下野の古代を追いかけて そして 再び 甲神社へ

それは 10月 突然 空から?映像が 脳内に舞い降りてきました。。

のんびりお風呂へ入っていた10月最後の週の月曜日か火曜日あたりの夜 

ふと突然 頭の中に1つの映像が浮んだのです

舞台は ゲゲがチャリで訪れたあの甲神社でした。。

そこに 古代の白い衣裳?を着て 頭はみずらを結った男子が1人 

神社の建物の横の土の部分にしゃがんで何かを埋めて 立ち上がって こちらを見ている。。。

という映像でした

うお?! 誰? 古代のお方?

もしかして ヤマトタケルの命様?!

何を埋めたんだろう~~。。。 甲かしらん~~~。。。

それにしてもどうして急にこういう映像が ゲゲの頭の中に突然浮んで。。。

謎~~~。。。

いつものことだけど ゲゲのまた行きたいという願望が 映像になって?。。。

うが~~~~っ。。。きっとそうだ~~~!

う~む。。。 

現地へ行きたい・・・行きたい。。。 行きたい。。。 行きたい。。。

行きた~~~~~~い~~~~~!!!

いや 行かなきゃいけないんだ! 

呼ばれてるんだ!

きっとそうだ! そうに違いない!!

都合よく脳内で話を進めたゲゲは 今度は車で ちょっと離れた野木町あたりへ出かけよう!

と 決めてみました♪

10月27日木曜日の夕方 義母が 

「ゲゲさん 明日 天気が晴れっていうから 仕事 休んでいいよ。布団干しな。」(若干 命令形)

と ^^; 天からの一声で 28日金曜日に休みをくれました。。

。。。

布団なんて。。。 赤ちゃんがいるわけでもなし 時間に構わず 気の向くまま 自由に干してるわぃ!!

。。。。

その頃 義母は 「布団を干す」という事に やたらとこだわっていました ^^;(こだわりは その時その時で ころころ変わります 。。。^^;;;そして 必ず それを嫁にも求めてくる。。。)

。。。なんだか押し付けがましくて ちょびっつ頭にきたけど^^;。。。

ラッキーだ~~~と思おう~~!!

翌朝 28日金曜日 布団を干すのも忘れるほど浮かれたゲゲは 洗濯物を干した後 地図を持って 車に乗り込み 10時 家を飛び出し?ました 。。^^;

前回のチャリと違って 今度は車なので ぐいぐい進めました

10:40頃 栃木のはじっこ 野木町 到着~ ♪

 ↓ 野木(のぎ)神社 

     野木小学校のすぐそばにひっそりとたたずんでいらっしゃいます。

     栃木県下都賀郡野木町大字野木2404

    ご祭神 菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと 応神天皇の皇太子)

       息長足比売命(おきながたらしひめのみこと) 誉田別命(ほむたわけのみこと)

       田心比売命(たごりひめのみこと) 瑞津比売命(たきつひめのみこと) 市杵比売命(いちきひめのみこと) の六祭神

   由緒沿革概要

     仁徳天皇の御代に 下野 国造(しもつけのくにつくり) 奈良別命(ならわけのみこと)が当国に赴任する折り 応神天皇の皇太子、菟道稚郎子命の遺骨を奉じ、 下野国 笠懸野(かさがけの) 台手函(だいてばこ)の地に斎奉ると伝えられる。その後、延暦年間(1200年前)に坂上田村麻呂が北国平定し凱旋途中 当社に鎮撫の功を奏し その報賽として 現在の地に社殿を造り遷座した。

     鎌倉時代には時の幕府より 源頼朝から社領 源実朝から神馬の寄進を賜り、又 元寇の際 北条時宗公より攘夷祈願の命を受け、左右相殿に息長足比売命、他四神を新たに御祭神として斎奉る。

     その後、幾度か盛衰しつつ江戸時代に至り、代々の古河城主は当社を領内の祈願所として崇敬し、太刀、剣、玉などの寄進が有った。

     文化三年(180数年前)には社殿悉く焼失したが、当時の城主、土井利厚公は之を嘆き領民の協力を得て 文政2年(1819年)現在の社殿を再興した。

     明治に至り、乃木大将は当社を厚く敬い、度々参拝に訪れ、愛用の軍刀を始め 累代の家宝を奉納した。

 

 

 ↓ 厳島神社(瑞津比売命 田心比売命 市杵比売命) 

    3月中旬から4月中旬 二輪草の群生地になるそうです。尾瀬みたいに足場を歩くようになってます

 

  ↓ 坂上田村麻呂が 戦勝のお礼に植えた 大イチョウ 栃木名木100選 に選ばれてます

 

 ↓  近くの道路から 史跡 野木町煉瓦窯 へ行けます

    真ん中遠くに見えるのが 煙突だと思う。。

  

  野木神社は不思議な神社です。。

 地域の神社を巡る昔の御祭 七郷巡りの親神社でもあります。。 

 しかも 日本書紀に出てくる有名な菟道稚郎子命の遺骨があるそうですし・・・!!

