを想ってみました。。

   能褒野古墳は 自分の死を悔しく思う尊の念と 尊をお慕いしていた周囲の人達の悲しさが満ちた古墳

   琴引原古墳は ご先祖の孝安天皇陵(ひいひいひいひいひいじいちゃん)のそばで 

   じいちゃんのお墓と 外敵を討つため 道路を見張って守っている 武人としての逞しさにあふれた古墳

   志磯古墳は のびのび大らかに民の幸せと繁栄を祈る 天皇家の皇子としての威厳と貫禄と優しさを持った古墳

   最初の古墳から次の古墳 最後の古墳へ移るたびに 尊は自分の死を受け入れ 

   皇子としての役目を果たそうと 魂が落ち着いていく。。浄化していってるというか。。

   そんな印象を受けました (#^.^#) 

③  伊吹山の神についてですが

    伊吹山の神を倒せと命じたのは 父 景行天皇ではないか? と思いました。。

   いぶく という地名から そこには 製鉄民族の先住民がいた と考えられます

   そして 尊が 草薙の剣を 尾張のミヤズ媛の元に置いていったのは 

   これが 先住民族を討つ戦ではなく 

   先住民族が祭っていた神を 再び きちんと祀り直す目的だったから だと思います。。

   おそらく 以前 誰かが 先住民族を討った時 

  彼等の神(多分 ダイダラボッチ 一つ目の神)を鎮魂する祀り方が悪かったために 祟りが出るようになってしまい

   それを 再び 日本武尊が 祀りなおしに行ったのかも。。と 思いました。。 

   伊吹山の場所は 琵琶湖のそばにある景行天皇の近江の宮 (近江の志賀の高穴穂の宮 滋賀県大津市坂本穴太町)から見て 

   丑寅 鬼門の方角です

   景行天皇は 「伊吹山の神を倒して 近江の宮の鬼門の守りとしよう」 と考えたのではないかと 思いました。。 

    悪いものを鬼門上に置いておけば 他の悪いものはその地に入ってこない という考えがあるらしいです。。 

④  尊が亡くなった能褒野の地ですが

   大昔から 戦とか すごくあった地のようです。。

   HONKOWAで 霊能者の皆さんが語っていた地は オフレコでしたが 三重県の能褒野の辺りじゃないかな~~と 思うのです。。

   大昔から戦があったところは やっぱりそういう感じになってしまうので

   日本武尊みたいに 正義力にあふれた方は 一番良い時点で すぱっと命をとられてしまう事があるそうなのです。。     

   私が訪れた日は どんよりとした大雨だったので その地の裏の顔を見れたというか。。

   空気がとても重々しい感じでした。。

   ここは 歴史的にやっぱり相当古くから色々あったんだろうな。。。と 感じました。。

 

色々考えていますが やっぱり 父親の景行天皇が ものすごく なんだか関わってるというか そんな気がしています。。

そして 大臣のタケウチノスクネがその後の成務天皇(日本武尊の義弟)と関わってきて 

仲哀天皇 神功皇后 へとつながっていって・・・と 日本史の最も謎の部分に流れていくのが

とても不思議な展開だと思います。。

 今回の旅で 日本武尊の実在を さらにぐっと感じました

 もっともっと調べていきたいと思いました。。

  ↓ 皇子の陵とは思えない。。 まるで天皇陵みたいな堂々とした貫禄とオーラ 志磯の白鳥陵

    3つの古墳とも 訪れた時 全部 天気が違っていました。。^^ ここは 見事に快晴でした~

  

  

広告

2件のコメント »

  1. ポロン said

    ふむふむ~~

    って、ゲゲちゃんは専門家以上だもん^^

    よっ!!!!   先生~~~~~~^^

    今も、天皇は土葬されるんだってね@@:

    今生天皇は、お墓を小さくしてほしいとおっしゃっているそうな・・

    本当に、美智子様といい、素晴らしいわ!!!(天皇フェチポロン)

    ^^ ここは 見事に快晴でした~
    威厳のある、映像に感服~~~^^

  2. ポロンさん こんばんは~ ^^
    遅くなって ごめんなぱい~
    読んでくれてありがとう~!!
    世間はオリンピックで沸きあがってるところ
    ひじょう~~に 暗い記事で ごめんちゃい~~ (^◇^;)
    タイトルは いつものごとく 検索にひっかかろうと がんばりました~ 姑息~ あはは~~

    んま~~ 今も土葬なのね~!! ちょー びっくりです!!
    今の天皇様は とても謙虚だわ~。。!! お優しい!!

    清盛で 天皇家のどろどろを見てると 
    なんか あの頃って とても大変だわ。。って 思っちゃいます。。
    これからどんどん 松田しょーた君は 恐ろしい?人になっていくのね。。 ^m^

RSS feed for comments on this post · TrackBack URI

コメントを残す

以下に詳細を記入するか、アイコンをクリックしてログインしてください。

WordPress.com ロゴ

WordPress.com アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Twitter 画像

Twitter アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Facebook の写真

Facebook アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

Google+ フォト

Google+ アカウントを使ってコメントしています。 ログアウト / 変更 )

%s と連携中

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。