 (私は天皇になるには向いてませんと言って 自殺なさる皇太子。駆けつけた人の前で生き返ってしゃべるけれども また再び亡くなってしまうという。。。宇治に古墳がある?この方のお墓があるから うじ って土地の名前がついたとか。。)

 ご遺骨。。。どこにあるんだろう。。。

 と しばし ご近所を散策してみました。。

 ↓ 神社の北側の土地の秘密の場所に祀ってあるのかしら。。それとも 神社の中に。。。??謎。。

 

 

次は 来た道を戻りまして 小山市の安房(あわ)神社へ立ち寄らせていただきました。

 創建    伝承によると2千年前の祟神天皇の御代

 主祭神   天太玉命(あめのふとだまのみこと) 菟道稚郎子命

  ↓ 安房神社      小山市粟宮1615

 

 

 以前 ゲゲが調べていた平将門様関連?の神社です。。

 藤原秀郷公が将門追討の戦勝を祈願した神社です。戦勝のお礼として多くの寄進をし、その後 永世守護神として 秀郷公の子孫である小山公も代々崇敬したそうです

この日は朝からとてもお天気がよく 神社から 力みなぎる元気パワーをいただけました!!

落ち着いた中にも 古代の荒々しさというか 勇ましさを感じられました。地域の皆さんから愛されてる神社というのは 土着の迫力があるなあ~と思いました。。

ご祭神の菟道稚郎子命様は 日本書紀からは なんとなく優しそうな印象を受けるのですが 2つの神社の雰囲気からは 逞しさと強さを感じたので 御祭りしてきた方達の武家としての気持ちが強いんだろうな。。と思いました。。

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4件のコメント »

  1. ポロン said

    菟道稚郎子は父親にとても愛された人で、
    兄を差し置いて天皇になったのね。

    父の死後、兄を天皇につけるこために自殺をもって行動した人。

    後々までも異彩を放つのは意味があることではないかしら?

    ゲゲひょんが元気パワー
    享受して良かったあ!!!!!!!!!!!!!!

  2. ポロンさん こんばんは~ ^^
    旅行から帰ってきて いろいろお片づけで大変かもなのに 来てくれてありがとー(=^・^=)

    このお方は 関西のほうでとても愛されてる感じですよね!
    ゲゲは 神社でお名前を知ってネットを調べて知って・・・(記紀も読んでなかった~)と びっくりですよ~! ほんと 異彩を放ってますよね・・・!

    この神社巡りの後 確かね 身体の骨が痛かったのが治ったんですよ~!!
    やった~!って大喜びでした!

    下野の神社は 調べれば調べるほど 不思議がいっぱいデス!!
    頑張って 調べます (●^o^●)

  3. Ray said

    こんばんは。

     ゲゲひょ~~~ん。

     行きたいの願望が~ 「布団ほしな。」

     あははは。
     でも行ってこれてよかったね♪
     痛みも取れてぇ~^^v
     

  4. Rayひょん こんばんは~~ 
    ぐふふ そうなんです! (^O^)/ 
    ここで愚痴らせてもらうと。。^^;
    埼玉のゲゲの育った地域では
    「何々しな」
    っていう言葉は ちょっと意地が悪いおばさんが 目下の小さい子や犬猫に ぞんざいに上から使う言葉(特に語尾)なんですよね。。
    自分の親から「布団ほしな」なんていわれた日にゃ 「うっせー!!」と家庭内ドメバになってしまうという。。。だから 実の親ですら使わない言葉なのに。。。(=^・^=;) ぶはは~~!

    でもほんと 行ってこれてよかったでしゅ!! (^◇^)
    お天気がよくて 気持ちよかったでした~ 
    ありがとうですよお~~! 身体が楽になりました~ ☆☆☆☆☆

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